作品タイトル不明
第127話 結婚式当日。タキシード姿の推しが尊すぎて、入場前に倒れそうです
結婚式当日の朝というものは、もっとこう、神聖で、静謐で、心安らかで落ち着いたものだと思っていた。
少なくとも、一般的な花嫁というものはそうあるべきだと、私は認識していた。
花嫁は凛として。
純白のドレスに身を包み、優雅に微笑み。
少しの緊張を胸の奥へ秘めつつも、品よく、慎ましく、その美しい時を待つ。
そういうものだと。
だが、現実の私の情緒はどうだ。
「…………無理ですわね。一歩もこの部屋から出たくありませんわ」
私は、都内最高級ホテルの花嫁専用控室で。美しい純白のウェディングドレスをまとったまま、巨大な姿見の前で、たいへん静かに、そして深く絶望していた。
無理に決まっているではないか。
ついに、この日が来てしまったのだ。
前世の魔法の世界で一度、生涯を誓い合った人と。
今世の現代日本で、もう一度。
同じ魂と、同じ重すぎる愛で、あらためて永遠を結び直す日が。
そんな奇跡みたいな供給を前にして、落ち着いていられる限界オタクがいるはずがない。
しかも、今の私は、客観的に見てもだいぶ危険な状態だった。
予算上限なし(青天井)で用意された、最高級のシルクドレス。
透けるような繊細なレースのマリアヴェール。
照明を弾いてきらめく、星屑のようなアクセサリー。
プロの魔法(技術)によって計算し尽くされた完璧なメイク。
一糸乱れぬ美しさに整えられた髪。
鏡の中の自分は、我ながら、かなり頑張って仕上がっていた。
前世の神殿での婚礼の日とはまた違う、現代日本の花嫁としての洗練された美しさが、ちゃんとそこにある。
でも。
でも、それ以上に私の生存本能を脅かす問題なのは。
「……あと少しで」
私は、すでにバクバクと五月蝿い胸元を、ドレスの上からそっと押さえた。
「あと数分で」
「……」
「この世の最高傑作である『タキシード姿の推し』と、正面から対面してしまうのですわよね?」
その動かしようのない事実が、もう、オタクの心臓にとってだいぶよろしくない。
前世の、あの白と銀の礼装の時点で、私は鼻血を出して倒れかける致命傷を負っているのである。
そして今世。
現代文明が誇る、最高峰のオーダーメイド・タキシード。
彼の肉体を完璧に縁取る立体裁断。
光沢を抑えた上質で深い黒布。
首元から肩へのラインを神々しく見せる美しいラペル。
端正な白シャツと、完璧に結ばれたタイ。
そのすべてが、クライス様の長身と骨格へ最適化される、あの夢のような戦闘装束。
何ですのそれ。
概念として、すでに国家の存亡に関わる危険物ではありませんこと?
「瑠衣さん」
私の硬直を見かねて、専属の美容スタッフの女性が、やわらかく声をかけてくれる。
「……はい」
「とっても、息を呑むほどお綺麗ですよ」
「ありがとうございます。プロの皆様の魔法のおかげですわ」
「でも」
「……」
「ちょっと、お顔色が悪くないですか? ご気分でも?」
「仕方ありませんわ」
私は、虚無の瞳をした真顔で答えた。
「これから対面する花婿側(推し)の火力が、私の想像のキャパシティを遥かに超える未知数ですので」
「えっ、火力、ですか?」
「いえ」
私は慌てて、花嫁らしい営業スマイルを作り直した。
「少々、初めてのことで緊張しているだけです」
「ああ、でしたら大丈夫です!」
スタッフの女性が、ほっとしたようにくすりと笑った。
「花嫁様は皆さん、直前になるとそうおっしゃいますから。お腹が痛いとか、逃げたいとか」
「……そういうものですの?」
「そういうものです」
「……」
「でも、たぶん」
彼女は私のヴェールの裾を美しく整えながら、ひどくやさしい声で言う。
「扉の向こうで待つお相手の九条様も、瑠衣さんと同じくらい、今は緊張されて胸をドキドキさせていますよ」
「……」
私は、その言葉に一瞬、完全に言葉を失った。
ああ。
そうか。
そうですわね。
今、私が尊さの供給過多で限界であるように。
向こうもまた、いつも通りの氷のポーカーフェイスで平然としているように見えて。内心は、私を妻に迎える喜びに、少なからず不器用に揺れているのかもしれない。
そう思ったら、少しだけ、本当に少しだけれど、詰まっていた息がしやすくなった。
……ほんの少しだけ、ですが。
◇ ◇ ◇
「お待たせいたしました」
コンコン、とノックの音がして、控室の扉が開いた。
私たちの式を統括するウェディングプランナーさんが、満面の笑みで入ってきた。
「瑠衣さん。いよいよ、ファーストミート(初顔合わせ)のお時間です」
「ッ……」
「大丈夫ですか? ゆっくりで構いませんよ」
「……大丈夫、ですわ」
私は、覚悟を決めてゆっくりと立ち上がった。
「足元には十分ご注意を」
「ええ」
「さあ、深呼吸を」
「……承知いたしました」
深呼吸。
スゥーーッ。ハァーーッ。
一回。
二回。
三回。
……無理ですわね。
酸素が、脳に全然足りませんわね。
でも、進むしかない。
前世でも、私は震える足で、この人の隣へ行くと決めたのだ。
今世でも、それは全く同じである。
どれだけ心拍数が危険領域でも、どれだけ顔が熱くても、私は誰が何と言おうと、この世界でただ一人、彼に選ばれた『花嫁』なのだから。
ファーストミートの部屋へと続く、扉の前に立つ。
廊下はしんと静まり返っていた。
ホテルの奥にある、特別な控室フロア。
耳に聞こえるのは、自分のドレスの衣擦れの音と、早鐘のように打つ鼓動だけみたいな気がする。
「九条様は、こちらの中でお待ちです」
プランナーさんが、扉に手をかけ、小さく私へ囁いた。
私は、息を呑んで、ゆっくりと一つ頷いた。
ガチャリ、と。
重厚な扉が開く。
柔らかな自然光の差し込む、広々とした美しい控室。
そして、その光あふれる部屋の中央に。
こちらへ背を向けて立つ、一人の長身の男の人の姿があった。
深く、静かな黒のタキシード。
真っ直ぐに伸びた長い脚。
引き締まった逞しい肩。
1ミクロンの無駄もない、気高い背筋。
その、世界を統べる王のような絶対的な立ち姿だけで、もう私の魂が完全に理解する。
ああ。
ああ、もう。
駄目ですわね。
まだお顔も見ていない、ただの背中だけなのに。すでにオタクの致死量の致死量を軽く超えていて、だいぶ危険ですわね。
「……クライス、様」
私は、感極まってかすかに震える声で、愛しいその名を呼ぶ。
彼の広い肩が、私の声に、ピクリと大きく揺れる。
そして、ゆっくりと。
時を刻むように、彼がこちらへ振り返る。
「――ッ」
私は、その顔を見た瞬間、その場で完全に息を止めた。
◇ ◇ ◇
美しい、などという陳腐な言葉では、到底足りなかった。
もちろん、事前の覚悟も予想もしていた。
何しろ、あのクライス様である。
前世から私の最推しとして君臨し続けている、世界で一番、宇宙で一番格好いい人だ。
その人が、予算青天井で作らせた、現代日本の最高級タキシードを身にまとうのだ。
ある程度の心の 防壁(バリア) は張っていた。
張っていたつもりだった。
だが、私のオタクの想像力は、圧倒的に甘かった。
現実は、三次元の推しの暴力は、その貧困な想定を平然と、残酷なまでに超えてきた。
まず、狂おしいほどに『黒』が似合いすぎる。
深く、光を吸い込むような澄んだ黒。
艶を抑えた最高級の布地が、彼の端正すぎる輪郭と白い肌の美しさを、これでもかと際立たせている。
シャツの白が眩しいほど清潔で、首元は王族のような気品に満ち、タイの結び目ひとつにまで破綻がない。
広い肩から胸元、引き締まった腰へ落ちていくドレープの線は、あまりにも無駄がなく、芸術品のように美しい。
そして何より。
その、顔。
凛としていて。
氷のように研ぎ澄まされていて。
でも、純白のドレス姿の私を見た瞬間。その瞳の奥が、ドクンと、私の心臓の音が聞こえるほど、ひどく熱く、激しく揺れたのだ。
ああもう。
駄目ですわね。
完全に、完膚なきまでに、駄目ですわね。
「ッ……!」
私は思わず、耐えきれずに両手で顔を覆ってしゃがみ込みそうになった。
「ルシア!?」
低い声が、冷静さを失って少しだけ慌てたように落ちてくる。
「どうした。具合が悪いのか」
「……無理です」
「何がだ。腹が痛いのか」
「美しすぎます」
「……」
「あなたの顔面と立ち姿のオーラが強すぎて、私の目が潰れます……!」
「……そこまでか」
「そこまでです!!」
私は顔を覆ったまま、指の隙間から必死に訴えた。
「何ですの、その信じられない完成度は! 人類を滅ぼす気ですの!?」
「……」
「あなたという存在そのものが、すでに現代日本の反則ではありませんこと!?」
「そうか」
「そうですわ!」
「だが」
彼のコツコツという革靴の足音が、私のすぐ目の前まで近づく。
「ルシア。顔を隠すな」
「無茶をおっしゃいます」
「なぜだ」
「なぜも何も」
私は、限界を迎えて半ば泣きそうになりながら言った。
「今のその神々しいお姿を、これ以上正面から浴び続けたら」
「……」
「花嫁として入場する前に、私のオタクの理性が完全に蒸発して灰になりますわ!」
「……蒸発するな。戻ってこい」
「努力はしておりますわ!」
「そうか」
「そうです!」
でも、顔は上げられない。
無理だ。
無理に決まっている。
超絶作画のタキシード姿の推しなど、脆弱な限界オタクへ正面から浴びせるべき適正な火力ではない。即死する。
すると。
「……ルシア」
今度は、ひどくやわらかい、甘く蕩けるような声で呼ばれた。
その切実な響きに、胸の奥の一番やわらかいところが、じわりと熱くなる。
「……はい」
「お願いだ。顔を見せてくれ」
「……」
「俺は」
ほんの少しだけ、震える息を含んだ熱い声。
普段は絶対に乱れないその奥に、隠しきれない、抑えきれない彼からの巨大な感情の波が、ちゃんと乗っていた。
「今のお前を。俺の愛する花嫁の姿を……ちゃんと、俺のこの目で見たいんだ」
「ッ……」
ああ。
本当に。
本当に、この人はズルい。
そんな声で、そんな風に乞われてしまったら。
顔を上げるしかないではないか。
私は、ゆっくりと、恐る恐る両手を下ろした。
視界の向こう。
クライス様が、手が触れるすぐ近くへ来ていた。
その吸い込まれそうな蒼い目が、瞬きもせずに、まっすぐ私を見つめている。
一秒。
二秒。
三秒。
彼は、何も言わない。
ただ、純白のドレスに包まれた私を、食い入るように見つめている。
でも、その息を呑むような沈黙が、どんな甘い言葉よりも何より雄弁だった。
目が、激しく揺れている。
呼吸も、ほんの少しだけ浅く、乱れている。
いつもなら、どんな修羅場でも一切の乱れを見せないこの無敵の人が。今だけは、明らかに私への感情(愛)を抑えきれずに、圧倒されている。
その尊い事実が、私の胸を激しく、強く打った。
「……クライス様?」
沈黙に耐えきれず、ようやく、私は頬を赤く染めてそう呼んだ。
彼は、ハッとしたように、ごく静かに深く息を吐いた。
それから。
「……綺麗だ」
低く。
少しだけ情動で掠れて。
彼の胸の奥底から、限界を超えてそのまま零れ落ちたみたいな、本音の声で。
「いや」
彼は、すぐにその言葉を否定して言い直す。
その瞳が、ひどく深く、甘く、私を世界で一番愛する男の顔にやわらぐ。
「――世界一、美しいのは。俺の目の前にいる、君だ」
「――ッ」
◇ ◇ ◇
終わりましたわね。
いえ、私の人生がではない。
私の限界オタクとしての情緒が、完全に跡形もなく爆発四散したのである。
何ですの、その神がかった台詞。
何ですの、その鼓膜を直接愛撫するような甘い言い方。
何ですの、その、今この瞬間、心の底から1ミクロンの疑いもなくそう思っているのだと確信させる、熱に浮かされた声は。
私は、尊さに耐えきれず、また両手で顔を覆ってしゃがみ込みそうになった。
だが、その前に。クライス様の大きな手が、私の熱い頬へそっと、壊れ物に触れるように優しく触れる。
大きい。
あたたかい。
前世から何一つ変わらない、私を世界で一番安心させる、私の大好きな人の手。
「ルシア」
「……はい」
「だから、そんな顔を隠すな」
「無茶をおっしゃいますわ」
「なぜ」
「あなたが」
私は、どうにか過呼吸になりそうな息を繋いだ。
「そのような、心臓が爆発するような殺し文句を」
「……」
「そのような、反則級のお声と顔面で」
「……」
「真正面からゼロ距離で、おっしゃるからです……!」
クライス様の氷のような口元が、ほんの少しだけ、嬉しそうに緩む。
でも、その大人の笑みの奥にも、ちゃんと火傷しそうな熱がある。
ただ私の反応を面白がっているのではない。
本当に、今のウェディングドレス姿の私を見て、どうしようもなく心を動かされて、彼自身も限界を迎えているのだ。
それがハッキリと分かるから、余計に苦しい。
愛おしくて。
嬉しくて。
幸せで。
「ルシア」
彼は、ゆっくりと、私の頭上を覆う繊細なマリアヴェールへ手を伸ばした。
「……」
「触れても、いいか」
何ですのそれ。
何ですの、その、これから永遠を誓う自分の花嫁に対する、扱いがあまりにも丁寧で紳士的すぎる甘い問いかけは。
前世でも、この人は、こういう本当に大切な時ほど、不器用なほどにやさしかった。
強くて、まっすぐで、時々独占欲全開で無遠慮なくせに。
本当に大事な瞬間だけは、こうして、私の意志を尊重し、息を呑むほど慎重になる。
「……はい」
私は、真っ赤な顔で小さく頷いた。
ヴェールの上から、彼の熱い指先がそっと、私の頬の輪郭をなぞるように撫でる。
薄いレースの布一枚を隔てているだけなのに、その愛おしむような気配だけで、私の肌の温度が一気に沸騰するように上がった。
「本当に……綺麗だ」
また、彼が吐息のような声で言う。
今度はさっきより、さらに静かに。
一つ一つの記憶を噛みしめるように。
「……」
「前世の、あの神殿での婚礼の日も。俺は、お前の美しさに息を呑んだ」
「……」
「だが」
彼の瞳が、私という存在のすべてを捉えて、絶対に離さない。
「今、俺の目の前にいるお前も、あの時と同じくらい」
「……」
「いや。それ以上に」
「……」
「狂おしいほど、目を奪われる」
「ッ……」
ああ。
もう。
本当に、だめですわ、この人は。
私は、気づけば、限界を超えた幸福感で、ほんの少しだけ涙ぐんでいた。
「……なぜ泣く」
彼が、私の涙に驚いて、少しだけ痛そうに眉を寄せる。
「泣いておりませんわ」
「泣いてるだろう。目が潤んでいる」
「これは」
私はヴェールの向こうで、堪えきれずにふにゃりと、幸せいっぱいに笑ってしまった。
「あなたという『幸福の過積載』による、オタクの正常なバグの反応ですわ」
「そうか」
「そうですわ」
「なら」
彼の親指が、ヴェール越しに私の涙を拭い、頬のあたりを愛おしげにやさしくなぞる。
「そのまま、俺の前でだけ泣いていろ」
「何がですの」
「……可愛い」
「ッ……!」
また。
またそれですの?
神聖な花嫁控室で。
挙式入場直前の、この極限の緊張感の中で。
そのような甘い言葉の爆撃を容赦なく重ねてこられたら、こちらの心臓が本当に持ちませんでしょう!
◇ ◇ ◇
「九条さん、藤咲さん。そろそろお時間です――」
控室の重厚な扉の外から、プランナーさんの遠慮がちな、けれど式を進行させる声がかかる。
だが、その現実に戻す一声さえも、今の私には水の中にいるように、だいぶ遠く聞こえた。
クライス様は、ほんの一瞬だけ、舌打ちするように扉の方へ意識を向け、それからまたすぐに私を見る。
その、「一秒でもお前から目を離したくない」という視線の戻し方にまで、不器用な愛しさがあるのだからたまらない。
「……行く前に」
彼が、低く、甘く囁いた。
「はい」
「一つだけ、いいか」
「何でしょう」
クライス様は、私の顔を覆うヴェールの縁へ、そっと両手を添えた。
その動作があまりにも慎重で、あまりにも大切そうで、私は思わず息を止める。
「……クライス様?」
「目を閉じろ」
「……ッ」
ああ。
これは。
これは、つまり。
「い、今、ここでですの?」
「嫌か」
「嫌なわけが、ございませんでしょう!」
私は、パニックになりながらも即答した。
「ですが」
「……」
「心の準備が、まだ」
「俺はもう、十分すぎるほどした」
「私が足りませんわ!」
「なら」
彼の声が、かすかに、不敵で色気のある笑みを含む。
「足りないままでいい。俺が満たしてやる」
何ですのそれ。
それは、もう。
限界オタクとして、女として、抗えないに決まっているではないか。
私は、降参して震える睫毛を伏せた。
次の瞬間。
ヴェール越しに、ふわりと、やわらかな熱が私の唇に落ちる。
誓いの前の、神聖なベールキス。
あまりにも優しくて。
あまりにも大切にされていて。
触れたか触れないかの、ほんの一瞬の出来事なのに。
その一瞬へ、彼の私に対する途方もない愛と想いが、信じられないほど丁寧に詰め込まれていた。
「――ッ」
息が、熱く揺れる。
目を開けると、クライス様がすぐ至近距離にいた。
その目が、私の反応を見てやわらかく揺れている。
でも、その奥の光は、ひどく真剣で、揺るぎない覚悟に満ちていた。
「ルシア」
「……はい」
「今日」
「……」
「俺の全てを懸けて。お前を、世界で一番幸せにする」
「ッ……!」
私は、とうとう両手で限界を迎えた顔を覆った。
無理ですわ。
本当に、今日一日、生きていける気がしませんわ。
世界最高峰のタキシード姿の推しを正面から浴びせられ。
世界一美しいと、極上の声で囁かれ。
ベール越しに、蕩けるようなキスをされ。
その上で、世界で一番幸せにするという、絶対の誓いの宣言までいただいてしまった。
何ですの、この私の花婿は。
火力調整という概念を、完全に前世の魔王城に置いてきておられませんこと?
「ルシア」
「はい……」
「立てるか。腰が抜けていないか」
「ぎ、ぎりぎりですわ」
「そうか」
「ですが」
私は、どうにか両手を下ろして、真っ赤な顔で彼を力強く見つめ返す。
「絶対に倒れはしませんわ」
「なぜだ」
「あなたの隣へ」
私は、世界一幸せな花嫁の顔で、小さく笑った。
「私自身の足で、しっかりと歩いて並び立ちたいですもの」
クライス様の目が、私の言葉にほんの少しだけ誇らしげに揺れる。
それから、ひどく静かに、でも確かな私への絶対的な信頼を滲ませて、深く頷いた。
「ああ」
「……」
「なら、行こう。俺たちの場所へ」
「はい!」
◇ ◇ ◇
チャペルへ続く、巨大な扉の前。
入場直前の、静寂。
私は、ドレスの胸元に手を当て、深く、深く息を吸った。
その隣に、クライス様が堂々と立つ。
完璧な黒のタキシード。
白いグローブ。
彫刻のように整った横顔。
そして、何より、私という女を隣へ置くことに、1ミクロンの迷いもない絶対的な立ち姿。
ああ。
本当に。
この世界一格好いい人の隣こそが、私の帰るべき『特等席』なのだ。
前世でも。
今世でも。
そして、きっと来世でも。
「ルシア」
「はい」
「緊張しているか」
「とても。心臓が口から出そうですわ」
「そうか」
「ですが」
私は、ヴェール越しに彼を見上げる。
「最高に、幸せです」
「……」
「とても」
「……」
「目が潰れるほど、本日のあなたが宇宙一格好いいので」
「……そこか」
「最重要事項です」
クライス様が、呆れたように、ほんの少しだけ息を吐いて笑った。
「……お前は、本当に昔から変わらないな」
「クライス様も」
「……」
「そうやって、呆れながらも私にだけ優しく笑う時のお顔」
「……」
「前世からずっと、私は大好きですわ」
「ッ……」
おや。
今度は、クライス様の方が、私の不意打ちのストレートな愛の言葉に、ほんの少しだけ言葉に詰まった。
その、余裕がなくなる一瞬が、たまらなく愛しい。
「……行くぞ」
彼は、わずかに照れを押し殺したような、低い声で言った。
「はい」
「絶対に、俺から離れるな」
「もちろんですわ」
「一生、俺の隣にいろ」
「ええ」
私は、彼に向けて、はっきりと力強く頷いた。
「一生、最前列の特等席で、あなたを愛し(推し)続けますわ」
重厚な扉が、ゆっくりと開く。
眩いばかりの自然光が、私たちを包み込むように差し込む。
拍手と、大勢の祝福の気配が、一気にこちらへ流れ込んでくる。
私は、クライス様と肩を並べて、輝く未来へ一歩を踏み出した。
私を「世界一美しい花嫁だ」と言ってくれた、愛する人の隣へ。
私が世界一愛する、「世界一格好いい花婿」の隣へ。
幸せで、胸がいっぱいで、涙で少し泣きそうなくらい眩しい、私たちの永遠の誓いの日へと。