軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第73話 ぼく貴丸さんだよ、はちみつだーすき! 02

戸を開け放つと、納屋に外気が流れ込み、重い防刃服の内にこもっていた熱を一気にさらっていった。

ひとり、またひとりと紐を解き、厚手の麻布を脱ぎ捨てるたび、肩や背に風が触れる。誰もが思わず息をついた。

「……生き返るな、これは」

修平の呟きに、かすかな苦笑が広がる。だが休む間もなく、作業へと移った。

桶の中には切り取ってきた巣板が収められている。黄金色の塊はまだ温みを帯び、ほのかな甘い香りを漂わせていた。

養蜂譜にある手順どおり、まずは砕かず、そのまま吊るす。梁から縄を垂らし、巣板を布で包んで結わえ、下には桶を据える。余計な手を加えず、自然に蜜を落とすためだ。

「まずはこれでいい。触らないほうが、きれいに落ちる」

貴丸がそう言うと、皆が静かに頷いた。

やがて――とろり、と最初の一滴が落ちた。

濁りのない黄金。光を受けてゆっくりと形を変えながら、桶の底へと音もなく沈む。続いて、また一滴。やがて細い筋となり、静かに流れ始めた。

納屋の空気が、甘い香りで満ちていく。花の香りをそのまま閉じ込めたような、やわらかく濃い匂いだった。

「……きれいだな」

誰かが小さく漏らす。誰も手を出さない。ただ、見入っていた。

やがて琴が口を開く。

「一人、ひと舐めだけですよ」

静かながら、有無を言わせぬ声音だった。指先で少しだけ掬い、舌に乗せる。強い甘さでありながら刺さらず、花の余韻が長く残る。

「これは……良いですな」

八田屋が低く言う。商人の目が、すでに値を測っていた。

貴丸がぼそりと続ける。

「これが一番いいやつだな。透明で、味も抜けてる。……エクストラバージンハニー、ってやつだな」

琴が眉を寄せるがもうみんな慣れっこなのでそれに何かをいうものはいなかった。

そのやり取りを残して、その日はそこで切り上げた。吊るされた巣板は夜を越え、静かに蜜を落とし続ける。

――一日目の収穫は、量こそ少ないが、濁りなき上澄みの蜜だった。

翌日。

納屋には、まだ甘い匂いが残っている。桶の底には、昨日落ちた蜜がゆっくりと揺れていた。

残った巣板は、すでに軽くなっている。だが、まだ蜜は残っていた。

まずは下ごしらえだ。残った巣板を取り出し、大まかに異物を取り除いていく。

蜂や、まだ動く蜂の子が混じっている。

それを見て、希丸と敦丸の目が輝いた。

「おわっ……!」

嬉々として手を伸ばし、蜂の子をつまんでは口に運ぶ。まだ柔らかく、噛むとほのかに甘みと脂が広がるのだろう、顔がほころぶ。

その様子に引き寄せられるように、修平やお佳、慶久、琴までもが近づいてくる。

「少しだけ、いただきましょうか」

琴が静かに言い、皆で分け合う。納屋の一角に、妙に和やかな空気が広がった。

ただ一人、貴丸だけが顔を引きつらせていた。

「ノーモアバグズ!……無理だって、それ……」

距離を取りながら小さく呟く。八田屋が横で笑う。

「いや、それでも無理なもんは無理だな……」

貴丸は軽く首を振り、作業に戻った。

異物を取り除いた巣板を、圧搾機の中へと積み込む。柔らかく崩れた巣が箱の中で重なり、わずかに蜜がにじみ出る。

蓋を閉じ、重石を載せる。さらに棒を差し込み、てこの力でゆっくりと押し込んでいく。

ぎし、と木が鳴る。圧がかかるにつれ、箱の穴から、最初の一滴が現れた。

とろり、と。それは濁りのない黄金色だった。光を受けて、ゆっくりと形を変えながら縁を伝い、下に置かれた桶へと落ちる。

一滴、また一滴。やがて筋になり、細く流れ始める。

納屋の中に、甘い香りが満ちていく。花の香りをそのまま閉じ込めたような、やわらかく、それでいて濃い匂いだった。

「……おお」思わず声が漏れる。

蜜は粘りを持ってゆっくりと流れ、光を受けるたびに色を変える。黄金から、わずかに琥珀へと揺れ、その表面には細かな光が揺らめいていた。

指先に少し取って舐めれば、舌の上でゆっくりとほどける。強い甘さなのに、刺さることはなく、花の余韻があとに残る。

「これは……」誰もが見入っていた。

その空気を、琴の声が引き締める。静かだが、有無を言わせぬ声音だった。視線が鋭く場を見渡す。

「ここにいる者には、少量ずつ分け与えます。それ以外は売りに回します。よろしいですね、八田屋さん」

八田屋は即座に頷いた。「は、承知いたしました」

他の者たちも、異を唱えることはできない。だが“もらえる”と聞いた瞬間、空気が変わる。

誰もが手際よく動き始め、作業は一気に進んだ。

やがて、すべての圧搾を終える。集まった蜂蜜は、決して大量ではない。だが初回としては十分すぎる量だった。

巣洞三つ分で、合わせて一貫六十七匁位(約四キロ)。

桶の底に溜まったそれは、揺らせばゆっくりと波打ち、重みをもって光を返している。

八田屋が、しみじみと口を開いた。

「これは……蜂蜜は二貫文から三貫文(約四十〜六十万円)はいたしましょうな」

その言葉に、周囲が一斉に顔を上げる。

空気が、わずかに張り詰めた。

残った巣のカスも、無駄にはならない。

養蜂譜によれば、それは蜜蝋として使うのだという。砕いた巣の塊を鍋に入れ、水とともに火にかけてゆっくりと煮溶かす。

やがて溶け出した液を布で濾し、そのまま冷やしていくと、表面に淡い黄色の層が浮かび上がる――それが蜜蝋だ。蜜蝋は、八田屋がいうには、約三百匁位(約一キロ)取れたので、一貫(二十万円)程度にはなるだそうだ。

薬を練る際の基材として用いられ、矢羽の接着にも使われる。さらに、煙の少ない上質な蝋燭の原料にもなるため、場合によっては蜂蜜以上の値で取引される、と八田屋がいう。

「成虫も粉にすれば売れますぞ。蜂蜜に蜜蝋、成蜂に蜂の子――捨てるところはございません」

その言葉を聞いた瞬間、琴の目がわずかに光った。

静かに一歩踏み出す。

「では、八田屋さん。”包括的な契約書”を作成いたしましょうね」

声は柔らかい。だが、逃げ場はない。

八田屋が一瞬だけ言葉に詰まり、引き気味に問い返す。

「……い、今からでございますか?」

琴は微笑んだまま、即答する。

「今からです」

そのまま袖を取るようにして、八田屋を母屋の方へと連れていく。抵抗する余地はなく、引かれるままに歩き出すしかない。

残された者たちは、その背を見送りながら、思わず顔を見合わせた。