軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百九十七話『最高で最低最悪な機会』

紫電の一閃によって、鉄の如く編み込まれた筋肉が千切れ飛び、分厚い頸椎が砕け散る音がした。

今まで聞いた事のない身体の悲鳴。受けたことのない斬傷にヴェルグは嗚咽を漏らし街道を転げる。本来は動くべきでないのだろうが、そうせねばならないだけの理由があった。

一瞬の後、先ほどまで己の頭蓋があった箇所へ、稲光と共に紫電が走る。悍ましいほどの血を首筋から吐き出しながら、ヴェルグは其れを見た。

緑衣に、凶相の剣士。紛れもない、主ドリグマンに弓引く者。その武技に魔性の気配すら感じさせる人間。

直感した。彼だ。彼こそは此処で殺さねばならない。

ヴェルグは己の死期を悟る。もはやこの大傷では長くはなく、まして此の人間から逃げうる事は叶うまい。

惨めに背中を突き刺されるか、それとも命を賭して此れを殺すか。ヴェルグは当然のように後者を選び、そうして跳んだ。馬の蹄が、大きく鳴った。

人間と比すれば巨大と言わざるを得ない体躯を用い、空から敵を圧殺する。ヴェルグが得意とする武技だった。実際、ヴェルグの巨体を見て跳躍する事を想像する人間は多くない。

多数の冒険者や傭兵がこれを前に身を竦ませ、圧殺された。腰に揺らした石斧を振り上げて、ヴェルグは吠える。

その一振りは紛れもなく人間など歯牙にも掛けぬ凶悪さで。人間の小部隊であればそれだけで壊滅するであろう威を持っていた。これを前にして死を覚悟せぬ者がどれほどいるというのか。

けれども剣士は当然のように言った。

「大丈夫か、エルディス」

言の葉が宙を舞った。血と土が踊る死地で、似つかわしくない美麗な碧が見えている。ヴェルグは心臓が嘶く音を聞いた。

「無論だとも、僕の騎士。全て任されたって構いはしないよ」

その碧が瞬いた瞬間。ヴェルグの巨体は堕した。本来の物理法則を捻じ曲げて、その場に墜落したかの如く地面に縫い付けられる。

巨体が倒れ伏した衝撃に石板が砕け、ヴェルグの千切れかけた首が荒れ狂って血を吐き出した。

当初ヴェルグは何が起こったのか分からなかった。ただ何をされたのかは分かった。

精霊術。祝福とも呪いとも言える其れ。時に自然と同一とし、幻影を作り出す事も声を飛ばす事も可能とする神秘。

だがその本質が語るのは、破滅的な束縛だ。自然と己を縛り上げ、同一化させる手法もその一つ。

祝福とてかつて神々が其れを与える代わり、民に自由を差し出させる為のもの。その裏は即ち呪い。

ヴェルグは奥歯の底で痛感する。今己を此の大地に縛り付けているのは精霊術そのもの。己の主ドリグマンが扱うものと同じ。先の兵舎でも、同じ術を使い己らを束縛したものがいたではないか。

抜かった。精霊術を使う者がいるのなら、先ほど魔術矢に串刺しにされたはずの人間共が消え失せたのも理解が及ぶ。あれは幻影の兵団だったわけだ。

だが、何故。ヴェルグは地面に縛り付けられたまま、歯を慣らして忌々し気に声を垂らす。すぐ傍に、魔の気配がしていた。

「――何故、ダ。エルフか、妖精か。どちらにしろ我らが同胞ではないカ。もはや魔の時代が見えているというのに、どうして人間に与すル」

それは問いかけであり、同時に困惑の言葉だった。魔の縁者でありながら、己らの手を振り払う。ヴェルグにとってみれば紛れもない裏切りで、そうして疑問しか湧かぬ行い。

かつての頃であればともかく、もはや大魔、魔人という強大な統制者がいて何故魔性同士で争い合う必要があるのか。そんな悲哀すら満ちた言葉だったかもしれない。

指先すら動かぬようになったヴェルグに対し、エルフの女王は語った。

「その手を取った先で待つのは何だい。偉大な魔人様に傅く未来かな……嫌になるね、品位というものは気を抜けば何処までも転げ落ちるものだ」

空気が打ち震えるように痙攣し、声には有り余る憤激が込められているのが分かる。まるで軽蔑そのものが凝固したかのような言葉だった。

声に同調するように、ヴェルグに注ぎ込まれた呪いが濁流となって全身を暴れまわる。その生命のくびきを引き抜かんとしているかのようだった。

「舐めるなよ下郎。僕はもう折れる事はない、死ぬその時までフィン=エルディスだ」

そう言って、エルディスは拳を握りしめる。女王の命令に従うが如く呪いは収束し、ヴェルグの巨大な心臓を破裂させた。

一瞬その巨体が痙攣したが、すぐに動かなくなった。誰がどう見ても絶命している獣の姿でしかなかった。

かつての頃一地方を睥睨し勇者をも踏み潰した魔獣は、呆気なく息の根を止めた。もはやその名が誰かに知れ渡る事もなくなった。

「……名前くらい聞いても良かったな。見覚えのある奴だった」

そんなルーギスの呟きを食い取るように、エルディスは彼の手を取って言う。血煙の舞うこの死地にあってまるで似つかわしくない拗ねたような口調だった。

「魔獣の名前を覚えるくらいなら、君にはもっと覚えるべき事があるんじゃあないのかな」

例えば僕への正しい接し方とかね。エルディスが当然のようにそう言うと、ルーギスは肩を竦めて応えた。紋章教兵とエルフの兵団が、左右の建物で待ち構える敵の魔兵を制圧するまでの僅かな緩みの時間だった。

幾ら速度を重視するとはいえ、流石にいると分かっている魔性を捨て置いてはいけない。後ろからの襲撃にあってしまえば下手をすれば壊滅だ。

ゆえに全てをとは言わないが、せめてこの場くらいは制圧しきらねばならなかった。

ルーギスは焦燥を胸に抱きながら、眼を細める。まだ遠いが、もはや視界の先に映っている王宮をじぃと見つめた。其処からはもう、僅かな火の手が吹き上がり始めていた。

◇◆◇◆

王宮殿。高位貴族でもない限り早々踏み入れぬこの場所が、今日ばかりは粗野な兵と魔性の足に踏み荒らされていた。

黒の剛剣が、豪奢な燭台を断ち切るように振るわれる。瞬間、燭台と共に魔性の血が面白いように吹き飛んで、床布を揺らした。

市場で買おうと思えば金貨を出さざるを得ぬだろう床布も、此れでは値札もつかんだろうなとリチャードは頬を自嘲げに揺らす。もう床には肉片と血、そうして得体のしれぬ魔性の体液が塗りたくられていた。

「半分は仕掛けに回れ。半分は俺について来い」

手勢を半分に分けながら、リチャードは強く黒剣を握りしめて鼻を鳴らす。少しばかり嫌な予感が頭蓋の内側を噛んでいた。

此の王宮はいわば敵の本城。中心拠点とも言って良かったはずの場所だ。

だが、それにしては随分と守備につく魔性の数が少ない。僅かに残る輩の連携も皆無と言って良かった。無論、陽動策が奏功した結果とも言えるのだが。それにしても上手くいきすぎだ。

リチャードの頭蓋の中、何かが警鐘を鳴らしていた。戦場という場では、物事が上手く行き過ぎると言うのは必ずしも良い事ではない。むしろ経験上悪い事の予兆である方がずっと多かった。

今、己らは知らぬ内に坂道を転げ落ちているのではないのか。そんな予感すらある。

だが、今に至って退くという選択肢はリチャードになかった。撤退は賢明であるかもしれないが、賢明というのは何時だって愚鈍と表裏一体だ。

もはや進むしか道はない。今が絶好の好機であるという可能性だってあるのだから。

王宮内の道筋は、驚くほどに変わっていなかった。リチャードが知るかつての頃のまま。玉座への道も、何一つ変わらない。恐らくは先王の偉業を崩さぬ為などという言説が、まかり通っているに違いなかった。

玉座に向かう間、とうとう魔性に出会う事は一度もなかった。リチャードの頭蓋で打ち鳴らされる警戒の音がより大きくなっていく。

もしも、魔人が王宮を捨て外の軍と合流しているのであればまだ良い。それならば所詮その程度の存在だ。常識的な行動を取ってくれるのであれば、内側に入り込んだ以上やりようは幾らでもある。

けれど、もしただ一人で此処に居残っている様な奴ならば。其れは最高の機会であり、同時に最悪の事でもある。

リチャードと部下の強い足取りが、玉座の間を踏みつける。鈍い音が周囲に響き渡り、同時に声が聞こえた。

重く低い、そうして熱すら持つ声。リチャードは知らず喉を鳴らしていた。

「――此れは宿命なのだろうね。宿命を果たせという神の声と僕は受け取ろう」

かくして。最低最悪の死が其処にいた。