軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第9話 請戸に帰港

潮の匂いを含んだ風が、請戸の浜を撫でている。空はすでに西へと傾き、朱に染まりかけた雲が海の果てへと溶けていく。

波は穏やかで、まるで何事もなかったかのように規則正しく砂浜を叩いているが、その静けさがかえって一日の騒動を遠く感じさせた。

舟を降りた貴丸は、龍長に軽く手を振って別れを告げると、間を置かずに駆け出した。

背後から希丸と敦丸の足音が続き、さらにその後ろを修平とお佳が、やや距離を保ちながら不安げに追ってくる。

砂を蹴る音がやけに大きく響く中で、貴丸の頭の中では別の音が鳴り続けていた――叱責である。

(さて、どう言い逃れるかな)

考えながらも足は止まらない。船で寝ていたら流された、気づけば富岡の浜――無理だ、と自分で思う。

だが他に妙案も浮かばない。ならばこれで押し切るしかない、と半ば開き直る。

ふと振り返れば、修平とお佳の顔が目に入る。二人とも言葉少なに、ただ状況に呑まれるようについてきている。

(このまま放り出せば、あれは死ぬかもしれんなぁ。富岡にも戻れないだろうしなぁ)

一瞬で結論は出た。ならば囲い込むしかない。母に頼んで奉公人にするか、あるいは中間として取り立てるか。

お佳は女手としても使えるだろう。最悪、龍長のところに回す手もある。

本人の意思など後回しに、勝手に筋道を組み上げていく不精者だった。

やがて屋敷の門が見えてきた。見慣れたはずのそれが、今は妙に重々しく感じられる。

門前にはすでに人影があった。母――琴と、父である慶久が並び、その後ろに叔父の慶光と久秀の姿も見える。皆、こちらを見据えたまま動かない。

次の瞬間、琴が駆け出した。

「貴丸! 敦丸!」

名を呼ぶ声は、怒りではなく、完全にほっとした安堵だった。抱き寄せられ、強く締め付けられる。細い腕とは思えぬ力で、逃がすまいとするかのように。

「どこに行っていたの……!」

涙交じりの声が肩口に落ちる。そのすぐ後ろから父が歩み寄り、三人を包み込むように立った。

「心配したのだぞ。山田の家に行ったと聞いたが、龍長殿と共に船で出たというではないか。奉公人にも探させていたのだ。……どこへ行っていたのだ?」

低く抑えられた声には、怒気よりも疲労が滲んでいる。背後では希丸が慶光に小言を浴びせられていた。

「この馬鹿者が! どこをほっつき歩いておった!」

「だって楽しかったんだもん!」希丸はニコニコと笑っている。

一方で「もう乗りたくないぃ……! お腹が減ったよぉ……」

敦丸はもう限界らしく、涙目で首を振っている。混沌とした空気の中で、貴丸は一度だけ息を整えた。

(誤魔化しは無理そうだな)

観念したように口を開く。

「富岡の城下に、火をつけてまいりました(結果的にね。河口の草に燃え広がっただけだけど)」

場が、凍った。

風の音だけが、妙に遠く聞こえる。父が眉を寄せる。

「……何を馬鹿なことを。本当はどこへ行っていたのだ」

苛立ちがわずかに混じる。だが貴丸は、その流れを断ち切るように言葉を重ねた。

「ということで、とりあえず飯にいたしましょう。今日はもう食べたらさっさと、休むのがよろしいのでは? 皆様もさぞや疲れたでしょう。詳しい話は明日で十分です」

強引に締めくくり、そのまま門をくぐろうとした、そのときだった。

蹄の音が地を打つ。土煙を上げて一騎が駆け込み、門前で勢いよく止まった。

「殿! 大変にございます! 富岡の居城、日向館が――先ほど半ば焼け落ちたとのこと!」

声が響いた瞬間、空気が変わる。慶光が絶句し、久秀が目を見開く。父はゆっくりと、確かめるように貴丸を見た。

「……まさか」

問いは短い。

「た、貴丸たちが、やったのか…」

「多分……?」

あまりに軽い返答だった。

その軽さを打ち消すように、小野田久秀が一歩前に出る。

「齢十にして、元服もまだ。それで初陣にて敵の城を焼くとは……これは、とんでもないことぞ!」

驚嘆と興奮が入り混じった声だった。場の空気が一気に揺れる。

「城下では”流言”っていうのも、ばら撒いてきたんだ!」

希丸が胸を張って言い放つ。あれがどれほど効果があったのかはわからないが、確かに流言っぽいことを言っていた。

希丸は先ほどまで叱られていたとは思えぬ調子である。一同の視線がさらに鋭くなる。

その中で、琴の視線だけがふと外れ、修平とお佳へと向けられた。

「……貴丸。ところで、この者たちは?」

問われ、貴丸は肩の力を抜いたまま答える。

「城下に火をかける折、手を貸してくれました。途中で富岡の兵に追われ、そのまま置いてきては、討たれるでしょうゆえ、連れてまいりました」

必要な部分だけを選び取った説明だった。父はしばし二人を見つめ、それから静かに頷く。

「そうか……我が子に手を貸したのであれば、無下にはできぬな。そなた、名はなんという? どのような生業であったのだ?」

修平は一歩進み、深く頭を下げる。

「修平と申します。富岡の城下にて、漁の手伝いをしておりました。家族は戦にて失い……妹のお佳と二人で暮らしておりました」

声は落ち着いていたが、その奥にある疲れは隠しきれない。父はそれを受け止めるように、ゆっくりと言葉を返した。

「ならば、これも縁よ。我が家にて働かぬか。修平殿は貴丸の側に置く。お佳殿は妻のもとで侍女か奉公人として仕えるがよい。……後には、修平殿は武士として取り立てることも考えよう」

静かだが、重い言葉だった。

修平は息を呑む。これまでの暮らしが脳裏をよぎる。持たぬ舟、日銭の労働、風の吹き込む荒れた家。魚は食えても、米など縁遠い日々。その全てが、一瞬で遠のいたように感じられた。

「……ぜひ、仕えさせていただきます」

絞り出すような声だったが、そこには確かな決意があった。

その様子を横目に、貴丸は小さく息を吐く。

(まあ、これで良いだろ。なんとか丸く収まったかな)

夕暮れの光はすでに薄れ、屋敷の灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。

騒ぎの余韻を抱えたまま、一行はゆっくりと門をくぐる。長い一日の終わりが、ようやく形を取り始めていた。