作品タイトル不明
くるみパン
それからしばらくして、くるみと一緒にヨーゼフじじさまが辺境伯邸へとやってきた。
サロンに案内すると、ヨーゼフじじさまは居心地悪そうにソファにちょこんと座った。持ってきた大きな篭には殻から剥かれたくるみがどっさりと入っていた。
「まあ、こんなに沢山!」
「これはほんの少しですぞ。あの木は川に沿って奥の方までいっぱい生えておったので、たーくさん取れました。これを炒れば食べられますぞ」
私はライナに、少量炒ってきてもらうよう指示した。
「ヨーゼフじじさま、本当にありがとう。こんなに長く辺境に留まってくれて。おかげで皆来年からは自分達でしっかりやれるって喜んでいたわ。あれだけ採れるのだし、きっと辺境伯の特産品になるわ」
「暇で退屈しとったんじゃ、わしこそ楽しかったですぞ。オルデアお嬢様もしょっちゅう会いに来てくれて、美味しいものも食べれたし、たくさん話もできて、楽しい時間だった」
「ふふ、ヨーゼフじじさまったら辺境伯邸には来てくださらないのだもの。でもおかけであそこの領民の皆さんと仲良くなれたわ。いつだってヨーゼフじじさまは私と領民の仲を取り持ってくれるのね」
「オルデアお嬢様がちゃぁんと領民の話に耳を傾けるからですぞ。辺境伯様も領民を大事にしてくださる方で良かった。あの方ならオルデアお嬢様も大事にしてくださるじゃろ」
「ええ、とても大事にしてもらってますわ」
ヨーゼフじじさまと話していると、コンコンコンとサロンのドアをノックする音がした。扉は開けたままなのでノックしたルカルディ様のお姿はすでにサロンの中にある。
ヨーゼフじじさまが立ち上がるのを手で制しながらルカルディ様は私の隣に腰掛けた。
「くるみを持ってヨーゼフじじさまが訪ねてきてくれたと聞いてね。私もお邪魔しても?」
「もちろんですわ」
そこにタイミング良く、バルムが炒ったくるみを持ってサロンに現れた。
私もヨーゼフじじさまももちろん食べた事があるので、ルカルディ様がくるみをひと粒口に運ぶのをドキドキしながら見守った。
「うん、香ばしくて美味しい」
その言葉で2人ともホッとして、私もひと粒口に運ぶ。
「美味しい!ローゼンフィルで食べたくるみより味が濃い気がするわ。もっとあっさりしてた気がするの」
「さすがはオルデアお嬢様。寒さのせいか、土のせいか、こっちのくるみの方が味がしっかりしとりますよ」
「あのぉ……」と声を上げたのはバルムだった。
「どうしたの?」
「俺もさっき味見させてもらったんですが、これ、パンにいれて焼いたら美味しいんじゃないかなって思うんですよ。試してみてもいいですかね?」
「パンに?」
「はい、結構炒って大丈夫だったんで、焼いても焦げないと思うんですよね。パンにこの香ばしさは合うと思うんです」
「なるほどね。私には想像がつかないけれど、バルムが言うなら間違いないでしょう。作ってみてくれるかしら?」
はいっ!と元気よく答えたバルムはすぐに踵を返してバタバタと厨房へ帰っていった。
「失礼しました、新しいものを思いつくと周りが見えなくなってしまい」
ライナがそう言って頭を下げる。
「気にしないでくれ、研究熱心なバルムのおかげでここの料理は一段と美味しくなった。感謝しているよ」
ルカルディ様はライナにもバルムにも、ちゃんとお礼や労いの言葉をかけてくれる。もちろん他の使用人にも。仕事だからやって当たり前、使用人は空気といった態度は決してとらない。
この国の貴族としては珍しい方だろう。母は使用人は空気だと思うような人だったし、妹も母に似た。ロベルト様も母達と同じ考えだったので、彼が妹を妻にしたいと思ったのも自然なことだったのだろう。私とは考えが違ったのだ。
人を人としてちゃんと見れるルカルディ様と婚約できたことを私は心の底から喜んでいた。
「くるみのパンは楽しみね!昼食には間に合うかしら?ヨーゼフじじさま、今すぐローゼンフィル領に帰るなんておっしゃらないでくださいね?くるみのパンと美味しい辺境伯邸の料理を食べて行ってほしいわ」
「もちろん今夜は辺境伯邸に泊まってくれ」
「かなわんなのぉ。分かりました、くるみのパンは食べたいし、出発は明日の朝にしましょう」
バルムの作ってくれたくるみのパンはとても美味しかった。昼食はくるみのパンとスープにしてもらい、ルカルディ様とヨーゼフじじさまと楽しんだ。ヨーゼフじじさまはくるみのパンをいたく気に入った様子だったので、明日の出発の時に持てるようバルムには追加でくるみのパンを焼いてもらった。
そして夕食時、ヨーゼフじじさまには気兼ねなく辺境伯邸の料理を楽しんでもらいたかったので部屋で食べてもらい、私達はいつも通り食堂で皆で夕食をいただいた。もちろんくるみのパンを用意してもらい、炒ったくるみも用意してもらった。
「ベルリナ様、こちらがお話していたくるみです。血が不足しがちな方は日に数度、数粒食べると良いそうです。そして、こちらのパンはそのくるみを入れて焼き上げたものです」
ベルリナ様はまずくるみをひと粒おそるおそる口に入れた。
「美味しい……!」
次にくるみのパンを手に取って、今度は期待に満ちた顔で口に入れる。
「くるみの香ばしさがパンに合ってますます美味しいし、この食感が良いわ!」
「お気に召していただけて良かったですわ」
「オルデア様、本当にありがとう。あなたが調べてくれた野菜料理で最近体の調子が良いの。くるみも美味しくてとても気に入ったわ」
「私はただローゼンフィルの薬師に何を食べたらいいのか手紙で聞いただけです。正確な診断でもないのに私の言葉を信用してくれて、食事を変えてくださったこと嬉しく思いますわ」
「オルデア嬢、あなたがこの辺境に来てくれなかったら私は妻がずっと小さな不調を抱えていたことに気付かなかっただろう。あなたのおかげで妻は体調が良くなり、元気になったからだろうか明るさが増した。私からもお礼を言わせてほしい」
「フィリオ様まで……いえ、お役に立てたのなら嬉しいですわ」
辺境伯に来てから気付いたことがある。ここの皆はささいな事でもとても褒めてくれるのだ。
そして私は褒められることに慣れていない。慣れていないせいでどうしても素直に受け入れられない所があるのだが、私は感謝や褒め言葉を素直に受け入れられる人間になりたいと思い始めていた。
和やかに夕食を終えた後、いつものようにサロンで食後のお茶を楽しもうとした所、お茶が出てきてすぐにベルリナ様が侍女から細長い箱を受け取り、こちらに差し出してきた。
「これは?」
ベルリナ様に問いかけたが、答えは隣のフィリオ様から出た。
「先程も言ったけれど、妻の体調が良くなったのはオルデア嬢のおかげだ。これは私達からのお礼だ、どうか受け取ってほしい」
今までだったらすぐ「出来ることをしたまでです」と答えていただろう。出かかったその言葉を飲み込み「開けてもよろしいですか?」と問えば二人は笑顔で頷いた。
中には精巧な作りのとても美しいガラスペンが入っていた。
「綺麗……」
手に取ると、細く華奢なそれはされどしっかり重みもあって手に馴染み、指がスッと収まる曲線を持ち、綺麗さだけではなく実用性も兼ね揃えていた。
「それから、これは私から。お母様のお礼と、シャルフラワーの香水をご用意いただいたお礼ですわ」
そう言ってアリア様が渡してくれた箱の中には、綺麗な濃紺のインク瓶が入っていた。
「オルデア様は筆まめだと聞きましたので、こちらをプレゼントに選びましたの」
「最初は髪飾りなんかを考えていたんだけどね。ルカルディが面白くない顔をしたものだからガラスペンにしたんだよ」
「ちょ、叔父上、余計なことを言わないでください」
フィリオ様の後半の言葉はルカルディ様の言葉が重ねられてよく聞こえなかった。しかしルカルディ様が触れてほしくなさそうだったので私は笑顔で聞き流すことにした。
「ベルリナ様、フィリオ様、そしてアリア様、素敵なプレゼントをありがとうございます」
私はガラスペンとインク瓶を大切に胸に抱え三人にお礼を言った。