作品タイトル不明
089_永禄八年(1565年) 若狭の守護
人情には厚いがどこまでも自分本位、客観性に欠ける激情家。政には疎く先の見通しも甘いが、戦の才には恵まれているため土壇場でも存外何とか出来てしまう場当たり屋。
そんな粗雑な性格でありながらその身に流れる名家の血がそうさせるのか、風流の才もあり、それら半端な才のせいで己の器を見誤る自信家。
大名と言うよりはどこぞの家臣にでもなった方が余程大成したであろう人物。
それが武藤 友益(ともます) から見た、武田 義統(よしのり) という男の人物評だった。
友益は若狭武田家に古くから仕える譜代家臣武藤家の当主であり、若狭武田家においては四老と呼ばれる重臣の一人だ。
しかし、そんな友益から見ても武田義統は戦国の世で家を率いるには役者不足というのが本音であった。
何せ武田四老という肩書こそ大層なものだが、残る三名は先日国吉城にて反旗を翻した 粟屋(あわや) 勝久、義統の従兄弟でありながら朝倉を頼って武田から独立した内藤重政、そして今まさに悩みの種となっている親三好の 逸見(へんみ) 昌経(まさつね) と散々な有様だ。
この他にも熊谷や白井、松宮と言った主だった家臣たちからも殆ど見限られており、今や風前の灯。友益自身、そろそろ身の振り方を考えなければならないと腹の内で思案している始末だった。
若狭を治め続けた守護、武田家がなぜここまで凋落したのか。その原因は先代当主の武田信豊が三好長慶に大敗したことに端を発する。
戦下手の先代は将軍家と婚姻関係にあったことから、将軍の招集に応じて三好討伐の兵を挙げた。
しかし結果は大敗。この敗北で三好長慶の覇権を決定付け、若狭武田は家臣重臣が悉くに討ち取られるに至ったのだ。
その結果国衆の心は一気に離れ、見るに見かねた義統が信豊を追放、当主の座へと座ったわけだが……これがまずかった。
信豊と義統の家督争いで逸見家は信豊を支持し、信豊が追放されると共に三好へ接近。三好の支援を受けた逸見昌経は若狭へ返り咲くため侵攻を仕掛けてきたのである。
重臣を悉く失い、お家騒動で二つに割れた若狭武田に、もはや三好に抗する力は無い。そこで義統は親戚筋を頼って、越前の守護である朝倉家に救援を求めた。
朝倉家当主の朝倉義景はその母が若狭武田家の出身である。名家の繋がりを辿り、朝倉を頼ることで三好に抗する戦力を得た義統だったが……その朝倉介入に待ったをかけたのが 件(くだん) の粟屋勝久である。
朝倉に助力を求めたところで、今度は朝倉を無視できなくなる。仮に逸見や三好を若狭から排除することが出来たとしても、今後は朝倉の影響を受け続けることになるのは明白。
粟屋勝久は若狭武田家の忠臣ゆえに、朝倉に与することを嫌ったのである。
しかしこうなってくるともはや後はなし崩し。あちらの家臣は三好に近付き、こちらの国衆は朝倉に与し、かと思えば三好と粟屋が接近して逸見と共に動き出し、気付けば家臣の中からも勝手に独立する者まで現れて。
もはや若狭守護の肩書きは形だけで、若狭の地は元武田被官たちが各々に割拠する群雄割拠の地となっていたのだった。
元を辿ればこれも全て、その人情の厚さ故に国衆の訴えを聞き入れ父を追放し、激情家故に敵に回った相手を徹底的に排除し、先行きを見通せないが故に朝倉を引き入れた武田義統という男の失策が原因だ。
そんな、若狭武田をぼろぼろに引き裂いた男、義統から、友益へ突然の招集がかかったのはつい先月のこと。その内容は「近江の浅井と手を結ぶ」というこれまた突拍子の無い提案だった。
今年に入って早々に三好の援助を受けた逸見昌経が、若狭の西、丹波や丹後との国境にある高浜の地に再び攻め寄せた。
それはあっという間の攻勢だったと知らされ、碌な反撃も出来ずに城を奪われる有様だった。
そのうえ逸見昌経は今、高浜の地に城まで築き始めているという。義統の思惑としてはこれを何とかして排除したいということなのだろう。
しかし頼みの綱の朝倉は、昨年に起きた一門衆同士の争いの余波で当面ろくに動けない。そこで白羽の矢が立ったのが、昨年朝倉の先鋒として粟屋勝久を退けた近江の浅井という訳だった。
浅井に助けを求める旨を一度朝倉に打診した方が良いのではないかだとか、そもそもただの成り上がりの浅井を頼りにして良いのかだとか、言いたいことは色々あった。
だが、それで変に義統の激昂を買ってもかなわない。友益はその申し出に静かに頭を下げることにした。
そんなわけで六月に入り早々、義統のお付きとして近江と若狭の国境にある 寶泉寺(ほうせんじ) へ、浅井家当主浅井長政との会談のためやって来たわけなのだが……
「遅いのう、浅井とやらは」
寶泉寺(ほうせんじ) についてまだ一刻余りだというのに、もう痺れを切らしたのか義統は扇を片手にそんなことを口走った。
「さようにございますな」
後瀬山城から半日でたどり着けるこちらと違い、浅井は淡海をぐるりと回ってくるのだから遅いのは当たり前だろうだとか、痺れを切らすのが早すぎるだとか、色々と思うところもあった。
だが、余計な不興を買うのも面倒だったため、友益はなあなあにして受け流すことにした。
寺の一室にどかっと腰おろしたまま、烏帽子姿で忙しく扇を動かす義統は、ここのところ顔色が優れない。
今も目の下に隈を濃くして、尋常ではない量の汗をかき、僧が持ってきた白湯をごくごくと飲み下して喉の渇きを潤している。
かつては快活としていたその表情にも陰りが見え、友益の目には余命が近いようにも見えた。
恐らくは近年のお家騒動や家臣らの造反、そして失政による賊の増加などで心労が祟り、義統の体を蝕んでいるのだろう。
しかし、友益からすればそれはそれで好都合だった。義統の嫡男である武田 元明(もとあき) は未だ十三。他の四老が造反した今、義統の身に何かあれば後見となるのは恐らく自分。そうなれば若狭武田の差配も好きに出来るだろうからだ。
その後の身の振り方はゆるりと考えればいい。三好は長慶亡き今、落ち目を迎えている。ならば朝倉に与するのが妥当だろう。
まずはそれまで義統の不興を買うことなく、かと言って若狭武田が衰退しすぎることもなく。手頃なところで家督を相続してもらわなくてはならない。
「浅井 何某(なにがし) とかいう成り上がりを随分と朝倉は信用しているようだが……友益。何か知らぬか」
不意に声を駆けられ、友益は言葉に詰まる。浅井長政の噂は若狭まで届いてはいるが、そのどれも眉唾なものばかり。中には三好の兵六千を前にたった一人で躍り出たというものまである始末だ。
流石にそれは誇張だろうが、しかし将軍家への忠節は確かなのだろう。今回の義統の助力要請に応じたのも、隣国である若狭から三好の勢力を完全に排除するためだと考えれば辻褄が合う。
浅井という男は同じ成り上がりにも関わらず、随分と三好を嫌っているらしい。
「武勇にも智謀にも優れ、政にも精通していると聞きますが、その一方で戦場に女を連れ歩くうつけであるとか」
聞いた話をそのまま話してやると、義統は愉快気に鼻を鳴らした。
「無類の女好きらしいな浅井何某とやらは。結構なことだ」
「姫でも嫁がせ誑し込めば、或いは北近江も手にできましょうな」
「いや、近江は元来六角が守護。京極は後から舞い戻ったに過ぎん。縁が絶えて久しいとは言え、我が祖母は六角の出じゃ。近江に手を伸ばすは礼に失する」
「さようにございますか。失礼いたしました」
律儀にそう言う義統に頭を下げる。だが、例え浅井を抱き込んだとしても、義統に近江を手にするだけの器があるとは到底思えない。或いは浅井に呑み込まれるのは――
「浅井殿が参ったようにございます」
――その時、部屋の外に使いの者が現れた。どうやら浅井の兵が見えたらしい。使いに軽く返事すると、今度は義統が唐突に立ち上がった。
「友益、共に参れ。山に登り、浅井の兵を見に行くぞ」
「浅井の兵を……でございますか?」
「頼りにするに相応しいか見極める。期待外れであれば、いっそこのまま討ち取ってくれようぞ」
何を言っているのだ、とため息が漏れそうになる。できもしない大言壮語を並べるのはいつものことだが、助けてもらう立場で相手を見定めるとは。
やはり次は朝倉だな。そんなことを打算しながら、友益は「承知いたしました」と答えたのだった。
◆――
寶泉寺(ほうせんじ) は高く緑の深い山間の、細い道傍に立つ寺だった。そのため少し道を外れればすぐに山へとたどり着き、そこから少し登れば近江への道を一望できる。
「あれか……」
山の中でも少しひらけた場所に立ち、義統は眼下に浅井兵を捕らえた。まだ遠目にだが、数列に並び粛々と行軍する浅井兵の姿が見える。
漆塗りの槍が無数に立ち並び、中には鉄砲を携えた兵すら伺える。その堂々たる行軍は、まるで官軍を彷彿とさせる。
もしあれと一戦交えるとして、果たして勝てるだろうか。考えただけで友益は肝の冷える思いがした。
「……浅井の兵は思っていたより……強兵揃いのようですな……」
絞り出すように友益は言葉を紡いだが、しかし義統はじっと浅井を睨んだまま微動だにしない。
そうしてようやく義統が口を開いたのは、まさかまだ浅井を討つなどと戯けたことを考えているのではないだろうな、と少しばかり不安になった頃だった。
「友益」
いつになく低い声音で真剣な口調の義統は、相変わらず視線を浅井から外すことなくそう呟いた。
「ははっ」
それから少し間があって、やがて意を決したように。
「いずれ我が武田は、浅井の軍門に降ることになるやもしれぬ」
確かにそう、続けたのだった。
「……は……?」
あまりに突拍子の無いことに、友益の口からそんな音がこぼれ落ちる。
正気を疑い義統の表情を伺うも、その顔は真剣そのもの。とても冗談を言っているようには見受けられない。
だというのに、武田が浅井に降るとは随分と唐突な考えだ。
或いは義統の数少ない才の一つ、戦上手の才がそう告げているのだろうか。
「すぐに戻るぞ。浅井殿を待たせるわけにはゆかぬ」
「は、ははっ……!」
ついには浅井何某と呼んでいた相手に殿、まで付けて、義統は足早に寺へと戻っていった。彼の顔色がどこか青白く見えたのは、体調不良のせいだけではないのだろう。
一体浅井の何にそこまで感銘を受けたのだろうか。友益にはわからない何かを感じ取ったのか。それともただの気まぐれか。
困惑しながらも、浅井の掲げる三盛亀甲の旗に何か言いしれぬ不気味さを感じて、友益は義統の後を追うのだった。