軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第10話 闇ヒーラー抗争をおさめる

日の曜日の正午前。

決戦の舞台となるのは、貧民街の外れにある闘技場跡。

かつてはここで公然と貧民同士を殺し合わせる余興が行われていたという。

隣国のマラヴァール帝国が力をつけ、国境警備に亜人の男達が駆り出されるようになって、その風習は廃れていき、今や苔や蔦におおわれたコロセウムは、静かに過ぎ去りし歴史を伝えるだけだった。

そんな闘技場が、この日、かつての熱狂すら超える賑わいをみせている。

三方に位置するのは、貧民街を支配する亜人の三大勢力。

頑強な鱗を陽光に煌めかせるリザードマン。

毛を逆立て獰猛に唸るワーウルフ。

屈強な肉体を躍動させるオーク。

互いが互いを睨み合い、激しい殺気を飛ばし合っている。

「わざわざ殺されによく来たねぇ。今日こそは誰が一番上かはっきりさせてやるよ」

リザードマンの先頭。黒髪を風になびかせた疾風のゾフィアが声を張り上げた。

「冗談きつい。私が今までどれだけ甘くしてやっていたかお前達は思い知るだろう」

ワーウルフの最前衛で、暴君のリンガが遠吠えを響かせる。

「オークの本気に勝てるとでも思っているのか。今日がおぬしらの命日だ」

数多のオークを従えた、剛腕のレーヴェが腕を組んで高らかに宣言する。

大気がびりびりと振動し、一触即発の気配を帯びる。

そして、正午を知らせる鐘が鳴り響いた。

瞬間、三つの勢力は同時に駆け出し――

「ちょっと待ったぁぁぁっ!」

先頭集団がぶつかる直前、空気を割るように、男の声が鳴り響いた。

闘技場の観覧席。逆光の中に立っているのは、黒い外套をまとった黒髪の男。

そばには小柄なエルフの少女が付き添っている。

「……先生」

「ゼノス殿っ」

「ゼノスか」

三人の女首領が、顔を上げて言った。

しかし、彼女達は完全に歩みを止めることはなかった。

「まさか戦いを止めに来たのかい。先生のことは敬愛しているけれど、もう止まらないよ」

「そうだ。ゼノス殿のことは慕っているが、こればっかりは無理」

「ああ。おぬしの言うことはなんでも聞くつもりだが、これだけは許してくれ」

「ゼノス、どうしよう。ゼノスが言っても止まらないよ」

おろおろと不安げなリリを横目に、ゼノスは三人にきっぱり言った。

「ああ、わかってる。俺は別に戦いを止めに来たわけじゃない」

「え?」

「俺だって、伊達に貧民街で育ったわけじゃない。お前達が簡単に引けないのはわかっているさ」

そもそもリザードマンとワーウルフとオークは、長いあいだ貧民街の覇権を争ってきた。

それは絶え間ない衝突の歴史であり、積もり積もった怨嗟の記憶でもある。

あいつが殴った。あいつが蹴った。あいつが撃った。あいつが殺した。

三つの民族の間には、言葉にできないほどの、複雑で絡み合った想いがある。

ゼノスを巡る女の対立は表面的なきっかけに過ぎず、底には種族同士の堆積した怨恨の歴史が横たわっている。三者の間にはいつでも暴発しうる張り詰めた空気が常に漂っているのだ。

「そんな状況に異種族の俺が口出しする権利があるわけがない。俺は一介の闇ヒーラーにすぎないからな」

「ゼノス、でもっ」

リリは戸惑っているが、ゼノスはさらに畳みかけた。

「だから、存分にやれ。気が済むまでな。俺はそれを言いに来た」

「ええっ……」

絶句するリリとは反対に、三人の女首領は、互いに殺気を含んだ視線を絡み合わせた。

「先生のお墨付きが出たね。徹底的にやろうじゃないか。生き残った一人が先生を手に入れるってのはどうだい」

「乗った。もうリンガが勝ったようなものだ」

「ゼノスの貞操を頂くのは、我だぞ」

「ゼノス、それ本当……?」

「いや、さすがにそんな約束はしてないからな?」

ゼノスがリリに必死の弁明をした瞬間――

うおおおおおおおおおおっ!!!!

三つの勢力が、闘技場の中央で衝突した。

肉と肉がぶつかる生々しい音が轟き、巨体が跳ね飛んだ。

叫び声。唸り声。断末魔の悲鳴が交錯し、血しぶきが舞う。

互いに対する積年の恨みが、膨大なエネルギーのうねりとなって、コロセウムに吹き荒れた。

止まらない。

止められなかった。

渦巻く悔恨と、あまりに凄惨な光景に、リリは思わず目を覆い隠す。

だが――

だが、しかし――

終わらない。

終わらないのだ、戦いが。

数刻が経過しても、戦闘は全く終わる気配を見せなかった。

形勢は三者互角のまま、勝者も敗者も決まらぬままに、時間だけが過ぎ去っていく。

中天の太陽はいつしか西に傾き、空は焼けるような赤味を帯びていた。

鈍い疲労だけが体に蓄積し、混戦模様の戦いは次第に停滞してくる。

「なっ、なんでだ。全然、倒せねえ」

「くそっ、殴っても、殴っても起き上がってきやがる」

「三十人以上は叩き斬ったはずなのに、なんでだよっ」

「そもそも、これだけやって、なんで敵が減ってねえんだよ」

「というか――」

「傷が……いつの間にか、治っている?」

その瞬間。

闘技場の全視線が、観覧席で仁王立ちになっている男に向けられた。

「……言っただろ。俺は戦いを止める気はない。勝手にやれ。俺には関係ない話だ」

ゼノスは腕を組んだまま、続けて言い放った。

「だけど、お前らは俺の患者でもある。だから、怪我をしたら勝手に治すぞ。なんせ俺は闇ヒーラーだからな」

言葉が、消えた。

音が、消えた。

熱気が、消えた。

闘技場は、まるで時が止まったような静寂に包まれた。

「……なるほどねぇ。無我夢中すぎて今頃気づいた自分の馬鹿さにあきれるねぇ。先生はずっと先生の仕事を果たしていたってことかい」

疾風のゾフィアは、ぺたんとその場に座りこんで肩を揺らした。

「だけど、こんな長い時間この人数を同時に治癒し続けるなんて、聞いたことがない……」

暴君のリンガは呆然と呟いて、膝をつく。

「特定勢力に肩入れしないと言っていたが……まさか全員に肩入れするとはな。しかし、これでは、終わりがないではないか」

剛腕のレーヴェが肩で息をしながら言った。

「そう。終わりがないんだ。あいつが殴った。だから復讐する。こいつに蹴られた。だから復讐する。終わりなんてないんだよ。まだ続けるか? だったら、俺もとことん付き合うぞ。もちろん治療代はきっちりもらうがな」

「……」

「……」

「……」

長い沈黙の後、三人の女リーダーは、同時に大笑いする。

「はっ……あはははっ。確かにそうだね。終わりなんてないのに、私達はいったい何をやっていたんだろうね」

「……急に馬鹿らしくなってきた。こんなことやっていても疲れるだけだ」

「はっはっは。これだけ暴れたら、なんだか気が済んでしまったな」

全力で殴った。思い切り殴られた。

腹の底から吠えた。気の済むまで叫んだ。

怒りも、恨みも、憎しみも、体の奥底に沈殿していた膿んだ熱は全て出し尽くしてしまった。

闘技場を覆い尽くしていた殺気は、いつしか綺麗に消え去っていた。

三人の女首領は、浅く溜め息をついて、夕焼け空を仰いだ。

「……仕方ない。先生もああ言ってるし、今日は店終いだね」

「ワーウルフは、異論はない」

「許しも強さ。古いオークの言葉だ」

全てを出し切った各種族の配下達も、互いに互いの健闘を称え始めた。

三人の女達は、目を合わせて口元を緩めた。

「これであたし達が今後争う理由は一つだけだねぇ」

「それはリンガが一歩リードしている」

「その戦いだけは負けられないな」

「あいつら、何を言ってるんだ……?」

「むぅ。ゼノス、やっぱりもてる」

リリがなぜかぷぅと頬を膨らませる。

「でも、ゼノスはどうして、こんなこと?」

「ああ、貧民街にいた頃に出会った治癒師が言ってたんだよ。治癒師は、怪我を治して三流、人を癒して二流、世を正してこそ一流だって」

「その人、すごい」

「まあ、すごい人だったな。だから、俺も三流なりに貧民街を少しでもいい方向にできたらと思ってな」

「ゼノス、格好いい……!」

「というのは建前だ」

「建前なの?」

「なんせ、あいつらは日の目を見ない治療院の上客だからな。こんなしょうもないことで失ってたまるか」

「……嘘つき」

リリは小さな声で言った。

だって、三つの種族が仲良くなってしまったら、小競り合いによる怪我人がいなくなって、収入だって減るのだ。

それがわかっていないはずがないのに。

リリはゼノスの袖をぎゅっと掴んだ。

「ねぇ、ゼノス」

「なんだ?」

「リリはね、ゼノスが大好き」

「ん? 俺もリリが好きだよ」

「むぅ……。リリの好きはそういう好きじゃない」

「じゃあ、どういう好きなんだ?」

「な、なんでもないっ」

ゼノスはその場で踵を返した。

「じゃあ、金もらって帰るか、リリ」

「お金はもらうんだ」

「当然だ。これだけの人数治癒し続けるの大変なんだぞ。もらうものはきっちりもらう」

「ふふ、カーミラさん誰も死ななくて悲しむかな」

「そうかもな。いい気味だ」

「……でも、多分喜ぶよ。えへへ」

こうして、一介の闇ヒーラーは、連綿と続いた貧民街の対立を終わらせてしまった。

そして、この出来事は追放治癒師であるゼノスの未来をもまた、大きく変えていくのだった。