作品タイトル不明
第52話 戦03
そして、銀四郎の報がもたらされた。
大和田館の一角、それを聞き終えた貴丸が、わずかに息を吐く。
「……やっとか」短く、低い声だった。
隣には、固く口を結んだ修平がいる。そのさらに奥、腕を組んだまま微動だにしない元伯。
貴丸は二人へと視線を向ける。
「いよいよ決行だよ」
その言葉に、空気が変わった。
元伯は何も言わず立ち上がり、すぐに外へ出る。
やがて元伯が戻る。その背後には、六人の男が控えていた。
通称――標葉衆。
幾世橋隆清、棚塩胤綱、牛渡勝家、泉田正辰、高瀬朝治、そして小野田盛秀(希丸の父久秀の叔父)。
いずれも、この地でかつて「標葉六騎」と呼ばれた有力土豪である。
元は標葉氏に仕えた重臣筋。だが主家は相馬に滅ぼされ、彼らはその配下に入ることを良しとしなかった。
行き場を失った末に、手を差し伸べたのが大和田慶虎である。
とはいえ――完全な臣従でもない。
名目は家臣にあらず。あくまで「協力者」として、大和田に力を貸しているに過ぎない。
ゆえに、その兵もまた常に動くわけではなく、呼べば応じる時もあるが、縛ることはできないのだ。
扱いを誤れば、離れることもある。
ただし――彼らがここに並ぶ理由は、別にあった。かつての当主、慶虎。すなわち今の元伯である。
その代に築かれた結びつきは強く、すでに家督を譲ったこの老いた六人は、なおも元伯にのみ従うという、奇妙な関係を保っていた。
「……面倒な爺どもじゃ」
元伯は振り返りもせず、そう言った。だがその声音には、どこか嬉しさと苦笑が混じっていた。
どれも無駄のない体つき、年の頃も揃わぬが、年齢層は高い。しかし、纏う気配だけが同じだ。
長く戦場に身を置いた者特有の、静かな重み。
その一人の年嵩の男、幾世橋隆清が、堪えきれぬように口を開いた。
「また慶虎(元伯)様と戦場に立てるとは思いもしませんでしたな。それが――孫の貴丸殿と共に、あの富岡の城取りとは」
声には、押し殺した興奮が滲んでいた。装備は軽い。鎧は最小限、音の出る金具は外され、足元も布で巻いている。
槍もまた特別だった。三つに分けられた継ぎ竿のような構造で、普段は短く、組めば一本の槍となる。
それらを、雑穀米の箱へと押し込んでいく。箱は一見、ただの荷。だが、底は二重になっていた。
上には雑穀米。下には――人が潜める空間。
男たちが順に身を滑り込ませる。
蓋が閉じられ、外からは何の変哲もない積み荷にしか見えなくなる。
その隙間に、さらに布に包まれた壺が押し込まれる。
菜種油だった。貴丸が実右衛門に命じ、請戸川(現在の浪江町請戸川)沿いで試しに育てさせた菜種から絞ったもの。
まだ量は少なく安定もせず、無駄も多く搾りも粗い。だが、火はつく。それで十分だった。
(この戦が終わったら、本格的にやるか……まぁ、『誰かに』やらせるんだけどな…)
ふと、貴丸にそんな考えが頭を過ぎる。だが、すぐに切り捨てた。
今は――目の前だ。
やがて一行は館を出て、請戸の浜へと向かう。
潮の匂いが濃くなる。風に混じる波音。
山田龍長の屋敷の前に出ると、当の本人が待ち構えていた。
「今日か! ついにやるんだな!」
顔いっぱいに笑みを浮かべている。
その背後、係留場には例の船――あの妙に飾り立てられた“痛船”が、誇らしげに揺れていた。だが、貴丸は即座に首を振る。
「龍長おじさん、いつもの普通の船でいいからね!」
ぴたりと笑顔が止まり、あからさまに肩が落ちる。龍長の落胆は、言葉にせずとも分かった。
思わず周囲に苦笑が漏れる。
貴丸は軽く肩をすくめる。
「そのうち使うから。その時は頼むよ」
その一言で、龍長は渋々ながらも頷いた。
今回の荷は多い。富岡の戦。兵糧の備えとして、普段より多く納める――その名目。
二艘の船に、雑穀米の箱が二十ほど。整然と積まれ、縄で固められる。
やがて船は、請戸の港を離れた。帆が風を受け、船体が軋む。水面を切り裂き、北へと進む。
そして数時間後。
見慣れた富岡の港が見えてくる。船を寄せると、様子が違っていた。
人が少ない。兵の姿が、明らかに減っている。戦へ出たのだろう。港の顔役へ、いつも通りに挨拶を交わす。
「戦だというので。佐藤様より、いつもより多めにと」
軽く言えば、それで通る。荷改めも、形だけ。忙しさと人手不足が、それを許していた。すぐに港の人足を雇い、賃を払う。
箱が担がれ、天秤棒で吊るされて列をなす。城へと向かう道は、見慣れたものだ。
踏み固められた土、両脇の家並み、遠くに見える石垣。三十分もかからない。門へと至る。
「よう、またか」
顔なじみの門番が、軽く顎を上げる。心付を渡せば、それ以上の詮索はない。
門は開かれる。箱はそのまま城内へと運び込まれる。
倉庫へ積まれていく。
その最中――やはり、貴丸は気づく。兵が、極端に少ない。広いはずの城内が、どこか空虚に感じられるほどに。
そしてその静けさの中に――誰も気づかぬまま、“それ”は運び込まれていた。薄暗い蔵の中、土壁に囲まれた空間に、積み上げられた木箱が静かに並んでいく。
倉番が一つひとつ蓋を開け、手慣れた様子で中身を確かめ、数を合わせる。
「……うむ、確かに」
短く頷き、帳面に筆を走らせる。それで、納入は終わりだった。
外へ出ると、空の色はすでに落ちかけている。西の端にわずかな明るさを残しながら、城内にはゆっくりと夜が降り始めていた。
その時だった。
「……っ」修平が、腹を押さえて身を折る。
すかさず貴二郎が肩を支える。「どうしたのですか? 旦那様!」
修平は声は抑えているが、額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「……うむ……少し、腹が……」
異変に気づいた城番が近寄り、顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か。顔色が悪いぞ」
そのまま半ば担ぐようにして、城番たちの詰める部屋へと通された。畳の上に急ごしらえで布団が敷かれ、修平はそこへ横になる。
囲炉裏の火が小さく揺れ、部屋の中に柔らかな明かりを落としていた。
ほどなくして、足音が近づく。障子が静かに開き、侍女頭の米が顔を覗かせた。
「具合はいかがですか」
その声には、はっきりとした気遣いが滲んでいる。
貴丸は軽く頭を下げる。
「すみません。修平様は、たまに癪が出るんです。いつもは一日寝ていれば治るので……」
そう言えば、米はすぐに頷いた。
「なら、今夜は無理に帰らず、ここでお休みなさい。明日になれば落ち着きましょう」
その言葉に、貴丸はもう一度頭を下げる。
「ありがとうございます」
周囲の城番たちも、気遣うように声をかけてくる。
「水はここに置いておくぞ。何かあればすぐ言え」
そのどれもが、打算のない、ただの親切だった。
ふと、貴丸の脳裏に浮かぶ。侍女頭の米の、あの柔らかな笑み。門を預かる佐兵衛の、無骨だがどこか温かい顔。
――そして。
木の下で泣いていた、あの身なりの良い少女。
(……そういえば)顔を、まともに見ていなかったな。
あの時は、ただ口が先に動いていた。いつものように。
思い返して、わずかに息を吐く。
城取り。
そのために、ここにいる。
だが――こうして、何も知らずに気遣ってくれる者たちを思うと、胸の奥に、ほんのわずかな引っかかりが生まれる。
騙している。
分かっている。
それでも。
貴丸は、何も言わずに目を伏せた。