作品タイトル不明
012_永禄三年(1560年) 四木合戦2
そうして、十兵衛がいざ踏み込もうとしたまさにその時だった。
「……なんだ?」
六角兵たちの足が、ピタリと止まったのである。
「何を……している?」
まるで何かを探すように、辺りを見渡し始めた六角兵。
突然の事態に十兵衛や勝猛もつられて辺りに視線を巡らせるが、何をしているか全く理解ができなかった。
その時だった、どこからか、法螺貝の音が鳴り響いたのは。
「まさか……六角の援軍か?」
そう思い咄嗟に敵の様子を伺う十兵衛だったが、当の六角兵も心当たりがなさそうだ。
となれば――心当たりは、ひとつ。
そしてそのうち、誰かが叫んだ。
「あそこだ!」
見れば村の北東から、鎧兜を着込んだ足軽たちが続々と進軍してきている。一体どこの兵だ? その疑問はすぐさま答えに変わる。
彼らが掲げる旗印は三盛亀甲に花菱。その家紋が持つ意味を、この近江で知らぬ者など居はしない。
「まさか……! 浅井の兵だ!!」
十兵衛が気づき、声を上げた瞬間、形勢は一気に覆った。
「なんでこんなところに浅井が!?」
「と、とにかく逃げろ! 勝ち目がねえ!」
「落ち着け! ばらばらに逃げるんじゃねえ!」
先ほどまでの優勢な空気は吹き飛び、恐慌に陥り始める六角兵。更にそこへ、馬に跨った何者かが先陣を切るようにして現れた。
「浅井備前守長政見参! 六角の者共、手柄欲しくば我に挑め!」
突然戦場に響き渡ったその怒声は、敵味方問わず視線を引き付けた。
馬に跨るり槍を構えるのは、鎧を全身に着込んだ若武者、浅井長政まさにその人だ。
彼は数名の騎馬武者と共に瞬く間に村へ突撃すると、先ほどまで砦に取りついていた六角兵を次々討ち取っていく。
「みな、よくぞ耐えた! 今こそ反撃の時! 六角兵を全て討ち取るのだ!」
『オオーッ!』
唖然とする十兵衛らを他所に、長政が得意の大声でそう叫ぶ。すると騎馬兵は雄叫びを上げ、次々と六角兵に追いすがった。
更にダメ押しとばかりに直経率いる歩兵が到着し、逃げ遅れた六角兵を次々と捕らえて行く。
そして。
「えい、えい!」
『オオーッ!』
日が傾く頃には追撃を受けた六角兵は這う這うの体で逃げ出し、四木村での戦いは長政らの勝利で幕を閉じたのであった。
◆――
「新十郎殿が……浅井家の当主!?」
「無礼であるぞ勝猛! 頭を下げんか!!」
戦いの後、長政の正体を知り声を上げたのは勝猛だった。
しかしその彼の頭を、長政が連れてきた甲冑姿の将は無理やり地面に押しつけて、十兵衛や百姓たちがそうしているように地面に土下座させた。
そんな彼らの態度に長政は苦笑する。
「やめてくれ。私は浅井家当主である前に、ここでは新十郎というただの旅の者。頭を下げてもらうようなことは何もしていない」
「し、しかし……」
「私はただの新十郎として、そなたたちのために戦いたかったのだ。それでよいではないか」
長政の言い分に、その場に居た者たちは恐る恐るながら頭を上げた。
「ところで、彼らは?」
それからまず、十兵衛が問う。彼の視線は討ち取った六角兵を調べる援軍の者たちへ向けられていた。
元々はこの村から東、飯村に援軍を求めると言う話だったはず。だとすれば飯村の者なのだろうが……
「あぁ、あれは…… 秀淳(ひであつ) 殿」
「ははっ! お初にお目にかかる。それがし、浅井家家臣が一族、今井家に仕える島秀淳と申す」
戦慣れした、熟練の将と言った様子のその男は、島秀淳と名乗った。
浅井家の家臣の家臣――即ち 陪臣(ばいしん) に当たる人物だ。それならばこれだけの軍備を揃えられたのも当然と言える。
しかしそれ以上に気になったのは、島、という名前。十兵衛がまさかと勝猛へ視線を向けると、勝猛はばつの悪そうに視線を逸らして言った。
「……叔父にあたる人だ」
「なんと……」
どうやら彼はこの辺り一帯を治める今井家、その家臣の家に連なる一族のようだった。
このことを知った時、長政も彼が武術に精通している理由がわかって驚いたものだ。
「しかし驚いた。どこぞの旅の者が、あろうことか甥御の脇差を持ち込んで浅井様の名を騙るものでございますから、ならば白黒つけてやろうと我が主、今井様をお呼びすれば……あろうことかご本人だとは」
そんな中、秀淳が笑いながらそう言った。
彼の言う通り、飯村に辿り着いた長政は土地の有力者に浅井の名前を出してとにかく兵を出すように催促した。
しかしそれが裏目となって、長政の正体を検分するのに時間がかかってしまったのだ。
そしてとうとうこの辺り一帯を治める領主、今井家当主の今井 定清(さだきよ) が現れる程の大ごとになってしまったのだが、長政の顔を知る彼は長政を見るや否や慌てて頭を下げた。
そこから話はとんとん拍子で進み、兵を借り受けた長政はすぐさま四木へと転進してきたと言う訳だった。
「すまなかったな秀淳殿。突然のこと、迷惑をかけた」
「いやいや、この北近江から六角の脅威を払ってくださった浅井様の御用命とあらば、いつでも力をお貸しする所存にござる。それに、知らなかったとは言えこの村を守り切れなんだは我らの負い目。今後は我らが守り抜いてみせましょうぞ」
ドンと胸を叩く彼を心強く思い、長政は感謝した。
「して、そちらの御人は……」
そんな中、今度は秀淳が十兵衛を見て首を傾げた。
確かにこの中では唯一、身分がはっきりしない人物だ。そんな疑問を抱くのも仕方のない事だろう。
「ああ、こちらは十兵衛殿だ。旅の最中にこの村に寄られて――」
長政が説明しようとしたが、十兵衛がそれを制する。そして、彼は改めて自分の言葉で名乗ったのだった。
「改めて、それがしは明智十兵衛光秀と申します。遠く美濃の地にて斎藤家に仕えておりましたが、故合って今は流浪の身。斎藤家の間者と疑われるのを避けるため、無礼とは承知しておりましたが名を伏せておりました」
「何ッ!?」
思いがけない人物の名に、長政は思わず声を上げた。
明智十兵衛光秀。誰もが知る、あの『本能寺の変』を起こした張本人だ。
畿内全域を手中に治め、もはや敵無しと言われた信長を討ち、織田の天下を終わらせた――日本で最も有名な謀反人。
その明智光秀が、あろうことか目の前に居る。その事実に、長政は腰を抜かしそうなほどに驚いた。しかし他の者たちはと言えば、その様子におかしなものを見るような目をしていた。
当然だがこの頃、明智光秀の名はそこまで知られてはいない。
精々美濃の者たちに多少知られる程度の名前で、詳しくなければ美濃の出身だということすらわかりはしない。
長政が明智光秀の名前を聞いて、そんな風に反応する方がおかしいことだったのだ。
「……失礼ですが、どちらかで面識がありましたかな?」
十兵衛こと光秀もそんな長政の様子に首を傾げるが、気を取り直した長政は「いや、知人の名に似ていただけだ……気にしないでほしい」と苦しい言い訳をしてごまかした。
意外なところで意外な縁を持つ事になったが、これをただの偶然として終わらせるには余りに惜しい。
そこで長政は、四木村を立ち去ってから胸に燻っていた思いを二人に吐露する事にした。
「十兵衛殿、勝猛殿。実は、二人に話がある」
長政がそう告げれば、二人は不思議そうに顔を見合わせる。
「この村での出来事は、元を正せば我ら浅井が六角に反旗を翻したことに端を発する。そして今後、浅井が戦い続ける限り、同じような事が各地で起こるのだろう」
浅井が生き残るために今後勢力を拡大し続ければ、中には当然それを受け入れない敵が現れ、敵の領地との境には最前線が生まれる。
その度にきっと、四木村のように襲われ続ける村が現れる。
四木村のように、米を奪われ、虐げられ続ける弱者が生まれる。
「私はこの村を訪れて、そんな悲劇を終わらせたいと思った。そして、それを終わらせる唯一の方法は――乱世を終わらせる事だと考えている」
「乱世を――」
「――終わらせる?」
二人の疑問に長政は強く頷いた。
「この戦国はあまりに長く続きすぎた。戦いが飢えを呼び、その飢えが更なる戦いを呼んで、この村のように誰もが飢えていく。そんな時代は、もう終わりにしなければ――この戦国を、救わねばならぬ」
長政の思いを、二人は静かに聞く。
「しかし、今の私では……乱世を終わらせるどころか、この戦国を生き延びることすら難しいだろう。だから、二人に頼みがあるのだ。無理強いはしないが……浅井に仕え、私に力を貸してもらえないだろうか」
力を貸す。それ即ち仕官を意味する。
二人に対して長政は、浅井家の家臣になってくれないかと言っているのだ。
長政にとって、二人は親族とも家臣とも違う、短い間ながらも志を同じくして戦い抜いた同志だった。
そんな彼らとなら、家臣たちとは違う立場から長政を助け、時には諌めることができるだろう。
長政の真剣な眼差しに、迷いは感じられない。
彼が本気で自分たちを召し抱えようとしていることを理解し、まずは勝猛が口を開いた。
「お誘いは有り難く。しかしそれがしには仕える主人がおりますれば、義理を通さず主人を変えるのは武士の恥。それがしが主人への奉公を終えたその時、まだ浅井殿にそのつもりがあれば……その時こそ、喜んでお仕え致す」
あくまでも武士として、そんな堅苦しい言葉で長政の言葉に首を横へ振る。
そして十兵衛も。
「私も乱世を終わらせたいと言う思いは同じ。しかし未だ、己が理想の泰平は見えておりませぬ。如何にすればこの乱世が収まり、民が飢えずに暮らせるのか、それを知りたい」
遠くを見ながら、それでも力強く答えた。
「そのためにはまず、各国を渡り歩き、日本の今を知らねばならぬのです。それ故もうしばらく、旅がしたい」
せっかくのお誘いをかたじけない、と十兵衛は頭を下げる。
二人とも今はまだ、浅井に仕える気はなさそうだった。
「そうか……残念だな……」
家臣でも幼馴染でも無い、ある意味初めて友と呼べる二人に出会った長政だったが、二人と道が交わるのは今では無いらしかった。
この時代、携帯電話などと言うものも当然無いため、ここで別れればもしかするともう二度と会うことができないかもしれない。
そう思い、肩を落とす長政だったが、それを見かねたのか光秀が口を開いた。
「新十郎殿――いや、浅井殿。我々が今日、この日に知り合ったことは、決して偶然などではない。天下を憂う同志をこうして得られたこと、この明智十兵衛嬉しく思う」
そうして光秀は、何を思ったのか腰の刀を引き抜くなりその切先を天へと掲げた。
するとそれを見た勝猛も笑って声を上げる。
「然り! 我らは四木の村を守りぬいた同志! この中の誰かがもし助けを求めたならば、この島勝猛、必ずや助太刀致そう!」
そうして光秀がそうしたように、腰の刀を引き抜いた勝猛は、光秀の刀に交差するようにして己の刀を重ねる。
二本の刀が交差し、空に掲げられる。そして二人は、長政に含みを持たせた視線を向けた。
そんな二人の意図を察した長政は、少々恥ずかしく思いながらも同じように刀を抜いて、二人の刀に己の刀を重ねる。
それはまるで、三国志で伝え聞く桃園の誓いのようだった。
「……志同じくする同志を得たこと、嬉しく思う。戦う場所は違えども、この浅井備前守、乱世を終わらせるために死力を尽くす所存」
「それぞれの道が交わるときに、必ずまた会おう」
「ああ、必ず!」
「それまでこの乱世、生き延びて見せようぞ」
三人が重ねた三本の刀は、まるで彼らの想いを映し出すかのように。
山々の向こうに落ちる赤い夕日を反射して、いつまでも美しく、赤く輝き続けたのだった。