軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第59話 戦10

隆時の長女、結衣。

結衣だけがその喧騒の中、背筋を伸ばし、微動だにせず座していた。その姿が、逆に異様に映る。

隆時は、ゆっくりと口を開いた。

「……結衣。先程から、お前だけが取り乱しておらぬな。どうしたのだ」

呼びかける。問いは穏やかだった。

結衣は、わずかに息を吸う。

「父上、私は――」そこで言葉が途切れる。ほんの一瞬、視線が揺れた。

ちらりと、貴丸を見る。その間は、ほんのわずか。だが――その一瞬で、迷いは消えていた。

やがて視線を戻し、静かに言い切る。

「……この貴丸様の、嫁になりとうございます」

空気が止まる。誰も息をしない。

結衣は続ける。

「この日向館を、わずか一日で落とす知略」

ゆっくりと言葉を重ねる。

「それだけではございません。貴丸様は、事前に、私へ――“心配はいらない”と、おっしゃってくださいました」

一瞬、感情が出そうになったのを抑えた。だが、すぐに本来の面持ちへと戻した。

小さく、息を吸う。

「そして……“いなくなってもいい人などいない”と」

その言葉を、確かめるように胸の奥でなぞり、ゆっくりと顔を上げる。

「私は、それまで……教えられてまいりました。民と我らは違うものだと」

わずかに指先が震える。だが、言葉は止まらない。

「けれど――それは違うと、知りました」

声が、静かに強くなる。

「誰であろうと、生きております。腹が減り、寒さに震え、傷つけば痛み、そして明日を恐れて眠る」

視線が、まっすぐに貴丸へと向かう。

「名も、立場も関係なく……“いなくなってよい命”など、どこにもないのだと」

一歩、踏み出す。

「それを、私は――気づかずにおりました」

短く息を吐き、深く頭を下げる。

「そして貴丸様は……誰一人斬り捨てることなく、この城を取られました」

その言葉に、わずかな震えが混じる。

「奪うためではなく、守るために。傷つけるためではなく、止めるために」

ゆっくりと顔を上げる。

「そのお考えを、私は知りたいのです」

声はもう、揺れていない。言葉は、まっすぐに差し出される。

「どうか――、これからの人生をかけて、私にお教えくださいまし」

そして、わずかに息を整え――

「私もまた、その道を共に歩みとうございます」

静寂。広間の誰もが、言葉を失っていた。

その中で、隆時は娘を見ていた。

結衣は、聡い子だった。幼い頃から物覚えがよく、言葉も早く、物事の理を飲み込む速さは他の子とは明らかに違っていた。隆時もそれを知っていたし、愛しく思っていた。

だが――だからといって、深く学ばせたわけではない。

嫡男ではなく、いずれは他家へと嫁ぐ身。あまりに賢すぎる女は、かえって扱いづらいと疎まれることもある。

この世はそういうものだ。ならば、愛されることを覚え、円く収まるほうがよい――そう考えるのは、当たり前のことだった。

だからこそ、結衣は「良き妻」となるための教えを中心に育てられてきた。慎み、気配り、言葉遣い。求められる役目を、過不足なく果たすために。

それでよいはずだった。

そのはずの娘が、今。自らの意志で言葉を選び、理を積み上げ、場の中心に立っている。

かつて見せたはずの鋭さが、形を変えてそこにあった。

隆時は、わずかに目を細めた。

――これは、誰が引き出したのか。と。

そして。当の貴丸は――ぽかん、と口を開けたまま、固まっている。

理解が追いついていない。

前世でも。今世でも。初めて向けられる、まっすぐな求め。

その中心に、自分がいる。ただそれだけで、思考が止まっていた。

ここで元伯は、わずかに目を細めた。

――これは、この娘自身の言葉か。

整いすぎた理は、ときに仕込まれたものでもある。

受け入れた先で寝首をかかれ、家ごと崩れる――その手の策がないわけではない。だが、ここに至るまで目は離していない。入り込む余地はなかったはずだ。

ならば――元伯は、改めて結衣を見た。言葉の裏を探るのではない。その奥にある、覚悟の重さを量る。

――本気か。

この娘が、将来の大和田家の嫁となり、家の内を預かる者となる。その時、揺らぐのか、貫くのか。

それを見極めるように、元伯は視線を据えた。

年は同じか、わずかに上。整った顔立ちに、柔らかな目。いかにも守られるべき娘の相。だがその奥に、冷えた光がちらつく。

愛らしさの下に、もう一つの顔。

――女の顔だ。戦場を渡ってきた者だけが知る光を、元伯は見ていた。

結衣の言葉が、静かに、しかし確かに広間の空気を塗り替えていく。

その余韻の中で――

富岡大和守隆時は、目を細めた。思考は、すでに高速で動いている。

(……どうせ、隠しきれぬ)この城取りは、広まる。

どれほど口を塞ごうと、これほどの出来事が消えることはない。

いずれ噂は膨らみ、形を変え、尾ひれをつけてこの地を巡るだろう。

そしてその時――「一日で城を落とされた領主」

その評価は、必ず自分に返ってくる。求心力は確実に落ちる。家中の心も、領民の目も、確実に変わる。

(だが――)視線が、貴丸へと移る。

(取り込めば、話は別だ)婚姻。ただの敗北ではない。相手の器量を認め、縁を結ぶという形に変わる。

そうなれば、この城取りは“屈辱”ではなく、“見極めたうえでの選択”へと意味を変える。

それに。

この童の知略。あの流言。戦場での伏兵、あの足止め、あの煙、そしてこの城取り。

すべてが計算されていた。(これを、敵に回し続けるか――味方に引き込むか)

答えは明白だった。

さらに、立地。隣接する大和田と結べば、相馬との緩衝地にもなる。

そして何より――(岩城の兄との関係も、これで動く)

胸の内で、すべてが一瞬で組み上がる。

隆時は、決めた。ゆっくりと貴丸を見る。声は落ち着いていた。わずかに口元を緩める。

「……さて結衣が、ああ申しておる。この際どうだ。富岡と婚姻を結ぶ気はないか」

言葉は軽い。だが、その実、逃げ場のない一手。

その瞬間。あれほど場の中心に座し、動じることのなかった貴丸が――

明らかに、固まった。視線が揺れる。言葉が出ない。

思わず、隣の元伯を見る。

だが――元伯は、ただ面白そうに笑っているだけだった。

助ける気は、一切ない。

(……これは)隆時の目が細くなる。(押せば、崩れそうだな)

隆時は、結衣へちらりと視線を送る。それを、結衣は正確に受け取った。

すっと顔を上げる。静かに、だがはっきりと口を開く。

「貴丸様は――私の手を取り、こう申されました」

一瞬の間。そして。

「古の小野小町、妙見菩薩の再来、唐土の楊貴妃にも比する美しさ――」

広間の空気が、凍る。

「天に一人、地に二人とおらぬ器量であると」

言い切る。完全に。逃げ道なく。

隆時は、口元を押さえた。笑いを堪えきれない。

「……くく」

そして、にやりと笑う。

「その方の手をとり、 睦言(むつごと) まで交わしたとあっては、もはや言い逃れはできぬ。潔く、我が娘を娶ってもらうほかあるまいな」

その言葉に。

今までニヤニヤと笑っていた元伯が、ぎょっとしたように貴丸を見る。

「貴丸……お主、本当にそんなことを申したのか?」

問われる。

貴丸は――一瞬、考えた。

(……手は)触れた、気がする。

(言葉は……)言った。たしかに。かなり調子に乗って。

前世の確か…落語か講談の話を、それっぽく並べて。

結果として――全部、言っている。

貴丸は、ぎこちなく。こくん、と頷いた。

その様子に、元伯は顔をしかめる。苦い。あまりにも苦い顔。

本来であれば、嫡男の婚姻など、親や家中の承認なく決められるものではない。だが――ここまで言質が揃ってしまえば、話は別だ。

貴丸が言い、相手が受け取り、そして今この場で明言された。

これを覆せば、富岡の面子を完全に潰し、尚且つ今度は大和田の名にも傷つく。

元伯は、小さく息を吐いた。(……詰み、か)

その沈黙を見逃さず、隆時がはっきりと、断じる。

「では――決まりじゃな。これより貴丸殿は、婿殿よ」

場がざわめく。だが、もう流れは止まらない。

「婿殿であれば、この城を落とした証文など――いくらでも書いてやろうではないか」

軽く笑う。それは、勝者の笑みではない。場を取り返した者の笑みだった。

こうして。富岡と大和田。

敵対していた二つの領は――婚姻によって結ばれることとなった。

その中心にいるのは、十にも満たぬ童。

広間の中央で。貴丸は、ただ座っている。

戦には、勝った。

だが――(……なんか、負けた気がする)

胸の奥に残る、どうにも言い表せない感覚。逃げ場のない流れの中で、気づけば決まっていた未来。

それを、ただ受け入れるしかなかった。

この一件は――

後の世に、面白おかしく語られることになる。

一夜にして城を得、

そのまま嫁まで得た、奇妙な戦の話として。

人はそれを、こう呼んだ。

―― 一夜城(いちやじょう) 嫁(よめ) 取り話(とりばなし) 、と。

そして、さらにこの話には続きがある。

酒席にてこの話が語られるたび、決まって誰かが笑いながらこう付け加えるのだ。

「あの戦で、いちばんの戦果を挙げたのは誰か、知っておるか」

間を置き、杯を傾けて――

「富岡結衣よ」

そう言われると、場はどっと沸いた。

城を落とした童でもなく、戦で戦った武士でもない。

すべてを呑み込み、ただ一言で戦の行く末を変えた娘こそが、真の勝者であったのだと。

もっとも――

その“戦果”に巻き込まれた貴丸だけは、最後まで納得していなかったともいうが。