軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第77話 新教皇は顔見知り? まさかの元王太子(改心済み)の登場

神聖教国の広場での公開裁判――いえ、私が前世のプレゼン能力をフル活用した、もはや『公開処刑』に近い容赦のない暴露劇が終わった後。

聖都ラグナディアは、見事なまでに制御不能の大混乱へ陥っていた。

無理もない。

絶対に破れないはずの『神の結界』は、私のデコピン一発で砕け散った。

教皇の絶対的な切り札たる伝説の『神獣』は、私の足元で愛想よくお手をし、腹を見せてゴロゴロと寝転がっている。

しかもその直後、広場いっぱいに空からばら撒かれた裏帳簿のコピーによって、教皇庁上層部による“信者の浄財の巨額横領と私腹肥やし”が、完膚なきまでに白日の下へ晒されたのだ。

そりゃあ、カルト国家の一つや二つ、暴動でひっくり返って当然でしょうとも。

「クソ教皇をここへ引きずり出せ!」

「ふざけるな! 俺たちの金を返せ!」

「寄進した金はどこへ消えたんだ!」

「孤児院の修繕費はどうなった!?」

「聖騎士団の遠征は、全部お前らの懐へ入れるための嘘だったのか!?」

中央広場の四方八方から、暴徒と化した信者たちの血走った怒号が飛ぶ。

白い法衣の神官たちは、自分たちに向けられた明確な殺意に完全に右往左往して逃げ惑っていた。

聖騎士団の一部は暴動を鎮めようと剣を抜きかけたが、群衆の怒りの正当性と、自分たちの『聖騎士団の誇り高い名』を使った上層部の汚い横領記録を前にして、どうにも剣を振るうに踏み切れないらしい。

あらまあ。

大変、音を立てて順調に崩壊しておりますわね。ブラック企業(宗教)の末路ですわ。

「ルシア」

隣で、剣から手を離したクライス様が低く言う。

「何ですの」

「だいぶ、悪い顔で満足そうだな」

「ええ」

私は扇の奥で、魔王のように素直に頷いた。

「だって、私の愛する我が子(推し)を狙った上で、神の御心などと綺麗な大義名分を使っていたクズ連中の化けの皮が、きれいにベリベリと剥がれておりますもの」

「……」

「むしろ、親の怒りとしてはまだ序の口ですわよ」

「そうか」

「そうですわ。全員素っ裸にして氷漬けで吊し上げたい気分です」

私は、広場の中央で聖騎士団に包囲され、腰を抜かしてへたり込んだ教皇と枢機卿たちを冷たく見下ろした。

顔色は、もはや笑ってしまうほど、血の気が引いて真っ白である。

ああ、はい。

そうでしょうね。

ついさっきまで“神の代理人”を気取って偉そうにふんぞり返っていたはずが、今や数万の信者たちの前で“病人の寄進金を、自分の庭石と豪華な別荘へ変えた強欲なクソ老人”として立たされているのだ。

心臓に悪いでしょうとも。そのままショックで止まってもよろしくてよ。

だが。

私たちの個人的な“ざまぁ”はこれで完了だとしても、政治的な問題は、“この崩壊の後をどう処理するか”だった。

教国の腐った権威を物理的・社会的に叩き折ること自体は、私のチート魔力とハッキング証拠があればさほど難しくなかった。

でも、その後、この大混乱に陥った数百万の信者を抱える巨大な宗教国家を、誰がどう責任を持って立て直すのか。

それはまた、全く別の次元の問題である。

「このままトップ不在で混乱が長引くと、外交的に少々厄介ですわね」

私が小さく呟くと、

「そうだな」

クライス様も、辺境伯としての渋い顔で短く応じる。

「このまま無政府状態を放置すれば、力を持った地方神殿と聖騎士団の一部が、勝手に派閥を作って内戦(分裂)を始める」

「ええ。狂信者の暴走は質が悪いですからね」

「場合によっては、難民が国境を越え、周辺の他国も巻き込む大戦になる」

「でしょうね」

神聖教国は、心底気に食わないクソ組織だけれど、無視できない『大陸規模の権威とインフラ』を持っている。

そこが真っ二つに割れて暴走すれば、宗教だけの話では済まない。

下手をすれば、国境単位で面倒な火の粉が降りかかる。

そして、そういう大陸規模の“面倒な後始末(サビ残)”は、だいたい巡り巡って、私たちのフェルド辺境領地の『愛する家族の平和な日常』を脅かすのだ。

――それは困りますわね。

とても、非常に困りますわ。

その時だった。

「道を、道を開けよ!!」

怒号と混乱に包まれた広場の向こうから、凛とした、よく通る声が響いた。

群衆のざわめきの中、逃げ惑う白い法衣の群れをかき分けるようにして、整然とした一団がこちらへ近づいてくる。

先頭に立っていたのは、初老の神官だった。

教皇や他の上層部のような、信者から搾取した金ぴかの豪華な装飾は一切ない。

ボロボロに使い込まれた、質素な灰色の法衣。

だが、その目は淀みなく澄んでいる。

少なくとも、さっきまで己の保身で喚いていた教皇一派よりは、よほど清廉で人間らしい顔をしていた。

「フェルド辺境伯、ならびに伯爵夫人」

神官は、暴徒に囲まれた広場の中央で、私たちに対して深く一礼した。

「私は、中央大聖堂付き監察司祭、ヨアキムと申します」

「ごきげんよう」

私は警戒を解かず、冷たく会釈だけ返す。

「何かしら。今度は泣き落としですか?」

「いえ、事態の収拾について、ご提案とご相談がございます」

「相談?」

「はい」

ヨアキム司祭は、深く息を整えて、広場に響く声で続けた。

「教皇庁の腐敗は白日の下に晒され、現体制はもはや完全に崩壊いたしました」

「でしょうね。私がトドメを刺しましたもの」

「ですが、このままトップ不在の混乱が続けば、罪なき信徒も各地の神殿も立ち行かず、大陸に戦火が広がります」

「ええ。それも理解しておりますわ」

「ゆえに」

司祭は一歩引き、背後に控えていた『ある人物』へサッと道を開けた。

「我ら教国には、腐敗を一掃し、一から泥にまみれて教国を立て直す『新たな導き手』を直ちに立てる必要がございます」

その司祭の奥から、一人の若い男が現れた。

私はその姿を見た瞬間、ほんの一瞬だけ、目を疑って呼吸を忘れた。

「……まあ」

日に焼けた、少し褪せた金の髪。

ただし、かつて王宮で見たような、高価な香油で撫でつけられた“これ見よがしに艶やかな王族の金”ではない。

自ら労働の汗を流し、短く無造作に整えられた、質素で清潔な金。

顔立ちも、嫌というほど見覚えがある。

本来は整っているのに、かつては“中身のない傲慢さ”で完全に台無しになっていたそれ。

だが、今の彼は、全く違った。

飾り気の一切ない、着古された黒の修道服。

粗食と労働で無駄な肉の削ぎ落とされた、精悍な頬。

剣ではなく、土を耕し、掃除をし、祈りを捧げてきた『よく働く者の手』。

そして何より――その、目。

あの、自分に甘く、いつでも自分が世界の中心だと疑わずにヒロインに熱を上げていた、空虚で薄っぺらい青い目ではない。

深い挫折と絶望を味わい、自分の愚かさを知り、他人の痛みを知った者の、静かで重い目だ。

「……アーサー」

私の口から、数年ぶりに、自然にその名が漏れた。

かつて、この私(悪役令嬢)を無実の罪で断罪し、婚約破棄を突きつけてきた元バカ王太子アーサーは。

私の声に少しだけ申し訳なさそうに目を伏せ、それからゆっくりと、逃げることなくこちらへ歩いてきた。

◇ ◇ ◇

かつての王太子アーサーを、私は前世の乙女ゲームの知識も含めて、よく知っている。

見目は良い。作画は良い。

血筋も最高に良い。

けれど、王族としての責任感も自覚もなく、中身は絶望的に空っぽだった。

自分の無能さに無自覚で。

他人の(主に私の)血の滲むような努力とサビ残を当然のように食い潰し。

ヒロインのミレーヌの甘い言葉と、都合のいい嘘の涙に弱く。

責任から逃げて現実逃避することだけは一人前。

それが、私の知っている“底抜けのアホ(アーサー)”だった。

だが、今、私の目の前へ立った男は、物理的に別人のようだった。

いや。

正確には、“数年の修道院生活を経て、ようやくその中身(精神年齢)が、立派な顔と年齢へ追いついた”というべきなのかもしれない。

「……ルシア」

彼が、静かに、噛み締めるように私の名を呼ぶ。

その声音には、かつての特権階級としての高慢さが、本当に一片もなかった。

「それに、クライス殿も」

クライス様は、挨拶に一切答えない。

ただ、絶対零度の、ゴミ虫を見るような冷酷な目で男を威圧している。

当然だ。

うちの最強の夫は、妻を傷つけた男に対して、その辺り、1ミクロンも甘くない。

しかも相手は、かつて理不尽に私を蔑ろにし、今またこの面倒な教国の後始末というタイミングでノコノコ出てきた『元婚約者』だ。

温かく迎えてやる義理など、フェルド家にどこにもない。

アーサーは、クライス様の殺気に満ちたその冷たい視線から逃げることなく真っ直ぐに受け止め、それから。

周囲の目を一切気にすることなく、躊躇なく、広場の冷たい石畳へドンッ! と深く両膝をついた。

「……」

「……」

「……」

あら。

本日二度目の、 土下座案件(スチル) ですわね。

しかも今回の土下座は、かつての隣国国王の時のように『国や自分の保身を守るため』ではなく、純粋に本人の贖罪の意志らしい。

誰かに無理やり言わされてやらされている形ではない。

その迷いのない動きに、一切の打算やプライドのぎこちなさがないから分かる。

アーサーは、石畳に額を擦り付けるように、深く、深く頭を下げた。

「過去の、俺の数え切れないほどの非礼と愚行を」

血を吐くような、掠れた声。

だが、ごまかそうとする震えはない。

「今さらこんな形で、お前たちに許されるとは全く思っていない」

「……」

「だが、それでも、ここでお前たちの顔を見た以上、言わせてほしい」

「……」

「本当に、すまなかった。俺は、救いようのない愚か者だった」

暴動寸前だった広場の空気が、一瞬だけピタリと止まって変わった。

怒り狂っていた信者たちも。

神官たちも。

聖騎士団も。

教皇一派を憎悪で見下ろしていたその熱が、一拍だけ完全に止まる。

なぜなら、その石畳へ額を擦り付けて跪いている男が、ただのしがない神父でも修道士でもなく。

かつてこの大国の『王太子』であり、次期国王となるはずだった、権力の頂点から落ちぶれた 男(アーサー) なのだと、周囲にもなんとなく顔つきで伝わったのだろう。

私はしばらく、その深く下げられた懺悔の背中を、扇の奥から冷たく見下ろしていた。

……正直に言えば。

少しだけ、驚いた。

いえ、彼が廃嫡された後、修道院で反省しているらしいというのは、前々からハインツさんの情報網で知っていた。

地下牢の中で惨めに後悔して泣いていたと風の噂に聞いていたし、国王陛下がその後、彼を最北の過酷な修道院預かりにして一生幽閉したことも知っている。

だが、ただの 知識(データ) として知っているのと、こうして目の前で『完全にプライドをへし折られた姿』を直接見るのとは違う。

「あらまあ……」

私はポツリと、拍子抜けしたように呟いた。

「本当に、数年経って、ようやく少しは『まともな人間』になられましたのね」

「……」

アーサーは石畳から顔を上げないまま、静かに、深く答えた。

「その通りだ。お前の言う通りだ」

クライス様が、そこで初めて、殺意を込めて重い口を開いた。

「なぜ、俺の妻の前に顔を出した。なぜ、ここにいる」

短く、低く、首に刃を突きつけるような氷の声。

アーサーは、ようやくその顔を上げる。

かつてのような、自分の見栄え(顔の良さ)を計算した角度ではない。

ただ、真っすぐに、ありのままの自分として、こちらを見た。

「廃嫡され、王籍を抜かれた後」

彼は、淡々と事実を語った。

「父上――いや、国王陛下の判断で、俺は王都の地下牢から、最北の最も過酷な修道院へ強制的に移された」

「……」

「そこで、何年も、来る日も来る日も、名もなき修道士として下働きと奉仕に従事した」

「……」

「最初は、ただの俺への『罰』のつもりだった。なんで俺がこんな目に、と恨んですらいた」

「でしょうね。あなたの性格なら」

私はあっさりと、心底軽蔑して頷く。

「だが、違ったんだ」

アーサーの青い目が、過去の己の未熟さを恥じるように、わずかに揺れる。

「その辺境の修道院で見たものは」

「……」

「本当に何も持たず、権力も金もなく、それでも他人のために、見返りを求めずに泥まみれになって祈り、働く者たち(孤児や修道士)の姿だった」

「……」

「俺は、そこで数年を過ごして、ようやく知った」

彼は、自分自身を嘲笑うように苦く笑った。

「自分がどれほど、生まれながらに与えられた恵まれた環境を当然だと思い上がり、お前を含めた他人の努力を『自分のための都合のいい道具』のように扱ってきたのかを」

広場の周囲が、シン……と静まり返る。

ああ。

そうですわね。

こういう、高みからドン底へ落ちた人間の『魂からの真実の告白(懺悔)』は、案外、人の胸の奥へ深く刺さる。

少なくとも、今ここにいる裏切られた信者たちへとって、“強欲な教皇の嘘くさい金の話”より、こういう“堕ちた王子の痛みを伴う懺悔”の方が、よほど心に響いて分かりやすいのだろう。

「修道院で」

アーサーは、誰に聞かせるでもなく続ける。

「俺は生まれて初めて、自分の手で冷たい床を雑巾で磨き」

「……」

「下の世話をして重い病人の世話をし」

「……」

「凍えるような寒い冬の朝に、血豆を潰して薪を割り」

「……」

「親のいない泣く子どもの相手を、夜通しした」

「……」

「そのたびに、痛いほど思い知らされた」

彼の声は、静かで、確かな後悔に満ちていた。

「ルシア。俺はあの時、完璧な王太子妃になろうとしていたお前が、裏でどれほどの重圧と努力を一人で背負って、俺を支えてくれていたのか……俺は、本当に何一つ、分かっていなかったんだ」

私は、その懺悔の言葉を聞いても、何も言わなかった。

1ミクロンも感動しなかった。

言いたいことは色々ある。

山ほど、マグマのようにありますとも。

分かっていなかったでしょうね。

骨の髄まで知っておりますわ。

だからこそ私は、あのふざけた卒業パーティーであなたから婚約破棄された時、絶望するどころか「やったー! これでクソみたいなサビ残から解放される!」と、内心でガッツポーズをして大喜びしたのですもの。

でも今、彼のその謝罪の言葉に、自己保身の『嘘』が一切ないのも、十分に分かった。

「修道院では」

アーサーの背後のヨアキム司祭が、静かに擁護するように口を添えた。

「彼は本当に、ただひたすらに、誰よりも黙って働き、他者に奉仕しておりました」

「……」

「最初は、我々も『どうせ元王太子の気まぐれだ』と、誰も彼を信用しませんでした」

「でしょうね」

私が当然のように言うと、司祭は苦笑する。

「ええ。ですが、彼の態度は、数年経って少しずつ変わったのです」

「……」

「清貧と奉仕の過酷な生活に、ただ耐えたというより」

司祭は、慈愛の目でアーサーを見た。

「彼はようやく、自分からそこに『生きる価値と贖罪』を見出したのです」

「……」

「今回の教皇庁の巨大な腐敗を知って、絶望した我々まともな神官の中には、“教国の外からではなく、腐敗を知る『内側』から泥をかぶって立て直せる者”が必要だという声が上がりました」

「それが、彼だと?」

「はい」

私は、改めて、ドン底から這い上がってきたアーサーを見た。

色落ちした質素な修道服。

完全に削ぎ落とされた、特権階級の驕り。

それでも隠しきれない、人の上に立つ者の血筋の顔立ち。

けれど、その上に今あるのは、“足るを知り、痛みを背負った者”特有の、強靭な静けさだった。

あらまあ。

本当に、見事なまでに人が変わってしまいましたのね。

更生プログラムとしては大成功ですわ。

◇ ◇ ◇

「……で?」

私は、扇を閉じて冷たく腕を組んだ。

「その“修道院で数年経って、ようやく少しは人間になった元王太子殿下”が、今さら私たちの前に出てきて、何をなさるおつもりで?」

「ルシア」

「何ですの」

「元王太子ではない。ただの神父でいい」

「まあ」

「その高貴な名で呼ばれる資格は、今の俺にはもうない」

「……」

そこまで自分を客観視して徹底していらっしゃると、逆に少しだけオタクとして感心してしまいますわね。

「では、訂正いたしますわ」

私は冷ややかに言い直す。

「名もなき神父アーサー」

彼は小さく、真っ直ぐに頷いた。

「あなた、これから何をなさるおつもり?」

「立て直す」

迷いのない、即答だった。

「上層部の腐り切った、この神聖教国を」

「……」

「少なくとも」

彼の青い目が、決意を持って広場の群衆を見渡す。

「二度と、“神の名を騙って、親から罪なき子どもを奪う”などという狂った真似を、絶対に許さぬまともな場所にする」

その強い一言へ、広場のあちこちの信者たちが「おお……」と期待を込めてざわつく。

ええ。

分かります。

今のは、トップが不在のこの状況下で、だいぶ民衆の心に効く名演説ですわよね。

私も。

ほんの少しだけ、その覚悟に息を止めた。

それは、私への口先だけの謝罪の言葉より、ずっと重かった。

なぜなら彼は、自分がかつて“権力を持つ側の、どうしようもない愚か者(加害者)”であったことを痛いほど知っている。

その上で、すべての憎悪を被ってでも“二度と同じことをさせない”と言っているのだから。

「……アーサー」

私はゆっくり、試すように問う。

「それは、口で言うほど簡単ではない、かなり泥沼の面倒な道ですわよ」

「分かっている」

「地に落ちた権威も、信者からの反発も、教国の負債も、全部あなたが矢面に立って背負うことになりますわ」

「分かっている。その覚悟だ」

「栄光はない。血も、泥も、怨嗟の罵声も浴びて、過労死するかもしれませんわよ」

「……」

「それでもやると?」

アーサーは、逃げることなく、真っすぐに深く頷いた。

「ああ」

「……」

「今度こそ」

彼は静かに、だが強い炎を宿して言う。

「俺の責任を誰か(お前)に押しつけるのではなく。俺自身で、泥をかぶって最後まで背負う」

その嘘のない言葉に、私はフッと少しだけ目を細めた。

そして、私のすべてである隣の夫を見る。

クライス様もまた、無言で、剣の柄に手を置いたままアーサーを値踏みするように見ていた。

いつもの氷みたいに冷たい視線だ。

でも、その底にある殺気の感触が、ほんの少しだけ和らいで変わったのが、長年の妻である私には分かる。

当然、過去の所業を完全に許したわけではない。

そんな甘い人間ではない。

でも、“今すぐここで斬り捨てるほどの 害悪(ゴミ) ではない”と、彼なりに判断した時の目だ。

「クライス様」

私が小さく甘く呼ぶと、

「何だ」

「いかが思われます? 彼の覚悟」

「……」

しばし沈黙。

それから、クライス様は底冷えする声で低く言った。

「アイツの顔を見るだけで反吐が出る。最高に気に入らん」

「ええ、私も同感です」

「だが」

「ええ」

「少なくとも、あの無能な教皇や腐った枢機卿どもよりは、遥かに『マシ』だ」

広場に、再び大きなどよめきが走る。

それもそうだろう。

この大陸最強の辺境の氷の騎士が、腐り切った教皇庁のトップたちを前に、“底辺に落ちた元王太子(神父)の方が、お前らよりずっとマシだ”と、数万人の前で公言したのだから。

ある意味、教皇たちへの、これ以上ない最大級の 公開侮辱(ざまぁ) である。

私は思わず、耐えきれずに扇で口元を押さえた。

「クライス様」

「何だ」

「今の教皇たちへの煽り(本音)、だいぶ痛快でスッキリいたしましたわ」

「そうか」

「ええ、大好きです」

「ただの事実(本音)を言っただけだ」

「そこが一番最高に良いのですわ」

アーサーは、そのクライス様の辛辣な評価を、目を逸らさずに真正面から受けていた。

少しだけ苦く自嘲するように笑ったが、かつてのような反論や怒りも反発もない。

昔の彼なら、プライドを傷つけられて絶対にできなかった大人の顔だ。

◇ ◇ ◇

その後の事後処理の流れは、私の予想していたよりもずっと早かった。

ヨアキム司祭をはじめとする“教国内のまだまともな良識派の神官”たちが、広場で一斉にクーデターを起こし、教皇庁上層部全員の『完全なる更迭と財産没収』を宣言。

聖騎士団の中からも、腐敗した教皇派を見限り、彼らと距離を置いて拘束に協力する者たちが続出した。

そして何より、数万の信者たちの怒りが完全に教皇一派の横領へ向いてしまったことで、もう誰にもどうにも覆せない『革命の流れ』が生まれたのだ。

「よって!」

ヨアキム司祭が、広場の中央で高らかに告げる。

「神聖教国は、本日をもってこの腐り切った現教皇庁体制を完全に停止・解体し!」

「……」

「新たな清貧と奉仕、そして教国再建の象徴として!」

「……」

「この名もなき修道司祭アーサーを、暫定の『新教皇候補』として、我ら一同で推挙する!」

「「「…………!!」」」

またしても、広場を揺るがすような大きなどよめきと、困惑の歓声。

ああ。

はい。

そうなりますわよね。

だって、群衆からすれば、少し前までただの“辺境伯夫妻による、腐敗を暴く痛快なざまぁ劇”だと思っていたら、ここへ来てまさかの『国のトップ(新教皇候補)の発表』である。

しかも、その正体が、かつて国を追われて廃嫡された元王太子。

そりゃあ、民衆にはドラマチックすぎて情報量が多すぎる。

「じょ、冗談ではないぞ!!」

後ろで、拘束された元教皇が狂乱して叫ぶ。

「そのような王家を追放された罪人が、神聖なる教皇だと!? 認めん! 断じて認めんぞ!!」

「過去に罪を犯した罪人だからこそ、です」

ヨアキム司祭が、教皇をゴミでも見るように冷たく見下ろして返した。

「少なくとも彼は、あなた方強欲な豚どもよりは、自分の『罪の重さ』を痛いほど知っております」

「ッ……!」

あらまあ。

だいぶ物理的にも精神的にも刺さりましたわね。ご愁傷様。

アーサーは、その周囲の熱狂的な宣言に対しても、少しも野心で嬉しそうではなかった。

むしろ、これからの血反吐を吐くようなイバラの道に、静かに重圧を感じて困惑していた。

「ヨアキム司祭」

「はい、アーサー様」

「俺は、教皇などという大それた権力を望んでは……」

「重々存じております」

司祭は深く頷く。

「あなたが、二度と権力を望んでいないことも」

「……」

「ですが」

「……」

「権力という魔物を望んでいないあなただからこそ、今のこの腐った教国には絶対に必要なのです」

広場が、説得力に静まり返る。

ああ。

ええ。

その司祭のロジカルな理屈は、前世のビジネスマンとして少しだけ分かりますわね。

“欲しがる強欲な者(無能)に、決して大権を渡すな”。

“責任の重さと恐怖を知る有能な者へこそ、実務を持たせろ”。

前世の会社でも、今世の組織論でも、だいたいそれは正しい。

アーサーは、しばらく重い沈黙の中で黙っていた。

やがて、覚悟を決めたようにゆっくりと、私たち夫婦の方を見る。

「ルシア」

「何かしら」

「……俺が教皇になることに、お前たちの許しはいらない」

「ええ」

私は即答で、容赦なく言い切った。

「全くその通りですわ。自意識過剰ですのよ」

「……」

「別に、あなたを許して、今さら昔みたいに仲良くお茶会をしたいわけでもございませんし。興味がありませんの」

「それは、そうだろうな。俺の自惚れだ」

「ええ」

私たちの遠慮のないバッサリとしたやり取りに、ほんの少しだけ、張り詰めていた広場にクスッとした笑いが漏れた。

あら。

こういう極限状態の時にも笑えるのなら、教国の人心もまだ完全には死んでいないらしい。

「でも」

私は扇を閉じ、彼を真っ直ぐに見て続けた。

「あなたが本当に改心して変わったのなら」

「……」

「その変わった分くらいは、死ぬ気で一生、この教国のために働いていただきますわ。過労死するまでね」

アーサーが、私の容赦のなさに一瞬だけ目を見開く。

「崩壊した神聖教国の、ゼロからの再建」

「……」

「着服されていた、孤児院と地方神殿への資金の立て直し」

「……」

「信者からの寄進の、完全な透明化(ガラス張り)」

「……」

「あと」

私はニッコリと、最強のモンペの顔で笑った。

「二度と、うちの可愛い子たち(推し)へ『神の御子』などと妙な誘拐の視線を向ける愚か者が出ないよう、教義の根本から徹底的に首を絞めてくださいまし。もし次があれば、今度こそ教国を地図から消しますわ」

「……ああ」

アーサーは、私の脅しに怯むことなく、深く頷いた。

「それは、俺の命に代えても必ず約束する」

その返事に、一切の嘘はなかった。

◇ ◇ ◇

すべてが一段落した頃には、聖都の陽も少し西へ傾きかけていた。

前教皇一派は、聖騎士団によって完全に拘束されて地下牢へ。

裏帳簿の原本も、私たちがすべて押収して証拠として確保。

神獣はまだ、私の足元の傍でお利口に丸くなって「撫でて」と尻尾を振っている。

そして、暫定的新体制となった大混乱の教国の中心には、質素な修道服の元王太子。

……何ですの、この数時間での怒涛の急展開は。

さすがに少し疲れましたわ。

「ルシア」

クライス様が、私を気遣うように低く呼ぶ。

「何ですの」

「すべて終わった。もう帰るぞ」

「ええ」

私はホッと息を吐いて頷く。

「愛する子どもたちが、領地の屋敷で待っておりますものね」

「ああ。エルの顔が見たい」

「それに」

私は足元の神獣の頭をポンポンと叩く。

「この良い子も、そろそろ魔界の本来の居場所へ帰還させて差し上げませんと」

神獣が、「えっ、もう帰るの?」と少しだけ名残惜しそうにキュゥと鼻を鳴らした。

あら。

少し、私とクライス様に懐かれてしまいましたかしら。可愛いですね。

その時、私たちの後ろから、アーサーの控えめな声がした。

「ルシア」

振り返る。

彼はまだ、私たちから一定の距離を保った、少し離れた場所に一人で立っていた。

「何かしら。文句なら受け付けませんわよ」

「……ありがとう、とは言わない」

「そうでしょうね。言われても困ります」

「俺には、そんなことを言える立場でも資格もない」

「ええ」

「だが」

彼は静かに、深く頭を下げた。

「今度こそ、過去と同じ愚かな過ちを繰り返さないと、誓う」

私は、その不器用な姿を少しだけ見つめた。

かつての傲慢な彼なら、その謝罪の一言さえ、自分を良く見せるための『飾り』にしただろう。

でも今は違う。

ただ、静かに、事実として。

それだけを言って、頭を下げている。

「では」

私は小さく、嘲笑うでもなく笑った。

「これからの死ぬ気の働き(成果)で、それを見せてくださいまし」

「ああ。必ず」

「口先だけの綺麗な言葉なら、昔のあなたでも得意でしたものね」

「……耳が痛いな」

「当然ですわ」

「そうだな」

クライス様が、そこで独占欲を隠すこともなく、私の肩をガシッと抱き寄せた。

そのまま、アーサーに背を向け、当然みたいにエスコートして歩き出す。

「帰るぞ」

「ええ」

私は最後にもう一度だけ、振り返った。

完全に崩壊し、生まれ変わろうとしている巨大な教国。

拘束されて引きずられていく強欲な教皇。

ざわめき、未来へ期待を寄せる信者たち。

そして、その泥まみれの中心に立つ、かつての愚かな王太子だった男。

ああ。

本当に、人とは数年で、環境によって変わるものなのですわね。

でも。

それでいい。

変わらないまま腐り果てるより、ずっといい。

何より、これでまた一つ、私たちの愛する我が家の平和へ、確実な安全という形で近づいたのだから。

「クライス様」

「何だ」

「少しだけ、不思議ですわね」

「何がだ」

「私を追放した元婚約者が、まさか大国の新教皇候補になりましたの」

「……」

「人生、本当に何が起きるか分かりませんわ」

「そうだな。悪運の強い男だ」

「でも」

私はニッコリと、隣の最愛の夫へ向けて笑う。

「今の私には、彼の人生などもう1ミクロンも関係ございませんもの」

「……ああ」

クライス様の、私の肩を抱く腕が、ほんの少しだけ嬉しそうに強くなる。

「お前は、俺だけの愛する妻だ」

「ええ」

「それで、すべて十分だ」

「はい。私も、あなたがいてくれれば十分ですわ」

その一言だけで、カチコミの疲れも吹き飛び、胸の奥が甘くあたたかくなる。

そう。

もう、昔のクソみたいなゲームの物語は、完全に終わったのだ。

窮屈な王太子妃の座も、理不尽な悪役令嬢の役割も、とっくに遠い過去の話。

今の私は、この世界最強のクライス様の妻で。

エルとリリアという天使たちの母で。

無敵の最強家族の一員で。

そして、今日もまた、家族の平和のために一仕事(教国解体)を無事に終えた、大満足の限界オタク妻なのである。

――でしたら、後はさっさと領地へ帰って、推したちの可愛い寝顔を心ゆくまで堪能するだけですわね!