軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10 クスノキは庭の主役ですから

かくして綿雲は、クスノキの真上で停止した。

パチパチと稲光が生じ、

『ゆけ』

と応龍が指示するや、雨が降りはじめた。次第に綿雲がうねり出し、カタチを変え、雨脚を強めたり弱めたり。

細い枝々と幹がしとどに濡れて――ニョキ。

伸びた主枝が先駆けて空へと向かう。それを追うように一本、また一本と続き、枝分かれしていく様はさながら扇が開くようだ。次から次に葉も茂り、幹も太さを増していく。

その速度はゆるやかだ。とはいえ通常の木の生長とは比べ物にならないのは言うまでもない。

徐々に樹高が高くなり、あっさりと己を超えていく様を、湊は瞬きすら惜しんで見つめた。

ほどなくしてクスノキの生長は止まった。

傘めいた樹形となっている。その先端の高さは楠木邸の屋根と同等であり、下方の位置は縁側の軒と同じである。

「まさに屋根って感じになったね」

湊が笑みを浮かべると、うたた寝中であった山神の鼻提灯が弾けた。

「ぬ、終わったか。――うむ、よき塩梅ぞ」

見上げて満足気につぶやき、腰を上げた。前足と後ろ足を交互に伸ばして、ストレッチ。大あくびをする間に、ふらふらと縁側に戻ってきた応龍を湊が迎える。

「ありがとう、龍さん」

『なんのこれしき。大したことではない』

謙遜するその表情は、ひと仕事をやり終えた余韻に浸っていた。

ふたたび庭にひとりとなった大狼が動き出した。

よいよいと盆踊りめいた足運びで、クスノキの周りを回る。

虚空から次々に出現する板がピタピタとパズルのように嵌り、隙間が埋っていく。

こうして池の中央――クスノキの下に舞台めいた板ばりが完成した。

その形は、六角形。クスノキの樹冠の幅と同じサイズである。

「うむ、こんなものであろう」

ふすっと鼻息を吹き出した大狼がかえりみる。

縁側の一同は、軽く口を開けていた。

「そちらは狭かろう。こちらへくるがよい」

いいざま、顎をしゃくった。

「うわ!」

湊が驚嘆の声をあげたと同時、みなと一斉に飛ぶ。座卓や料理皿など、もろともほぼ直線に進み、クスノキの周りに次々と着地する。

四霊は動じず、盃やビールジョッキを持ったままだ。

箸を持つテン三匹は諦めの境地といった表情だが、みかんを抱えるエゾモモンガの眼は輝いている。楽しかったらしい。

そして湊はといえば、クスノキの幹に手を添え、横座りになっていた。

「ひと言、言ってから飛ばしてほしかった……」

なにせ、とんでもない速度でクスノキに迫ったのだ。ぶつかるかと肝が冷えた。

「まったく……」

不満をあらわにしつつ見れば、縁側にあった物がすべて何事もなかったように新たな間に移動しており、最初からここで宴会をしていたかのようだ。

ため息をついてから立ち上がり、幹に腕を回して我が子の成長ぶりを確かめた。

「大きくなったなぁ。でも前回に比べたら細いよね」

目立ちたくないからと、葉擦れの音で告げられた。

湊は田んぼ側を見た。塀では到底隠しきれまいが、あえて口にしなかった。クスノキへの心遣いである。

腕を解いた湊の足元で、テン三匹も幹をなでている。セリが弾んだ声で言う。

「細くとも前回よりはるかに頑丈ですよ」

「だな。なおかつ柔軟性にも富んでいる。自然界のなにものであろうと、この木肌を傷つけることはできんだろう」

「だね! たまに寝床にさせてね〜」

トリカに次いで言ったウツギの横で、カエンもクスノキを見上げた。

「寝床か……。寝心地がよさそうじゃ」

「すごくいいよ!」

テンたちが声を合わせた。

そんなやり取りをする後方で、四霊は酒を呑み出しており、そこに参加していた大狼が盃から面を上げた。

「ぬ、忘れておったわ」

不穏なお言葉に、その場が凍りつく。

「や、山神さん、まだ改装は済んでいないってこと⁉」

代表して訊いた湊ともども、みな身構える。

そんな全員を山神が順繰りに見回した。

「なぁに、案ずるな。大したことではない。すぐに終わらせてくれるわ」

その眼つきは実に怪しい。まだ酒に呑まれているのを如実に示している。そのうえ、みなの心配の理由を理解していない。

「いや、そうではなく――」

湊が焦って止めようとするも、時すでに遅し。

「我のよりすぐりの逸品よ、くるがよい!」

大音声が響き渡り、大狼はまたも顎をしゃくった。己が方丈山に向かって。

一同が高速で首をめぐらす。

無明の闇から飛んできたのは、大岩であった。湊が目を見張る。

「あの形、見覚えがある。この間、山神さんが熱い眼で見ていた山みたいな岩だ……!」

「左様、この石なくして、こたびの庭は完成せぬわ!」

ドボンッ! と池に大岩が落ちた。

高くせり上がった水が大波と化し、ザパンと押し寄せて板張りの床を洗い流した。

みなの悲鳴すら呑み込んだその大波が去ったあとには、クスノキとその傍らに鎮座した大狼だけが残っていた。

あとはすべて池の中。器をしかと持つ四霊がプカプカと浮かんで、テンたちも元気に泳いでいる。

池の水深は、一メートルほどしかない。とっさにエゾモモンガのみを抱き込んだ湊は池に屈んでいた。

湊が手の中を見れば、エゾモモンガはキョトンとしている。

「カエンが泳げるのかわからなかったからね」

「うむ、かたじけない」

立ち上がった湊は、この惨事を引き起こした元凶を見やる。

水浸しの床板でひっくり返り、高いびきをかいていた。

その日の深夜。寝室で眠っていた湊はふと目を覚まし、庭に面したカーテンの縁が光っているのを見た。

庭に人工の照明はない。しかし人ならざる住民たちが発する光のおかげでいつでもほの明るい。

その光がいつもより明るく、なおかつ明滅していた。

窓際に寄った湊は、そっとカーテンを開いて息を呑んだ。

クスノキの下にいる霊亀を、無数の鬼火が取り巻いていた。

飛び交う青い光はぶつかることもなく、霊亀に近づいたり、離れたり。さながらまとわりつくようで、好意的な動きのように見えた。

霊亀は微動だせず、ただ見上げている。

遠目ではその表情はうかがいしれないが、ひどく静謐で、悲しみを感じた。

ざっと強めに風が吹き、池の水面がさざめく。

霊亀が口を開けた。数多のしゃぼん玉めいたモノが吹き出し、空へと流れる。

それを青い鬼火たちが追いかけていく。

――ちりーん……。

哀愁を帯びる風鈴の音に、カーテンを握る湊の手に力がこもった。

星の瞬く空の彼方へと小さくなっていく光たちを、霊亀はいつまでも、いつまでも見上げていた。