作品タイトル不明
3 君子豹変
「あ、ルシアン、体調は――?」
私が言い終わらないうちに、ルシアンは怒り心頭といった様子で私の腕をむんずと掴んだ。
「ちょっと来て」
「え?」
私の腕をがっしりと掴んだまま、ルシアンがずんずん歩き出すから私もついていくしかない。
そうして学園の裏庭に連れてこられた私は、有無を言わさずルシアンに抱きしめられていた。
「ひゃっ!? な、なに!? どうしたの……!?」
「どうしたもこうしたもないよ! 婚約解消なんて、するわけないだろう!」
「……え?」
どこにそんな力を秘めていたのだろうと思うくらいの強い力で、ルシアンはなおもぎゅうぎゅうと私を抱きしめる。
「婚約解消なんて絶対しない! セシリアをほかの男に渡すわけない!!」
悲鳴のような声で叫ぶルシアンに、内心私のほうがパニックである。
だだだって……! いきなりなんなの……!?
私に関心なかったんじゃないのーーーー!?
「セシリアが嫌だって言っても、僕はセシリアを放さないから! ほかの男のところになんか、絶対に行かせないから!」
「な、なに言って――」
「知らないやつに求婚されたんだろう!? 僕のセシリアに手を出すなんて、くっそ腹立つ!!!」
……え?
今、「くっそ腹立つ」って言った?
いまだかつて、ルシアンがそんな荒ぶった口調で人を罵ったことがあっただろうか? いや、ない!! あるわけない!!
だって、あのルシアンよ?
他人に興味を持たず、私に対してもひたすら無関心で、「僕は別に、どうでもいい」「普通だけど」「君に任せるよ」の三段活用で生きてきた、あのルシアンよ?
そもそもこんなに流暢に長文を話すルシアンなんて初めて見たし、魔法や魔術以外のものにただならぬ執着を見せて声を荒げるルシアンを見たのも初めてである。
しかも、その執着の対象が私、なんて。
いったい、何がどうなってるのか誰か説明してほしいんですけど……!!
突然の事態に頭の中はだいぶキャパオーバーになりながらも、私は努めて冷静にルシアンの顔を見返した。
「もしかして、お父様から話を聞いたの……?」
私の言葉に、ルシアンは深々と大きなため息をつく。
「……聞いたよ。起きたら朝一番で、アルバ伯爵がうちに来ていてさ。王家からの婚約の話も、セシリアがほかの男に求婚されたことも、さっき初めて知ったよ」
「え、マルガリタ殿下との縁談のことは、知らなかったの?」
「知らなかった。父上たちも、僕に話すべきかどうか、だいぶ悩んでいたらしい」
ルシアンの話によれば、王家からの婚約の打診は確かにあったのだという。
ただ、クレヴィス伯爵夫妻はその話を受けて、頭を抱えてしまった。
これまで私に頼りきりで、ルシアンの世話を任せ過ぎたという自覚は当然あるものだから、自分勝手な都合であっさり破談にするなんてできるはずもない。
かといって、王家からの申し入れをおいそれと断ることもできない。
肝心のルシアンに意志を確認したところで、どうせ「僕は別に、どうでもいい」とか「父上たちに任せるよ」とか、まともな返事は返ってこないだろうということも容易に想像がついてしまう。
そうしてうだうだと悩み続けるうちに、私がコルネリウス様から求婚の打診を受け、それを聞いたお父様がクレヴィス伯爵に書簡を送り、話し合いの場を設けることになったというのだ。
その場に呼び出されたルシアンは一部始終を聞かされて、すぐさま「婚約解消なんてしません! セシリアは僕のものだ!」と叫んだらしい。
「僕だって、最初からセシリアのことは嫌いじゃなかったよ。むしろ、婚約が決まったときはセシリアでよかったと思っていたくらいだし」
「そうなの? もう、早く言ってよ」
「僕がそう思ってるんだから、セシリアも同じように思っているものだと信じて疑わなかったんだ。だから、それでいいと思ってた」
「……なにそれ」
「でも、違った。セシリアがほかの男に求婚された話を聞いたとき、その男の目をくりぬいて八つ裂きにしてやりたいと思ったんだ。知らない男に微笑みかけるセシリアを想像したら、信じられないくらい苦しくて、苦しくて、もう死にたくなった」
「……え」
「それで、気づいたんだ。僕は、セシリアがいないと生きていけない。生活できないとかそういうことじゃなくて、セシリアがそばにいないと息もできない。セシリアが好きで好きで、もうどうしようもない」
咄嗟に見上げたルシアンのアイスブルーの瞳には、燃え上がる情欲の炎が見え隠れしていた。
私はただただ目を見開いて、はくはくと浅い呼吸を繰り返す。
突然のストレートすぎる愛の告白に、しかもそれが、私に無関心だったはずのルシアンの言葉だという事実に、もはや思考は停止寸前、息も絶え絶えである。
「僕は間違っていたよ。セシリアはいつでもどこでもこんなに可愛いんだから、世の中の愚かな男どもだって気づかないわけがない。もっと危機感を持って、対処すべきだった」
「……え? か、可愛い? 私が……?」
「可愛いよ。セシリアは世界で一番可愛い。尊い」
「そ、そんなこと、今まで一度も言わなかったじゃない……」
「言わなかったけど、心の中ではずっと可愛いって思っていたよ?」
……これ、ほんとにあのルシアンなのですか……?
今までのルシアンと、あまりにも違い過ぎるんですけど……!
素っ気ない態度でコミュニケーションの三段活用だけを駆使していたあのルシアンが、私の目を見て、私に通じる言葉で、甘々なセリフをこれでもかというほど連発するなんて……!!
実はどこかの誰かと中身が入れ替わってました! なんて言われてもすんなり信じてしまうくらい、ルシアンの豹変ぶりには度肝を抜かれてしまったのである。
◇・◇・◇
その日は一日、ルシアンのそばを離れることができなかった。
トイレに行こうとしたときにも、ルシアンが何食わぬ顔でついてこようとするから全力で止めた。
コルネリウス様は隙を見て私に話しかけようとしていたけど、ルシアンが悪鬼のごとき形相で牽制するから近づくことすらできなかったらしい。
しかも、ルシアンはコルネリウス様が私に求婚の打診をしたと知っているから、事あるごとに親の仇とでも言わんばかりの刺すような目つきで威嚇していた。
君子豹変とは、まさにこのことである。
学園中がルシアンの狂気じみた変貌に戸惑ったり、畏怖の念を抱いて距離を置いたりする中、マルガリタ殿下だけはじっとりとした視線で私たちを睨みつけていた。やっぱり怖い。とんでもなく怖い。
ルシアンは、「王家からの婚約の話はもちろん断るよ」と言っていた。
「僕がほしいのはセシリアだけなのに、王女なんか押しつけられても困るから」
そんなことを事もなげにさらりと言っちゃうルシアンを見て、やっぱり中身は別人なんじゃ……? と思ってしまう。
怒涛の一日を終えた私は、家に帰ってまた家族会議を開き、ルシアンの豹変ぶりについて事細かに説明した。
言うまでもなく、家族全員が信じられないという顔になった。
わかります。私だって、いまだに信じられません。
それでも、ルシアンが自分の気持ちをはっきりと伝えてくれたことは、素直にうれしかった。
私だってルシアンのことはもともと嫌いじゃないのだし、あそこまで執着強めに求められたら、やっぱりこれからも一緒にいたいなんて思ってしまう。
コルネリウス様には申し訳ないけど(マルガリタ殿下はどうでもいいけど)、この婚約がこれからも続くことは確定したわけだから、今まで通りの緩い感じでそれなりに仲よくやっていけばいいのかなと思っていたのだけど。
その見通しがどれほど浅慮で楽観的すぎたのかを、私はすぐに思い知ることとなる。