軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

歴史学者エラーラと禁じられた発掘 - 5

「ば……馬鹿な……」

マーティンの口から、乾いた音が漏れた。

それは否定の言葉だったが、もはやそこに力はなかった。

彼の目は、横からの光によって浮かび上がった「彼女」の横顔に釘付けになっていた。

長く尖った耳。

編み込まれた髪。

そして、勇者を見つめる瞳に宿る、切ないほどの愛と悲しみ。

それは、教典に描かれる無機質な「神の愛」などではない。

悲痛な、一人の女性としての情愛だった。

だが、彼女は「穢れた闇の種族」なのだ。

「天使様が……いや、勇者レイヴン様の隣にいたのが、ダークエルフだと……? そんな、そんなことが……」

マーティンはふらふらと後ずさり、背後の瓦礫にぶつかって止まった。

彼が人生の全てを捧げ、信じてきた「正義」が、足元から音を立てて崩れていく。

教会の教えは絶対だ。

魔族は悪だ。

人間は正義だ。

その前提が崩れれば、彼のこれまでの祈りも、献身も、全てが茶番だったことになってしまう。

「嘘だ……これは、悪魔の罠だ……! そうだ、古代の術者が、我々の信仰を試すために仕掛けた幻術に決まっている!」

彼は縋るように叫んだ。

だが、エラーラは残酷なほど冷静に、次なる真実を突きつけた。

「いいえ、マーティンさん。これは幻術などではありません。……そして、画家の告発は、まだ終わっていません」

「……何だと?」

「そのまま、周りの兵士たちを見てください」

マーティンは、勇者と 天使(ダリア) を取り囲む騎士団へと目を向けた。

一見すると、彼らは勇者と共に、画面の外にいる魔王軍に向かって剣を構えているように見えていた。

だが、今の光の下では違った。

厚塗りの絵の具が落とす影。

影が示すベクトルは、明確に一点を指し示していた。

それは、画面の外ではない。

――中央に立つ、「勇者の背中」だった。

「ひっ……」

クラリスが小さな悲鳴を上げ、口元を覆った。

勇者レイヴンは、魔物と戦っていたのではない。

彼は、守るべきはずの味方に包囲されていたのだ。

そして、隣にいるダリアだけが、その裏切りに気づき、悲しげな目で彼を守ろうとしている――。

「ここは、天使が降臨した聖地ではありません」

エラーラの声が、冷たい石室に響く。

「ここは、英雄を騙し討ちにするために用意された、処刑場です。……『軍事拠点』という私の推測は半分当たりで、半分外れでした。ここは、外敵を防ぐ砦ではなく、内側の英雄を逃さないための『檻』だったのです」

圧倒的な沈黙が落ちた。

三百年前の虐殺の光景が、ありありと蘇るようだった。

英雄として崇められている男が、実は国に裏切られ、ここで絶望の中にいたという事実。

「あ……ああぁ……!!」

マーティンはその場に崩れ落ちた。

杖が手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てる。

彼は両手で顔を覆い、子供のように嗚咽した。

「嘘だ……嘘だ、嘘だ……! 我々は、正義ではなかったのか……? アイオン教会は、世界を救う光ではなかったのか……?」

彼の信仰は、ただの盲信だったかもしれない。

権威にすがり、他者を見下すことで自分を保っていた、弱き人間だったかもしれない。

だが、彼が「神」という存在に救いを求め、その教えに従って生きてきた時間だけは、本物だった。

その全てが、「英雄殺しの隠蔽」の上に成り立っていたとしたら。

……彼の人生は、空っぽになる。

エラーラは、かける言葉を持たなかった。

真実を暴くことは、時に人の心を殺すことと同義だ。彼女はその痛みを、学者として背負わねばならない。

……どれほどの時間が過ぎただろうか。

嗚咽が止まり、重苦しい静寂が戻った頃。

マーティンが、ゆらりと立ち上がった。

「……マーティンさん?」

エラーラが怪訝そうに声をかける。

彼の顔からは、先ほどまでの傲慢さが消え失せていた。

目元は赤く腫れ、頬はやつれ、一気に十年も老け込んだように見える。

だが、その瞳には、静かで強い光が宿っていた。

「……持ち帰らねば」

彼は掠れた声で呟き、震える手で杖を拾い上げた。

「この事実を……王都へ持ち帰り、教会の秘匿記録と照らし合わせるのだ。枢機卿に……いや、法皇猊下に直接問いたださねばならない」

「そんなことをすれば、あなたは……」

ただでは済まない。

異端として処刑されるか、あるいは暗殺されるか。

教会の闇を暴くということは、そういうことだ。

だが、マーティンは首を振った。

「それでも、確かめねばならないのです」

彼は壁画のダリアを――かつて天使だと信じていた女性を、真っ直ぐに見つめた。

「そうしなければ……この信仰に捧げてきた私の人生が、本物だったのかどうかが分からない。……私は、真実が知りたい」

その言葉は、初めてエラーラと心が通じた瞬間だったかもしれない。

彼は狂信者だった。

偏屈で、嫌味で、権威主義者だった。

けれど、その根底にあったのは、「正しいこと」を追い求めたいという、不器用なまでの真面目さだったのだ。

「……分かりました」

エラーラは深く頷いた。

「私も手伝います。この壁画の拓本を取りましょう。動かぬ証拠として」

「……ああ。頼む、エラーラさん」

マーティンは力なく、しかし穏やかに微笑んだ。

それは、彼が初めてエラーラに見せた、司祭としてではなく、一人の人間としての顔だった。