軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

36.

退院の前日、シュバルツが言った。

「一つ、聞いてもいいか」

「どうぞ」

「抗菌薬の話だ。火傷の処置のとき、飲ませてもらった薬だ。あの薬が、菌の増殖を抑えたと言っていた」

「はい。といっても、正確に言えば増殖を抑えたのは、注射投与した抗生物質。飲ませたのは整腸剤です。腹を下しやすくなりますからね」

「抗生物質……あれは何から作っているんだ」

トーコが少し、間を置いた。

「ガルドさんを呼んできます」

三人で、薬の調合室に入った。

棚に、様々な薬草と試薬が並んでいる。その一角に、小さな培養器が置かれていた。

ガルドが棚から、一つの容器を取り出した。

中に、青緑色のカビが繁殖していた。

「これが、元になるものです」

シュバルツが眉を寄せた。

「……カビか」

「青カビです」

「カビから、薬を作るのか」

「正確には、青カビが作り出す成分を取り出して、薬にします」

トーコが説明した。

「青カビは、自分の周りにある菌を殺す成分を出します。それが菌に対して効く。その成分だけを取り出せれば、薬になります」

「カビが、菌を殺す……」

「カビも菌も、どちらも目に見えない小さな生き物です。カビの一種が、他の菌に対抗するための物質を出す。それを利用しています」

シュバルツが、容器を見た。

「なぜそんなことを知っている」

「前世の知識です。別の世界では、同じ方法で多くの命が救われました」

「別の世界で……」

シュバルツが、それ以上は聞かなかった。

「しかし、カビから成分を取り出すのは難しいのではないか。どうやって分けるんだ」

「それがガルドさんです」

トーコがガルドを見た。

「薬師の紋章がある」

ガルドが、手の甲を見せた。

銀の紋章が、鈍く光っている。

「薬師紋のスキルで、薬草や素材から薬効成分だけを取り出すことができる。余分なものを除いて、必要なものだけを残す」

「それが、協会でいう薬師スキルか」

「ああ。大抵の薬師はそれで薬草を精製する。俺がやったのは、青カビに同じことをしただけだ」

「薬草ではないものにも使えるのか」

「やったことはなかった。先生に頼まれて、試してみたら使えた」

ガルドが、別の棚から小さな瓶を取り出した。

「これが取り出したものだ。成分が濃縮されている」

透明に近い、わずかに黄みがかった液体だった。

シュバルツが、瓶を見た。

「……こんなに少量で効くのか」

「濃縮されているから、少量でいい。薄めて適切な量にする。多すぎても体に負担がかかる」

「どのくらいの量が適切かも、先生が」

「前世の知識で、だいたいの目安はわかっていました。ただ、この世界では体の反応が違う場合もあるので、少量から始めて様子を見ました」

「慎重なんだな」

「知識があっても、この世界で使うのは初めてです。確認しながら進めています」

シュバルツが、培養器の中の青カビをまた見た。

「つまり……この青カビを育てて、成分を取り出して、薬にする。それをガルド殿のスキルで可能にした」

「そうです」

「ガルド殿のスキルがなければ、できなかったか」

「この世界では、難しかったと思います。前世の世界では別の方法で成分を取り出していましたが、ここではその器具がない。ガルドさんのスキルがあったから、実現できました」

ガルドが、ふんと鼻を鳴らした。

「俺のスキルで、先生の知識が使えるようになった。お互い様だ」

「そうです」

「この薬は……今、広く使えるのか」

シュバルツが聞いた。

「量に限りがあります。青カビの培養に時間がかかる。現状では、重症の患者に優先して使っています」

「増やすことはできないのか」

「培養の規模を大きくすれば、増えます。ただ、適切な環境が必要です。温度、湿度、光の量。管理が難しい」

「管理できれば、増産できる」

「はい。今はガルドさんと二人で管理しています。人手が増えれば、もっと作れます」

シュバルツが、天井を見た。

「……協会にも、薬師がいる。スキルを持つ者も複数いる。もし協力できれば、生産量が増えるかもしれない」

「それは、シュバルツさんが戻ってから考えることです」

「私が、協力するということを前提に話しているのだが」

「わかっています」

「……なぜ、前のめりにならないんだ。こちらが協力すると言っているのに」

「シュバルツさんが自分で決めることだからです。怪我の治療が終わって、協会に戻って、落ち着いてから考えてください。今の判断が正しいとは限らない」

シュバルツが、しばらく沈黙した。

「……なぜそこまで人を信じる」

「信じているわけではありません。急いでも良いことはない、ということです」

「同じことではないか」

「少し違います」

ガルドが横で「似たようなもんだ」と言った。

シュバルツが、低く笑った。

翌日、シュバルツが退院した。

扉の前で、トーコに向かって頭を下げた。

「世話になった」

「お大事にしてください」

「協会に戻ったら……考える。約束はしない。しかし、考える」

「それで十分です」

シュバルツが、歩き始めた。

少し離れたところで、振り返った。

「最後に一つ聞いていいか」

「どうぞ」

「お前は……何がしたくて、ここにいるんだ。辺境で、こんな施設を作って、患者を診て。王都でもどこでも、もっと大きな場所でできるだろう」

トーコは少し考えた。

「デッドエンドに、私を必要としている患者がいます。それだけです」

「……それだけか」

「それだけです」

シュバルツが、ため息をついた。

「そうか」

それだけ言って、歩いていった。

ミリアが後ろで「また言った……それだけです、って」と言った。

「何か問題がありますか」

「問題はないですけど、先生って本当にそれだけなんですよね。他に何も考えてないんだなって」

「考えていることは色々あります」

「例えば」

「次の患者のことです」

ミリアが、笑った。

シルフィが「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。

ガルドが調合室に戻りながら、ぼそりと言った。

「青カビ、また仕込んでおくか」

「お願いします」

「わかった」

病院の朝が、静かに続いていた。