軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第50話 戦01

富岡領内で数日にわたり触れが出され、周辺の村々や郷から兵が呼び集められた。

当初は四百も集まれば十分と見られていたが、蓋を開けてみれば、その数は六百に達していた。

日向館の前。

広場を埋める人の気配は、いつもとは明らかに異なる重さを帯びている。

騎馬五十騎。足軽六百。

地方の一領主としては、過剰とも言える規模だった。

その理由は明白である。大和田が弱っているという噂。

富岡領内の米不足による困窮。

そして――勝てば大和田の地から奪えるという期待。

戦に出れば食にありつける。運が良ければ、金品も手に入る。あるいは口減らしとして送り出された者もいる。

それぞれの思惑は違えど、ひとつだけ共通している。

――今回は確実に勝てる。

その確信が、兵をここまで膨らませていた。だが。集まった兵の多くは、急ごしらえの寄せ集めに過ぎない。

士気は高いが、統制には不安が残る。

整った軍ではない。膨らんだ“群れ”に近い。

それでもなお――数は力である。

大和田との戦力差は歴然だった。

大和田は少数ながらも精鋭で近隣に鳴り響いてはいる。しかし、騎馬はせいぜい十騎にも満たぬ。

兵も五十集まれば良い方。

対してこちらは、騎馬五十、兵六百以上。十倍。蹂躙できる圧倒的な差であった。

今回は相馬本領からの増援も期待できないとも聞いている。

「負けるはずがないではないか」

誰ともなく漏れたその言葉に、異を唱える者はいない。

富岡から大和田までは、およそ四里。

距離だけで言えば、日が落ちる前に踏み込むことも不可能ではない。だが、富岡大和守隆時はそうはしなかった。

寄せ集めの兵で夜間の行軍は危うい。隊列は乱れ、統制は崩れる。

勝てる戦を、わざわざ不安定にする理由はない。

確実に勝つ。そのための選択だった。

すでに斥候は、前日より放たれている。道筋、地形、伏兵の気配――すべてを探らせた上での進軍である。

「領境で一泊。明朝、一気に叩く」

簡潔な命が下る。兵たちはそれを当然のように受け入れた。

勝つ戦だ。

急ぐ必要などない。ゆるやかに、だが確実に。軍は大和田へと歩みを進めていく。

富岡の館を出た軍勢は、この地から北へと進んでいた。

この戦場の構造は単純である。

南にある富岡から北の大和田へ向かう一本道のような地形で、途中は海沿いの浜街道(現在の国道六号線沿い)を軸に、左右を低い丘陵と林に挟まれた細長い回廊のような土地が続いている。

まず越えるのはすぐ近くを流れる富岡川であった。

川は広く、軍勢が一度に渡るには狭い。騎馬が水を割り、後続の歩兵が列をなし、荷駄が続く。ここを越えた時点で、すでに退路は薄くなる。

東に海、西に低い丘陵。だが道幅は決して広くなく、数百の兵は自然と細長い列になる。進むほどに、その“細さ”は増していく。

やがて夫沢(現在の福島県双葉郡大熊町大字夫沢周辺)に入ると、左右の丘陵がせり出し、道は騎馬二列がやっと通るほどに絞られる。ここは軍を伸ばすことも、広げることもできない。

さらに北へ抜ければ、小良ヶ浜(大熊町小良ヶ浜付近)。

浜の名残を感じさせる砂混じりの地と、風に擦れる低木が、どこか乾いた気配を帯びていた。

その先――山神社(現在の大熊町の山神社付近)と東堂山神社(現在の双葉町東堂山周辺)へと至るあたりで、道は明確に絞られる。

そしてその先――ようやく地形は開ける。

標葉郡郡山郷(双葉町から浪江町南部にかけての平野)、そしてその先すぐに半里にも満たぬ距離で大和田の領がある。ここは一転して平地が広がり、軍を展開し、決戦を行うには最も適した場所となる。

その西には新山城(双葉町新山)、さらに北へ進めば前田川、その先に請戸(浪江町請戸)。大和田の本拠はそこにある。

つまり――

この戦場は「六百の兵が一本の細い道に押し込まれ、徐々に伸び、分断されながら、最後にだけ平野へ解き放たれる構造」であった。

そして今、その最も危険な“絞られた区間”へ、軍は踏み込もうとしていた。

軍勢が丘陵の狭まりへと差し掛かったのは、陽がわずかに傾き始めた頃であった。

浜街道はこのあたりでわずかに持ち上がり、低い峠のような形をなす。左右には木立に覆われた丘が迫り、道は自然と細く絞られる。

騎馬は二列に縮まり、歩兵はその後ろで詰まる。列は伸びきり、前後の距離が開く。

峠は細く、左右は崩れやすい斜面に挟まれている。

踏み固められた道は人の列が二つ並べば限界で、風は谷に沿って上へ抜け、枝葉の擦れる音が乾いて耳に残った。

――そのすべてを、木の影から見ている者がいた。

葉の隙間に身を沈め、息を殺し、ただ静かに下を窺う影。

慶久である。

視線は動かない。峠の道、斜面の筋、兵の流れ、その一つ一つをなぞるように拾い上げていく。

石は軽く、転げやすい。矢は短く、数を限る。だが、それで足りる。

ほんのわずか、右手が上がる。

振り返りもしない。ただそれだけで、背後に控えていた者たちの気配が引き締まった。

合図であった。声はない。だが、命令はすでに渡っている。

やがて下から鎧の擦れる音と足音が連なって上がってくる。

富岡の列は長く、中央は荷と人が詰まり、前後との間がわずかに緩い。

笠の黒、胴の黒が湿った土に連なり、道はすでに息苦しいほどに満ちていた。

慶久は一度だけ、峠の奥を見据える。

「狙いは中央。止めるのは一瞬で足りるだろう」

低く落とす。監視していた兵は、視線を上げもせず応じた。

「止まれば、崩れます。押し合う道でございますゆえ」

慶久はわずかに頷く。

段取りは簡素だ。斜面の上には石を寄せ、崩しやすい土を残す。

弓は数を抑え、見せるように散らす。合図は一つ、引き際も一つ。

長く続けぬことが、この場では効く。

「……いま」

その声は、風に溶けた。

次の瞬間――

慶久の上げていた右手が、静かに落ちる。

――ヒュッ、と風を裂く音。次いで、乾いた衝撃。

矢が斜めに走り、続いて石が落ちる。最初は小さく、だが数で押す。

斜面の土がほどけ、拳大の石が転げ、やがて肩や兜に当たって鈍い音を重ねた。

「伏兵だ!」

富岡の兵の怒号が飛ぶ。だが敵影は見えない。丘陵の上の木々の影、土の起伏、その奥から放たれている気配だけが、確かにある。

矢は甲冑に弾かれ、あるいは掠め、馬の耳元を掠める。

一頭が嘶き、前脚を浮かせた。続く馬も歩を乱し、列がわずかに歪む。

歩兵は咄嗟に盾を掲げるが、上から来る石には角度が合わず、互いに押し合い、足を取られる者が出る。

「落ち着け! 前へ出るな!」指揮の声が通る。攻撃は激しくはない。

狙いも粗い。だが見えぬ位置から絶え間なく打たれる不気味さと、狭い地形による鈍りが、確実に列の呼吸を狂わせていく。

止まりかけた中央に、後列が詰める。その圧が、さらに足を奪う。

そのとき、上方の枝がわずかに揺れ、灰色の塊が裂けるように外れた。

遅れて、低い羽音の一群が塊となって膨れていく。

「蜂だぞ!」

そこに兵の声が重なる。だが次の瞬間、その響きが変わる。低く重い羽音が幾重にも押し寄せた。

顔の周りを掠めた一匹が、頬をかすめ――

「うっ……!」短い息とともに、兵が崩れる。

押さえた手の下で、みるみるうちに腫れが浮き、色が変わる。呼吸が浅くなり、膝が折れた。

「ただの蜂じゃねぇぞ……! スズメバチだ!」

誰かが叫ぶ。だがその声も、すぐにかき消される。

羽音は散らない。まとわりつくように残り、離れない。

面を伏せる。視界が落ちる。

馬が鼻を鳴らし、後ずさる。手綱が乱れ、列の中央で一瞬、呼吸が止まる。

その一瞬に、頭上から石が続く。乾いた音が連なり、短い矢が前後に散る。

致命ではない。だが――

上にも、前にもいる。そして、離れない。

スズメバチは追うのではなく、止めるためにその場に投入された。

そして、止まったところへ、人の手が重なる。

「退け! 退け!」命令が飛ぶ。だが通る道がない。

押す手と引く足が逆に働き、列は解けるのではなく、ほどけるように崩れていく。

やがて、矢も石もぴたりと止む。羽音だけがしばし残り、すぐにそれも遠のいた。

静寂が戻る。だが、その静けさが場を重くする。

数名が肩や腕を押さえ、馬は落ち着かず蹄で地を掻く。指揮官は丘と木立、影を見渡す。

――どこにでも、潜める。

慶久は斜面の上で、その崩れの広がりを見極めた。深追いはしない。

ここで欲しいのは討ち取りではなく、流れを断って足止めすることなのだ。

「止まりましたな」大和田の兵が静かに言う。

「よし。これで、引こう」慶久が短く応じる。

やがて、富岡隆時が口を開いた。

「……ここは、今日は抜けぬか」

短い言葉だったが、決断はすでに固まっている。視線は前ではなく、わずかに周囲を測るように巡っていた。

「じきに日も落ちる。この先でも同じように仕掛けられれば、隊は崩れるな…」

淡々とした声音の裏で、状況は冷静に切り分けられている。

「今日は進まん。慌てる必要などない。……明日、全軍で押し通るまでよ」

それだけで十分だった。

命は即座に伝わる。軍勢は前進を止め、静かに退き始めた。だが、その足並みはすでに乱れている。

整然とした列ではない。どこか落ち着かず、誰もが同じ感覚を抱えていた。

――見えぬものに、見られている。

その気配だけが、背に張り付いて離れない。

隆時は歩を進めながら、胸中で整理していた。今日は、あくまで小手調べに過ぎぬ。

兵力差は十倍。こちらは騎馬五十、兵五百。対する大和田は、かき集めてようやく形になる程度だ。戦の趨勢は、すでに見えている。

そして何より――今日の襲撃で、死者は出ていない。

それがすべてだった。

削りに来ているのか、揺さぶりか、それとも別の意図か。いずれにせよ、この場で深追いする意味はない。

むしろ、ここで無理をすれば、足を取られる。

ならば、答えは単純だった。

――明日、数で押し切る。

それで終わる。

谷を抜ける風が、一度強く吹き上がり、枝葉を大きく揺らした。

ざわり、と鳴る音が、どこか人の気配にも似て響く。

その音の中、木立の奥でひとつ、影が動いた。身を低く伏せ、息を殺し、ただ静かに見送る。

銀四郎であった。

退いていく列を目で追い、その乱れと間を確かめる。

誰にも気取られることなく、その場に溶けたまま。やがて、ふっと身を引いた。

見るべきものは、すべて見た。

その判断だけを胸に、音もなくその場を離れる。

その音に紛れるようにして、富岡の軍は静かに後退していった。

やがて、夜が明ける。薄明の中、号令がかかる。

「進軍する」昨日引き返した道を、そのまま押し通る。

全軍をもって、一気に抜ける。

目指すは――

新山(現在の双葉町新山)を越えた先、標葉郡郡山郷(現在の双葉町から浪江町南部にかけての平野)。

大和田領の目と鼻の先。視界の開けた地で、決着をつけるために。

こうして、軍は再び動き出した。

今度は、止まらぬ覚悟をもって。

――その先に待つものが、仕組まれた盤上であるとも知らずに。