軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第95話 〜数十年後〜。白髪になっても変わらない愛

それから、さらに数十年後。

おだやかな春の午後だった。

フェルド辺境伯爵邸の縁側へ差し込む陽射しはやわらかく、私が魔法で品種改良した庭の巨大な枝垂れ桜は、もう半分ほど花を散らしている。

心地よい風が吹くたび、薄紅の花びらが雪のようにひらひらと舞って、立派な庭石の上や、使用人たちがピカピカに磨き込んだ廊下の端へ、静かに積もっていく。

私は、その美しい光景を眺めながら、あたたかいお茶の入った湯呑みへホゥッと口をつけた。

「……おいしいですわね」

心底くつろいでそう呟くと、隣から低く、年輪を重ねた落ち着いた声が返ってくる。

「ああ。今年の茶葉も悪くない」

その声を聞くだけで、私の胸の奥がジンワリとあたたかく、甘く満たされる。

何十年経っても、それだけは全く変わらない。

私はそっと、隣を見た。

私の人生のすべてである、最愛のクライス様がいる。

すっかり白髪になった夫。

若い頃の氷のような鋭さと威圧感はそのままに、でも、銀灰だった髪も眉もすっかり美しい白銀に変わって、目尻には私や家族へ向けた『穏やかな笑い皺』が深く刻まれている。

長い年月を、最強の騎士として、そして立派な父親として生き抜いてきた人の顔だ。

絶対的な強さも、不器用な静けさも、深海のようなやさしさも。その全部が皺の一つひとつへ魅力的に沈んでいて、若い頃とは少し違うのに、でも、誰よりも間違いなく私の大好きな『推し(クライス様)』だと分かる顔。

――ああ。

やっぱり、うちの旦那様は宇宙一格好いいですわね。

若い頃は、触れれば切れる氷の刃みたいに研ぎ澄まされて見えた。

今は違う。

厳しい白銀の冬を越え、すべてを包み込むような、あたたかくて静かな春の朝みたいな顔をしている。

それなのに、私の心臓は、何十年経ってお互いシワシワになっても、相変わらず一目見るだけで簡単にドクドクと忙しく高鳴るのだから、オタクとは困った生き物だ。

「何だ」

クライス様が、湯呑みをコトリと置きながら、私の視線に気づいて言った。

「何がですの」

「今」

「はい」

「また、俺の顔を見て変なこと(オタクの妄想)を考えていただろう」

「失礼ですわね」

私は白髪の頭を揺らし、真顔で答える。

「私の最推しが、白髪のおじい様になってもなお、スチルとしての完成度が高すぎると限界オタクとして再確認していただけですわ」

「……」

「何ですの、その呆れたような沈黙は」

「お前は、本当に。お互いこんな歳になっても、今もその若い頃と同じ熱量の言い方なのかと思ってな」

「当然ですわ」

私はフンスと、少し小さくなった胸を張った。

「何度歳を重ねようと、どれだけシワが増えようと、私の推しは永遠に私の推しですもの。むしろ渋み(作画コスト)が増して最高ですわ」

「そうか」

「そうです」

クライス様は、やれやれと小さく息を吐いた。

でも、その口元は、ほんの少しだけ嬉しそうにやわらかい。

ああ。

ええ。

その愛おしそうな顔も、私は前世からずっと大好きですわ。

◇ ◇ ◇

魔王を討伐して世界を救ってから、月日は、本当に驚くほどあっという間に流れた。

エルは、立派な大人になった。

今ではフェルド辺境伯爵領の当主の座を継ぎ、広大な領地の大部分を完璧に支えている。

若い頃のクライス様によく似た美形でクールな顔で、でも、私(母親)に対する的確なツッコミとため息のつき方だけは、若い頃より少しだけ語彙力が増して容赦がない。

あの子、本当に優秀に育ちましたわね。

剣の腕も、父親譲りで見事なものだ。

クライス様の静かな強さと、私譲りの『チート魔法と妙な合理性』が悪魔合体し、たいへんに隙のない最強の男になった。

でも、たまに奥さんと子どもを連れて実家へ帰ってくると、今でも私が魔法で出した新作のお菓子へ、少しだけ昔のように目を輝かせる。

そういう可愛いところは、何歳になっても変わらない。

リリアもまた、美しく、周囲を笑顔にする朗らかな大人の淑女になった。

魔力はやはり私譲りで規格外で、六歳の頃には庭へ巨大な氷の城をドカンと建てた娘だが、成長した今では、そのチートな力をずいぶん上品に(隠密に)使うようになった。

いや、上品という表現が正しいかは少し怪しい。

ニコニコと満面の笑顔で、国境レベルの大規模防衛結界を一人で張れる時点で、だいぶ我が家の血筋全開なのだけれど。

でも、明るくて、人を安心させる太陽のような笑い方は、子どもの頃のままだ。

そして、今でも実家に顔を出すと、たまに私へ手作りの花冠を作ってくれる。

おかげで私は、娘がいくつになっても、立派な奥様になっても、「まあ、うちの娘は世界一の天使ですわね」と真顔で親バカを拗らせる羽目になっている。

そして、可愛い孫もできた。

これが、また、オタクの心臓にとってだいぶ危険である。

私の愛する推しと天使の『奇跡の遺伝子』を継いだ存在が、トテトテと庭を走り回り、「おばあさま!」と満面の笑顔で抱きついてくるのだ。

尊くて可愛くないわけがない。

正直に申し上げて、老後の供給量(萌え)としては、若い頃の魔王討伐の時より増えている可能性すらある。

だが。

それでも。

こうして、一日の終わりに最後に縁側へ並んで座るのは。

やっぱり、私とクライス様なのだった。

子どもたちは、それぞれの伴侶を見つけ、それぞれの輝かしい人生を歩んでいる。

孫たちも成長して賑やかだ。

領地も、私が前世の社畜知識をフル回転させたおかげで、昔とは比べものにならないほど大富豪レベルに豊かになった。

平和も、魔王がいなくなったことで、簡単に壊れないほど盤石に強く根づいた。

でも、その私の人生の全部の、最後に戻ってくる場所は。

いつだって、この人の隣だった。

◇ ◇ ◇

「今日は、とても静かですわね」

私が縁側でそう言うと、クライス様が桜の舞う庭を見ながら頷く。

「エルたちは、視察を兼ねて町へ出たからな」

「ええ」

「リリアたち一家は、お前が作った温泉別棟だそうだ」

「まあ」

私は少しだけ、幸せに笑った。

「みんな元気で良いですわね」

「ああ」

「孫たちも一緒ですの?」

「そうらしい。朝から騒がしかった」

「ふふっ」

私はあたたかい湯呑みを両手で包む。

「では、屋敷は久しぶりに、本当に夫婦二人きりですわね」

クライス様は、返事の代わりにスッと私を見た。

その視線は、若い頃の氷のような威圧感ほど鋭くはない。

でも、私をただ一人愛し抜くという、芯の通った真っすぐなところは昔と全く同じだ。

私は少しだけ、乙女のように居住まいを正した。

……いけませんわね。

何十年夫婦をしていても。孫がいても。

この人にジッと熱の篭った目で見つめられると、未だに心臓が跳ねて少し落ち着かないのだから。

「何ですの」

「いや」

「はい」

「二人きりで、静かだと思ってな」

「ええ」

「悪くない」

「……」

「どころか」

クライス様は、ほんの少しだけ、この上なく甘く目を細めた。

「かなり、いい」

「ッ……」

ああもう。

そういうのですわよ。

そういう、“白髪の老夫婦になっても、不意打ちの色気の火力がまったく落ちていないところ”が、本当にズルいのです。

私は、動揺を悟られまいとコホンと咳払いをした。

だが、シワの増えた頬が少しだけ少女のように熱くなっているのは、自分でもよく分かった。

「クライス様」

「何だ」

「そのような甘いことを、そんな格好いいお顔でおっしゃるのは、私の心臓への反則ですわ」

「俺がどんな顔をしていると言うんだ」

「ひどく落ち着いているのに、私を愛しくてたまらないという、妙にやさしいズルい顔です」

「……そうか」

「ええ」

「お前には、ジジイになった俺の色気でも、まだ効くんだな」

「失礼ですわね」

私は照れ隠しで、そっぽを向くふりをした。

「何十年経とうと、推しの尊さは効くものは効きますの。特効薬ですわ」

「そうか」

「そうです」

クライス様が、愛おしそうに小さく低く笑った。

それだけで、私の胸の奥がフッと甘くやわらぐ。

ああ。

本当に。

若い頃は、あの人が少し笑うだけで「スチル! 録画機材!」と限界化して大騒ぎしていた気がする。

今だって内心の推しへの熱量(BPM)はあまり変わらないのだけれど、昔より少しだけ、私はその『確かな幸福』へ静かに浸れるようになった。

それもきっと、共に歩んだ年月のおかげなのだろう。

◇ ◇ ◇

「ルシア」

不意に、クライス様がやさしい声で私の名を呼んだ。

「何ですの」

「お前」

「はい」

「昔、言っていただろう」

「何をですの?」

クライス様は少しだけ視線を桜の舞う空へ向け、それから私へ戻した。

「互いに白髪になっても、こうして二人で縁側で茶を飲みたい、と」

「……!」

私は思わず、息を呑んだ。

もちろん、覚えている。

覚えておりますとも。忘れるはずがありません。

魔王を討伐する前。若い頃、あの分厚い手帳の『老後計画』に書き込んで、半分はオタクの妄想の冗談みたいに、でも半分は切実な本気で、私は何度もそんな理想を口にしていた。

白髪になっても。

しわくちゃのおばあちゃんになっても。

この愛する人と一緒に、縁側で平和にお茶を飲めたら、どんなに幸せだろうと。

あれは、戦いの中にいた頃の、“いつか”の願いだった。

まだ遠くに見えていた、私の理想の老後計画図だった。

そして今。

「……完璧に、叶っておりますわね」

私は、嬉しさで少しだけ涙ぐんで笑った。

「ああ」

「私の計画通り、見事に」

「そうだな」

「しかも」

私は隣の、大好きな横顔を見上げる。

「昔想像していた計画より、ずっと、ずっと幸せです」

クライス様は何も言わない。

でも、その沈黙は、私の重い愛を全部、ちゃんと受け止めてくださっている時のあたたかいものだ。

「若い頃は」

私はお茶を見つめて続ける。

「老いて、美しさや力が衰えていくことが、もっと残酷で怖いものかと思っておりました」

「……」

「でも、違いましたわ」

「……」

「こうしてあなたと一緒に、同じ時間を重ねて、同じように歳を取るのなら」

私は、庭へひらひらと舞い落ちる桜の花びらを見た。

「老いることも、少しも悪くありませんのね」

クライス様の大きくて分厚い手が、そっと、湯呑みを持つ私の手へあたたかく重なった。

昔より、少し節くれ立っている。

剣を握り、魔王を斬り、家族を守り、途方もない努力を積み重ねてきた『本物の騎士の手』だ。

でも、私へ触れる時のそのやさしさと温度は、出会った日から何一つ変わらない。

「ルシア」

「はい」

「俺が、自分が老いるのが怖くないのは」

「……」

「お前が、昔とあまり変わらないからだ」

「まあ」

私は目をパチパチさせた。

「何ですのそれは」

「事実だ」

「ずいぶん、顔に皺も増えましたわよ?」

「俺もだ」

「銀色の髪も、真っ白になりました」

「俺もだ」

「若い頃ほど、徹夜で仕事したり、元気に走り回れませんわ」

「それは少し、静かで寂しいな」

「もう走り回る必要はございませんでしょう。平和なのですから」

「そうか」

「そうです」

クライス様は、少しだけ私の手を握る力を、愛おしそうに強めた。

「だが」

「はい」

「お前の中身(魂)は、何十年経っても全く変わらん」

「……」

「今でも、俺の顔を見てよくしゃべる」

「失礼ですわね。愛の表現です」

「今でも、家族のことですぐ泣く」

「オタクの感動ですわ」

「今でも、俺の顔がいい(推しだ)と平然と言う」

「だって、世界一良いですもの。事実です」

「……」

「今でも、俺を見て、少女のように嬉しそうにする」

「……」

「それは」

私は、少しだけシワの寄った頬を熱くしながら答えた。

「あなたが格好良すぎるのだから、仕方がございませんわ」

「そうか」

「ええ」

「なら」

クライス様は、本当に何でもない真実みたいに言った。

「俺も安心だ。お前がいれば、俺の人生は完璧だ」

「ッ……」

ああもう。

本当に、この人は。

どうして、何十年経っても、こういうところで平然と私の心臓へ『特大の致死量の愛』を刺してくるのでしょうね。

私はとうとう耐えきれず、空いている方の手で真っ赤になった顔を覆った。

「クライス様」

「何だ」

「今の破壊力は、おばあちゃんの心臓にはだいぶ危険ですわ」

「そうか」

「そうです。キュン死しますわ」

「だが本音だ」

「その自覚のない本音が、余計に危険なのです……!」

◇ ◇ ◇

あたたかい春の風が吹いて、桜の花びらがまた美しく舞った。

どこか遠くで、「おじいさまー! おばあさまー!」と、私たちを呼ぶ可愛い孫たちの笑い声が聞こえる。

多分、裏庭の方でエルとリリアの家族も合流して、みんなで追いかけっこでもしているのだろう。

その賑やかで愛おしい声を聞きながら、私は少しだけ幸せに目を細めた。

幸せとは、もっとドラマチックで派手なものだと思っていた前世の時期もあった。

身分差の大逆転とか、悪役令嬢としての華やかなざまぁ展開とか、世界を揺らす大事件とか。

若い頃は、そういうものばかりが物語(人生)の山場だと思っていた。

でも今は、確信を持って分かる。

私が本当に欲しかったものは。

私が命を懸けて、本当に守りたかったものは。

こういう、何でもないあたたかい午後なのだ。

あたたかい美味しいお茶。

縁側。

春のやさしい風。

庭に咲く、手入れされた花。

少し離れたところから聞こえる、愛する家族の笑い声。

そして、隣にいる、白髪の似合う、世界で一番格好いい最愛の人。

それだけあれば、私の人生は、もう十分すぎるほど完璧だ。

「クライス様」

「何だ」

私は、そっと彼の広い肩へコテンと寄りかかった。

若い頃より、さらに広く、あたたかく感じる。

いえ、実際の身体の大きさはそう変わらないのかもしれない。

でも、私が何十年もこの人の隣で守られ、安心してきた『愛の歴史』の分だけ、そう大きく頼もしく感じるのだろう。

「私、生まれ変わっても」

「……」

「また、あなたの隣で、こうして一緒にお茶を飲みたいですわね」

クライス様は、しばらく何も言わなかった。

それから、ひどく静かで、誓いのような力強い声で答える。

「ああ」

「……」

「その時も」

「……」

「当然みたいに、俺の隣へ座れ。俺が見つけ出す」

私は、その重すぎる愛に、こらえきれず幸せに笑ってしまった。

少しだけ目元に嬉し涙が滲んだのは、もうオタクのサガだから仕方がない。

「ええ」

私は深く頷く。

「もちろんですわ。絶対に離れませんわよ」

あたたかい春の光の中で。

白髪になった最強の老夫婦は、肩を寄せ合い、並んでお茶を飲む。

若い頃より少しだけゆっくりで。

でも、若い頃よりずっと、ずっと深く。

永遠に変わらない重い愛を、その静かな時間の中で、何より確かに確かめ合いながら。