軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

33 問答無用のお招き

さりとて狼を見慣れない人が、己と同じように不意に出会ったとして、即座に狼だと看破できるだろうか。

犬と比べ、前足は後方に位置しているだの、顎の筋肉が多いことから頬骨が高いゆえ、眼が吊り上がっているだの。頭から鼻にかけての頭骨ラインが滑らかだの。

相当狼に詳しい人でなければ、見分けはつくまい。

「……あれから、もう一年近く経つんだな……」

裏門越しに家と庭を眺めやった。

最初に見た殺風景だった庭が噓のような変わり具合だ。

元から新築同然で綺麗さを保ったままの家屋は、一年経った今も、寸分 違(たが) わない姿でそこにある。

色褪せた様子も、経年劣化した様子も、何もない。

それは、ここが神域ゆえなのか――。

ざっと強めの風が吹き、思考が中断された。

髪を巻き上げられ、山の木々たちも激しくその身をなぶられている。

二度、三度と吹きつけてくる風は、思わずよろめいてしまいそうなほど強く激しい。

「……今日の風はやけに強いな」

塀を囲うクスノキたちも樹冠の形が変わるほどだ。

このクスノキたちは、神霊の宿った神木ではない。通常の木だ。二階建ての屋根を超えるくらいの樹高で、神木クスノキより断然大きかったのだが、今では逆転している。

びゅおっとまた強風が吹いた。

砂塵交じりの風に、目を閉ざして顔を背けた。異様に風が強い。

ひとまず、表札はこのままでもいいだろう。新しく作り直してから交換すればいい。

いや、前回の物がひと月で交換せざるを得なかったから、今回のも寿命は短いかもしれない。ならば、このままでもいいか。

そう思い、風が弱まったのを見計らい、目を開ける。

目前の空間が歪んでいた。

裏門並みの大きさはある。そこへガクンと身体が引っ張られた。

恐るべき力だ。

渾身の力で抵抗するも、足が引きずられ、地面が線状に抉れていく。

虚空が波打つ。あと一歩でそこに取り込まれてしまう。

ぼやけるその向こう、美しい神の庭が見えている。のどかで平和な、慣れ親しんだ庭がすぐそこにある。

でも、目の前の空間に取り込まれたら、無理やり別の場所へと連れていかれてしまう。そう勘が告げていた。

土で汚れ、震える靴先が、境界を超えた。

同時、天から風の 刃(やいば) が振り下ろされた。

己の風とは別物の鋭利な風が圧倒的な力をもって、歪みを両断する。

あっさりと入り口ごと神域を斬って捨てた。

あとには何も残っていない。塵も残さず消えうせた。

唐突に引き寄せる力が消え、湊が尻餅をつく。

「ギリギリセーフ!」

陽気な雷神の声が空から降ってきて、どっと安堵と疲れもきた。振り仰げば、風神と雷神が宙に浮かんでいる。

自ずと湊は地面に正座する。風神に向かい、頭を下げた。

「あ、ありがとうございました」

「お安い御用だよ。といいたいけど、さすがにそろそろね」

「え?」

頭を上げた湊の目前に、人差し指を立てた雷神が迫る。

「自分で斬り捨てられるようにならなきゃ!」

「……自分で……俺が神様のお宅を壊すんですか……」

「そうよ。だって毎回アタシたちが助けてあげられるわけもないし、行方が追えないとこもあるし、取り込まれたらヤバイとこもあるしね」

ヤバイとことはどんなお住まいだ。秒速で怨霊の神域を思い出し、冷や汗が出た。

風神も足が地につく寸前の位置まで降りてくる。座ったままの湊と目線を合わせた。

「新しい力もだいぶ遣えるようになったみたいだから、そろそろ頃合いだと思ってきたんだよ」

「……なぜ、ご存じなんですか」

「表札の出来がいまいちなのは、山神の寝言がうるさいせいでしょう。あまり気にしなくてもいいと思うよ。十分効果も発揮できているからね」

「……なぜ、それをご存じなんです」

「四霊のじゃれ合いは可愛いものだけど、結構えげつないことを喋ってるんだよ。見た目で騙されないように、と老婆心ながら忠告しておくよ」

「……ご忠告、痛み入ります」

「彼らの皮は腐りはしないけど、たまに天日干ししたほうがいいだろうね。そうそう、あれはキミに預けたんじゃなくてあげたものだよ。少しは身につけてやるといいんじゃないかな。応龍は特に喜ぶよ」

「はい、そうします。なんでも筒抜けなんですね……」

「まあね。この程度を知るぐらいなら、キミにも可能なんだけど……」

小さくつぶやかれた言葉は、湊には聞こえなかった。

ところで、と告げた風神が屈託なく笑う。

「クスノキ、大きくなりすぎたみたいだね」

その笑顔がかつてない恐ろしさだったのだと、のちに湊は語ることになる。

湊は風の力を習得する際、眷属たちが創った神域で、さんざん偽物の木を切り倒したものだ。

けれどもそれ以来、風を鋭利な刃としては遣っておらず、安全な遣い方に特化していた。ゆえに癒やしの風をものにできたともいえる。

だが、そのやわらかな風では、神の創り出す神域を斬れない。そのモノを完全に斬り捨てることはおろか、キズ一つ入れることすらできまい。

もともと人の力では、神の力に敵うはずもない。

されど湊の風には、風神の力が微量ながら入っている。その量がわずかなのは、遣い手である湊の特性が出るようにしてあったからだった。

「どういう風の遣い方をしてくれるものか、興味もあったからなんだよね」

「あの子に似合いの優しい風遣いで、せっかくアンタとは違う方向にいってくれてたんだけどね」

「そうだね。でも、神を相手取らなきゃならないなら仕方ないよ」

風神と雷神が、神木クスノキの向こうにいる湊を見ながら語る。

その声たちは飄々としていながらも、どこか哀切を孕んでいた。

家を背後にして立つ湊は困惑していた。

にこやかな風神から「そこにいるように」と指示され、大人しく従って、ここにいる。すぐに風神と雷神は、クスノキ越しの対面へと飛んでいってしまった。途中、クスノキの真上で止まり、何事か話しているようだった。

向き合っている二柱の話し声は聞こえない。

湊があと数歩下がれば、縁側だ。そこには、丸くなって眠る山神が軽く寝息を立てている。

御池の大岩に並ぶ三瑞獣が、こちらを見ている。どこか神妙な雰囲気を放っていた。

「今からクスノキ斬り倒すよ」

すぐそばで発せられた風神の声に湊が目をむく。風に声を乗せて、特定の相手に届けられるのだと初めて知った。

声ももちろん驚いたが同時に、その内容にも度肝を抜かれた。

「待ってください! なにも倒さなくてもいいでしょう、すごい元気なんですよ! 上のほうの枝を少し切る程度で十分では!?」

「ここまで大きくなったら邪魔でしょう」

「いいえ! まったく! 全然!」

「そう? でもかなり目立っちゃってるよ」

いい返せない。事実だ。

敷地外から見ると、威圧感が途轍もなかった。

一瞬にして巨木に成長した光景は、端から見ればさぞかし異様だったろう。近所に世帯がないから騒ぎになっていないだけだ。

いや、己の知らぬ所で、もう騒動になっているかもしれない。