作品タイトル不明
第80話 出発という名の重い十字架
貴丸としては、一応、反省しているつもりではあった。
もっとも、その“反省”なるものが、世の真っ当な人間のそれと同じかと言われれば、かなり怪しいけれど。
気分としては、どこかの隻眼の男のように、死装束めいた格好で金の十字架を背負い、道をとぼとぼ歩いていく感じである。
いや、むしろ 髑髏(どくろ) の丘へ向かう聖人か。……いや違う。さすがに大仰すぎるか。
ならば、 遍理(ヘンリー) 二世のように、粗末なシャツ一枚に裸足で巡礼する感じか。
あるいは、雪の中で赦しを乞う 敗隠利比(ハインリッヒ) 四世の心境――などと、朝から妙なことを次々考えている時点で、そこまで殊勝な反省ではないのだろう。
要するに貴丸としては、
――閻魔大魔王の 己主賦礼(コスプレ) は、さすがにちょっとやりすぎたかな。テヘペロ、くらいには悪いと思っている。
そして、その“反省”をどう表現するかしばらく悩んだ末、貴丸はふと思いついたように納戸から縄を引っ張り出し、それを首にゆるく巻いたまま朝の館へ顔を出した。
当然、見つけた慶久の眉間に深い皺が寄る。
「……貴丸。何を首に巻いているのだ?」
呆れ半分、警戒半分の声だった。
貴丸は悪びれもせず答える。
「昨日の反省を形にしました。“ 英蘭王(イングランドおう) ”に包囲された 枯礼(カレー) 市民です」
「…………」意味が分からない。いや、分かりたくもない。
慶久はしばらく黙ったまま貴丸を見つめ、それから盛大に頭を抱えた。
どうやらこの子は、まだ全然懲りていない。その事実だけは嫌というほど理解できたのである。
やがて慶久は、疲れ切った声で言った。
「……貴丸。ゆめゆめ、外で神仏を 揶揄(やゆ) する真似だけは致すな。絶対だぞ」
「ほーい」返事だけは軽い。まるで分かっていない声だった。
その横で、空然はいまだに何とも言えぬ顔をしていた。
昨夜の閻魔大魔王己主賦礼が、まだ脳裏から消えていないのである。
そして空然がどこかためらうように口を開いた。
「……貴丸殿は、神や仏の怒りが怖くはないのですか」
声音は低い。冗談ではなく、本気で尋ねているのが分かった。
貴丸は首の縄を弄りながら、小さく肩をすくめる。
「困った時は祈るかな。外に出たくないから雨が降ってとか、あともう少し寝かせてくれとか、母上が怒ってる時は、一刻も早く機嫌が直ってとかさ。でも、それ以外は別に……そこまではないかなぁ」
空然の眉がわずかに動く。
貴丸は続けた。
「神仏は、いるのかもしれない。そこは否定しないよ。俺が見たことないだけでね。でも、良いことも悪いことも、全部“神仏がそうした”で済ませるのは、なんか違う気がするんだよなぁ」
声は軽い。だが、その場の誰も口を挟まない。
「飢えるのも、争うのも、結局は人がやってることでしょ。なのに、“これは天罰だ”“神の御意思だ”って言えば、人はそこで考えるのをやめちゃう」
空然は黙ったまま聞いている。
貴丸はようやく視線を上げた。
「もちろん、寺や神社が人の支えになってるのは分かるよ。読み書きだって、祈りだって、文道や教化だって、ああいう場所が残してきたものは大きいと思う」
そこまでは穏やかだった。だが次の言葉は、静かに重かった。
「でも今の世の中、寺社も武装して、金を貸して、土地を持って、時には戦までしてる。……いや、分かるんだよ。そうでもしなきゃ生き残れないんだろうし、守れないものもあるんだと思う。でも、それを誰も不思議に思わなくなってるのは、なんだか変な感じがするんだよね」
そこで少しだけ首を傾けた。
「本来、神仏って、人が争わないための拠り所だったんじゃないのかなって。今は、逆に争いの中に組み込まれてるように見える」
言葉に強い否定はない。ただ、静かに疑問を置いただけだった。だが、空然は目を見開いたまま、何も返せなかった。
その問いは、あまりにも真っ直ぐだったから。
結局のところ、もう細かく考えるだけ無駄だ――そう悟ったのだろう。慶久は深く息を吐き、まだどこか複雑そうな顔をしている空然へ向かって言った。
「空然殿。貴丸の話は、半分ほど聞き流しておかねば。真に受けると、そのまま妙な深みに引きずり込まれるのでな」
朝の光の中、慶久の声には妙に実感がこもっていた。空は高く澄み渡り、秋晴れらしい乾いた青がどこまでも広がっている。
館の屋根にはまだ朝露がわずかに残り、冷えた風が庭木の枝を揺らすたび、色づき始めた葉がかさりと音を立てた。
そんな穏やかな朝の景色の中で、首に縄を巻いた幼子だけが妙に浮いていた。
慶久はそれ以上触れないことにしたらしい。
「すぐ出るぞ」
短く告げると、慣れた動きで貴丸の脇を抱えて鞍へ乗せ、そのまま自分も馬に跨がった。
貴丸は当然のように慶久の後ろへ収まり、もぞもぞと位置を整えている。
空然もまた自らの馬へ乗った。
やがて蹄が土を踏み、館を出た一行は秋の街道へ進み始める。朝の空気は冷えているが、陽射しには柔らかな温もりがあった。
道の脇では薄が揺れ、刈り終えた田からは乾いた藁の匂いが漂ってくる。山々はうっすらと赤や黄を帯び始め、風が吹くたび木々の葉がさらさらと鳴った。
しばらくは静かな道行きだった。
だが、馬上で揺られながら、慶久がふと思い出したように口を開く。
「貴丸、そろそろ一人で馬に乗れるようになれ。敦丸も希丸も、もうきちんと一人で乗っておるぞ」
すると次の瞬間だった。
貴丸が突然、ぐりぐりと慶久の背中へ頭を擦りつけ始める。
「お父上の背中の大きさに、この貴丸、“ズッキュン”なのです」
「……何だその言葉は」
「だから、そんな悲しいことを言わず、これからも後ろに乗せてください」
妙にしおらしい声色だった。
だが慶久は騙されない。むしろ慣れていた。深々とため息をつきながら言う。
「……本音は?」
すると貴丸は途端に渋い顔になった。
「えー。めんどい」
即答だった。
「俺の好きな言葉は、“貰い物”“拾い物”。そして、“使えるものにはとことん乗っかる”だよ」
秋空の下とは思えぬ駄目人間発言である。
その会話を、すぐ後ろを進む空然は聞いていた。思わず苦笑する。
「相変わらずですなぁ……」
慶久も半ば呆れながら頷いた。
「普通はな、そのくらいの歳になれば、父の後ろへ乗るなど恥ずかしがるものぞ」
だが貴丸はまるで気にしない。むしろ胸を張って軍記物の語り口で断言した。
「恥と不精を秤にかけたらのう! 恥の方が軽い、軽いどころか……分より軽く、厘、毛、糸、忽より軽く……ついには虚無でござるよ!」
貴丸はへらへらと笑って言う。
「そんな虚無、秤にも乗らぬわ! つまり無いも同じ! 故に我が頭には存在せぬ!」
そして妙に胸を張る。
「我が生き様! 恥より軽き生き様! ゆえに——我が生涯に一片の悔い無し、でござる!」
そう言って、右腕を掲げる貴丸。一片の迷いもない声だった。一瞬の静寂。
そして次の瞬間、空然が耐えきれず吹き出した。
「はっはっはっはっ!」
乾いた秋空へ笑い声が抜けていく。馬まで耳を動かすほどの大笑いだった。
対照的に、慶久は何とも言えぬ苦い顔をしている。もっとも、その目には僅かな諦めと、どこか親らしい甘さも滲んでいた。
空然は笑いながら、前を行く貴丸の背を眺めた。
昨夜は、閻魔大王すら冒涜しかねぬ悪ふざけじみた舞と唄を平然と披露していたかと思えば、今日は神仏について妙に醒めたことを口にし、人の信仰心の危うさまで見透かしたように語っていた。
そのくせ今は、父の背に当然のようにしがみつき、怠けることを堂々と宣言している。
人の心を見透かすような鋭さと、子供らしい? 不精者さ。
どちらが本当の貴丸なのか。
いや、おそらく――どちらも、この子そのものなのだろう。
掴めそうで掴めぬからこそ、空然の中で貴丸という存在は、ますます奇妙に、そして強く印象へ残っていくのだった。