作品タイトル不明
第68話 神聖教国からの怪しい使者。「その子らを聖なる御子として差し出せ」
娘のリリアが、庭へ巨大な氷の城をドカンと建ててしまった翌日から、フェルド辺境伯爵領はまた少しだけ、別の意味でざわついていた。
もちろん、悪い意味ばかりではない。
「リリア様のあの魔法の氷のお城、まだ溶けずに残ってるんですって!」
「見た? あの尖塔、朝日に光ると神々しくてすごく綺麗なのよ」
「エル様も最近ますます旦那様に似てこられて……」
「ご領主様ご一家、やっぱり本物の神に祝福されてるんじゃないかしら。ありがたや……」
……そういう、神格化の噂である。
ええ。
分かりますわよ。
オタクとして、推しを神と崇めたくなる気持ちは痛いほど分かりますとも。
六歳の子どもが『巨大な氷の城』などという、初回にしては少々どころでなく物理法則を無視した規格外な現象を起こせば、そういう方向へ話が転がるのも無理はない。
しかも、うちの領地にはもともと私を“豊穣の女神”だの何だのと呼んで、広場に勝手に銅像まで建てようとした『妙な崇拝未遂の前科』まである。
そこへ、規格外の魔力を持つ娘と、父に似て剣の才能に溢れる聡明で落ち着いた息子まで揃っているのだ。
領民たちが「このご一家、少々人間離れしているのでは?」と手を合わせて囁きたくなる気持ちは、まあ理解できる。
理解はできるのだが。
「領民の無邪気な噂話で済んでいるうちは、大変微笑ましくてよろしいのですけれどね」
私は執務室で書類をパタンと閉じながら、氷のように静かに言った。
「何だ」
向かいのデスクで仕事中のクライス様が、私の不穏な気配を察して顔を上げる。
私は一枚の仰々しい文書を、机の上へスッと滑らせた。
最高級の白い羊皮紙。
金糸の縁取り。
そして、封蝋の中央には見慣れない――いや、前世の乙女ゲームの知識として“見慣れていてほしくない”巨大な権威の紋章。
「『神聖教国』より」
私は感情を殺して淡々と告げる。
「名指しで、我が家へ使者が参ります」
クライス様の整った眉が、ほんの少しだけ不快そうに寄った。
神聖教国。
この大陸最大の宗教国家。
各国の王侯貴族ですら、表向きは無碍にできぬ絶対的な権威と数百万の狂信者を持つ場所。
“神託(神の意志)”とやらを都合のいい錦の御旗にして、あちこちの他国の内政や人事にまで厚かましく口を出してくる、たいそう厄介な連中でもある。
私は前世の記憶が戻ってからというもの、あの手の“抽象的な 正義(やりがい) ”を振りかざして他人の人生へ土足で踏み込んで搾取する組織が、心底大嫌いになった。
いえ、前世から嫌いでしたわね。
会議室で“会社のため”とか“業界全体のため”とかフワッとした大義名分を言いながら、特定の誰かへだけ異様な負担(サビ残)を押しつけてくるブラック企業の上役と、たいへんよく似ておりますもの。
「……名目は何だ」
クライス様が、警戒心を露わにして短く問う。
「“祝福”ですって」
私は、ニッコリともせずに冷酷に笑った。
「“かのフェルド辺境伯爵家に生まれし、光満ちる二柱の幼子へ、神の祝福を直接授けるため”だそうですわ」
「……」
「胡散臭い、嫌な匂いしかしませんわね」
「同感だ」
その時だった。
執務室の扉がコンコンと叩かれ、ひょこりとリリアが天使のような顔を出した。
後ろにはエルもいる。
二人とも午前の家庭教師の勉強を終えたところらしく、エルは分厚い本を抱え、リリアはなぜか小さな花冠を持っていた。
「おとうさま、おかあさま」
「どうなさいましたの」
私が声音を極限まで甘くやわらげると、リリアはパタパタと駆け寄ってくる。
「きょうの午後のおやつ、雪花菓子と蜂蜜乳菓、どっちがいいですか?」
「まあ」
私は限界オタクの顔で目を細めた。
「究極の二択ですわね。難しい問いですわ」
「ぼくは、両方少しずつ半分にして食べるのがいいです。効率的ですから」
エルが、極めて理性的でクールな回答をした。
「……」
「……」
私とクライス様は、無言で息子を見た。
ああ。
この子、本当に頭の育ちがよろしいですわね。
子どもの欲求と合理性のバランスが、すでに完璧ではありませんこと?
「エル」
私は真顔で、我が子を褒め称えた。
「その折衷案、大変優秀で素晴らしいですわ」
「ありがとうございます。父上の教えです」
「やっぱり私たちの最強の息子ですわね」
「そうだな。賢い」
クライス様まで、親バカ全開で深く頷く。
一方のリリアは、背伸びをして私の頭へ花冠を載せようとしていた。
「おかあさま、きょうはこれです!」
「まあ、ありがとう、リリア」
「きらきらしたほうせきはついてないけど、とってもかわいいですの!」
「ええ」
私は娘のやわらかい頬へ愛おしく触れた。
「あなたがママのために選んでくださったのなら、どんな宝石より世界一最高ですわ」
ああ、いけません。
ついさっきまで『神聖教国の使者』などという特級呪物レベルの厄介案件へ眉を寄せていたのに、お子たちが来た瞬間、尊さでそれどころではなくなるではありませんか。
ですが。
だからこそ、なのだ。
私は娘のくれた花冠に触れながら、静かに、腹の底でドス黒い青色の炎を燃やす。
――この愛する宝物(推したち)へ、不純な理由で妙な手を伸ばす者は、神だろうが何だろうが、一匹残らず絶対に許しませんわよ。
◇ ◇ ◇
神聖教国の使者がフェルド領へ到着したのは、二日後の昼だった。
空はよく晴れていた。
風も穏やか。
領都の正門前には、いつものように整然とした出迎えが用意されている。
ただし、今回ばかりは『迎撃態勢』が少しだけ違った。
領兵の配置は通常より三倍多い。
そして、屋敷へ続く導線の途中には、私が徹夜してこっそり『十重のチート感知結界』を敷いてある。
敵意、祝福を騙った拘束術式、洗脳魔法、呪物。
そのあたりへ過敏に反応して即座に無力化するよう、かなり丁寧に、えげつない仕様で。
「本気ですね、奥方様」
ハインツさんが、私の横で冷や汗を流しながら小さく呟いた。
「当然です」
私は即答した。
「相手が怪しい新興宗教……いえ神聖教国で、目的が“祝福”などという実体のない単語の時点で、何一つ信用できませんもの」
やがて、街道の向こうに『真っ白な集団の列』が見えた。
まず目についたのは、眩しいほどの白金の法衣。
次に、無駄に毛並みの良い白馬。
その後ろに、淡い金糸で神紋をデカデカと刺繍した巨大な旗。
無駄に豪奢で、無駄に仰々しい。
ああ、本当に前世のワンマン社長みたいで嫌ですわね。
あの“我々は神に仕える絶対的に高位の存在です”という特権階級の圧を、何の衒いもなく前面に出してくる感じ。
先頭に立つ男が、馬からゆっくりと偉そうに降りる。
年の頃は四十前後。
神経質そうに痩せた顔。
鼻筋だけはスッと通っているが、目がよろしくない。
権力を笠に着て人を見下し慣れた、ひどく乾いた、欲望に満ちた目だ。
その後ろに従う者たちも、似たようなものだった。
白衣の神官たち。
数名の重武装した護衛の聖騎士。
そして、やたらと大きな“見せかけの贈り物”の箱を抱えた従者。
……あの箱、絶対にロクなもの(呪具か何か)ではありませんわね。
「神聖教国中央神殿、大司祭補佐、セラフィオン・ディ・ラウスと申します」
痩せた男が、わざとらしいほどゆっくりと尊大に名乗る。
「神の絶対なる御威光のもと、フェルド辺境伯爵家へ祝福を届けに参りました。お喜びください」
「フェルド辺境伯爵、クライス・フェルドだ」
クライス様が、低く氷のように返す。
「妻の、ルシア・フェルドですわ」
私も無表情に続けた。
セラフィオンと名乗った男の目が、まずクライス様へ。
次に私へ。
そして、私たちのほんの少し後ろで、行儀よく控えていたエルとリリアへ流れる。
その瞬間。
「……ほう」
男の目が、明らかにギラリと色を変えた。
値踏み。
それも、“金と権力になる極上の獲物を見つけた”時の下劣な目だ。
私は笑みを崩さず、心の中だけで冷たく、特大の殺意の息を吐いた。
ああ。
やっぱり。
ただの祝福だけで、大人しく帰る気など、最初から1ミクロンもありませんのね。
「こちらが」
セラフィオンの薄い口元が、うっすらと歪む。
「神託に示された、奇跡の二柱の幼子」
「何ですの?」
私は穏やかに、扇の奥から問い返した。
「神託?」
「ええ」
男は大仰に、芝居がかった動作で頷く。
「教皇猊下を通じて、天より下された絶対なる神言にございます」
「まあ」
「“北の果て、氷と豊穣の交わる地に、神の奇跡を宿す二つの光あり”と」
「……」
「一つは最強の剣の光、一つは万物を統べる魔の光」
その粘着質な目が、真っ直ぐにエルとリリアへ向けられる。
「まさしく、このお美しいお子らだ」
リリアが、怖がって私のドレスの裾をキュッと強くつかんだ。
エルも一歩だけ無言で前へ出て、妹を敵から庇うように立つ。
その小さな家族を思いやる動きだけで、オタクの胸が感動で熱くなる。
ああ、いけませんわね。
うちの子たち、こういう緊迫した場でも本当にお互いを思いやるのだ。
尊い。
でも今は、それ以上に、このキモい男に対して死ぬほど腹が立つ。
「それで?」
私は微笑んだまま、氷の目で問う。
「そのフワッとした神託が、我が家の子どもたちとどう関係するとおっしゃるのかしら」
「簡単なことです」
セラフィオンは、そこでとうとう本性を隠そうともしなくなった。
「その類稀なる力を持った子らは、神に選ばれた『聖なる御子』」
「…………」
ああ。
来ましたわね。カルト宗教特有の誘拐(囲い込み)メソッドが。
「聖なる御子として」
男は当然の権利のように一歩前へ出る。
「教国の『厳重な管理下』へ置かねばなりません」
風が、ピタリと止んだ気がした。
領門前の空気が、一瞬で絶対零度に冷える。
ハインツさんが「こいつら、死んだな」とわずかに目を見開く。
領兵たちの気配が、一斉に殺気立つ。
そして私の隣で、クライス様の沈黙が、吹雪の前触れのように少しだけ深く、重くなる。
私は静かに、コテンと首を傾げて瞬いた。
「……今、何と?」
「その子らは、神のものです」
セラフィオンは朗々と、狂信者の顔で言った。
「ゆえに、俗世の一介の辺境領主が、私的に囲い育てることなど絶対に許されません」
「……」
「教国へ、今すぐお引き渡しいただきます」
「……」
「教国の神殿の奥深くで正しく教育し、神意に沿う形(兵器)でお育てする」
男はそれが絶対的に正しく、逆らう者などいないと信じて疑わぬ顔で言う。
「これは、絶対なる神の御心であり、教国の総意でもございます」
リリアの小さな手が、ガタガタと震えながらさらに私の裾をつかむ。
エルの小さな肩にも、ハッキリと恐怖と怒りの力が入った。
私はゆっくりと、二人の子どもの前へ、庇うように出る。
あくまで穏やかに。
ニッコリと、いつも通りに優雅に笑いながら。
「お断りいたしますわ」
セラフィオンの目が、信じられないものを見たようにピクリと動いた。
多分、予想していなかったのだろう。
ここはまず親が驚き、動揺し、“神託など畏れ多い光栄です”と恐縮して平伏する流れだと思い込んでいたに違いない。
そこへ、1秒の迷いもない即答の拒絶。
しかも、こちらに1ミクロンの怯みもない。
「……ルシア夫人」
「何かしら」
「今のは、絶対なる神託への冒涜と拒絶と受け取りますが」
「その通りですわ。お耳が遠くて?」
私はニッコリと頷いた。
「だって、意味が分かりませんもの。要件定義がガバガバですわ」
「……何だと」
「“神のもの”?」
私は鼻で笑うように首を傾げる。
「一体、誰が?」
「そのお子らがだ!」
「まあ」
私は心底不思議そうにパチパチと瞬く。
「この可愛い子たちは、私と愛する夫との間に生まれた、私たちの血を分けた子ですわよ? あなた方の神様とやらは、いつウチの出産費用と養育費を払ってくださいましたの?」
「そ、俗世の金の理屈など」
「俗世?」
今度は私が、わずかに魔力を込めて声を低くした。
「神聖教国の方々は、ご自分たちもこの大地(俗世)で飲み食いして便所に足を置いている自覚がおありでなくて?」
セラフィオンの頬が、屈辱でわずかに引きつる。
「神託は絶対です!!」
「そうかもしれませんわね、あなた方の中では」
私はあっさりと冷たく認めた。
「でも、そのフワッとした言葉をどう都合よく解釈して利用するかは、あなた方の上層部の勝手な都合(利権)でしょう?」
「何を……!」
「“光ある才能を持った幼子がいる”と噂で聞いたから、“では教国の手駒(所有物)として洗脳しよう”になる理屈が分かりませんの」
私は小馬鹿にするように微笑む。
「その飛躍した論理を、私が納得できるように一から教えてくださる?」
後ろの神官たちが「異端者だ」とざわつく。
ああ。
とても良いですわね。
こういう手合いは、“神託”とか“御心”とかいう誰も反論できない曖昧な単語で、相手を黙らせて押し切れると思い上がっている。
だから、その曖昧な大義名分を、真正面からロジカルに言語化させようとすると途端に脆くボロを出す。
「神の意志に従うのは、信徒の当然の義務だ!」
セラフィオンは怒りで顔を赤くして絞り出すように言う。
「この大陸に住む者は、すべからく――」
「失礼」
私は冷たく遮った。
「私、あなた方の怪しい教国の信徒になった覚えは、これまでの人生で一度もございませんわ」
「……ッ」
「うちの領地でも、信仰の自由は認めておりますの」
私は穏やかに、だが絶対的な圧を込めて続ける。
「でも、それは“よその宗教国家がいきなり土足で踏み込んできて、他人の大切な子どもを寄越せと理不尽に命じる自由”ではございませんのよ。ただの誘拐(犯罪)ですわ」
リリアが、後ろで小さく「おかあさま……」と震える声で呼ぶ。
私は片手を後ろへ伸ばし、その小さなやわらかい手を軽く、力強く握った。
大丈夫。ママとパパがいるから。
そう伝えるように。
「ルシア夫人」
セラフィオンの顔から笑みが消え、脅すような色を帯びる。
「これは、あなた個人の母親の感情で拒否してよい話ではありません」
「ええ」
「神意に逆らうなら、異端審問にかけることも――」
「逆らいますわ」
私は即答した。
「…………」
今度こそ、神官たちの間に完全な沈黙が落ちた。
はい。
そこまで即答で驚かれるとは思いませんでしたわ。
「何を、狂ったか……」
「だって」
私はキョトンとした顔で言う。
「私のお腹を痛めて産んだ、私の大切な子ですもの」
「……」
「感情も何も、守るのが親として当たり前でしょう?」
そのまま、一歩だけ前へ出る。
「こんなにも愛する我が子を、意味の分からない神託とやらで誘拐すると言われて、“はいそうですか。神のためならどうぞ”と差し出す狂った母親が、この世界のどこにおりますの?」
セラフィオンが、ついに顔からすべての余裕を消した。
ああ。
ようやく本性のカルトの顔が出ましたわね。
「愚かで罪深い女ですな」
男は冷たく、見下すように言う。
「くだらぬ母の情に曇り、神の偉大なる御業を見誤るとは」
「神の御業?」
私は静かに、地の底から響くような声で笑った。
「それ、本当にあなたの信じる神様のお言葉ですの?」
「何だと」
「だって」
私は、私の命より大切な娘と息子を振り返る。
小さくて、可愛くて、かけがえのない、私たち夫婦の宝物。
「こんなにも愛おしく無垢な子たちを、親の腕から無理やり引き剥がして泣かせろなんて」
もう一度、セラフィオンを氷の目で見据える。
「まともな神様が、そんな残酷なことを言うはずがございませんでしょう?」
その瞬間。
私の隣の空気が、スッ、と絶対零度に冷えた。
愛するクライス様だった。
「これ以上」
低く落ちた、地鳴りのような死神の声に、神官たちと聖騎士の肩がビクリと揺れる。
「俺の愛する家族へ、腐った勝手な理屈を押しつけるな」
ああ。
来ましたわね。氷の騎士の絶対的な殺気が。
まだ静かだ。剣は抜いていない。
けれど、これはその分だけ限界まで危ない。
クライス様が本気でブチギレて殺す直前の時は、怒鳴るのではなく、むしろ声が低く、静かになる。
セラフィオンも、生存本能でそれは感じたらしい。
顔を青ざめさせ、ほんの少しだけ後ろへ重心を引いた。
だが、引けないのだろう。
教国という強大な権威を背負って来た以上、ここであっさり退けば自分の面子が潰れるからだ。
だからこそ、余計に面倒で愚かなのだけれど。
「へ、辺境伯」
男はわざとらしく、強がってため息をついた。
「あなたは、神に選ばれた子らの意味(価値)を全く理解していない」
「理解する必要が1ミクロンもない」
クライス様は、妻を庇うように一歩前に出て即答した。
「俺の、子どもだ」
「それは、ただの血の上での話だろう」
「それ以上に確かなものがあるか。十分すぎる」
「絶対なる神意の前では、親子の情など無意味だ!」
「神意だろうが何だろうが、俺の家族には一切関係ない」
声が低い。
低いが、ハッキリと分かる。
この人、完全に『親モード(モンペ)』でガチギレしておりますわね。
しかも、隣で聞いている限界オタクの私の方まで、胸が熱くなるような、あまりにも頼もしすぎる言い切り方で。
「この子たちは」
クライス様が、静かに殺気を放ちながら一歩前へ出る。
「俺とルシアの、命に代えても守る宝だ」
「……ッ」
「それ以外の説明は、俺の領地では一切要らん」
「…………」
神官たちが、完全に言葉と反論を失っていた。
分かりますわよ。
この手合いの宗教権威は、“神”とか“教義”とかいう大きな看板の前に、相手が思考停止して萎縮する前提で出来上がっているシステムだ。
だから、真正面から“知らん。俺たちの子だ。帰れ”と圧倒的な武力(親の愛)で返されると、驚くほど脆い。
だが、セラフィオンはなおも顔を真っ赤にして食い下がった。
「必ず後悔なさるぞ」
「しませんわ」
今度は私が、冷たく遮って言う。
「教国全土を敵に回せば、貴様らなど異端として――」
「回しますわよ」
「……なッ」
「必要なら、喜んで」
私の声から、ついに一切の笑みが消えた。
風が、また完全に止む。
リリアとエルのいる私の背後へ、そっと私の魔力で障壁を十重に重ねる。
目に見えない薄い防護の膜。
それだけで、私の中の『母親としてのスイッチ』がきれいに切り替わった。
「神のため、ですって?」
私は静かに、見下すように問う。
「ええ! 神のためだ!」
「大変結構」
「なら、さっさとその子らを――」
「ですが、私にとっては」
私はキッパリと、冷酷な魔王の顔で言い切る。
「あなた方の神などより、我が子の命と笑顔の方が、百万倍大事ですの」
「……ッ!!」
セラフィオンの顔が、初めてハッキリと屈辱と怒りで歪んだ。
ああ。
今のは効きましたわね。
もちろんです。
私は最初から、相手の 信仰(プライド) を叩き折るつもりで言いましたもの。
「本日のところは、このままおとなしくお帰りくださいまし」
私は冷たく、最後通告として告げる。
「次に同じ戯言を口になさるなら」
「……」
「今度は“友好的な使者”としてではなく、“私の可愛い子どもを奪いに来た排除すべき敵”として、この領地で物理的に処理(殲滅)いたしますわ」
神官たちと聖騎士の間へ、本能的な恐怖のざわめきが走った。
そう。
それでよろしい。
こちらがどれほど本気か、骨身に沁みるまで理解なさいまし。
セラフィオンは、屈辱でワナワナと震えながら、しばらく黙っていた。
やがて、ギリッと唇を引き結び、ゾッとするほど平坦な憎悪の声で言う。
「……この絶対なる神託への拒絶」
「ええ」
「神と、我々教国への完全な反逆と受け取ります」
「お好きになさいませ」
「ルシア夫人、そして辺境伯よ」
「何かしら」
「必ず、血の涙を流して後悔させますぞ」
私は、そこでようやくほんの少しだけ、この上なく邪悪に笑った。
「ええ、楽しみにお待ちしておりますわ」
「……ッ」
「ただし」
私は視線を細め、殺気を放つ。
「最後に血の涙を流して泣くのは、間違いなくそちらになりましてよ」
◇ ◇ ◇
不快な使者たちが、馬を反して去った後。
領門前には、まだピリピリとした冷たい空気が残っていた。
リリアは少しだけ怯えた顔で私の手を強く握り、エルは黙ったまま、自分の無力さを噛み締めるように父の袖をギュッとつかんでいる。
私はドレスの裾を気にせずしゃがみ込み、二人と目線を合わせた。
「大丈夫ですわよ」
「……ほんと? リリア、つれていかれない?」
リリアが涙目で小さな声で聞く。
「ええ」
私は最高に優しい母の顔で微笑んだ。
「誰にも、ママの大切なあなたたちを奪わせたりしません」
「……」
「絶対に。指一本触れさせませんわ」
エルが、ジッと私を見た。
それから、小さく、しかし力強く頷く。
「ぼく、父上と母上を信じます。ぼくも、リリアを守ります」
「ッ……」
だめですわ。
その真っ直ぐな家族への信頼、本当にだめですわ。
限界オタクの胸の奥へ、ストレートに来すぎます。
クライス様もまた、子どもたちの前へしゃがみ込んだ。
「エル」
「はい」
「リリア」
「はい」
「怖かったなら、素直に怖いと言っていい。我慢するな」
「……」
「だが」
その優しく力強い蒼い目が、真っ直ぐに二人の子どもたちを見つめる。
「何も心配はいらない」
「……」
「お前たちの未来は、俺たちがすべて懸けて守り抜く」
ああ。
はい。
完璧ですわね。
子どもたちの不安をしっかり認めた上で、最後に“守る”と絶対の安心感で言い切る。
父として、あまりにも格好良くて完璧すぎますわ。
リリアが、パッとクライス様へ泣きながら飛びついた。
「おとうさまぁ!」
「何だ」
「リリア、おとうさまとおかあさまが、だぁいすき!!」
「……そうか。俺もだ」
言いながらも、娘を抱き上げる手つきは、驚くほどあたたかく優しい。
エルはそこまで素直には飛びつかなかった。
けれど、ほんの少しだけ、安心したようにクライス様の大きな肩へピトッと寄り添った。
その控えめな甘え方が、また不器用な父親そっくりでたまりませんわね。
私はそっと立ち上がる。
胸の奥は、ひどく静かだった。
静かで、その分だけ、ドス黒い怒りが深い。
神聖教国。
神託。
聖なる御子。
管理下へ置く。
……上等ですわね。
私の愛する推し(我が子)を前に、あのような身勝手な理屈を平然と口にした時点で、もう彼らを容赦する理由は、この世界のどこにもなくなった。
「クライス様」
「何だ」
「どうやら」
私はニッコリと、魔王のように笑った。
「私たちの、新しい“ざまぁ対象”が決まったようですわね」
クライス様の目が、スッと冷酷に細くなる。
「ああ。生かしてはおかん」
「今度は、相手が少々大陸規模の宗教権威を持ちすぎていて、外交的に面倒ですが」
「関係ない」
「ええ」
私は深く頷いた。
「我が子を狙った時点で、相手が誰だろうと関係ございませんわ」
その時。
空の向こうで、黒い雲がゆっくり流れていった。
平和だった豊かな領地に、また新しい火種が落ちた。
しかも今度は、一国の軍でも皇太子でもない。
“神”という絶対的な名を借りた、大陸最大の宗教権威。
……ええ。
面倒なことになるのは、分かっておりますとも。
でも。
だから何だというのでしょう。
こちらには、互いを信頼し合う『最強の父と母』がいて。
何より、何に代えても守るべき『最高の推したち(家族)』がいるのだ。
――でしたら、次は私たちの『最強のモンスターペアレント夫婦(無双)』の時間ですわね。