軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第44話 クライスの実家(義両親)との対面。推しを生んだ神々に感謝!

あの手作りの超高級温泉で、盛大にのぼせて倒れた翌日。

私は、朝からベッドの端で自分の情けない行いを深く、深く反省していた。

「……一生の不覚ですわ」

寝台の端で正座しながらうわ言のように呟くと、向かいのソファで優雅に朝のお茶を飲んでいたクライス様が、淡々と返す。

「何がだ」

「夫婦水入らずの混浴の初回確認で、あろうことかのぼせて気絶するなど。辺境伯爵夫人として、あまりにも情けない大失態ではありませんこと?」

「妻としてはいつも通りだ」

「どういう意味ですの!?」

「限界オタクのお前らしい」

「……それは褒めていらっしゃるのかしら」

「半分くらいは」

「残りの半分は何ですの」

「愛おしくて面倒だなと思っている」

「ひどい方」

だが、その口元が少しだけ意地悪く、けれど甘く緩んでいるのを見てしまうと、本気で怒る気にもなれない。

そもそも、あの温泉施設自体は大成功だったのだ。

クライス様も「疲れが嘘のように抜けた。かなりいい」と認めてくださったし、私がこだわって作った湯上がり処の長椅子も、使い心地は上々だった。

……ただ、次回からはもう少し私の心臓(HP)へ優しい、段階的な運用(混浴)を求めたいところである。

そんなことを顔を熱くして考えていると、執務室の扉が慌ただしく叩かれた。

「旦那様、奥方様」

入ってきたハインツさんが、どこか普段より緊張しつつも、表情を嬉しそうに和らげている。

「本日、大切なお客様がお見えになります」

「客?」

クライス様が書類から顔を上げる。

「誰だ。王都からの使者か」

「ご両親様(前伯爵ご夫妻)でございます」

「…………」

一瞬、私の時間が完全に止まった。

ご両親。

今、この老家令は、確かにハッキリとそうおっしゃった。

つまり。

クライス様の。お父上とお母上。

この素晴らしき国宝級の推しをこの世に生み出し、育て、辺境伯爵家の完璧な嫡男として完成させた、いわば『創造主』にして『すべての尊さの根源』たるお二方。

「……ッ」

私は反射的に、ガタッ! と立ち上がった。

「ハインツさん!」

「はいッ」

「もっと早くおっしゃってくださいまし!!」

「い、今しがた早馬の使いの者が……」

「お出迎えの準備は!? 応接室の最高級の花は!? 茶葉の銘柄は何を!? お茶請けの焼き菓子の配合比率は!?」

「ルシア、落ち着け」

クライス様の低い声が飛ぶ。

「隠居している義父上と義母上が、ふらりと様子を見に来るだけだ」

「“だけ”ではございませんわよ!!」

私は本気で、悲鳴に近い声で叫んだ。

何ですのそれは。何ですのその平然とした塩対応は。

この方、ご自分のご両親を何だと思っていらっしゃるのかしら。

いや、本人は実の親なのだから普通に決まっているのだけれど、限界オタクの私にとっては普通どころではない。

推しを生み出したご両親。

つまり、存在そのものが『神』である。

感謝してもしきれない。むしろ正座で三日三晩拝み倒したい。いや正座では足りないかもしれない。五体投地でお迎えするべきか。

「ルシア」

「はい!」

「声が異常に大きいぞ」

「当然ですわ!」

私は胸の前でギュッと手を組んだ。

「クライス様のご両親ということは、私にとって“この世へ最高の推し(奇跡)を送り出してくださった神々”に等しいのですもの!」

「朝から何を言っているんだお前は」

「魂からの本音ですわ!」

「知っているが、頼むから親の前ではやめてくれ」

クライス様が、頭を抱えて深く息を吐く。

だが、そこで強く否定して止めない辺り、この人も私というオタク妻の生態をだいぶ諦めて(受け入れて)いるらしい。

「とにかく」

私は早口でハインツさんへ向き直る。

「最上級の茶器セットを。応接室は東側の陽が一番柔らかく入る方へ。あと焼き菓子は甘さ控えめと、辺境の香草を使った塩味のものを半々でご用意して」

「承知いたしました」

「花は白と淡い青を中心に。派手すぎる成金趣味のものは避けて、気品のあるアレンジメントで」

「はいッ」

「それから」

「ルシア」

クライス様がまた、呆れたように呼ぶ。

「何度も言うが、俺の両親だぞ」

「存じております」

「そんなに国賓を迎えるように構えなくていい」

「無理ですわ。神の御前ですもの」

1ミクロンの迷いもなく即答した。

◇ ◇ ◇

結果として、私はその後もずっと、落ち着きなくソワソワし通しだった。

鏡を見て髪の毛一筋の乱れを整える。

ドレスのシワをミリ単位で確認する。

応接室の椅子の位置を見に行く。

戻ってきて、またお茶の温度をシミュレーションする。

侍女が「十分お綺麗で完璧です」と何度言っても落ち着かない。

「……無理ですわ。緊張で吐きそうです」

「本日二十回目でございます」

侍女が静かにツッコむ。

「そんなに申しました?」

「ええ」

「まだ緊張感が足りない気がいたしますわ」

「それはお嬢様の『信仰心』の問題かと」

その時。

屋敷の外から、重厚な馬車の到着を告げる音がした。

「ッ」

私はその場で、完全に硬直した。

来た。

来てしまった。創造主様方が。

「ルシア」

扉のところで待っていたクライス様が、こちらへスッと手を差し出す。

「行くぞ」

「……はい」

私は震える手で、その大きな手を取った。

不思議なもので、こういう限界の時でも、この人のあたたかい手に触れると少しだけ過呼吸が整う。

いや、整わない 時(イチャイチャ) も多いのだけれど、今日は“夫”としての絶対的な安心感が勝った。

玄関ホールへ向かう。

重厚な両開きの扉が開く。

先に入ってきたのは、長身の初老の壮年男性だった。

クライス様とよく似た、氷のように鋭い蒼い目。

けれど髪には少し上品な銀が混じり、顔立ちはより厳めしく、年輪を重ねた深みがある。

立ち姿に一切の無駄がなく、静かな、歴戦の武人としての威圧感がある。

続いて入ってきた女性は、息を呑むほど驚くほど美しかった。

柔らかな銀灰の髪、涼やかな笑み、けれど目元にはどこか悪戯っぽい、聡明な光がある。

ああ、この方だ。

このお二方の遺伝子が奇跡的な配合を果たしたから、クライス様のあの国宝級の整いきった顔がこの世に成立したのだと、一目で完全に理解できた。

(神々ですわ……後光が射して見えますわ……!)

私は思わず、クライス様の手を引くように一歩前へ出ていた。

「お父様、お母様」

クライス様が静かに言う。

「遠路はるばる、来てくださったか」

「当然だろう」

父君――先代フェルド伯爵が、低く重い声で答える。

「愛娘のような嫁を迎えたと聞いて、顔も見ずにいる不義理な親がどこにいる」

「しかも、王都で名を馳せた、とびきり面白くて有能なお嬢さんだと聞いたもの」

母君がクスリと上品に笑う。

「ずっと楽しみにしていたのよ、ルシアさん」

その慈愛に満ちた言葉で、私のオタクの涙腺はとうとう限界を迎えた。

「ありがとうございます!!」

バッ! と両手を胸の前で祈るように組み、私は深々と、それこそ直角に頭を下げた。

「この素晴らしい、世界一尊い方(クライス様)をこの世へ送り出してくださって、本当に、本当にありがとうございます!!」

「……は?」

先代伯爵が、厳めしい顔を崩して珍しく間の抜けた声を漏らす。

だが私は止まらない。

「日々、限界まで痛感しておりますの! その彫刻のような顔立ち、圧倒的な剣技、強すぎる責任感、無口で不器用なところ、そしてたまに見せる火力の高すぎる重い甘さ(デレ)まで、全部があまりにも完璧に完成されておりまして! その尊さの根源たるお二方へ、まず何よりも最初に、オタクとして最大の感謝を申し上げたく――!」

「ルシア」

「はい!」

「少し、いやだいぶ落ち着け」

クライス様の声が、ものすごく低い。

だが、私の信仰の熱は簡単には収まらない。

「だって、だってですわよ!?」

私は思わずバッと顔を上げた。

「この方の、私が知らない可愛い幼少期をご存知で、この方が初めて木剣を握った頃をご存知で、この方の成長を一番近くで間近で見守ってこられたお方々なのですもの! それはもう、私にとっては 神域(サンクチュアリ) で――」

「ブフッ」

母君が、とうとう堪えきれずに扇で口元を押さえた。

「もう駄目、我慢できないわ」

「お、お母様!?」

クライス様が目を見開く。

次の瞬間、母君は貴族の淑女の仮面を投げ捨てて、お腹を抱えて笑い出した。

肩を震わせ、目尻に涙まで浮かべて。

その隣で、あの厳格そうな先代伯爵も数拍遅れて、とうとう堪えきれなくなったらしい。

「クックック……!」と、低く、けれどハッキリと声を立てて笑い出した。

「クライス」

先代伯爵が、笑いを含んだ声で息子に言う。

「お前、ずいぶんと……熱烈で面白い娘を妻にしたな」

「……否定はしません」

「否定しないのね!?」

私は反射的にクライス様を見る。

すると。

クライス様は、非常に珍しいことに、耳の先まで真っ赤にしてそっぽを向いていた。

「クライス様……?」

「見るな」

「見ますわ」

「やめろ。親の前だ」

「無理ですわ。照れてる推しも最高ですもの」

「お前、本当にそういうところだぞ……」

その夫婦のやり取りを見て、母君はさらに手を叩いて笑った。

「まあ、まあ、素敵」

「母上、笑いすぎです……」

「だって、あのいつも仏頂面のクライスが、こんな真っ赤な顔をして振り回されてるんですもの。長生きはするべきね」

「……」

「ルシアさん」

母君が、涙を拭ってニッコリと私を見る。

「ありがとう」

「へ?」

「この不器用な子を、そこまで熱烈に、愛して大事に見てくれて」

その声は柔らかくて、でもどこか親としての心からの本気だった。

私は一瞬、言葉を失う。

「……大事ですわ」

顔を赤くして、やっとそれだけ言うと、母君は嬉しそうに目を細めた。

「ええ、二人の空気を見れば、痛いほどよく分かるわ」

◇ ◇ ◇

応接室へ移ってからも、空気は驚くほど和やかだった。

先代伯爵はクライス様と同じで寡黙な方だが、必要な時に必要な言葉を的確に置く。

領地の現状、不正代官の追放、農地の魔法での再生の報告へも真剣に耳を傾け、ところどころで的確な実務の質問を挟んだ。

一方で、母君はそれ以上に(オタクに対する理解度が)すごかった。

「まあ、何町歩もある荒れた農地を、数十秒で?」

「ええ。土壌菌の活性化も含めて」

「水路まで?」

「地下水脈から整えましたわ」

「おまけに、山に温泉まで?」

「作りました。半日で」

「……クライス」

母君が、静かに呆れたように息を吐く。

「あなた、本当にとんでもない規格外のお嫁さんを捕まえたのね」

「俺もそう思う。自慢の妻だ」

クライス様が、真っ赤な顔のまま平然とドヤ顔で頷く。

やめてくださいまし、その夫婦で私を褒め殺して追い詰める流れ。

心臓がもちません。

だが、もっと限界だったのはその後だ。

「ところでルシアさん」

母君が優雅に紅茶のカップを置いた。

「あなた、玄関でさっきから“この素晴らしい方”とか“神々”とか言っていたけれど」

「はい」

「そんなに、うちのクライスが好きなの?」

「もちろんですわ。世界で一番愛しております」

私は1ミクロンの迷いもなく即答した。

応接室が一瞬静まり、それから母君がまた「ブフッ」と紅茶を吹き出しそうになった。

先代伯爵まで、肩を震わせて口元を押さえている。

「……ッ」

クライス様が、とうとう耐えきれずに片手で目元を覆って天を仰ぐ。

「ルシア」

「はい」

「そこで親の前で即答するな」

「でも隠しようのない事実ですわ」

「そういう問題ではない。俺の理性が死ぬ」

「私の愛に何か問題あります?」

「大ありだ。可愛すぎる」

私は首を傾げた。

だが、先代伯爵は低く笑って言った。

「いや、いい」

「父上」

「実に分かりやすい。良い夫婦だ」

「……」

「安心した」

その言葉に、クライス様がわずかに顔を上げる。

先代伯爵は、跡取りである息子を真っ直ぐに、あたたかい目で見た。

「お前が、この先もずっと、一人で抱え込まずに『きちんと大切にされている』と分かったからな」

その親としての深い一言に、室内の空気が少しだけ静かになった。

私はそっとクライス様を見る。

この人は普段、自分が大切にされる側(甘える側)だとはあまり思っていない節がある。

王都でも、戦場でも、守る側で、背負う側で、支える側でいることが自然すぎるから。

だから。

私は、できるだけ真っ直ぐに、彼のご両親に聞こえるように言った。

「当然ですわ」

「……」

「クライス様は、私にとって世界で一番大切で、私が一生をかけて幸せにする方ですもの」

母君が「まあ……」と小さく感動の息を漏らし、先代伯爵が静かに、満足げに深く頷く。

そして、当の推し本人だけが、またしても耳まで真っ赤にして口元を覆っていた。

……本当に、見事なまでに分かりやすく照れる人だ。可愛い。

◇ ◇ ◇

その日の帰り際、母君は私の両手を取って言った。

「ルシアさん」

「はい」

「これからも、この不器用な子をよろしくね」

「もちろんですわ」

「でも、あなたも一人で頑張りすぎずに、しっかり頼りなさいね」

「……え?」

「クライスはああ見えて、独占欲が強くて、好きな相手にはとことん過保護に尽くしたがるのよ」

「母上」

「本当でしょう?」

「……否定はしない」

「ほらね」

私は目をパチパチさせた。

ああ。なるほど。

このタガが外れた後の激甘(過保護)路線、やはりフェルド家の血筋でしたのね。

母君は笑いながら、私にそっと耳打ちする。

「あと、あなたがさっき気にしていた『子どもの頃の 黒歴史(エピソード) 』なら、また今度ゆっくり、アルバム付きで聞かせてあげるわね」

「まあッ!!」

私の限界オタクの目が、カッ! と輝く。

「本当ですの!? 公式設定資料(アルバム) ですの!?」

「ええ。泣き虫だった頃の可愛い話がたくさんあるわよ」

「は、母上! それは絶対にやめてくれ!」

「クライス」

母君が悪魔のようにニッコリ笑った。

「覚悟なさい。嫁姑の秘密の共有よ」

クライス様の表情が、目に見えて絶望に渋くなる。

その反応すら尊い。

私は両手を胸の前で組み、心の底から思った。

(推しを生んだ義両親様、話が早くて最高ではありませんこと……!)

こうして、私は。

推しを生み出した創造主様方との初対面を、想像以上に温かく、そして想像以上に大笑いのうちに終えることになった。

そして同時に。

クライス様の『公式幼少期エピソード』という、オタクにとってあまりにも危険で、あまりにも魅力的な次なる供給源への扉も、静かに開かれてしまったのである。