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作品タイトル不明

062_永禄七年(1564年) 刈谷尾城城代

また新たな一年が小谷へ訪れ、あっという間に春がやってきた。

一昨年、そして昨年と続いた 畠山(はたけやま) ・ 六角(ろっかく) 連合軍と 三好(みよし) の戦いは 三好(みよし) の勝利に終わった。

しかしその戦いの代償は大きく、三好家当主の三好長慶は実弟を打ち取られるなど痛手を負って動きが完全に鈍っていた。

また一方で三好に敗北した 畠山(はたけやま) 家は完全に近畿での勢いを失い、 紀伊(きい) 国まで勢力が後退。

三好と和睦したことで最小限の被害で済んだ六角家も昨年の 観音寺(かんのんじ) 騒動によって家臣の統率がとれておらず、近畿における三大勢力は三者三様の理由で完全に沈黙。

衰退の先で辛うじて均衡が保たれているような現状では、何か一つでも崩れれば全てが崩れる。そんな危うさを孕んだまま、近畿の情勢は北近江の隆盛とは打って変わって悪化の一途を辿っていた。

そんな緊張の中、 美濃(みの) の 臥竜(がりょう) がついに動く。

竹中(たけなか) 半兵衛(はんべえ) による 稲葉山(いなばやま) 城乗っ取り。

今孔明の名が天下に轟く歴史的事件がついに起きたのだ。

長政に惨敗し、その名声が地まで落ちた斎藤家当主、 斎藤(さいとう) 龍興(たつおき) は、家臣重臣の心をつなぐためか、或いは自身のためなのか。近頃は毎晩のように宴会を続けていた。

また周りには 日根野(ひねの) 弘就(ひろなり) を始めとした 佞臣(ねいしん) ばかりを置き、竹中半兵衛や西美濃三人衆を始めとした先代からの重臣らは中央政治から遠ざけ、更には女のような見た目の半兵衛を馬鹿にしていたという。

そんな状況に対する不満がついに噴出し、竹中半兵衛は稲葉山城の乗っ取りを決行。

病気の弟の見舞いと言う名目で僅かな手勢と共に稲葉山城へ侵入し、他の荷物に紛れて持ち込んだ武具を城内で武装。

佞臣(ねいしん) や駆け付けた兵を次々切り殺し、夜間の僅か数刻の間に乗っ取りを成功させたのである。

そして当主の斎藤龍興はこの事態に驚き、着の身着のまま落ち延びたという。

当然この情報を織田信長も手に入れ、すぐさま竹中半兵衛へ接触。美濃半国と引き換えに稲葉山城の明け渡しを要求したが、これを半兵衛は拒否。

一説にはこの時、他国の者に稲葉山城を与えて所領を受け取るのは本意ではないとし、あくまでも主君の斎藤龍興を戒めるための行為だったために断ったと伝わっているが、遠藤直経の手勢が調べたところどうやら様子が違う。

なぜなら乗っ取り後にはかつての斎藤道三がそうしたように、美濃の国衆の支持を取り付けるためあちこちに書状を飛ばし、内政に奔走しているというのだ。

もし本当に戒めのためだけに城を乗っ取り、後日に斎藤龍興へ城を明け渡すつもりなら、そのような事をする必要がない。となれば考えられる理由はただ一つ。

これを長政は、竹中半兵衛が天下への野心をむき出しにしたと考えた。

斎藤道三の父と、そして斎藤道三がそうしたように。美濃国を乗っ取ろうとしたのではないか、と。

それならば信長に破格の条件を出されてもなびかないのは当然だ。半兵衛が欲しいのは美濃半国ではなく、国主としての立場なのだから。

史実では結局、美濃の国衆の反発や織田からの圧力もあって半年後に城を明け渡し、半兵衛本人は美濃を出奔している。

しかし、それが今回も同様だとは限らない。

既に長政の介入によって史実から外れ始めている今の時間軸では、美濃を足掛かりに近江、そして情勢が不安定化している近畿への進出を狙ってくるかもしれない。

あの竹中半兵衛が織田信長に背後を晒すような真似をするとは思えないが、あり得る以上は備えなければならないのが戦国だ。

幸い、美濃と北近江の境には、かねてから侵攻への備えとして築城を続けていた 刈安尾(かりやすお) 城がある。

特に防衛に特化させるため、鉄砲運用を前提に築かれている刈安尾城であれば、鉄砲と火薬さえあれば少数の手勢でもしばらく戦える。

ここを竹中半兵衛への備えとして背後を守らせる事で、その間に西近江征伐を行おうと長政は考えた。

史実でもこの刈安尾城は対斎藤、そして対織田との戦いで防衛の要となるはずだった。

しかし実際は、 鎌刃(かまは) 城、そして 刈安尾(かりやすお) 城を任せられていた 堀(ほり) 氏が竹中半兵衛の調略によって織田方へ瞬く間に寝返ったため、防衛拠点としての機能を果たす事なく突破された過去がある。

ならば当然、今回は刈安尾城を堀氏に任せるわけにはいかない。

幸い、斎藤家、そして六角家との戦いで連勝を続ける今の長政の影響力があれば、堀氏の影響を排除しながら自身の選んだ 城代(じょうだい) に刈安尾城を任せる事もできるだろう。

ともすれば問題は、その城を一体誰に任せるのかだが――

「お呼びに預かり参上致しました」

「来たか。待っておったぞ」

浅井 政澄(まさずみ) 、そして遠藤 直経(なおつね) といったいつもの面々が揃う小谷城の評定の間に現れたのは、武将には似つかわしくないほど柔和な顔立ちをした男。

薄いヒゲや丸みを帯びた体つきからどこか朗らかな雰囲気を纏って見えるが、これでも立派な浅井家の家臣の一人である。

評定の間の中心で長政の腹心らの視線を一身に受けながら頭を下げるその男は、なぜ自身が呼ばれたのかわからない様子で顔を上げるなり口を開いた。

「して、それがしに話とは……?」

「うむ。実はな片桐殿。そなたに 刈安尾(かりやすお) 城を任せたいのだ」

彼の名は 片桐(かたぎり) 直貞(なおさだ) 。刈安尾城代の白羽の矢が立った男だ。

彼は長政が温泉に入るため時折訪れる 須賀谷(すがたに) の地を治める 片桐(かたぎり) 家、その現当主である。

その長政の言葉を聞いた途端、片桐直貞の表情が一変する。

「それがしに城を!?」

「左様。斎藤との戦いで重要な防衛拠点となる刈安尾を任せたいと殿は仰せだ」

驚く直貞へ、浅井 政澄(まさずみ) がそう告げると尚の事訳が分からないと言った様子の直貞は声を上げた。

「な、何故それがしに!? 一体何が何やら……」

刈安尾城と言えば、築かれたばかりとはいえ美濃からの侵攻を食い止める重要拠点の一つだ。

任せられるのは浅井家の譜代や長政の腹心と言った信頼できる者達が妥当だろう。

史実でこの刈安尾城を任された 堀(ほり) 氏も、元は 朝妻(あさづま) を治める新庄家の分家と言われており、東近江での影響力は強かった。

その上長政の祖父、浅井 亮政(すけまさ) の代から浅井に仕える譜代の家臣だったとなれば、刈安尾を任されたのも納得がいく。

一方の片桐家は、小谷山に連なる須賀谷を治めているとは言え元は京極家の家臣であり、浅井に仕えてからの歴史はそれほど長くない。

また主立った手柄を挙げたわけでもなく、彼自身の名も歴史の闇の中に埋もれてしまっている。

そのため一見すると彼に刈安尾城を任せる理由はないように思えるのだが、それでも長政がわざわざ彼を指名したのは、当然彼にまつわる史実の逸話による。

「片桐殿のような忠義の将が治めていてくれるからこそ、私も裸で湯に浸かる事ができる……感謝してもしきれぬ」

「大袈裟な。しかし嬉しいお言葉にございます」

それはそれは嬉しそうに彼は頬を緩める。

彼は長政の言葉をお世辞と受け取ったようだったが、彼の事を信頼しているのは本当の事だった。

片桐(かたぎり) 直貞(なおさだ) 。彼自身の名は歴史の闇の中へ埋もれてしまい、何を行った人物なのかは殆ど記されていない。

しかし、彼の子に当たる人物の名はしっかりと歴史に刻まれている。

子の名を、 片桐(かたぎり) 且元(かつもと) 。

知る人ぞ知る 賤ケ岳(しずがたけ) 七本槍(しちほんやり) 、秀吉子飼いの 加藤(かとう) 清正(きよまさ) や 福島(ふくしま) 正則(まさのり) ら豊臣恩顧の将が名を連ねる名将の一人である。

片桐 且元(かつもと) はどちらかと言えば内政や外交向きの才を持っていたため、表で戦うと言うよりは裏で政権を支える側の役目を追っていたが、しかし豊臣政権の重要な一柱であった事は間違いない。

実は彼のように豊臣政権の中核を担った人物の多くは近江の生まれであり、元々浅井家に仕えていた者も少なくない。

片桐 且元(かつもと) もそんな元浅井家臣の一人だったのである。

そんな片桐 且元(かつもと) の父である 片桐(かたぎり) 直貞(なおさだ) は、史実で長政本人から 感状(かんじょう) を受け取っている。

織田との戦いの終盤、家臣重臣のみならず血縁者にすら裏切られて、長政は最期に自刃した。

そんな中でもこの片桐直貞は、最後まで浅井家に仕え続け、その忠心に痛く感謝した長政はそれを感状として片桐直貞に渡したというのだ。

その感状のお蔭で秀吉に仕える際、その忠臣ぶりを評価された片桐家は、秀吉に親子二代で重用されるに至り、豊臣政権の中枢に名を連ねたと言う訳である。

そんな逸話を持つ彼を、長政は信じてみたくなったのだった。

親子二代に渡り浅井家の血縁を支え続けた彼であれば、きっと 刈安尾(かりやすお) 城を任せられるだろうと言う判断だ。

むしろこれだけの忠義者に裏切られるならば、その際敵に居るであろう竹中半兵衛の手腕を褒めるべきだ。

――とは言えそれはあくまで史実での話。この時代ではまだ浅井は滅亡の憂き目にあってすらいない。

そのためそんな話をしたところで誰も理解できるわけもなく、また遠藤直経や浅井政澄なんかはまたか、と言うような顔をしているが、その他の者達はなぜ片桐直貞を長政が信用しているのかがわからないだろう。

困惑する 片桐(かたぎり) 直貞(なおさだ) へ、すかさず浅井政澄が言葉を挟む。

「殿は……そう、須賀谷の豊かさをその目で見て、片桐殿であれば刈安尾もしっかりと治める事ができると、そうご判断なされたのだ」

生真面目な表情で政澄は言葉を続ける。

「織田と手を結んだ今、刈安尾城は斎藤への備えとしてだけでなく、織田との外交の要所にもなる。片桐殿であればその外交もうまくこなしてくれるだろうと。――そうでございますな、殿」

まるで初めから用意していたかのようにスラスラと理由を補足すると、長政はそれに一度頷くだけだが、それだけで充分なようだった。

「まさか、殿がそこまでそれがしの事を……! 承知つかまつり申した、それがしが必ずや斎藤や竹中の侵攻を刈安尾城にて抑えてみせましょうぞ!」

柔和な顔をきりりと引き締め、声高々とそう告げた片桐 直貞(なおさだ) 。

本来、自身の領地から離れた地の城を任せられるというのは、現代でいう出張のようなものなので余り好まれない傾向にあるのだが、片桐直貞には関係ないようだった。

もしかすると、彼より先に領地を離れて佐和山城を任された 磯野(いその) 員昌(かずまさ) が、今では長政の腹心として扱われている事も良い方に影響しているのかもしれない。

とにかく、これにより浅井領の南を佐和山城、横山城と合わせて三つの城で防衛する事ができるようになり、背後の守りは磐石となる。これで西近江への出兵もできると言うものだ。

そしてその数日後には長政が待ちわびた書状がついに届けられた。

――西近江国人、 田屋(たや) 氏、浅井方へ恭順。

「……来たか。皆に出立の支度をさせよ。――西近江を目指すぞ」

史実より何年も早まった浅井による西近江への出兵。それが何をもたらすのかは長政にはわからない。

ただ、今はそれが最善手だと信じて西近江の地を目指すのだった。