軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十三話 この一生が、尽きる時まで

第七十三話 この一生が、尽きる時まで

『グリンダ』

『えっ!?』

周囲に誰もいないことを確認し、日本語で彼女に声をかける。

グリンダは書類を少し握りつぶしながら、驚いた顔でこちらを振り向いた。

「クロ、じゃない、若様!?あ、すみません!私、何語で……」

『大丈夫。ここには貴女と僕しかいません。日本語で話しましょう』

慌てふためく彼女を手で宥め、近くに行く。

しわしわになった書類を手で伸ばしながら、グリンダがバツの悪そうな顔をした。

『……ごめん。少し、ぼうっとしていたから』

『構いません。あんなことがあった後です。外には吐いている兵士もいましたよ』

『……私もちょっと吐いた』

『……それも、仕方がないことです。吐いて少しでもスッキリしたのなら、それに越したことはない』

彼女の背を軽く押して、椅子のある方に誘導する。

ここは保管庫というより、どちらかと言うと書斎に近い。幾つかの椅子と机があり、計算や会議をすることがメインの天幕だ。

彼女を椅子に座らせ、自分も隣に腰を下ろす。

『ケネスから、ここで備品のチェックをしていると聞きました。どうですか?何か不足している物とかありました?』

『ううん。今のところは大丈夫……だと思う。でも、あまり長くはもたないんじゃないかな』

『そうですよね……』

ストラトス家でそれなのだから、他の家はもっと切り詰めないと帰還すらできないだろう。

やはり、水や食料をホーロス王国から確保できないのは大きい。倒した敵軍の食料ぐらいは回収できるかと、考えていたのだが……。

『……軍議はどうだったの?撤退?それとも……』

『作戦は続行です。当初の予定よりも速度を上げ、王都に攻撃をしかけます。相手が何かをする前に叩き潰す。それが、ギルバート侯爵の作戦です』

『……そっか』

グリンダがそう呟き、視線を落とす。

『……ごめん』

『何を謝っているのかわかりませんが、それでもあえて言いましょう。貴女は、間違ってなんかいない』

『それでも、ごめん』

彼女は書類を近くの机に置くと、両手の指を絡めた。

何か意味がある行動ではないのだろう。人差し指同士をもぞもぞさせながら、グリンダは言葉を続けた。

『私は……わかった気でいたんだ」

『…………』

『前世で、画面越しに色んな戦場を見た。身近な人のお葬式に出たことだって何度もある。そして、今生ではまだ10歳にも満たない子供が大人に殴り殺される光景も見た』

『……孤児院の頃ですか』

『うん……それで、理解したつもりだった。戦争を、人が殺し合うということを。でも、違った』

もぞもぞとしていた人差し指が、ぎゅっと動きを止める。

『むせかえるような血の臭いも。死体からこぼれ出る糞尿の臭いも。人々の怒号や悲鳴も。そして、あの笑い声も。何もかも初めてだった』

『……最後のは、歴戦の兵士でも初めてだったと思いますよ』

『だとしても。君が……君が、経験したことを……わかった気でいたんだ。それで、自分でもやれるって。大丈夫だって』

グリンダが、こちらに笑顔を向ける。

だが、その顔色は真っ青であった。

『ごめんね。自惚れだった。それでも、わかったつもりでいたかったんだ。同郷の君が、この世界に染まり切ってしまったわけではないって。同じ日本人は、まだ隣にいてくれているんだって。そう思いたかったから』

……無理もない。

彼女はこの世界になんの寄る辺もなく、生まれてきた。21世紀の日本という、問題はたくさんあったけれど、それでもこの世界よりは余程恵まれた国から。突然に。しかも性別まで変わってしまった状態で。

転生とは、元の家族や友人達と死に別れるということである。相手に死なれるのではなく、自分が死んで離れることとなった。

それを、整理できる環境でもなかっただろう。この世界の孤児院は、大半が奴隷商と繋がりを持っていると聞いたことがあった。

彼らが特別悪辣なのではない。孤児院側も、孤児達も、それしか生きていく術がないからだ。

そんな世界で、彼女は孤独だった。奴隷に落ちかけた所に同郷の人間が現れた時、グリンダは何を思ったのだろう。

『怖いよ……クロノ』

彼女の指が、硬く閉じられる。

『君はさ……日本人?それとも、帝国人?今の君は……あの世界で、あの国で生きていた、普通の人?』

『……どちらでもある。としか、言えません』

『ずるい答えだなぁ……』

『自分でもそう思いますが、事実です』

グリンダの手の上に、右掌をのせる。

少し、冷たい。氷のようとは言わないけれど、普段の彼女の手より随分と冷たかった。

『変わらない人間などいないし、経験とは、人生とは、絶え間なく更新していくものです。ただそこに立っているだけで、時は流れるのだから。だから、過去の僕も、今の僕も、そして未来の僕も。同一人物なのです。それは、間違いない』

前世で、立場が人を作ると聞いたことがある。

この世界に生まれて、貴族の跡継ぎとして生きてきた。その年数は前世で生きた時間よりも短いけれど……密度なら、きっとそう変わらない。

だから、考え方や言動に影響が出るのは当たり前のことなのだ。その上で、僕は僕である。

今はクロノ・フォン・ストラトスという人間だが、名前や顔が変わるなんて、普通に生きていても起き得ることだ。それ自体は、特別なことではない。

いやまあ、珍しいことではあるだろうけど。

『我思う、ゆえに我あり。───僕は今も、ここにいる』

『……いつから哲学者になったのさ、君』

『いえ。単に今思い出したので、言ってみただけです』

『君さぁ』

若干呆れた顔で、グリンダがこちらを見る。

『……君は君のままだとして、私は、どうなのかな』

『そう言われても、前世の貴女のことなんて、風俗通いが趣味のエロオヤジだったということしかわかっていませんし』

『そう言われると、とんでもないろくでなしだね』

『実際、僕は貴女の前世に対してそう思っていますよ?』

『ええ……じゃあ、今は?今の私は、どう思っているの?』

『……そうですね』

正直に言うべきか、少し誤魔化すべきか。

少しだけ迷って、本音でぶつかることにした。彼女とは、何だかんだ長い付き合いである。

今のグリンダが、本音以外の言葉を欲しているとは思えない。

『偶にセクハラ発言をしてくる、残念メイド。領地の運営において、もう絶対に手放せない有能すぎる騎士。そして───』

ほんの少しだけ、彼女の手にのせた指に、力を籠める。

『ずっと、一緒にいたい人です。きっと、これを愛と呼ぶのでしょうね』

……少しだけ、怖い。

ここで拒絶されたら、手を振りほどかれて、『そんなつもりはなかった』と言われてしまったら、どうしよう。

戦場に立つ時とは、別種の恐怖は胸を焦がす。

心臓の鼓動がうるさい。顔が熱くなってきた。変な汗が出てきた気がする。あ、手汗とか大丈夫かな……。

緊張に耐え切れず、一度下に向けてしまった視線を彼女の方に向ければ。

『っ……………!!??』

リンゴみたいに、真っ赤になっていた。

たぶん、自分も同じような顔をしているのだが、他人がそうなっている姿は少し笑える。

『き、君さぁ……!今?今言う?ここ戦場だよ?戦闘が終わったばっかりだよ?こういうの、前世だったら死亡フラグって言います!わかる?』

『す、すみません。本音を言うべきかなーっと……』

『つ、つまり、今のが偽らざる本音なんだ?ふーん……ふーん……!』

互いに相手の顔が見ていられなくなって、反対方向に頭を動かす。

『アレかな?エッチなことしたくって、私を口説いているんじゃないんだ?』

『そりゃあ貴女とそういうことしたいですけど……だからって、その為にこんなこと言いません』

『したいは、したいんだ』

『……そりゃあまあ、はい』

『……しょうがないなぁ』

グリンダが、自分の肩に体重を預けてくる。

お互い鎧をつけていないこともあって、彼女の体温が伝わってきた。

『……いいよ』

『……それは、どっちに対する了承ですか?』

『……どっちもだよ、もう』

少し拗ねたように言う彼女に、思わず立ち上がって叫びたい気持ちに襲われる。

小躍りしたい気分というのは、こういうのを言うのかもしれない。頬が緩むのを堪えきれなかった。それでいて、心音が先ほど以上に高鳴る。

『そ、それって、その……いいんですね?』

『そう言っているでしょ……ばか』

2人揃って、顔を見合わせて。

2人揃って、唇を近づけた。

『……ねえ』

唇と唇だけが触れるような、キス。数秒して、顔を離しながら彼女は問いかけてきた。

普段から他の部位には口づけを受けているのに、今はその感触を思い出せない。

『私、たぶん戦場では戦えないよ?いつかは、人殺しにも慣れるかもしれない。でも、すぐには無理だと思う。それでも』

『必要だから求めているわけではありません。貴女だから、求めています。それに、貴女の戦場は剣を振るう場所ではありません』

『……エッチな意味?』

『……それもあるかもですけど、ペンと紙。そして治水とか、そういうのです』

『知ってる。わざと言ってみただけ』

『まったく……』

再び、顔を近づける。互いの息づかいが聞こえる距離で、その黄金の瞳を真っすぐに見つめる。

『お互い、助け合っていきましょう。この一生が、尽きる時まで』

『まあ……うん。しょうがないな、君は』

困ったような、それでも嬉しそうな笑みを浮かべて。

『───わかった。この一生を、君の隣で過ごそう』

……ケネスが何か勘繰ったのか、わからないけど。この天幕の周囲に人の気配はない。

それは、数時間後に自分達が天幕を出た時も、同じであった。