軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第1話 婚約破棄? 喜んで!

「ルシア・フォン・グランツ公爵令嬢! お前のような悪逆非道な女は、我が国の次期王妃にふさわしくない! 今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」

王立学園の卒業パーティー。

国中の高位貴族が集まる煌びやかな大広間に、私の婚約者である王太子アーサーの、やけに響き渡る声が轟いた。

優雅なワルツはぴたりと止み、数百もの視線が大階段の踊り場へと集中する。

そこに立つのは、ドヤ顔をキメている金髪碧眼の王太子アーサー。

その腕の中にすっぽりと収まり、小動物のように震えてみせている男爵令嬢ミレーヌ。

そして――彼らに冷たい視線を送る、銀髪紫眼の公爵令嬢、私だ。

「……殿下。今、なんと?」

扇で口元を隠し、完璧な淑女の笑みを浮かべて小首を傾げる。

するとアーサーは、さらに声を張り上げた。

「聞こえなかったのか! 私はお前との婚約を破棄すると言ったのだ! お前が裏でミレーヌに陰湿な嫌がらせを繰り返していたことは、すでに調査済みだ! 教科書を破り、ドレスに泥水をかけ、あまつさえ階段から突き落とそうとしただろう!」

「ひぐっ……あ、アーサー様……私、怖かった、です……っ」

「おお、可哀想なミレーヌ。もう大丈夫だ、私がついているからね」

白々しい三文芝居を見せつけられ、周囲の貴族たちがヒソヒソと囁き合う。

(……は?)

頭の奥が、スッと冷えた。

教科書? 泥水? 階段?

(冗談じゃないわ。いったい私が『いつ』『どの時間帯で』そんな暇な嫌がらせをするっていうのよ!)

私は三歳の頃から、次期王太子妃として血を吐くような努力を重ねてきた。

政治、経済、歴史に魔法学。一日十五時間のスパルタ教育。

おまけに十歳を過ぎてからは、このアホ……もとい、アーサー殿下の『終わらない執務(という名のサボりのツケ)』を、裏で完璧に処理し続けてきたのだ。

私が深夜三時まで白目で書類の山と格闘している間、彼がこのミレーヌと夜会で遊び歩いていたことも知っている。

それでも私は、公爵令嬢としての義務感だけで、すべてを飲み込んできたのに。

(よりにもよって、私の血と汗と涙の結晶を、こんな根も葉もない冤罪で踏みにじるなんて……!)

本来の私であれば、ここで絶望のあまり崩れ落ちていただろう。

……そう、『本来の私』であれば。

「――ッ!?」

その瞬間。

脳内に、強烈な電流のようなものが走った。

満員電車。光るパソコン。栄養ドリンクの山。終電、残業、休日出勤。

そして、そんな社畜人生における唯一の生きがい。

――乙女ゲーム『ルミナス・ロマンス』。

(えっ……嘘、待って。ここ、前世で私が死ぬほどやり込んでた乙女ゲームの世界!?)

濁流のように蘇る前世の記憶。

目の前の状況と、ゲームの知識がピタリと一致する。

ポンコツ王太子アーサー。地雷系聖女ミレーヌ。

そして断罪されている悪役令嬢こそが、私、ルシア!

(私、悪役令嬢だったの!? しかもこれ、バッドエンド直行の断罪イベント真っ最中じゃない!)

普通なら真っ青になる場面だ。

けれど、記憶を取り戻した私の心を支配したのは、破滅への恐怖などではなかった。

(……ってことは? ってことは、よ!?)

ドクンッ、ドクンッ、と心臓が爆音を鳴らす。

前世の限界オタクだった私の魂が、荒ぶる歓喜の雄叫びを上げていた。

(王太子妃にならなくていい!? あの地獄のサビ残書類仕事から解放される!? 自由!? 私、今日から自由の身なの!?)

さらに、だ。

ここは『ルミナス・ロマンス』の世界。

ということは当然、『彼』もこの世界のどこかに存在している。

メインルートでは絶対に結ばれない、不遇の隠しキャラ。

ただひたすらに国と主君のために剣を振るい、最後は孤独に去っていく、報われなさの権化。

前世の私が、寝食を忘れてルートを百周した最推しキャラ。

――『氷の凄腕騎士・クライス』が、実在している!!

(キタアアアアアアアアァァァァッッ!! 神様ありがとうボーナスステージすぎる!!)

危うく天を仰いでガッツポーズをキメそうになるのを、鋼の理性(公爵令嬢スキル)でなんとかねじ伏せる。

王太子妃の座? そんなもの、くれてやる。

愛しの推しキャラが実在する世界で、自由の身になれるのだ。圧倒的勝利である。

「おい、ルシア! 己の罪深さに言葉も出ないか!」

私の沈黙を「絶望した」と勘違いしたアーサーが、得意満面で鼻を鳴らす。

私はゆっくりと扇を下ろし、これまでで一番、美しく澄んだ声で告げた。

「……殿下。今一度、確認させていただきますわ」

「なんだ? 今更泣きついても遅いぞ」

「私と殿下の婚約は、今この瞬間をもって完全に『破棄』される。……その認識で間違いございませんのね?」

「ふん、その通りだ! お前は公爵家からも見放され、路頭に迷うがいい!」

(よっしゃあああぁぁぁ! 全貴族の前で言質いただきましたァ!)

内心でサンバを踊りながら、私はドレスの裾を優雅につまみ上げた。

そして、誰よりも完璧なカーテシー(挨拶)を披露する。

「――承知いたしましたわ。殿下からの婚約破棄、喜んでお受けいたします」

「……は?」

アーサーの顔から、ドヤ顔が抜け落ちた。

「ミレーヌ様との真実の愛、どうか末永くお大事に。私はこれより、自らの果たすべき『至上の使命』へ向かいますので、これにて。ごきげんよう」

「なっ……お、おい待てルシア! 強がるのもいい加減にしろ!」

アーサーが背後で何か喚いているが、もはやBGM以下の騒音だ。

私の頭の中は、今後の『推し活スケジュール』で埋め尽くされていた。

(クライス様の所属は第一騎士団! 今から本部へ向かえば、夜間警備の交代時間にワンチャン間に合う! 生クライス様! ああ、早く、一秒でも早く推しを拝みたい!!)

急いで大広間を後にしようと踵を返した、その時。

(……待って、このドレス、重すぎて走れない!)

最高級シルクに宝石がふんだんに縫い込まれた、総重量・ほぼ凶器のドレス。

これでは騎士団の詰め所へたどり着くまでにタイムロスが生じてしまう。

推し活において、時間の無駄は万死に値する大罪だ。

「……ええい、もどかしい!」

私はぴたりと立ち止まると、スカートの裾を両手でガシッとつかんだ。

そして、歴代公爵家随一と謳われる私の膨大な魔力を指先に集中させ――躊躇なく、引き裂いた。

ビリリィィィィィィッ!!

静まり返った大広間に、上質なシルクが盛大に裂ける音が響き渡る。

「「「えっ!?」」」

私は膝下まであったドレスの裾を一周ぶった切り、超軽量の膝上丈へとカスタマイズしてしまったのだ。

「な、ななな、何をしているんだお前は!? 淑女が人前で脚を晒すなど……っ!」

顔を真っ赤にして叫ぶアーサーに、私はにっこりと極上の笑みを向ける。

「タイム・イズ・マネー! 推し活の時間は一秒たりとも無駄にはできませんの! では皆様、さようなら!」

「は……? おし、かつ……?」

呆然と立ち尽くす数百人の貴族と、口をあんぐり開けたアホ王子たち。

そんな彼らをきれいさっぱり置き去りにして、私は脱兎のごとく大広間を飛び出した。

ヒールの高い靴も途中で脱ぎ捨て、裸足で王宮の廊下を全速力で爆走する。

ヒロインの座なんて、 熨斗(のし) をつけてくれてやる。

私は今日から悪役令嬢を辞めて、最強の『推しキャラの側仕え』を目指すのだ!

◇ ◇ ◇

一方、ルシアが嵐のように去っていった大広間。

「……あ、アーサー様。ルシア様、気が触れてしまわれたのでしょうか……?」

「ふん。あんなものは、惨めな現実から目を背けるための強がりに決まっている。どうせ明日には、泣きながら私にすがりついてくるさ」

そう、アーサーは完全に勘違いしていた。

ルシアが自分を深く愛しており、婚約破棄のショックで狂ったのだと。

自分がどれほど、彼女の『有能すぎる事務能力』に依存して生きてきたのか。

彼女が日々こなしていた裏仕事の中には、「隣国との不可侵条約の更新」や「魔物討伐の特別予算案」など、一歩間違えれば国が滅ぶレベルの超重要案件が含まれていたということを。

自滅へのカウントダウンは、すでに始まっている。

だが、そんな未来を露ほども想像できない愚かな王太子は、ヒロインの肩を抱き寄せながら、勝利の優越感にどっぷりと浸り続けていたのだった。