軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20.

封書が届いたのは、昼の診察が終わった頃だった。

差出人を見て、ミリアが「辺境伯閣下から……?」と首を傾げた。

トーコが開けた。

夜会への招待状だった。

今月末、王子主催の夜会がデッドエンドの出張宮廷で開かれる。ライナルト辺境伯に同行する形で、参加してほしい。

トーコはしばらく、招待状を見ていた。

「なぜ私が」

その疑問を解消するため、翌日ライナルトのところへ直接行くことにした。

「なぜ私が、夜会に」

トーコが聞くと、ライナルトは少し間を置いた。

「今回の夜会は、王子主催だ」

「はい」

「王子の周囲には、政治的な動きがある。今回の夜会も、何かの目的があって開かれる。そういった場では、毒が使われることがある」

「……なるほど」

「グラスに塗る接触毒、料理に混ぜる毒物。気づかなければ、気づかないまま終わる。医師としての目で、傍にいてほしい」

「毒の検知と、万が一の処置のため、ということですね」

「そうだ」

トーコは少し考えた。

「わかりました。医師として同行します」

ライナルトが、少し表情を動かした。

「……それでいいんだが」

「何かありますか」

「君には、もう少し年頃の女性としての喜びを覚えてほしいとも思う」

トーコが、ライナルトを見た。

「夜会は、医師の仕事として参加します」

「それはわかっている。そうではなく」

「平民は夜会に参加できませんよ」

「それは……まあ」

ライナルトが少し、口を閉じた。

珍しく、言葉を選んでいる様子だった。

「そこは、こちらで整える」

「整える、とは」

「貴族籍を一時的に付与する手続きがある。今回はそれを使う」

「……そういう手続きがあるんですか」

「ある」

トーコはしばらく、ライナルトを見た。

魔力視に映るのは、深い青の光だ。いつも通りの、落ち着いた色だ。しかし今日は、少し、揺れている気がした。

「……わかりました。医師として、同行します」

ライナルトが頷いた。

「よろしく頼む」

トーコが出て行った後、ライナルトはしばらく窓の外を見ていた。

言えなかったことが、一つあった。

辺境伯として、いずれ貴族の妻を迎える必要がある。その候補として、トーコを正式な場に連れていきたいという打算が、確かにあった。

しかしそれを、今言う必要はなかった。

ライナルトは、報告書に目を戻した。

夜会の当日。

ミリアが治療院で、朝から騒いでいた。

「先生、ちゃんと準備しましたか。ドレスは。髪は」

「ミリアさん、今日の診察が」

「今日は私とセラさんで対応します。先生は夜会に集中してください」

「医師として参加するだけです」

「どんな理由であっても、先生が夜会に出るのは初めてです。ちゃんとしてください」

セラが「先生、綺麗ですよ」と小声で言った。

ガルドが「早く行け」と言った。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

会場は、デッドエンドで一番大きな建物を使っていた。

燭台の光が広間を満たし、貴族たちが思い思いの装いで集まっている。楽団の音が空気を揺らしている。

トーコはライナルトの隣に立ちながら、さっそく魔力視を開いた。

広間を流れる魔力の色を、端から確認していく。

「さっそく仕事をしているのか」

「毒があるとすれば、どこかに仕込まれているはずです。早めに把握しておきたい」

「……来て早々だが、まあいい」

給仕が飲み物を運んでいる。グラスの並びを確認する。料理が並ぶテーブルを確認する。今のところ、異常な魔力の色は見えない。

しばらくして、王子が現れた。

二十代前半の、端整な顔立ちの男だ。金の刺繍の入った衣をまとい、柔らかい笑みを浮かべている。

「ライナルト辺境伯。よく来てくれた」

「殿下のお招きとあれば」

「隣の方は」

「トーコ・ハルトと申します」

トーコが礼をした。

「医師として、閣下に同行しています」

「医師。ほう」

王子の目が、少し動いた。

「デッドエンドで評判の、魔法を使わない医師か。聞いたことがある」

「お耳に届いていましたか」

「面白い話だと思っていた。機会があれば会いたいと思っていたが、ちょうどよかった」

笑みは柔らかい。しかし、魔力視に映る光は、穏やかではなかった。計算のある色だ。

——この人は、何かを考えている。

トーコは表情を変えなかった。

「光栄です」

「今夜はゆっくり話しましょう」

王子が去った後、ライナルトが静かに言った。

「王子は、この辺境に何かと干渉したがっている。私への牽制も含めて、今回の夜会を開いた」

「そうですか」

「あなたのことを、何かに使おうとするかもしれない。気をつけてくれ」

「わかりました」

夜会が進む中、トーコは広間を少しずつ確認し続けていた。

給仕のルートを目で追い、グラスの動きを確認する。魔力視に映る色に、異常がないか。

一時間ほどして、気づいた。

給仕の一人が、ライナルトのグラスを下げ、新しいものを持ってきた。その動きは自然だった。しかしグラスの縁に、ごく薄い、濁った光があった。

毒だ。

トーコの魔力を見る目は、正確には、毒を見分けられるわけではない。

毒を盛る際の、殺意。そこを見たのだ。

魔力は心より滲み出すもの。魔力の質から、どのような感情が込められているのかがわかる。

毒殺。つまり、相手は殺意をこめ毒をもった。それが魔力の残滓として、グラスに付着していた。

トーコが見たのはそこだった。

トーコは堪能検査を行い、毒の種類を絞る。

グラスを口にすれば、唇から吸収される。すぐには症状が出ない種類だろう。宴の後半、帰宅してから発症させる計算だろうことがわかった。

「閣下」

トーコが、ライナルトの袖を引いた。声を出さず、目だけで示した。

グラスに視線を向ける。

ライナルトが、一瞬で理解した。グラスを持ったまま、口をつけなかった。

「何か話でもしているのか? 閣下」

王子が近づいてきた。

「いえ。先生が面白い話をしていたもので」

「ほう。どんな話だ」

「このグラスのことです」

トーコが答えた。

王子が、少し表情を動かした。

「グラス?」

「グラスの素材が、魔石の光の反射に影響することがあります。この会場の光との相性が、少し気になっていて」

トーコはグラスを自分の手に取った。

「少し確認させていただいてもいいですか」

「……どうぞ」

トーコはグラスを光に透かした。魔力視で縁の部分を確認する。接触毒が、薄く塗られている。量は少ない。致死量ではないが、倒れるには十分だ。

「なるほど。素材の問題ではなく、洗浄の問題のようです。このグラスは少し汚れが残っています。替えていただいた方がいい」

給仕が青ざめた顔でグラスを下げた。

(彼が犯人です)

トーコは王子に目で訴える。

王子が、笑みを保ったまま言った。

「……気がつくとは、さすが評判の医師だ」

「医師ですので。体に害になるものには、敏感です」

「そうだな」

王子が、少しだけ目を細めた。それから、何事もなかったように別の客の方へ向かった。

ライナルトが、静かに言った。

「助かった」

「仕事です」

「今回は仕事以外の礼も言う」

トーコは少し、ライナルトを見た。

「いずれ、このことが公になるかもしれません。接触毒を使おうとした者が、今夜の会場にいた。それは王子の関与を示唆します」

「わかっている。証拠を集める必要がある」

「グラスを確保できますか」

「できる」

「毒の種類を調べれば、出所が絞れます。ガルドさんと私で確認します」

「頼む」

ライナルトが、トーコを見た。

「あなたがいなければ、今夜は別の結末になっていた」

「いてよかったです」

窓の外で、夜の街が静かに広がっていた。

夜会が終わり、広間の灯りが落ちていく頃、ライナルトとトーコは建物の外の廊下に出た。

夜風が、石畳を冷やしている。

「疲れたか」

「少し」

トーコが、正直に答えた。夜会の間中、魔力視を開きっぱなしにしていた。長時間の使用は、やはり消耗する。

「座るか」

「少しだけ」

廊下の端のベンチに、二人並んで腰を下ろした。

ライナルトが言った。

「今夜、医師として来てもらった。しかし」

「しかし?」

「ドレス姿が、似合っていた」

トーコが、少し間を置いた。

「……ありがとうございます」

「医師として来い、と言ったのは私だが、それとは別に言いたかった」

「そうですか」

「そうだ」

短い沈黙が落ちた。

夜の空に、星が多かった。デッドエンドの、いつもの空だ。

「また来るかもしれない。こういった場に、同行を頼むことが」

「医師として」

「……そうだ。当面は」

トーコは少し、ライナルトを見た。

魔力視に映るのは、深い青の光だ。いつもより、少し揺れている。

「わかりました。声をかけていただければ」

ライナルトが頷いた。

二人はしばらく、夜の街を見ていた。

シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、温かくて少し意地悪な翠の光だ。

——何が言いたいのかは、今夜も聞かないことにした。

夜風が、石畳の上を静かに流れていった。