軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.

フェンリルが、また来た。

今度は子供を連れていた。

朝、薬草に水をやっていたトーコが顔を上げると、治療院の前に二つの影が座っていた。大きい方が昨日の、後ろ脚を治した親だ。小さい方は、三日前に砦で処置した子だった。

二匹とも、トーコを見ていた。

唸っていない。

「……来たんですね」

「ぐるる」

大きい方が、低く答えた。

トーコは魔力視を開いた。

親の後ろ脚の傷が、順調に回復している。子の前脚も、問題ない。様子を見に来た、ということだろうか。

「傷の具合を診ます。動かないでいてください」

二匹とも、おとなしくしていた。

ミリアが出てきて、固まった。

「……昨日のフェンリルが、また来てる」

「経過確認です」

「なんで先生と普通に話してるの……」

「話していません。こちらが一方的に言っているだけです」

「それで通じてるじゃないですか」

トーコは子の前脚を確認しながら言った。

「魔力視で感情がわかります。怒っていない。怖がっていない。それだけです」

「感情が……見えるんですか」

「魔力の色で、おおよそは。シルフィのときと同じです」

「……なんでもできちゃう」

ミリアが呆然と言った。

「できないことの方が多いです」

子が、トーコの手の甲に鼻をつけた。冷たかった。氷のような、しかし柔らかい感触だ。

トーコは少し、その小さな頭を見た。

「……名前をつけてもいいですか」

「ぐるる」

親の低い声。魔力視に映るのは、落ち着いた色だ。拒んでいない。

「あなたはセルシウス。この子はスノウ」

二匹とも、動かなかった。

スノウが「ぐ」と短く鳴いた。

それからスノウは、毎日来るようになった。

朝、トーコが水をやっていると来る。診察が始まる頃には、治療院の外の日当たりのいい場所に寝ている。患者が来ると、少し離れた場所に移る。邪魔はしない。ただ、いる。

ミリアが最初は「怖い」と言っていたが、三日目には「スノウおはよう」と声をかけるようになっていた。

「先生、スノウって懐いてますよね」

「そうみたいです」

「かわいいですよね、顔」

「ぐるる」

「わあ、返事した……!」

ガルドが薬棚の整理をしながら「賑やかになったな」と言った。

「そうですね」

「魔物が治療院に住み着くとは思わなかったが」

「住み着いているわけでは」

「住み着いてるだろう、あれは」

セラが来た日には、スノウをじっと見て、そっと手を伸ばした。スノウが鼻をつけた。

「冷たい……でも柔らかい」

「ぐ」

ミラは「かわいい……」と言いながら、少し離れたところで見ていた。

シルフィとスノウは最初からお互いに無関心で、それがかえって自然だった。

セルシウスは毎日来るわけではなかった。

三日に一度くらい、スノウの様子を見に来る。治療院の前に座り、スノウを確認して、また去っていく。

ある朝、セルシウスが来なかった。

その代わり、昼前に騒ぎが起きた。

鉱山の方から、男が二人走ってきた。

「先生、怪我人が……! でも動かせなくて……!」

「どこですか」

「鉱山の入り口から少し入ったところです。落石で足を打って、自力では歩けなくて」

「案内してください」

道具を手に、走り出そうとしたとき。

セルシウスが、路地の角から現れた。

トーコを見た。

「ぐるる」

それから、前を歩き始めた。

「……先生、案内してる」

ミリアが呟いた。

セルシウスが、鉱山への道を迷いなく進んでいく。トーコがついていくと、確かに怪我人のところへ出た。

「早い……! なんで場所を知ってたんですか」

「さあ」

トーコは怪我人に駆け寄り、状態を確認した。足首の骨折だ。脱臼も混じっている。

「動かさないでください。今、固定します」

処置をしながら、後ろでセルシウスが座っていた。

処置が終わり、男を担架で運び出す。

「ありがとうございました……セルシウスが来なければ、もっと時間がかかっていた」

「ぐる」

セルシウスが短く鳴いた。

男が、恐る恐るセルシウスを見た。

「この魔物、怖くないんですか」

「怖くないということはありません。でも今は、敵意がありません」

男が「……そうか」と言いながら、セルシウスに向かって頭を下げた。

「ありがとうな」

「ぐるる」

セルシウスが、また去っていった。

それから、同じようなことが何度かあった。

怪我人が出ると、セルシウスが先に気づいて治療院に知らせに来る。あるいは怪我人のいる場所まで案内する。

街の人間が気づき始めた頃、ミリアが言った。

「先生、セルシウスって……救急車みたいじゃないですか」

「何ですか、それは」

「急病人や怪我人を、素早く運んで知らせる……前世でそういう仕組みがあったと、先生が言っていたような気がして」

「言いましたっけ」

「確かに言ってました。魔法じゃない、人の手で作る仕組みって」

トーコは少し考えた。

「まあ……似ています」

「先生、嬉しそう」

「そんなことはありません」

「目が柔らかいです」

トーコは答えなかった。

ガルドが薬を調合しながら言った。

「おかげで、早く処置できるようになった。怪我が悪化する前に来る患者が増えた」

「そうですね」

「魔物が守り神になるとは……辺境も変わったもんだ」

セラが「デッドエンドの守り神」と小声で言った。

「ちょうどいい名前ですね」

「そうですか」

「先生、自覚がないんですか」

「何の」

「セルシウスが先生を信頼してるのも、スノウが懐いてるのも、全部先生が治したからじゃないですか」

トーコは少し、窓の外を見た。

治療院の前の定位置で、スノウが丸まって寝ていた。白い毛並みが、午後の光に透けている。

「……患者を、治しただけです」

「その積み重ねです」

ミラが言った。

「先生が積み重ねてきたもの全部が、今のデッドエンドです。治療院も、セルシウスも、私たちも」

トーコは何も言わなかった。

しばらくして、スノウが目を覚ました。トーコの方を見て、ゆっくり立ち上がり、戸口に近づいてくる。

「ぐ」

「何ですか」

「ぐるる」

魔力視に映るのは、穏やかな白の光だ。満ち足りた色だ。

——ここにいる、と言っている気がした。

「そうですか」

トーコは次のカルテを手に取った。