軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第58話 戦09

富岡大和守隆時は、静まり返った廊を進み、そのまま広間へと足を踏み入れた。

障子が引かれた瞬間、空気が変わる。視線が、集まる。

広間の奥、一段高く設けられた上座。その中央に――

あの商人として会った小僧がいた。

色白で、やや丸みを帯びた顔つき。年端もいかぬ童が、頬杖でもつきかねぬ気安さで、どこか退屈そうに座っている。

その隣。変わらぬ風体で腰を据えているのは、大和田玄蕃之丞慶虎。

幾度となく戦場で刃を交えた相手が、そこにいる。

さらにその周囲には、数名の武者。いずれも無言のまま、ただ座しているだけで、場の空気を締める重みを帯びていた。

加えて、どこにでもいそうな顔の男が一人。そして、見覚えのある身なりの良い若い商人。

――たった、これだけ。この十にも満たぬ人数で、城は落とされた。

隆時は、改めてそれを実感する。

視線を横へ流す。

広間の脇には、奥方と子らと重臣の妻女子息と、侍女たちが寄せられていた。

身を寄せ合うようにして座るその姿は、取り乱しこそしていないが、緊張を隠しきれていない。その周囲の見慣れぬ数名は大和田と一緒に潜入した者だろう。

隆時の姿を認めた瞬間、奥方と幼い子らが声を上げて泣き崩れる。

だが――その中で一人だけ、動かぬ者がいた。

長女、結衣。

背を正し、視線を落とさず、ただ静かに座している。その不自然な落ち着きに、隆時は一瞬だけ違和を覚えた。だがすぐに、それを脇へと押しやる。

そのまま、広間の中央へ進み出ると、どっかりと腰を下ろした。

この位置に座るのは、初めてであった。視界が変わる。正面にいるのは、あの童。

だが――その場所に座るだけで、妙に“形”になる。小さな体が、場の中心として溶け込んでいる。その事実が、わずかに神経を逆撫でする。

後ろに控えた数名の富岡の家臣たちも、無言のまま腰を下ろす。

顔には明らかな怒気が浮かび、視線は鋭く正面へ突き刺さっていた。

やがて、元伯が口を開く。

「久しいのう。まさか戦場以外で相対することになろうとは、思わなんだわ」

軽く笑うような調子。

「まあ、いろいろあっての。この城、いただいた。――ああ、今は隠居の身じゃ。岐秀元伯と呼んでくれ」

その言葉に、隆時の背後で空気が弾けた。

「無礼な――!」家臣の一人が声を荒げる。

だが、隆時はわずかに手を上げた。

「やめい」低く、それだけ。声は即座に止まる。

隆時は正面を見据えたまま、口を開く。

「……で、どうするつもりだ」

一瞬の間。

「城はどうする。領民は。――儂や家族は、どう扱うのだ」

直截だった。

すると元伯は、困ったように眉を寄せ――隣の童へと視線を向けた。

「おい、貴丸。城を取った後のことは聞いておらぬが……お主、どうするつもりじゃ?」

その言葉に、再び後方がざわめく。

怒気が滲む。

だが当の本人――貴丸は、まるでそれを気にする様子もなく、少しだけ首を傾げた。

「うーん……」

気の抜けた声。

「富岡隆時さんさ、俺がこの城を落としたよって、一筆書いてくれます?」

さらりと言う。

「それだけでいいかなぁ」

――静寂。広間の空気が、ぴたりと止まる。

隆時は、わずかに目を細めた。

「……一筆、か」

「うん。あ……はい」

「それを書いた後は、どうする」

問いは鋭い。

だが返ってきたのは、「なんも……あ、何にもないです」

言い直しながらの、あまりにも軽い返答だった。

隆時の眉がわずかに動く。低く言う。

「城を落としたのだぞ。領主を追う、身代を取る、領地を奪う――いくらでもあるだろう。何か望みはないのか」

その問いに、貴丸は少しだけ考える素振りを見せた。

そして、ぽつりと続ける。

「あ、あのね、これからも雑穀…は、…まぁ、いいか。あの飴も買って欲しい。あ、それと請戸漬けっていう美味しい漬物もあるんで、今度持ってきますね」

一瞬の……間。

「それと、今まで輸送費もらってなかったから……そこ、ちょっと上乗せしてくれたら嬉しい」

それだけだった。

広間の誰もが、言葉を失う。ぽかん、とした空気がそのまま固まる。

元伯だけが、肩を震わせて笑いを噛み殺している。

隆時も、さすがに言葉を選んだ。静かに言った。

「……その程度のために、なぜ、この城を取ったのだ? 取る必要など、なかったであろうに」

視線が鋭くなる。

その問いに、貴丸はほんの少しだけ顔をしかめた。

そして――言いづらそうに、頭を掻く。

「あー……、相馬の嫡男がさ、城なんて取れないだろって言うから……、つい、取れるよって言っちゃって…」

さらに間があって貴丸が答える。

「……だから、仕方なく?」

その言葉が落ちた瞬間、「ふざけるなッ!」後方で怒号が爆ぜた。

「そのような理由で城を落とすなど――!」「戯れも大概にせよ!」

罵声が飛び交う。

空気が、一気に張り詰める。

だが――中央に座る童は、慌てるような素振りも見せずに、ただ小さく肩をすくめただけであった。

広間のざわめきが、なおも尾を引いている中で――富岡大和守隆時は、ふと視線を細めた。

怒号も、嘲りも、そのどれもが遠のいたかのように、ただ一人、中央に座る童だけを見据える。

「……ひとつ、聞こう。今回の策――あれを考えたのは、そなたか」

静かな声だった。問いは重く落ちる。

視線が集まる。

貴丸は、ほんの一瞬だけ顔をしかめた。

「……まぁ、しかたなく、です」

気乗りのしないような声音。

その返答に――隆時は、思わず吹き出した。

喉の奥から、堪えきれぬように笑いが漏れる。やがてそれは、はっきりとした笑声となって広間に響いた。

「はは……はははは……!」

誰も、口を挟めない。

笑い終えた隆時は、ゆっくりと息を整え、改めて言葉を落とす。低く、だが確かに響く声。

「見事だ。これほどの城取り――未来永劫、この日の本で語り継がれるであろうよ」

その評価に、場が少し引き締まる。だが、当の貴丸は、困ったように眉を寄せた。

少しだけ身を乗り出す。

「あの……、隆時さん」

「うむ」

「今回の城取り……その…内緒にしてくれません?」

――沈黙。一瞬の空白。

次の瞬間。隆時は、腹を抱えて笑った。

「ははははははははッ!!」

武功を隠せ、と言う。それも、これほどの働きをしておきながら。

武士は、その名を上げるために戦う。たとえ元服前であろうと、それは同じだ。

それを――誇るな、と来た。笑わずにいられるはずがない。だが、笑いながらも、胸の奥は、静かに冷えていく。

相馬の嫡男との口論。

子供の意地の張り合い。「取れる」「取れない」ただそれだけのやり取り。それを、実際にやってのける。城を落とすという結果にまで持っていく。

――児戯だ。だが、その児戯が現実となるとき、それはもはや遊びではない。

隆時の笑みが、わずかに歪む。(……これは)目の前にいるのは、ただの子供ではない。

その外見は、確かに戦場とは無縁に見える。だが、その内にあるものは――

「怪物か」

声には出さぬまま、心の中で呟く。

初めてだった。戦場で幾度も死線を越えてきたこの身が、こうして“怖い”と感じるのは。

隆時の笑いは続いている。だが、その奥で、確実に冷たいものが広がっていく。

(……さて)隆時は、思考を巡らせる。城を返してもらうこと自体は、難しくはないだろう。だが、それで終わる話ではない。

一日で城を落とされた領主。その名が広まれば、求心は崩れる。

誰が従う。誰が頼る。

そして何より――この隣領にいる存在。この童の気まぐれひとつで、次に何が起きるのか、見当もつかない。

それが、最も恐ろしい。ふと。隆時は、周囲を見渡した。

先ほどから、怒り、泣き、騒ぎ――富岡の者たちの感情は、未だに荒れている。

その中で。

ただ一人。

静かに、それらすべてを受け止めている者がいた。

隆時の長女、結衣。

背筋を伸ばし、微動だにせず座していた。