作品タイトル不明
孤児院へ行こう④
孤児院の中は予想通り……。いや、想像以上に大変な状況だった。
ヒビが入った壁。
雨染みのできた天井。
歩く度に 軋(きし) む床。
それに、よく分からない黒いカビ……。
「カミレ、そこは駄目かなぁ」
レフィトは、私の肩を優しい力でそっと半歩ほど左へと誘導してくれる。
「えっと……」
「そこ、床が腐ってるよぉ」
「あ、そうなんだ……」
たしかによく見ると他の部分より若干、色が濃い気がしなくもない。
「よくこんなところに住めてるよねぇ」
「ちょっ……、レフィト!?」
「早く何とかしないとだぁ」
さらりと言った他者の状況を想う言葉。
その言葉に、胸の中にじわりと温かいものが広がる。
「うん。そうだね」
少しでも早く、状況を改善しないと……。
それにしても──。
「孤児院の子たち、五人なんですね」
孤児院の食堂に集まったのは、よちよち歩きの赤ちゃんと、五歳くらいの双子くんたち、七歳くらいの男の子、それから中学生くらいの女の子だ。
「……七人いるって聞いてるけどぉ」
「一人の子は、新しい家族のもとへ行きました」
「もう一人は?」
「人見知りが激しくて部屋から出たがらないのです……。トゥーラン、もう一度、声かけてきてくれるかしら?」」
トゥーランと呼ばれた最年長の女の子は、一つ頷くと階段を上っていった。
「あの、新しい家族って……」
「子どもを養育してくださる方のことでございます」
なるほど。
それでこの人数なのか……。
「引き取り手って、誰でもなれるのぉ?」
「いえ。子どもの親族の方か、親族の紹介に限り……といった形にしております」
「まぁ、そのくらいしかできないよねぇ」
へらりとレフィトは笑う。
「で、 身請(みう) け金はいくらぁ?」
「身請け金!?」
「そりゃそうでしょぉ。迎えに来ました。はい、どうぞだなんてしたら、子どもを悪用されちゃうからねぇ」
レフィトは、こてんと可愛らしい仕草で首を傾げる。
口元は笑みを浮かべたままなのに、琥珀色の瞳の奥には闇が見える。
「ねぇ、カミレ。オレはカミレに綺麗なものだけを見ていてほしいんだぁ」
「──っ。なら、どうしてこの話をしたの?」
「んー。だって黙ってても、そのうちカミレは自分で気付いちゃうでしょ? カミレはさぁ、もっと知りたいと思う? 世界はカミレが思っているよりも残酷なことが 溢(あふ) れてるよぉ?」
へらりへらりと笑っている。
この顔を私に向けるのは、久しぶりだ。
「……レフィトは知らないでほしいの?」
「うん。そう言ったら、見ないでくれる? 気付かないふり、してくれる?」
……どうだろう。
目の前の不幸を知って、見て見ぬふりできるだろうか。
気づかなければ、放っておける。
関わらない人の不幸は、知らんぷりできる。
だけど、その人を知ってしまったら?
私は──。
「ね、無理でしょぉ?」
「そんなこと……」
ないかもしれない。
私は、放っておいたという罪悪感を抱きたくないからと、口を出すどころか、突っ込んでいくかもしれない。
けど、それは私だけの問題で済むのかな……。
「状況による……かな」
「状況?」
「レフィトや家族に迷惑をかけてまで、私は目の前の人を助けたいとは思わない。大切な人が最優先だから」
冷たいかもしれない。
でも、これが私の答えだ。
「オレと家族が優先? オレもカミレのお父さんとお母さんと同じ?」
「うん。レフィトは、家族と同じ。……婚約者でしょ?」
「そう……だね……。そうだよね……」
瞳の奥には、まだ闇が 燻(くすぶ) っている。
だけど、へにゃりと耳を赤く染めて笑う姿に、私の口角も上がっていく。
「無茶はしない。けど、できることがあるならしたい。それじゃ、駄目かな?」
「いいよ。見ないふりしたら、カミレじゃないもんねぇ」
そうかな?
時と場合によると思うけど。
「お節介みたいじゃん」
「そうだねぇ。でも、それで助けられた人はいるから。必要なんだぁ。手を差し伸べてくれる人が」
あぁ、そうかも。
私も、レフィトが、アザレアちゃんが、ネイエ様が……たくさんの人が手を差し伸べてくれた。
きっと今だって助けを求めれば……。ううん、求める前に力になってくれている。
「結局のところ、お互い様なんだよね」
「お互い様?」
「うん。私が手を差し伸べた誰かが、また別の誰かの助けになって、巡り巡って私を助けてくれる。そんなものなんだと思う」
レフィトは少し首を傾げて、考える様子を見せる。
「そうかなぁ……」
「そうだよ。レフィトだって、カガチさん、ゼンダ様、アン……、たくさんの人に助けられてると思うよ」
「…………うん」
だから、私も手の届く範囲で手を伸ばしたい。
それは 些細(ささい) なことだけど、巡り巡って、私の大切な人を助けてくれるかもしれないから。
あーぁ、本物のヒロインだったら、助けたい! って、純粋な気持ちで動くんだろうな。
でも、私はどこにでもいるOLの転生者で、ただの貧乏子爵令嬢。
悪役ヒロインだからポテンシャルは高いけど、何かをできるほどの力はない。
それが現実なのだ。
「……院長先生、身請け金ってもらってるんですか?」
もしそうなら、何に使ってるんだろう。
孤児院のためならいい。
でも、そうじゃないのなら……。
大丈夫だという気持ちと、もしかしたら……という気持ちが渦巻いて、院長先生の穏やかな表情の下にある感情がよく分からなかった。