軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

03 清濁併せて過去は丸呑み

「お待ちしておりました、リリス=ウルフェルグ王子妃殿下」

ティズリーに到着すると、店員が奥の個室に案内してくれた。

「ミック、連絡しておいてくれたの?」

「はい、万が一にも満席になっていたら困りますので」

「いつも助かるわ。ありがとう」

執事を入れずにこちらでの生活が成り立っているのは、このミックのおかげだ。

二人の侍女との連携もさることながら、とにかく彼の気配りや采配が見事なのだ。

デボラとターニャ。この二人は、実は本名ではない。

ウルフェルグ王家の影の一員であるため、仮名を名乗っている。

御者のグレン、そして料理人のバルドも同じく影。

影でなく身元がすべて明らかなのはミックだけなのだ。

ちなみに影を取り仕切っているのは、イオルム。聡明で残忍なイオルムには、ぴったりだ。

夜中にたまにベッドから抜け出して本国とやり取りをしていることを、わたくしは知っている。

捕らえた反逆者をどのように痛めつけるかを話したその口で、わたくしに愛を囁くのだ。

……その度に、身体をなんとも言いえぬ、快い感覚が駆け抜けるのだけれど、それを果たしてイオルムは知っているのかしら。

コーヒーカップとフィナンシェの皿が目の前に並ぶ。

残念ながら個室に入ってしまったから、サイフォンでコーヒーが抽出される様子は見られなかったけれど、とっとっと……と音を立ててカップに注がれるコーヒーの香りが鼻をくすぐり、いつもと違うふくよかさ、満足感に満たされた。

「ミドガル、お願いね」

右手中指の指輪を撫でると、先日短剣に変化した銀色のヘビがシュルリと指から抜け出し、コーヒーの匂いを嗅ぐ。小さく舌を出し、くるりとその場で円を描いた。

そして、フィナンシェも同様に確認をする。

まずあり得ないだろう。特にここはメルシエの店。

そうわかっていても、腐っても王族、毒見は欠かせないのだ。

「毒はなかったわ」

ミックに告げると、こくりとミックがうなずいた。

「それでは私は扉の外におりますので、出発の際にお声がけください」

「ありがとう」

わずかな隙間を開けて、扉が閉じられる。

心を満たすためのごく薄い結界を張ると、長いため息をついた。

「……久しぶりに一人の時間だわ……」

扉の向こうにミックがいるとはいえ、一人きりの時間は、いつぶりだろうか。

邸では四六時中イオルムがべったりとわたくしに貼り付き、離れることはほぼない。

ユジヌに来て強く感じたのは、自分は思っている以上に、一人の時間が好きで、必要としているということだった。

よく考えてみれば、今までウルフェルグではなんだかんだ落ち着いた空間で一人になれる時間があったのだ。

馬車の中は一人にはなれるけれど、動くので落ち着いた空間とは言い難く、思案の海にどっぷりと身を委ねるには不向き。

ゆっくりとコーヒーを口にすると、ミドガルがひんやりとした身体をわたくしの手の甲に添えた。

「ふふ、あなたは静かでいいわね、ミド」

ミドガルはわたくしが長く身に着けている魔道具のひとつ。その役割は毒味と護身。イオルムが一番初めにわたくしのために創った魔道具だ。

イオルムが自ら魔の森へ狩りに行った大蛇の毒を用いて創った、特製。

ヨルム合金と名付けられたこの魔法合金は融点が低く、イオルムと『 剛砕(ごうさい) の魔法使い』メルグリス様、ほか数名ほどしか扱えないらしい。イオルムがこの合金を発明してから、魔道具師の頂に立つための最後の試練として、この合金の生成が立ちはだかるようになったとか、ならないとか。

ウルフェルグ王城で暮らし始めて三年ほど経った時、わたくしは食事に混ぜられた毒で一時死の淵を彷徨った。

犯人はイオルムがすぐに見つけて粉々に存在を消してしまったそうだけれど、その時にイオルムは思ったらしい。

『自分だけでは、リリスを護りきれない』と。

ミドガルが創られたのには、そんな背景がある。

ウルフェルグ王家の皆様はわたくしにとても良くしてくださる。それは、わたくしがイオルムの手綱を握れる存在であること以前に、わたくしがイオルムを選んだ――それにより、イオルムを生かし、活かすことができたという事実への感謝や、まだ幼い子どもに、大人ですら制御できない爆弾の世話を任せていることへの贖罪も含まれていたのではないかと思っている。もっとも、わたくしも王家の血をわずかに引いてはいるのだが。

わたくしはわたくしで、セス家の直系女性にあった権能を復興するという目的があったから、子どもの願いを王家が聞き入れて手を貸してくれることを考えたら、対価として見合っているどころか過剰にわたくしがいただいてしまっていると感じていた。

だから、毒を盛られて死線を彷徨うことも当然だと思っていたし、目を覚ました時、周りにいた誰もが泣いていたけれど、ただ、ひとつ乗り越えたのだとしか感じなかった。

かなり希少な毒を盛られたので、思わぬところで耐性がついて幸運だったと思ったほどだった。

……目を覚ました時、イオルムはそこにいなかったことにも、特に何も感じなかった。

目を覚ました数日後に、ようやくイオルムはやってきた。

『目が覚めて良かった、リリス。これ、僕からのプレゼント。手を貸して』

イオルムの左手にわたくしの右手を取られ、そのすぐ横で、何かを握っていた右手をイオルムが開いた。

細い糸のような金属が、小さく丸まっていた。

『……起きて。この子がリリス、君の主だ』

そうイオルムが話しかけると、鈍く金属が光り、ヘビのようにうねりながらわたくしの指に巻き付く。

『……これは……』

『今回よくわかった。僕一人だけじゃリリスを護れない。だから、僕がそばにいない時はこの子を僕だと思って大切にして?』

手元を見ていたわたくしは、はっと視線を上げイオルムを見、息を呑んだ。

目が合って微笑んだイオルムの瞳孔は、ヘビのように縦長に開いていたのだ。

『イオ……ルム……』

『ごめんリリス、こんな僕は、嫌いになった?』

――わたくしは、なんてものをこの人に背負わせてしまったのか。

この男は、人を捨てたのだ。わたくしのために。

勝手にわたくしがイオルムを運命だと見定めたばかりに。

『……嫌いになるわけ、ないじゃありませんか……』

ほろりと、一筋涙がこぼれた。

『ごめんなさい、イオルム。わたくしが』

『謝らないで、リリス。僕が選んだ』

わたくしの手を握って、イオルムが泣きそうな表情で笑った。

『僕が、選んだんだ』

***

「……ふふふ、ミド、あなたを見ていたら思い出してしまったわ」

テーブルの上でとぐろを巻いて休んでいたミドガルが、頭を上げた。

「あなたの創造主は、本当にとんでもない人だってね」

うなずくように頭をゆらすと、シュルリと右手中指の定位置に戻りぴたりと固まる。

「そうね、そろそろ行きましょうか。……ミック」

「はい」

外に呼びかけると、間髪入れずに返事が来た。

「そろそろ行っても大丈夫かしら。問題なければ、出発しましょう」