軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

32.レオ、――血に染まる

深夜の、森。

獣の鳴き声すら響かぬ暗がりで、ふたりの人物が顔を寄せ合い、佇んでいた。

彼らの手には、淡く光る水晶の玉がある。

いや、水晶の「玉だった」というべきか。

先ほどまでまぶしいほどの光を放っていたそれは、今は見事にふたつに割れ、弱々しく夜の闇に呑まれようとしているところだった。

「なるほど……」

やがて光を完全に失い、ひんやりと掌に横たわるだけとなった水晶を見下ろし、アルベルトは静かに呟いた。

「レオノーラを運んでいた老齢の導師、……アリル・アドと呼ばれていた彼は、現在のエランド自治領の摂政を務める男だ。二人のやりとりを聞く限り、おおかた、彼が闇の精霊の力を使って、エランドの実権を握ろうとでもしていたのだろう……七年前の再現のようだな。そしてそれをレオノーラに見破られた」

そのアイスブルーの双眸には、先ほどまで水晶に移されていた光景が、しっかりと刻みつけられているようだった。

「レオノーラは、雪歌鳥が再現したごろつきのような男から、彼の手に渡ったと。レオノーラの部屋があった場所と同じ建物のようだったな。移動距離もそう長くない。……おそらくは、聖堂の地下にある、隠し部屋のようなところか」

「……最後まで水晶がもたなくて、悪い」

唇に指の関節を当てて考え込むアルベルトに、レーナは短く詫びる。

耐用期限のぎりぎりまで酷使していた水晶は、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグが連れ去られ、地下と思しき一室に運ばれているところを映している最中に、ぴしりとひびが入り割れてしまったのだ。

雪歌鳥が飛び立った後から、と指定した結果、結局レオの本性がばれないような、絶妙な場面だけ再生して、水晶は壊れたという格好である。

覚悟していた入れ替わり劇の破綻が訪れなかったのは肩透かしであるし、喜ばしいことだが――今のレーナにとっては、いっそ破綻でもなんでもしていいから、もっと場所を特定できるところまで再生してほしかった、というのが本音であった。

険しい表情を浮かべるレーナに、アルベルトは真剣な顔で首を振った。

「なにを言う。君がこの水晶を確保し、使用を思いついてくれなかったら、犯人もおおよその場所も特定できなかった。感謝するよ。……巫女たちが寝泊まりしている聖堂の、地下。そこまでわかれば十分だ。あとは僕が、力づくで聖堂に乗り込む」

力づく、という単語に、レーナは苦く笑う。

それは、魔力持ちであったレーナやアルベルトが、時になにげなく選んできた手段であり、――魔力の使えない今や、最も現実性に乏しい響きの言葉であった。

しかし、その表情になにを思ったか、アルベルトは身を乗り出すと、力強く告げた。

「本当だ。……今の僕は魔力こそ使えないが、権力や財力といった、あこぎなカードもあるからね。帝国第一皇子としての肩書を振りかざし、エランドの国中の貨幣を石ころに貶めてでも、彼らに聖堂の門を開かせてみせるよ」

思いのほか毒に満ちた言い回しに、レーナはちょっと笑う。

「……それじゃあ、まるで悪役だ。清廉潔白な皇子サマのセリフとは、到底思えないな」

「清廉潔白などと言われている人間の本性は、たいていこんなものだよ。失望したかい?」

「いや。……そちらのほうが、よほどいい」

皮肉な笑みを浮かべながら告げるアルベルトに、彼女は、心からそう答えた。

そう。

アルベルトのこのような態度は、彼を「頭がスイーツな金髪貴族野郎」としか思っていなかったレーナにとって、意外ではあったが、同時に、予想外に好ましいものだったのだ。

強かな人間は嫌いではない。

賢くて、小ずるくて、その嫌らしさを自覚している人間も。

「 首都(ルグラン) では、おそらくはグスタフ導師もなんらかの行動を取ってくれているはずだ。そうすれば、聖堂をこじ開け、レオノーラを救い出すための力に、精霊力も加わる」

冷静に続けるアルベルトに、だからレーナはこう付け加えた。

「――知恵も」

「え?」

「俺の、知恵も、使ってくれ。駆けつける役目はあんたに託すが、俺も足でエランドに向かう。到着するまでに、陣か新しい魔術の活用法か、作戦か……きっと、レオ、ノーラを救うのに役立つなにかを考えつく」

平民でありながら、魔力制限下における水晶の使用を思いついた彼女に、アルベルトは納得する表情を見せて、頷いた。

「もちろん。ともにレオノーラを助け出そう」

そうして、優雅な身のこなしで馬に乗ると、そこからレーナを見下ろし、告げる。

「レオ。先ほど再会したときは、どうやら人が変わってしまったようだと思ったけど――やはり、君は、いつも僕を助けてくれる。……君にここで会えて、よかったよ」

「え……?」

思いもしなかった言葉に、レーナはわずかに目を見張ったが、アルベルトはそれに短く「では」とだけ告げると、馬の腹を蹴って去っていった。

後にはレーナと、やり取りを見守っていたカイと御者、そしてブルーノが残った。

オスカーはすでに馬を駆り、ヴァイツへと急いでいる。

レーナは頭を振って気持ちを切り替えると、即座に、次に自分が取るべき行動について思考を巡らせた。

カイは夜明けを待って動くと言っていたが、それではきっと間に合わない。

というか気が急いて、このまま夜を明かすなどできない。

水晶が壊れ、これ以上レオの様子を把握できないというのも焦りを募らせた。

不慣れな夜の森ではかえって迷うだけかもしれないが、それでも早く、自分も聖堂に駆けつけたいと思ったのだ。

(ブルーノならば、夜目もきくし闇も味方にできるはず。森さえ抜けて、あとは強行軍すれば、私たちだって明け方にはルグランに着くはずよ)

素早く結論し、ブルーノに視線を向ければ、彼は少し離れた場所で、先ほどの体勢から微動だにせぬまま立ち尽くしていた。

親友の危機がそれほどまでに衝撃的だったということか。

一度は回避したと思った「修正」が、突如やってきてしまったのだから仕方ない。

そうは思いつつ、レーナは一向に動こうとしない彼に苛立ちを覚え、その肩をゆすった。

「おい、ブルーノ――」

が。

『――……を、……え。この指先に、……い、凝り、望む者をその深淵の始まりへと……え』

彼が、聞き取れないほどの小声で、なにごとかを唱えていることに気付き、はっと手を離した。

「……ブルーノ?」

『……力を、我が手に。広大なる闇の懐に、……るしたまえ。この指先に、集い、凝り……』

どうやらそれは、古めかしいエランド語のようだった。

睨みつけるようにして虚空を見つめ、恐ろしいほど真剣な表情で、ただひたすら、同じフレーズを唱え続けている。

闇よ集え。

わが身を、その闇をたどって向こう側へと連れてゆけ。

要約すると、そんなところだろうか。

その意図を悟って、レーナは息を呑んだ。

彼は友人の窮地に硬直していたのではない。

先ほどからずっと、精神を集中させ、闇の精霊に呼び掛けていたのだ。

辺り一帯が深夜の闇に包まれているのでわかりにくいが、よく目を凝らせば、ブルーノの周辺だけ、一層暗がりが濃いようにも見える。

そして彼の黒い瞳は、この闇にあってもその色がわかるくらい、不思議な輝きを宿していた。

「ブルーノ――」

『邪魔するな、途絶える。あと少しなんだ。あと少しで、闇をたどって、儀式の場に出る手はずが整う』

「…………!」

早口で言い捨てられた言葉から、言わんとしていることを察し、レーナはまじまじとブルーノを見つめた。

闇をたどって儀式の場に出る。

おそらく、レオが闇の精霊を呼び出すために括りつけられているという祭壇に、精霊力を使って移動しようというのだろう。

例えば水の精霊は、大陸中のあらゆる水源を自由に行き来できるように、闇の精霊もまた自由に闇を渡り歩ける。

怪しげな儀式を開こうという、人の欲が凝った場所にも、当然闇の精霊ならば難なくたどり着けはずだ。

ブルーノはそれに便乗しようとしているのだった。

そんな方法があるならさっさと言いなさいよ、といった叫びが喉元までこみ上げるが、冷静に考えて、彼の出自を不用意にアルベルトたちに知られるのはうまくない。

それによく見ると、ブルーノの褐色の肌には脂汗が浮かび、相当な負荷が掛かっているのだろうことがわかった。

それから幾度か祈りを繰り返すと、ブルーノの周辺をさあっと生暖かい風が吹き渡り、それと同時に、彼はふと視線を上げた。

吸い込まれるような、どこまでも黒い瞳だった。

『――話が着いた。行くぞ。儀式が完遂されていないらしく、召喚されるみたいに一直線には飛べない。だが、馬を使うよりは早く着くはずだ』

「い、行くって、飛ぶって……」

展開の目まぐるしさに困惑しかけたレーナだが、魔術と似たようなものだと自身を納得させると、頷いた。

精霊力のメカニズムは理解していないが、とにかく、レオのもとに迅速に駆け付けられるということはわかった。

今はそれだけで十分だ。

『わかったわ。連れていって』

ブルーノが手を差し出してきたので、エランド語で答えながら、躊躇わずにそれを取る。

ふと気付いて、「レオさん……? ブルーノさん……?」と、遠くから呼びかけてくるカイに、レーナは言葉だけを放り投げた。

「悪い、カイ。俺たち、夜明けを待たずにエランドに向かうわ。落ち合えれば落ち合おう。それじゃ!」

「え……!? レ、レオさん!? ですが、火も持たずに……!」

慌てたように叫ぶカイの声を背後に聞きながら。

――ふわ……っ

辺りの闇が凝り、風のようにほどけたのを見た、その瞬間。

レーナたちの姿は森からかき消えていた。

***

闇というのは、混沌だった。

左右も上下も、前後もなければ、時間の感覚もない。

つまりそれはどういうことかというと、

「う……ぅ、も、う、勘弁……」

『レーナ。精霊の域内ではなるべくエランド語で話せ』

レーナは、言語を取り繕う余裕もないほど、前後左右に体をシェイクされ、吐き気に両手で口元を押さえていた。

もうどれほどこの状態が続いているかすらわからない。

油断すると、今すぐにでも胃の中の内容物を披露してしまいそうだ。

『多少時間が掛かるとは、聞いて、いたけど……こんなオフロード走行とは、聞いて……ぐ、なかった、わよ……!』

『吐きたいなら吐け。どうせ、この闇の中ではおまえの吐いたものも見えん』

『いやそういう問題じゃ、ないでしょう……っ?』

突っ込む声すら弱々しい。

グロッキー極まりない状態で口を引き結んでいると、ブルーノが、

『もし魔力持ちだったら、一層域内が荒れていたところだ。レオの身体でよかったな』

とフォローにもならない言葉を掛けてきた。

なんでも、アリル・アドが長らく光の精霊への祈祷を怠ってきたせいで、今や闇の力が制御を失いそうなほどに増大しているらしい。

ブルーノが祈りによって「整えた」状態でも、域内が不安定なのはそのためとのことだった。

『思った以上に荒れている。この分では、精霊珠も相当濁っているな。このまま……闇の精霊に生贄を捧げる儀式が成立してしまえば闇はますます勢いづいて、明け方の寿ぎの儀では、光の精霊が空から陽光を放つどころか、空全体が暗雲に覆われ、禍がまき散らされることになる』

ブルーノは思案気だ。

黒い瞳からは感情を窺えないものの、親友の安否と、ノーリウスの末裔としての責任とが、彼の胸を占拠しているようだった。

儀式が成立する。

それすなわち、レオが苦しみの末に命を落とすということだ。

それは、ブルーノ個人としても、闇の精霊の愛し子としても、絶対に避けたいことのはずだった。

『……させないわよ、そんなこと』

『ああ』

それきり、ふたりとも黙り込む。

どれほどそうしていただろうか。

ふいに目の前に赤い光が飛び込んできたと思うと、次の瞬間、レーナたちの身体を強風が襲った。

とっさに腕を掲げ顔をかばうと、すぐに風は消える。

代わりに、さっと視界が開け、レーナは強く床に叩きつけられた。

目的の場所――儀式の現場とやらに、着いたのだ。

「――……った!」

思わず悲鳴がこぼれるが、隣のブルーノはうまく着地したようだ。

屈みこんで、右手だけを床に突いた体勢で、素早く周囲を見回す。

そこには、ぎょっとした様子でこちらを見る、いかにも怪しげな数人の男たちがいた。

『おまえら、何者――』

しかし、上半身をむき出しにし、黒い頭巾をかぶった彼らが最後まで叫ぶよりも早く、

『覆え』

ブルーノが低く唱えた。

とたんに、男たちはぐぅっと悲鳴を漏らし、喉を掻きむしるようなしぐさをしながら、次々とその場に昏倒していく。

魔術でもなかなか見ないほどの威力に、レーナは顔を強張らせた。

『な、なにをしたの……?』

『こいつらの意識を闇で覆った。……端的に言えば、気絶させた』

ブルーノは短く答え、ほかに敵とおぼしき者がいないことを確認すると、さっとその場に立ち上がる。 そうして、部屋をぐるりと見回した。

レーナもそれに倣って、鼻を覆いながら辺りを窺った。

ひどい臭いだ。

(ひどい、血の……臭い)

ずっと闇の中にいた目には、大量の蝋燭の灯りすらまぶしい。

瞬きをしながら目を慣らし、レオの姿を探す。

いかにも怪しげな空間だ。

窓ひとつない、堅固な石が積み上げられただけの壁。

黒く染まった精霊布。

大量の蝋を垂らしながら燃える蝋燭に、豚の死体、血の広がった床。

(レオ……どこ……?)

目をきょろきょろと動かしながら、レーナの胸にはじわりと嫌な予感が兆しはじめた。

瞬間移動が可能な魔術とは異なり、時間の概念すらない闇を渡るのでは、到着した今がいつなのかすらわからない。

肌感覚では、アルベルトよりよほど早く到着できたつもりだが――もしや出発してから、相当な時間が経っていたりするのだろうか。

(いえ、そんなはずはない)

視線が滑る。

心のどこかが、現実を受け入れるのを拒んでいるかのように、集中して祭壇の辺りを見ることができなかった。

「レオ……」

呼びかけた声が、思った以上に小さく、掠れていたことに驚く。

レーナは自分を叱咤し、声を張り上げた。

「レオ!」

祭壇に、人影はない。

頑丈そうな鎖が転がっているだけだ。

では、どこに?

その脇に据えられているヤギの首、血をべっとりとまとった金貨。

それらを目でたどりながら、視線を徐々に下へと移していく。

ぽた、と、金貨から滴っている血。

昏倒した男の、野太い腕が伸びた、その先の床には――

「――…………っ!」

目を閉じ、ぐったりと横たわっている少女――レオの姿があった。

レーナはとっさになにかを叫びかけ、魔術で喉を焼く。

今自分が目にしているものがなにか、理解するのを、脳が拒んでいた。

異国のローブをまとったレオは、腹の辺りを両手で押さえている。

暗がりの中でもはっきりとわかるほど腹は赤黒く汚れ、血は、装束全体をぐっしょりと汚して、床に広がっていた。

その、血にまみれた手の隙間から、見えるもの。

なにか、赤黒くて、醜悪な形の――内臓。

「嘘……で、……っ」

ひく、と喉が鳴る。

祭壇に向かって足を進めていたブルーノも、立ち止まり、呆然としたように呟いた。

「レオ……?」

レオは、その腹から内臓を見せ、大量の血を流しながら、倒れていた。