軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話 老兵

閑話 老兵

サイド なし

カツカツと、音をたてて1人の老人が砕氷船の通路を歩く。

向かう先は、自分にあてがわれた一室。やや大股に足を動かす彼の前に、別の老人が立ち塞がった。

「……ピエールか」

「はっ。ご当主」

ゲーマウス伯爵家に代々仕える騎士の一族。その、本来なら隠居していたはずの老人。

伯爵の子供や孫と共に討ち死にした息子に代わり、再び彼の側近として舞い戻った男。

「お嬢様とお孫様は、既に御身の部屋にご案内しました」

「うむ。では……」

腰にさげた剣の鞘を、伯爵が強く握る。

数秒の沈黙の後、ゲーマウス伯爵は再び足を動かし、ピエールの横を通り抜けようとした。

しかし、横に1歩動くことで老いた側近は道を阻む。

「なんだ」

「これで、我らも死ぬでしょうな」

当主の問いかけに答えるでもなく、歩みを妨害する。

伯爵家に60年以上仕えてきたピエールにとって、人生初の暴挙であった。

「ご当主。貴方の死後、ひ孫様が家督を継ぐことになるでしょう。この戦いによる献身を考えれば、元老院はもちろん、クリス陛下もゲーマウス家を厚遇してくださるに違いありません」

「……そうだろうな。だからこそ、不安の種は消さねばならない」

ゲーマウス伯爵が、先程『人竜』から聞いた話。

クリス陛下は、先帝陛下とは比べ物にならない程に優しいお方である。フリッツ皇子のご家族を、死なせたくないと考える程に。

彼らは修道院送りとなるが、死罪だけは免れる。そのように、動いてくれる。

元老院も、皇帝がそこまで言うのなら彼らの継承権剥奪と共に、教会にて余生を過ごすことを許すだろう。ハッキリ言って、フリッツ皇子の一族にもはや大した政治的な価値はないのだから。皇帝の意見が尊重されるのは間違いない。

そう、人竜は語った。

しかし、ゲーマウス伯爵にとって諸手を挙げて喜べる話ではない。

ゲーマウス伯爵家が此度の戦いで多大な戦果を挙げたとなれば、彼らの価値は跳ね上がる。

まだ幼いひ孫達しか血族が残っていない今、修道院にいる彼らを利用しようとする手合いが現れる可能性が高かった。

ならば。

「我が一族にとって、奴らは邪魔だ。帝都での裁判の前に、処刑する」

氷のように冷たい瞳で、ゲーマウス伯爵はそう告げた。

邪魔するのなら容赦なく殺すという意思を籠めた瞳を向けられたピエールは、

「ご当主。貴方は、偶に頭が固すぎる」

呆れたようなため息を、吐き出すだけだった。

その反応に、伯爵は眉間に皺を寄せる。

「なにを言うピエール。これ以上邪魔をするのなら、貴様とて……」

「この首を断ちたいというのなら、結構。貴方が魔法を撃ちながら兵達の指揮をできるような、器用な人だとは思いませんが」

「貴様……!」

「いいではないですか。不安の種の1つや2つ」

通路に吊るされたランタンの光を浴びて、側近は苦笑する。

「老兵は、ただ後に続く者の道になればよろしい。未来のことは、若者達に押し付けてしまいましょう」

「そのような無責任なことが許されるか!儂の子供は、孫は!家の潔白を証明する為に死んでいった!」

「ええ。私の息子も、お供しましたから。当然知っております」

「であれば!」

「だからこそ」

今にも剣を抜きかねない伯爵に、ピエールは踏み込む。

古い付き合いの友人に近づくような、そんな自然な動きで。

「もう、家族を失う苦しみは十分でしょう。あんな思いは、老骨には辛すぎますから」

「…………」

黙り込んだゲーマウス伯爵の腰から、彼は剣帯を外す。

ずしりと重い剣を抱え、ピエールは脇にどいた。

「我らはもう、本来なら隠居していた身です。子供や孫を甘やかしたとて、罰は当たらんでしょう」

「……そんな、ことが。そんな……」

眉間に深い皺を寄せ、肩を震わせるゲーマウス伯爵。

長年連れ添った主の姿に、ピエールはニッカリと笑う。

「以上が、私からの最期の忠言でございます。ご当主に対する数々の御無礼を謝罪いたします。生きて帰ったら、この首で贖いましょうぞ」

「……ふん」

小さく鼻を鳴らして、老人は再び歩き出した。

真っ直ぐに伸びていた背は、少しだけ丸まり。普通の翁のような姿で。

「ハゲのくせに格好つけるでないわ。好き勝手言いおって。貴様にあれこれ言われる歳ではないというのに。まったくハゲのくせに」

「今お預かりした剣で不忠かましてあげましょうか?」

「好きにせい。生きて帰ったら、返り忠でも何でもするが良い」

ハゲ頭に青筋を浮かべる側近に、老人は振り返らずにひらひらと手を振る。

「ではな。お節介焼きめ。60年間、貴様は変わらん奴だよ」

「……ええ。ご当主。貴方も、とんだクソ真面目でしたよ」

軍艦の中とは思えない豪奢な扉を開け、老人は部屋へと入っていく。

その後、室内でどのような会話がなされたのか、当事者達以外に知る者はいない。

ただ、部屋を出た老人の顔は───。

どこにでもいる、好々爺然とした翁のそれであった。

* * *

雪原に、兵士達が立つ。

彼らを運んだハーフトラックも走り去り、雲の切れ目から太陽の光が照らす白銀の世界。

汚れ1つないその大地を踏みしめて、馬に乗った老人が彼らに吠える。

「よくぞここまでついて来た、ど阿呆共!よほど自分の命が惜しくないらしいな!」

側近から返された剣を鞘に納めたまま肩に乗せ、彼は兵士達の顔を見回した。

誰も彼も、顔に皺を刻んだ者ばかり。若者と断言できる兵士はおらず、中には持っている槍を杖代わりにしている者もいた。

だが、一様に瞳をギラギラと輝かせている。それによって、実年齢よりも若々しい顔立ちとなっていた。

「これから戦うは赤き竜なり!彼の勇者アーサーすら殺しきれなかったとされる、邪竜なり!」

彼らを前に、伯爵は高らかに告げる。

「我らに勝ち目など、万に一つもない!鱗1枚剥ぐこともできず、故郷でもない地で屍を雪に埋めることとなるだろう!」

その演説には、絶望しかなかった。

「人はいずれ死ぬ!誰もが死ぬ!そして、我らにとって今日がそうなのだ!今日が、我らの死ぬ日なのだ!」

生きて帰れる保証がないどころか、死ぬことが確約された戦場。

「情け容赦なく、我らは地を這う虫のように踏み潰される!そんな中、1秒でも長く時を稼ぐ為に、ゆっくりと死んでいかねばならんのだ!」

そんな言葉を投げかけられながら、兵士達に動揺はない。

誰も彼もが、とうに聞き飽きたとばかりに苦笑している。

「だが───希望はある」

そんな兵士達に、ゲーマウス伯爵は不敵な笑みを浮かべた。

「我らが稼いだ時を使い、人竜が赤き竜の首を獲る。あのおぞましい怪物が、我らの故郷を踏み荒らすことはない。勇者アーサーすらなし得なかった偉業を、我らは共に成し遂げるのだ」

ゲーマウス伯爵が、剣を鞘から抜く。

「クリス陛下はお優しい方として有名だ!我らの働きを聞けば、たっぷりと家族へ報いてくれようぞ!故郷を守り、家族に遺せるものがある!ああ、なんと!なんと!」

伯爵が、首を巡らせた。

兵士達を見回した後に向けた先。彼らとは反対の位置に、その影はあった。

深紅の巨体を揺らし、雪上を進む巨体。遠目にもわかる異形の存在に、彼は左手に持っていた鞘を投げ捨てた。

「我らはなんと、運の良いことか!このような戦場、幾度輪廻の輪を巡ってもありはせん!」

「応ッ!」

「死ぬぞ!」

「死ぬぞ!」

「死ぬぞ!!」

「死ぬぞ!!」

「我ら一兵たりとも、生きて故郷の土を踏むことはない!」

馬を走らせ、ゲーマウス伯爵が所定の位置に向かう。

そうしながら、剣を掲げた。答えるように、兵士達も槍を掲げた。

「あの邪竜に、一泡吹かせてみせようぞ!帝国の人竜に、見事と吠えさせてみせようぞ!吟遊詩人達が我らの詩を詠み、子孫達が 諳(そら) んじるのだ!」

総勢、300人の戦士達。

揃いも揃って老兵なれど、それは幾つもの戦場を生き残った精鋭の証。

モルステッド王国の侵攻を防ぎ続けた『北方の壁』が、紅き竜を待ち構える。

「笑え!笑って出迎えてやれ!我らのすぐ後を追う『でかトカゲ』を、笑ってやろうではないか!」

わははと、彼らは笑い声を上げる。

それに、化け物は雄叫びを上げた。

全ての音を掻き消して、雪煙を衝撃波と共に散らす咆哮。壁のように迫る雪を、兵士達は構えた盾で受け止める。

誰1人として、倒れる者はいない。雪煙を受けきった彼らは盾を投げ捨てると、槍を両手に持ち重心を低くした。

「さあ、我らの最期の戦場だ」

剣を手に、ゲーマウス伯爵が口角を目一杯吊り上げる。

その隣では、長年連れ添った側近も同じような笑みで槍を握っていた。

「故郷を守れ!家族を守れ!そして、笑って逝け!」

───10分後。ゲーマウス伯爵家の部隊は、文字通り全滅した。

その時間を、短いと思う者も、長いと思う者もいるだろう。

彼らの槍は、剣は、魔法は、ラケルタの鱗に傷1つつけることはできなかった。

腰から下を潰され、上半身を地面ごと舐めるように食われた伯爵が死に際に起爆させた爆弾も、喉辺りで起きた異変に竜が小さく不快気な唸り声を上げるだけだった。

雪原の上に、真っ赤な血が散らばっている。それもすぐに、雪で覆い隠されてしまうだろう。

彼らがいた痕跡は、何も残らない。彼らの奮闘の証は、雪の中に消える運命だ。

されど、確かに彼らは戦ったのだ。

───GGGGGGGGOOOOOOOOOOッッッ!!!

雄叫びで巻き上げられた雪煙が、戦場を塗りつぶす。

再び歩み始めた、紅き竜が目指す先。南へと、より暖かい土地へと向かっていく。

その足を止めるのは、いつになるのか。

竜さえも、知らぬことであった。