軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

34.

天導協会デッドエンド支部の前を通ると、静かだった。

以前は患者が並んでいた場所に、誰もいない。扉が閉まっている。看板は出ているが、通り過ぎる人は誰も立ち止まらない。

鉱夫の男が言った。

「最近、あそこ、ずっとあんな感じだな」

「聖女が減ったからですね」

「先生のとこに来ちゃったもんな。自業自得だよ」

デッドエンドの病院は、今日も朝から患者が並んでいた。

昼過ぎ、支部の中でエリナが一人、患者の対応をしていた。

もう三ヶ月になる。セラたちが去ってから、ずっと一人だった。王都から補充を求めたが、来なかった。魔力の消耗が激しく、昼を過ぎると集中力が落ちた。

そのとき、シュバルツが奥の部屋から出てきた。

「患者はどのくらい来ている」

「今日は……四人です」

「四人か」

シュバルツが、窓の外を見た。通りは静かだ。

「あの病院には、今日何人来ている」

「……朝の時点で、二十人以上は並んでいたかと」

「そうか」

シュバルツが腕を組んだ。

「神は、こちらに味方するだろう。正規の協会が、免許もない者に患者を奪われるなど、あってはならない」

エリナが、何も言わなかった。

「神の裁きが下るだろう。この状況が長続きするはずがない」

シュバルツが、天井を見上げた。

「邪道が栄えるなど、神が許すはずがないのだ」

雷が鳴り始めたのは、夕方のことだった。

夏の夕立だ。空が急に暗くなり、雨が降り始めた。

病院では、入院患者の確認をしていた。ミリアが窓を閉めて回っていた。

そのとき。

轟音がした。

地面が揺れるような音だった。続いて、光が走った。

「……先生」

ミリアが、窓の外を指した。

天導協会の支部から、煙が上がっていた。

落雷だ。

建物の一角が燃えていた。

トーコが飛び出した。

シルフィが飛び立ち、周囲に風の結界を張りながらついてくる。

セラとミラが後を追った。ミリアが道具箱を抱えて走った。

支部の前に着くと、建物の屋根が燃えていた。扉が開いていて、中から煙が出ている。

エリナが外に出て、膝をついていた。腕に火傷を負っている。軽傷だ。

「中に……シュバルツ部長が……!」

「何人いますか」

「二人……受付の者と、部長が……!」

セルシウスが、どこからか走ってきた。

建物の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。

それから、口から冷気を吐いた。

氷の霧が、炎に向かって広がった。炎が、勢いを落とした。完全には消えないが、入れるようになった。

「セルシウス、ありがとう」

「ぐる」

トーコが中に飛び込んだ。

煙が充満していた。魔力視を開くと、奥に二つの人の気配がある。

受付の若い係は、倒れていたが意識があった。ミラが抱えて外に出た。

シュバルツは、奥の部屋にいた。

天井の梁が崩れて、足に当たっていた。動けなくなっている。腕と顔に、深い火傷があった。服が焦げている。

「……っ」

シュバルツが、トーコを見た。

目を、見開いた。

「なぜ……お前が」

「動かないでください。今、外に出します」

「なぜ、来た……」

「建物が燃えています。話は後です」

トーコが、梁を動かそうとした。重い。一人では無理だ。

セルシウスが、入り口から頭を入れてきた。大きな体が、狭い廊下に入りきらないが、鼻先で梁に触れた。

ぐっと押し上げた。

梁が動いた。

トーコがシュバルツの腕を取り、引いた。

外に出ると、雨が強くなっていた。

シュバルツを地面に横たえ、トーコがすぐに状態を確認した。

魔力視を開く。

腕と顔の火傷が深い。皮膚の層が、複数にわたって損傷している。熱が体内に入り込んでいる。このまま放置すれば、感染が広がる。

「重度の火傷です。病院に運びます」

「待て」

シュバルツが、掠れた声で言った。

「なぜ……私を助ける」

「怪我をしています」

「私は……お前の施設の建設を何度も妨害した。患者に嘘の噂を流した。聖女たちを縛ろうとした。それでも」

「それでも、患者です」

シュバルツが、目を閉じた。

「……お前には、腹が立たないのか」

「腹を立てている暇があれば、処置します」

シュバルツが、低く言った。

「……なぜそういうことができる」

「できないことの方が多いです。でも目の前で傷ついている人を見捨てることは、私にはできません」

ミリアとセラが、担架を持ってきた。

「運びます」

「……頼む」

病院に運び込まれたシュバルツを、トーコは処置室に入れた。

火傷の処置は、時間が命だ。

壊死した組織を取り除き、感染を防ぐ処置を施す。広範囲に及ぶ火傷には、皮膚移植が必要だった。

「セラさん、治癒魔法で細胞の再生を補助してほしい。ただし、私が指示した部分だけ、加減しながら」

「わかりました」

「ミリアさん、器具を」

「はい」

シルフィが結界を張った。

処置が始まった。

皮膚移植は、精密な作業だ。健康な皮膚を薄く採取し、損傷した部分に貼り付ける。魔力視で血流の状態を確認しながら、セラの治癒魔法と組み合わせて細胞の接着を促す。

前世で何度もやってきた処置だ。しかし、魔法と組み合わせるのは初めてだった。

「セラさん、今の部分、もう少し弱く」

「はい」

「そこはもう少し強く。ゆっくりと」

「……わかりました」

セラが、魔力の加減を調整しながら応えた。

二人の技術が、一つの処置として噛み合っていく。

ミリアが、ずっと器具を渡し続けた。

処置が終わったのは、夜が深くなった頃だった。

翌朝、シュバルツが目を覚ました。

入院室の天井を見た。

腕と顔に、包帯が巻かれている。痛みはある。しかし、昨夜の灼けるような熱は、引いていた。

トーコが入ってきた。

「気がつきましたか。痛みはどのくらいですか」

「……ある。しかし、昨夜よりはるかに楽だ」

「感染の兆候はありません。経過は良好です」

シュバルツが、包帯を巻かれた腕を見た。

「……皮膚移植を、したのか」

「広範囲の火傷だったので」

「そんな処置が、できるのか」

「前世の知識です」

シュバルツが、しばらく天井を見ていた。

「……私は、お前に酷いことをした」

「そうですね」

「それでも助けた」

「患者だったので」

「……格が、違う」

シュバルツが、低く言った。

「私はお前を潰そうとしていた。お前はそれを知っていて、助けた。人間として、格が違う」

「そういうことではありません」

「ではなんだ」

トーコが少し考えた。

「私は医師です。それだけです」

シュバルツが、目を閉じた。

「……ありがとう」

長い間があった。

「礼は受け取ります」

「……うう」

シュバルツが、かすかに声を詰まらせた。

「恥ずかしい……恥ずかしい話だ」

「回復に専念してください。しばらくここにいてもらいます」

「……わかった」

トーコが出ていく前に、シュバルツが言った。

「一つだけ聞いていいか」

「どうぞ」

「セラたちは……あの聖女たちは、ここで幸せか」

トーコが、少し間を置いた。

「聞いてみてください。本人たちに」

「……そうだな」

扉が閉まった。

廊下の向こうで、セラが患者に何かを説明している声が聞こえた。

明るい声だった。

ミリアが、廊下でトーコに言った。

「先生、シュバルツさん、泣きそうでしたね」

「そうですか」

「先生は気づかなかったんですか」

「処置の確認をしていました」

「……先生らしいですね」

ミリアが、窓の外を見た。

「セルシウスが、また外にいます」

「そうですか」

「昨夜、火を消してくれましたね。本当に助かりました」

「ぐるる」

外からセルシウスの声がした。

「……聞こえてるんですかね」

「さあ」

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。

病院の朝が、静かに始まった。