軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第37話 請戸に帰る途中の桑折館02

その夜、二人は桑折の館にて、過分とも言えるもてなしを受けることとなった。

夕刻。日が落ち、薄闇が庭を覆い始める頃には、座敷に灯がともり、膳が次々と運び込まれていく。

炊きたての米の湯気がやわらかく立ちのぼり、焼き物の香ばしさが空気に溶け、静かに満ちていくその中で――いつの間にか、貴丸は場の中心に座していた。

言葉は軽やかで、返しは早く、それでいて決して騒がしくはならない。

相手の間合いを測り、懐へ入り込むその柔らかさは、年端もいかぬ子供のそれとは思えぬものだった。

武の話を振られればさらりと応じ、土地の話となれば興味深げに聞き入り、やがて自ら話題を転じて、日常の些細な出来事にまで広げていく。

その流れは淀みなく、まるで最初から組み立てられていたかのように自然であった。

やがて、ふと、貴丸が懸田殿の方へと向き直る。

「お姉様」

その一言に、場の空気がわずかに止まった。

だが、貴丸は意に介さぬ。

「初めてお目にかかった折、てっきり桑折様のご息女かと見紛いました」

あまりにも自然に、さらりと言い切る。

「そのお肌のきめ細やかさ……赤子よりもなお滑らかに見えましたし、髪もまた、実に艶やかでお美しい。まつ毛の一本に至るまで整っておられる。手も――ああ、これは日々を守られておられる方の手にございますな」

言葉は途切れることなく重なっていく。

顔、唇、指先、爪先に至るまで、視線を移すたびに賛辞が添えられ、まるで途切れることを知らぬかのようであった。

懸田殿の頬が、みるみるうちに紅を帯びていく。

普段は決して見せぬであろう柔らかな表情を浮かべ、目を伏せながらも、その口元には抑えきれぬ喜びが滲んでいた。

その様子を、桑折がちらりと横目で見る。

胸の奥に、わずかにざらりとしたものが走る。

だが――

その次の瞬間、貴丸は何事もなかったかのように向きを変えた。

「それにしても、桑折様」

今度は、桑折へと視線が向く。

「この領に足を踏み入れた途端、空気が変わりました。良い意味で、でございます。道を行き交う民の顔が皆、穏やかで……ああ、この地はよく治まっているのだと、すぐに分かりました」

言葉には押しつけがましさがない。ただ、見たままを述べているかのような自然さがある。

「父よりも、桑折様の武勇と善政のお話は、かねてより伺っております。領を守るということは、戦のみでは成り立たぬもの。まこと、見事なお働きにございます」

桑折は、思わず小さく息を吐いた。

先ほどまで胸に引っかかっていた棘が、いつの間にか消えている。

気づけば――

自分もまた、笑っていた。

やがて場は、静かな笑いに包まれていく。灯の揺らぎとともに、その和やかさはゆるやかに広がり、誰一人として、その流れから外れることはなかった。

その中で、桑折は改めて貴丸へと目を向ける。

肌は白く、日焼けの跡もない。体つきもどこか緩く、とても戦場に立つ者のそれには見えぬ。

だが――それでもなお、目を離せぬ何かがある。

人を惹きつけ、場を動かし、空気そのものを塗り替えてしまう力。

言葉一つで、人の心の向きを変える才。

桑折は、静かにそれを見定めるように――

この少年を、そう評した。(誤解です……多分、沙蚕程度に誤解です)

翌朝。

館の前に、懸田殿が見送りに立つ。

別れ際、ふと歩み寄り――貴丸の両手を、そっと取った。

「どうか、お気をつけて。またいらしてくださいね」

その声は柔らかく、どこか名残惜しさを含んでいる。

視線は、慶久ではなく――貴丸へ。

貴丸は、にこりと笑い返す。

「はい! お姉様、またぜひ参ります!」

その呼び方も、もはや自然に馴染んでいた。

桑折もまた、苦笑しながら口を開く。

「まるで我が縁者のようだな」

だが、その目はどこか惜しむように、貴丸を見ている。

そうして――

大和田の一行は、再び道へと戻った。

春の風が背を押す。

館はゆっくりと遠ざかり、やがて視界の端へと消えていく。

しばし歩いた後。

慶久が、ぽつりと呟いた。

「……普段はあれほど人見知りをするくせに、なぜ、ああも饒舌になるのだ」

貴丸は、ふう、と大きく息を吐く。

「営業スマイル……商売のおべっか………ええと、 阿諛(あゆ) でっす!」

肩をすくめる。

「銭になるなら、おらぁ、なんだってすっぞ!」

ふっと肩をすくめ、軽い調子で言い放つ。

(不労所得のためなら、たとえ火の中、水の中……いや、火は勘弁だな……)

一瞬だけ思案し、

(……ならば、 砂温和(サウナ) の中と、浅瀬の水くらいで手を打とうか…)

と、妙な折り合いをつける。

慶久は一瞬、何か言いかけて――やめた。

いつもの妙な言い回しを咎めるのも、今さらである。

ただ、苦笑が漏れる。(……まったく、何を考えておるのやら)

春の道は続く。

その先に何が待つかも知らぬまま――それでも、足は止まらなかった。

春の道は緩やかに続き、風はやわらかく背を押す。草の匂いと、遠くの海気がわずかに混じり合い、どこか気の抜けた穏やかさが一行を包んでいた。

――が。道中、唐突にその声が響く。

「阿諛でーす、阿梨那ー!」

不意に、場違いな声が響いた。

間の抜けたような、それでいて、やけに張りのある声である。

供の者たちの足が、わずかに乱れる。

もう一度。

「阿諛でーす! 阿梨那ーー!」

貴丸だった。

遠くを見つめながら両手を軽く広げ、どこかで見たような所作を真似ている。

本人はいたって真剣な顔である。

ただ、よく分からぬ奇声を上げる童が一人。

周囲は沈黙するしかなかった。

慶久が、ゆっくりと視線を向ける。

「……貴丸」

低い声。だが貴丸は気づかない。

今度は、右手を高く掲げ、左手は耳に当てる仕草をする。

「阿諛でーす! 阿梨那ーーー!!」

慶久が深く息を吐いた。

「……それは、なんなのだ」

呆れと疲労が滲む。

貴丸は、ぴたりと動きを止め――

「盛り上げ役」

真顔で言った。

「やめよ」

即答である。

風が吹く。

草が揺れる。

その中で――なぜかその後も、しばらくの間、「阿諛でーす、阿梨那ー!」

という声だけが、帰路の道に虚しく響き続けていた。