軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9 麒麟かく語りき

麒麟はカラになったビールジョッキを脇へよけ、居住まいを正した。

『わたくしめが今し方言ったことを説明する前に、一つお伝えしておかなければいけませんね。湊殿もお気づきでしょうが、 楠木邸の敷地(ここの空間) は特殊なんです。ここは山神殿が認めた人間しか見ることができず、触れることもできないようになっている。それはここが、別の界と混じり合っているからなんです』

「別の界って?」

『神域が無数に存在する界、いわば神界ですね』

「ああ、そうだったんだ」

湊は膝を打った。いままでさんざんよその神の神域に紛れ込み、いつもここはどこにあるのだろうと漠然と思っていた疑問が解消されたからだ。

『はい。ここは常時、山神殿が現世と神界の均衡を絶妙に保っておられるのです。しかしいまは改装中。神界寄りになっていますので、力を行使中の山神殿に近づこうものなら、神界のいずこかへ飛ばされる可能性が高い。山神殿はいま相当酔っておられるので、より危ないのです』

眼を眇めた麒麟は、顎を引いた。

『君子危うきに近寄らずと申しましょう。あれは実に的を射た言葉です。人間が言い出したというのが癪ですけど――』

話題が逸れかけたところで、霊亀が麒麟を一瞥する。

湊が彼らの声を聴こえるようになったとはいえ、それにはかなりの集中力を要する。無駄に話を引き伸ばされれば湊もいささか困るからだ。

霊亀の言わんとすることを察した麒麟は、咳払いをしたあと早口で話を締めた。

『――とりあえず、改装が終わるまで庭には近づかないことです』

「そうします」

頷きつつ、湊は素直に返事した。

もとより精神的に落ちついているし、いままでも高揚感に突き動かされ、庭へ飛び出した経験もないので問題はない。

そんな会話が縁側で交わされている間に、山神はとっくにクスノキのそばまで達していた。

巨大な池の中心へまっすぐ延びる廊下の先端で、大狼がクスノキを見つめている。

一枚の葉すらついていない細木は、誰の目にもいたく頼りなく映った。

「クスノキよ」

低く、重い山神の声で呼ばれるや、クスノキはバラバラに振動させていた枝を止めた。

「ここに屋根付きの部屋を建てようと思うておるのだが――」

グッとクスノキが胸を反らすように幹を曲げた。

――ここから動くつもりはない。

そう強気で主張しているのだと、湊にもはっきりわかった。

クスノキは己がこの庭のシンボルツリーであるという山より高いプライドを持ち、そのうえ庭の中心は己の陣地だとも思っている。

そんなクスノキを山神は顎を上げて、見下ろす。

「この場をどく気がないのならば、屋根に遮られ、ろくに日光を浴びられぬようになるぞ」

そっけなく言われ、クスノキは枝の先端だけを弾くように動かした。とことん反抗している。

誰に似たのだろうかと、湊は遠い目になった。

「ならば、ぬしが屋根となるか」

山神にそう問われたところで、いまの丸裸の身ではどうしようもない。

クスノキは先日、イチョウを助けるべく生命力を削ったため、少し休息を取ったあと葉を茂らせようと思っていたのだ。

よしんば無理していますぐ葉を生やしたとしても、今の樹高では、屋根の役目など果たせるはずもない。

「さて、いかにする。我が止まる前に決断するがよい」

無情ともいえる態度の山神は、クスノキからやや離れた周りを歩き出した。緩慢な動きに先んじて板が相次いで現れていく中、微動だにしないクスノキは葛藤を続けた。

かくして大狼が半周回った頃、クスノキが大きく震えた。山神がその場に鎮座し、改装は中断された。

クスノキの頭頂部の枝が無音で伸びて、手招くように動いた。

応龍へ向かって。

タンッと、三本指の手がワイングラスを床に置いた。

『いいだろう、朕に任せておけ』

大きな羽音を立て、応龍が縁側から羽ばたく。巻き起こった風でワイングラスがグラつき、麒麟が蹄で押さえた。

『応龍殿のあのきばりよう……。わたくしめ、不安でしょうがないんですけど』

「同じく」

湊と眷属たちがそろって同意した。

そんな彼らを、塩の入った小鉢から顔を上げた霊亀が順に見やる。

『なに、龍もああ見えて気遣う心は持っておるぞい。クスノキの意を汲んで、そう大きく育てはせんぞい』

ふらふらと蛇行しながら飛ぶ応龍は、クスノキの真上へと至った。

ヒック。しゃっくりをしてから、眼下を睥睨する。

『では、朕が其の方の望みを叶えてしんぜようッ』

いざ! と身構えたその身が、強く吹いた風に流されていく。くるくると回転して庭の端まで達し、応龍は小首をかしげた。

『――眼の前に見えるは、塀とな? なぜに? なぜ朕はここに……?』

縁側で霊亀が両眼をかっぴらく中、ようやく振り返ってクスノキを見た。羽をはためかせて元の位置に戻っていく。

そんな応龍を注視するギャラリーの一人、湊は顔を曇らせていた。前回の時のことが頭をよぎったからだ。

あの時は、応龍が空に浮かぶ雲を呼び寄せ、そこから雨を降らせてクスノキを急生長させたのだ。

今回も同じようにするつもりなのだろうか。

しかしながら、やがて残照も消えようとしている空に、雲は一つもない。

それを確認した湊は、不安が増した。

いっぽう応龍は、仕切り直しとばかりに声を張った。

『では朕が、其の方の望みを叶えてやろう!』

その身から光が照射され、湊のみが目元を覆う。指の隙間から目を凝らすと、龍の身がLED並みの発光体と化していた。

「すごい眩しい……!」

前回の時と比べ物にならない。図に乗った山神に勝るとも劣るまい。

『応龍殿、青龍殿の力を遣いすぎじゃないですか』

『――うむ。いささか調子に乗っておるぞい』

『そなたらなにを申すか。遣えるものはとことん遣えばいいのだ』

不機嫌な麒麟、苦りきった霊亀、弾んだ鳳凰の声が、身を乗り出す湊の耳に届いた。

その視線の先、光をまといし応龍が頭を振り上げる。光が天へと走り、太い光の柱となった。

ゆっくり回転がはじまり、一気に加速。

高速回転するその先端に、雲の渦が発生。

みるみる同心円状に広がり、楠木邸はおろか方丈町をも覆い尽くし、一挙に暗い夜となった。

「これはひどい。いくらなんでも、やりすぎだよ……!」

顔色をなくした湊の口から本音がこぼれた。

光の柱の中で、応龍がしゃっくり上げる。

『――そうか、では少しばかり控えよう』

存外聞き分けのよい酔っぱらいであった。

雲の先端からちりぢりに消えていき、あっという間に範囲が狭まり、楠木邸の敷地と同サイズになった。

『これでいいか?』

応龍に問われ、ここぞとばかりに湊は主張する。

「いいえ、もう少し! ぜひ前の時みたいな小さい雲が見たいです!」

『うむ、ではあと少しだけ小さくするか……』

不満げでもシュルシュルと雲を縮めていき、いまのクスノキを覆うのに支障のない大きさにしてくれた。

その綿雲が音もなく急降下してくる。枝をそわつかせ、いまかいまかと待ちわびるクスノキのそばで、大狼は舟を漕いでいるけれども。