軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

宰相息女 ベルナルデッタ・メリカントの場合(後)

「貴女は、聡明で気品あふれる淑やかな女性です。返事は、急ぎません。貴女が貴方のままでいられる場所を私に作らせてください」

「ば、バルリエ公子……」

「どうかリュシアンと……ベルナルデッタ嬢」

真摯な瞳で名前を呼び、リュシアンはベルナルデッタの手の甲に口づけの真似をした。

(きゅ、きゅきゅ求婚をされてしまいました!)

あの後、どうやって屋敷まで帰ったか定かではないベルナルデッタは、普段は絶対にしない制服のままベッドへ倒れ込んだ。

(求婚……私が求婚を…………!?)

しかも相手は隣国の公子であるリュシアンだ。

長身で穏やかで優しくて、何よりもベルナルデッタと対等な話が出来る貴重な相手だ。

相手が隣国の公爵家となれば、三男と言えど隣国との国交を強固な物にしたい父は、おそらく諸手を挙げて歓迎をするだろう。

何の問題もない。むしろ理想の相手だ。

なのにどうしてなのか。

どうしてベルナルデッタの心は晴れないのだろう。

リュシアンは優しいし知的で、ベルナルデッタに勉強をせずに夫を立てろとも言わないだろう。

隣国の文化には興味があるし、言葉も問題無い。

何よりもこんな自分に好意を持ってくれ、求めてくれているのだ。

答えは出ないまま、ベルナルデッタはのろのろとベッドから起き上がり、制服から室内着に着替えた。

廊下に出ると、ちょうど帰宅していたらしい父に鉢合わせた。

「おかえりなさいませ、お父様」

「ああ」

父は短く返事をしただけで、ベルナルデッタとすれ違う。

その父の後を追う様に、サウリが走ってきた。

「父上! 今夜はピナルディ地方のお話を聞かせてくださるんですよね?」

「ああ、夕食後に書斎に来なさい」

(ピナルディ地方……)

二人の会話をそれとなく聞いていたら、やっとベルナルデッタの存在に気付いたと言わんばかりにサウリが「いたんですか」と振り返った。

「姉上も今年卒業なのに、早く婚約者を捕まえてくださいよ。行き遅れの姉にずっと家にいられるのは迷惑ですよ」

サウリの言う通りだ。侯爵家の娘でありながら、18にもなって婚約者の一人もいないなんて一族の恥だ。

それもこれも、リュシアンの手を取れば解決する。するのに…………

⁂⁂⁂⁂⁂

あれから数日経ち、学園内はアイニとエーリク殿下の仲の良すぎるのでは、という噂で持ち切りだ。前からそういう話は多かったが、エーリクの婚約者であるセラフィーナが特に行動を起こさない事で増長している様だ。

その事がサンドラなんかは歯痒くてたまらないらしいが、ベルナルデッタは気にならなかった。

聖女とは一生を大聖堂で神に祈りを捧げる職だ。

光魔法の後継者を生む可能性があるので、婚姻は認められているが、後継者作りの為だけなので夫となった者と一緒に暮らす事も、夫の家に入る事もない。王太子であるエーリクと結ばれる訳がないのだ。

(それに……)

あのアイニがエーリクに釣り合うとも思わない。

セラフィーナとは、格が違いすぎる。

(王族の婚姻に異議を唱えるなんて……なんて不敬なのかしら……)

そう思うが、どうしても気になって噂をしてしまうのは人の性なのか、貴族の性質なのか。今後の勢力図にも関わる事だから当然ではあるが。

そして降って沸いた自分の婚姻話も、まだ誰にも話していないが知られたらきっと噂になるだろう。

「ベルナルデッタ嬢、ここ良いかな?」

「!」

今ちょうど思い浮かべた顔が目の前に現れ、ベルナルデッタは椅子ごとひっくり返りそうになったのを何とか耐えた。

「ごめん、驚かせるつもりじゃなかったんです」

そう言って苦笑するリュシアンの態度には、気安さが見える。

あの日から、リュシアンはベルナルデッタに対して砕けた喋り方になった。

「い、いえ、私の方こそボーっとしてました。すみません」

「私がベルナルデッタ嬢に会いたくて来たんです。謝らないで」

図書館のテラスでこうやって向かい合う事は、あれ以来だ。

リュシアンはその立場から、メリカント家に直接申し入れをすれば婚約は成立するだろうに、ベルナルデッタの答えを待ってくれている。

それを感じるたびに、ベルナルデッタは早く返事をしなければいけないと焦ってしまう。

「あら、バルリエ公子じゃございませんか。御機嫌よう」

ベルナルデッタ一人が気まずく思っている空間に、救世主が現れた。

「これはパーシヴァルタ嬢。ご機嫌麗しく」

「あら、隣国に関する議論ですの? ご一緒してもよろしいでしょうか?」

ベルナルデッタとリュシアンが図書館で顔を突き合わせて話すと言えばそれだろうと同席を求めるセラフィーナに、ベルナルデッタが慌てて立ち上がってカーテシーをする。

「放課後の学内でまでいいわよ。座っても?」

「……どうぞ?」

リュシアンが引いた椅子にセラフィーナが優雅に腰掛ける。

「バルリエ公子の御国は技術力に長けていらっしゃって、わたくしたちも学ぶ事が多いからこうしてお話し出来て嬉しいですわ」

「いえ、私の国は気候がこちらの国ほど穏やかではないので、苦肉の策ですよ」

小一時間、ベルナルデッタにとっても楽しい時間だった。

セラフィーナの迎えが来たらしく、一番に立ち上がった。

「今日はとても有意義な時間が過ごせました。今度は殿下もお呼びしてまたお話しましょう」

「ありがとうございます。その時を心待ちにしております」

「はい、光栄です」

セラフィーナの神秘的な紫の瞳が、ツイ、とベルナルデッタを見下ろした。

「わたくし、とても楽しみにしておりますの。

ベルナルデッタ、貴女がいつ立ち上がるのかを」

「え……」

今立ち上がって礼をしようとしていたベルナルデッタは一瞬慌てたが、セラフィーナは決してそんな事を責めてはいない。うふふ、と穏やかで可愛らしさを感じる笑みを浮かべ、美しい礼をして去って行った。

見惚れんばかりの所作と去り際にしばらくその後姿を見送っていたベルナルデッタの肩に、リュシアンがそっと触れる。

「私たちも帰りましょう」

「あ……はい」

王都内に住む貴族は自宅へ、それ以外は寮か王都内に屋敷を借りているので迎えの馬車が来る。リュシアンは留学生なので、後者の王都内の屋敷に住んでいるので二人とも迎えの馬車が来る所に向かう。

そこで運悪く出くわしてしまった。

「あ、リュシアン様!」

ふわふわのピンクブロンドをなびかせ、アイニが駆け寄って来た。

ちなみにアイニとベルナルデッタは同じ家に帰るが、登校時間も下校時間も違うので別々の馬車だ。

「わぁ、何だかお久しぶりですね! リュシアン様3年生だからなかなか会えないですよね」

「そりゃあ校舎が違うからね、よほど会おうとも思わない限り会わないだろう」

「え~寂しいです。あ、そうだ! 今度ご一緒に昼食を取りませんか? 殿下やサウリくんやオルヴァ様もいますよ!」

「待ちなさい、アイニさん。それは殿下の許可を取った上でのお誘いなのですか?」

さすがに黙っていられなくなって口を出すと、アイニは今気付いたとばかりにベルナルデッタを見て驚いた顔をする。

「あれ? 何でベルさんが? 偶然?」

「さっきまで一緒に図書館のテラスで話してたんだ。ね」

親し気に片目を瞑るリュシアンに、ベルナルデッタは戸惑いながら頷く。

「ええ~ずるいです! 私も誘って下さいよベルさん!」

同級生同士の二人に対し、アイニの方が異物だと思うのだがそう言われて、ベルナルデッタは何と返したら良いか分からず戸惑う。

「私もリュシアン様の国のお話聞きたいです。ね、今度聞かせてくださいよ。私とても興味があるんです」

「興味ねぇ……」

上目づかいでずいと体を寄せてくるアイニに、リュシアンは何とも言えない笑顔を張り付ける。

「じゃあうちの国の特産物は?」

「え?」

「首都の名前は? 現王の名前は? 国で一番大きな川の流れる地方は? 夏に行われる祭りは何を祝っている?」

「え? え? え?」

突然の質問に、アイニは大きな目をパチパチする。

「その程度も知らなくて、私から何を聞きたいの?」

ニコリ、とリュシアンがベルナルデッタが知らない笑顔で微笑む。

「え……でも、それをリュシアン様が教えてくれれば……」

「ハハハ、私はそんなに暇じゃないんだ」

アイニの甘えを一笑する。

「私はこの国の事を学ぶために留学しているんだよ。どうしてそんな無駄な時間を過ごさないといけないんだい?」

「で、でもベルさんは? ベルさんとはお話したんでしょう!?」

ビシッとこちらを指差すアイニを止められなく、ベルナルデッタはリュシアンになんて謝ればと頭を悩ませた。

リュシアンはベルナルデッタを見て、いつもの優しい笑みを浮かべた後アイニに向き直る。

「ベルナルデッタ嬢は私の現地の言葉で書かれた学術書を読めるほど語学が堪能で、私の国の歴史にも文化にも精通している。無知な君と違って、有意義で文化的な話が出来る聡明な人だよ」

「そんな……でもベルさんはそんなに成績も良くないし、何よりも意地悪な言い方をする人ですよ! そんな人と話してたらリュシアン様も嫌な気持ちになっちゃいます、だから……」

「私は君と話している方が嫌な気持ちになるな。出来れば話しかけないでもらえると嬉しいよ」

唖然とするアイニを放っておいて、リュシアンがくるりとベルナルデッタに向き直り、その手を取る。

「馬車まで私にエスコートさせてもらえますか? ベルナルデッタ嬢」

「あ……はい。ありがとうございます」

そうしてアイニを残し、ベルナルデッタは帰宅した。

家に戻ったアイニがまたサウリに言いつけ絡まれるかと思ったが、サウリは翌日は父の仕事に同行させてもらうのに忙しく、アイニも予定があったらしく事なきを得た。

そして休み明けの学園中で、アイニがエーリク殿下とオルヴァ子爵令息と出掛けたという噂が広まった。

自分の婚約者も一緒だったとあってサンドラの怒り様はすごかった。しかもその日は他にサンドラと大事な約束があり、それをすっぽかされたのだと他の令嬢から聞いて、何て不誠実な男なのかとオルヴァを軽蔑した。

しかし話はそれで終わらず、翌日何とアイニがセラフィーナのサロンに突撃してきた。

挨拶もなにもあったものではないアイニに、この時ばかりはベルナルデッタも立ち上がってアイニを叱咤した。しかしアイニは聞かず、学園内には身分などないでしょうと言い返す。

学園のルールは編入前にちゃんと教えたはずなのに、なぜそんな初等部の子供の様な事を言うのかとベルナルデッタは眩暈に襲われた。

次期王妃であるセラフィーナへの無礼の数々。教育係のベルナルデッタ、ひいては後見人のメリカント家そのものが王家より叱咤を受けても文句が言えない状況だったが、セラフィーナがそれを華麗に回避してくれた。

その上で、甘えたアイニへ格の違いを見せつけてくれた。

初めて会った時から、セラフィーナは寸分の狂いも無い完璧な王妃としての高潔さを持っていた。

いつだってセラフィーナは背筋を伸ばし、前を向き、国のためになる王妃を目指して邁進していた。

自らに誇りを持ち、他者に惑わされず、揺るがなかった。

―――――――わたくし、とても楽しみにしておりますの。ベルナルデッタ、貴女がいつ立ち上がるのかを―――――――

そしてもう一人、サンドラも。

「わたくしは生涯この国に、セラフィーナ様にお仕えします! あの方にお仕えする事こそ、この国に貴族として生まれたわたくしの責務ですわ!」

(ああ、何て眩しいのかしら……)

揺るがない気持ち。信念。

(私……私は…………私も…………)

「サンドラ様」

振り返るサンドラに、ベルナルデッタは気恥ずかし気に視線をそらしながら聞いた。

「あの……私、髪を纏める髪飾りが欲しいのですけど……何か、オススメはありますか?」

「! 沢山ありますわ!!」

普段から強い視線のサンドラの瞳が、本物のエメラルドの様に輝いていた。

⁂⁂⁂⁂⁂

「え……姉上が、学年一位……?」

夕食時、後期の中間試験の結果を知ったらしいサウリが、信じられないものを見る目で自分を見ている。

「ええっ? いつも真ん中位なのに、そんなに一気に上がるものなんですか?」

「そんな訳ない、姉上まさか何か不正を……」

「やめなさい、サウリ」

それを止めたのは父であるメリカント侯爵だった。

彼は知っている。自分の娘がいかに優秀であったかを。

「…………ベルナルデッタ、あとで書斎に来なさい」

「はい、お父様」

夕食後、何年かぶりの書斎に入る。

懐かしさは感じたが、思っていたほどではなかった。

今日はこの後サウリと勉強をするのだろう、用意されている書類にチラリと視線をやる。

「どういうつもりだ?」

低い声でそう訊ねられても、ベルナルデッタにはもういつもの謝罪の言葉は持ち合わせていない。

「わたし、決めましたの」

「何をだ」

宰相であるだけあって、父からの威圧感は感じるが、ベルナルデッタは怯まなかった。

「自らの手で全てを手に入れ、この国へ尽くす事をです」

「それは、まさか女だてらに侯爵家を継ぐ気か?」

バカな事を、と息を吐く父に、ベルナルデッタは背筋を伸ばして微笑んだ。

あの日サンドラに貰った紫のリボンで纏めた髪が、気持ちを引き締めてくれる。

「ピエラントーニ伯爵家十二代目当主、キエザ伯爵家八代目当主、クレリチ子爵家九代目当主、トラヴァッリョ侯爵家十六代目当主、歴史を振り返りましても、女性の当主は多く存在します…………四代目メリカント家当主も、女性です」

「今の時代にはいないだろう。次代の後継者と言われる者も皆男子だ。大体お前は、後継者教育を受けていないだろう」

言われて、ベルナルデッタは殊更笑顔になり、メリカント侯爵はそれにギクリとした。

幼い頃にこの部屋に出入りをしていた娘との会話が脳裏をよぎったからだ。

「私も、そこが気がかりではあったのですが、今そちらの資料を見て安心いたしました。

そ(・) の(・) 程(・) 度(・) な(・) ら(・) 、私の自主学習で問題ありません」

「私は……認めんぞ」

「お父様もご健勝でいらっしゃいますから、まだまだ後継者を指名するのは先の話ですよね。時間は、十分ございますわ」

いつからか、いつも俯きがちで謝ってばかりだった娘が、まっすぐに自分の目を見て威厳すら感じる笑みを浮かべるのに、メリカント侯爵は応える事が出来なかった。

部屋から出ると、弟がいた。

「聞き耳を立てていたの?」

「違います、僕が父上に呼ばれて教えを請う日です」

言外に、お前の方が邪魔ものだと含ませる物言いには腹も立たない。

「サウリ、ピナルディ地方はどうでした?」

「え?」

「行ったのでしょう? 先日お父様に付いて。その前にお父様から教わった上で」

ここ数日で急に雰囲気の変わった姉に、サウリは脳内の記憶を呼び起こして答える。

「み、緑豊かな場所でしたよ。名産の小麦も順調に育ってましたし……」

「冷害対策は?」

「冷害?」

「近年冷夏が続いて、小麦の収穫量が落ちているでしょう? 過去の記録から見てもこの冷夏はまだ数年続くでしょうから、その対策に貴方は何をすべきだと思う?」

「え?え?」

小麦の収穫量が落ちているのなんて知らない。あの地方の名産、暮らしぶりを見て学ぶために行ったのだ。冷害対策?何の話だ。

戸惑う弟を見て、ベルナルデッタは目を細めて小首を傾げた。

「そんな事も、分からないの?」

⁂⁂⁂⁂⁂

卒業パーティの日、ベルナルデッタはリュシアンのエスコートを受けた。

「似合っていますよ、ベルナルデッタ嬢」

「こんなにしてもらって……申し訳ごさいません」

「それはもう言いっこ無しですよ」

ベルナルデッタは、リュシアンのプロポーズを受けなかった。

それでもリュシアンはベルナルデッタにドレスを送り、卒業パーティに一緒に出たいと言ってくれた。

前髪の片方を下ろし、銀の髪を深い青の弧を描いた髪飾りで纏めたベルナルデッタのドレスは光沢のある紺色で、胸に付けたブローチはリュシアンの瞳と同じヘーゼル色のブラウンダイヤモンドだ。

「何となくね、こうなる気はしていたんですよ」

そう言って苦笑したリュシアンはチラリと、本日の主役ともいえるエーリクとセラフィーナに視線をやる。

ふとこちらを向いたセラフィーナに微笑まれた気がした。

今日もセラフィーナは誰よりも美しく気高い。

彼女が愛するこの国を、ベルナルデッタも一生守るのだ。

「卒業後は官吏として王宮へ勤めると聞きました」

「はい、外交の仕事に興味があるので、いずれリュシアン様のお国にも行けるかもしれません」

プロポーズは断ったが、リュシアンはベルナルデッタの貴重な友人には変わりない。

また交流できたらと思うが、それは彼次第だ。振っておいてお友達にとは言えない。

「そうしたらぜひ、私がベルナルデッタ嬢を案内したいですね」

だから好意的な返答に、少し面食らった。

「よろしいのですか?」

気を遣わせてしまってるのでは、と問うとリュシアンはあの穏やかな笑みで答えた。

「ええ、私は諦めが悪いので」

新しい王と王妃が誕生した頃、外交官として数々の条約を結んだ才女が近年では稀な女侯爵となり、そして初の女性宰相となった。

彼女の傍らには、隣国の公爵家から婿入りをした夫が常にあり、夫婦で国を支えたという。