軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 嘘の原本

ロラン・ダヴィエの手は震えていた。──あの日からずっと、震えていたのだろう。

再審理五日目。学園の中庭、噴水の前のベンチ。午後の陽光が水面にきらめいている。ロラン様は一人で座っていた。風紀委員長のバッジが、制服の胸元で鈍く光っている。

「ロラン様。少しお話しさせていただけますか」

彼の顔が強張った。立ち上がろうとする。

「お待ちください。──あなたを責めに来たのではありません」

足が止まった。振り返った瞳には、警戒と──疲労が滲んでいた。目の下の隈は、私やノエル様よりもずっと深い。

「あなたは犯人ではありませんわ。ロラン様」

「……何を」

「犯人は、あんなふうに震えたりしない」

ロラン様の息が詰まった。

「あなたは脅されているのではありませんか。セレスティナ様に」

長い沈黙が落ちた。噴水の水音だけが響いている。

ロラン様が、ゆっくりとベンチに座り直した。両手を膝の上で組んで──その手はやはり、震えていた。

「……姉が」

絞り出すような声だった。

「姉が、三年前から病に臥せっています。原因不明の衰弱病で、回復の見込みがないと、どの医師にも言われた。──セレスティナ様だけが、『私の治癒魔法なら治せます』と」

「それを条件に、協力を求められた」

「最初は小さなことでした。聖女の評判を落とすような噂を握り潰すこと。風紀委員長の権限で、セレスティナ様に不都合な報告書を『紛失』させること。──そして三ヶ月前──」

ロラン様の声が途切れた。唇を噛みしめ、こぶしを膝に押しつけている。

「断罪のための証拠書類を──改竄するよう、指示されました。クレイシス嬢の名前を、犯人として書き加えろと。姉の命と引き換えに」

やはり。

私の推理は正しかった。けれど、正しかったことが嬉しいとは、不思議と思わなかった。目の前で震えている青年の痛みが、あまりにも生々しかったから。

「原本は」

「……残してあります。改竄した書類の、元の原本を。いつか──取り返しがつかなくなった時のために」

ロラン様が制服の内ポケットから、折り畳まれた書類を取り出した。厳重に封蝋で閉じられている。

「ここに。改竄前の原本です。筆跡も、日付も、すべて──本来のまま」

手が震えている。それでも、差し出す手は……止まらなかった。

受け取った。ずっしりと重い。紙の重さではない。この人が三年間、独りで抱えてきた苦悩の重さだ。

ゲストハウスに戻り、ノエル様と共に原本を精査した。

改竄された書類と原本を並べる。一見すると差は微かだ。だが──。

「ここ。インクの色が違う。改竄版では、私の名前が含まれる証言部分だけ、インクの乾燥度が浅い。後から書き足されたということですわ」

「筆跡も微妙に違う。ロランの字は右上がりの癖があるが、改竄部分だけ水平だ」

ノエル様が指で示す。前世の私なら見落としていただろう細かな差異を、この人の目は逃さない。

「原本の方には、私の名前は一切出てこない。つまり──元々の証拠には、私を犯人とする根拠がなかった」

「元の報告書は『犯人不明、引き続き調査を要する』という結論だ。それが改竄後には『クレイシス嬢の犯行を裏付ける証拠が発見された』に変わっている」

「見事な改竄ですわ。法律に精通したロラン様だからこそできた。逆に言えば──ロラン様以外にはできなかった」

これで、物証が揃った。改竄の事実を証明できる。セレスティナ様の共犯構造が、音を立てて崩れ始めている。

私は椅子に深く座り直した。胸の奥に、熱いものがこみ上げてくる。

(……あと少し。あと少しで、真実に届く)

「ロランの処遇を、どうするつもりだ」

資料をまとめ終えた後、ノエル様が訊いた。

「ロラン様は、被害者ですわ。姉の命を人質に取られていた」

「だが、証拠の改竄に加担したのは事実だ。法的には罪に問われる」

「それは──」

「俺は騎士だ。法を歪めることはできない。たとえ動機に同情の余地があっても」

正論だ。反論できない。

でも。

「ノエル様。私はこう思います。──脅された人を罰しても、正義とは呼べませんわ」

ノエル様の目が、わずかに見開かれた。

「ロラン様は自分から原本を残していました。良心を捨てていなかった。それは罰するよりも──認めるべきことではありませんか」

「……」

「もちろん、法的な手続きは必要です。でも──嘆願することはできるはずです。彼の協力と、脅迫されていた事情を考慮するよう」

長い沈黙があった。

ノエル様が目を閉じた。開いた時、その瞳には──何か、決意のようなものがあった。

「……貴女の言う通りかもしれない。俺は、法の正しさばかり見て、人を見ていなかった」

その言葉が、不思議と胸に響いた。

この人は──変われる人なのだ。自分の視野の外にあるものを、認められる人。

(ノエル様って──)

何かを思いかけて、慌てて打ち消した。今はそんなことを考えている場合ではない。

「ところで、もう一つ気になることがあるのです」

ロラン様の自白の中に、引っかかる一言があった。

「ロラン様は、セレスティナ様の治癒魔法で『いつか姉を治す』と約束された。でも三年経っても、姉の治療は始まっていない」

「治癒魔法が使えないのか」

「いえ、使えるはずです。聖女として認定されるほどの力ですから。問題は……なぜ使わないのか」

脅しの道具として「治せる可能性」をちらつかせ続ける。実際に治してしまったら、脅しが効かなくなるからだ。

でも──もう一つの可能性がある。

「セレスティナ様の治癒魔法に、何か──問題があるのかもしれませんわ」

「問題とは」

「まだ仮説ですわ。けれど──ロラン様がこう言っていたのを覚えていますか。『セレスティナ様に治癒を受けた人は、皆、聖女様に頭が上がらなくなる』と」

ノエル様の目が細くなった。

「教頭も。ヴィクトル殿下も。──治癒を受けた人間が、揃ってセレスティナの味方をしている」

「ええ。偶然にしては出来すぎていませんか?」

治癒魔法。人を癒す、聖なる力。

……もしその力に、癒す以外の効果があるとしたら。

「明日、魔法学の専門家に鑑定を依頼しましょう」

「……実は、すでに手を打ってある」

ノエル様が静かに言った。

「教頭の態度に疑問を持っていた。三日前に、王都のゲルハルト博士に治癒魔法全般の分析を依頼している。明後日には結果が届くはずだ」

三日前。私がまだセレスティナ様の毒物の出所を追っていた頃から、この人は別の角度で動いていた。

「……ノエル様。あなた、見た目より策士ですわね」

「騎士は現場を先回りする。それだけだ」

いや、それだけではないだろう。でも追及すると「任務だ」と返されるのが目に見えている。

残りあと二日。パズルの最後のピースが、もうすぐ届く。