軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第31話 狂気の魔道具職人と食後の散策

赤ワインの深い酸味と、粗挽き牛肉の野性味あふれる旨味が溶け合った極上の煮込みハンバーグの余韻。

深淵の迷宮の最深部、湖畔のキャンプサイトには、食後の心地よい満腹感と穏やかな空気が満ちていた。

「はぁ……幸せです。お腹いっぱい……もう剣を振る力も残ってません……」

エミリアがキャンピングチェアに深くもたれかかり、だらしなく緩んだ顔でお腹をさすっている。いつもは凛としているSランクの魔法剣士が、美味しい食事の前では完全にポンコツと化すのはもはや日常の風景だ。よく見ると、軽装鎧のベルトが少しだけ緩められている。

「ええ、完璧な仕上がりでしたわ。あのような濃厚なソースを、一滴残らずパンで拭き取ってしまうなんて、レディとしてあるまじき失態でしたけれど。後で専属のトレーナーに怒られてしまいますわね」

クロエも扇子で口元を隠しつつ、すっかり空になった自分の皿を満足げに見つめていた。彼女の後ろに控える私兵たちも、食後の満足感からか、周囲への警戒をわずかに解いてリラックスした表情を浮かべている。

俺の足元では、味付けなしで中までじっくり火を通した巨大な肉塊を平らげたハクが、仰向けになってゴロンと転がっている。小さな丸いお腹がパンパンに膨れ上がり、短い尻尾がパタパタと満ち足りたリズムを刻んでいた。

これでも一応、人類の脅威とされる神話級魔獣なのだが、完全にただの食べ過ぎた子犬である。

「さて、食後のコーヒーを淹れるか。ユジンたちは飲むか?」

「ええ、ブラックでお願い」

「私も。あと、できれば甘いクッキーも一つ欲しいわね」

籐子が作業用ゴーグルを額に押し上げたまま、ちゃっかりとリクエストを追加してくる。

俺はアイテムボックスから手挽きのコーヒーミルと、深煎りにローストした焙煎豆を取り出した。かまどの端の熾火でケトルのお湯を沸かしながら、静かに豆を挽き始める。ガリッ、ガリッという豆が砕ける心地よい音が、発光苔の光に照らされた空間に響き渡った。

ドリッパーにペーパーフィルターをセットし、挽きたての粉を入れる。ケトルのお湯が適温になったのを見計らい、まずは少量の湯を落として数十秒間蒸らす。粉がモコモコとハンバーグのように膨らみ、香ばしくビターな香りが立ち昇る。

そこから、細く一定の湯量で静かに円を描くように注いでいく。野営において、このコーヒーを淹れる時間は俺にとって精神を落ち着かせる大切な儀式のようなものだ。

数人分のマグカップに注ぎ分け、順番に手渡していった。

コーヒーを一口飲んでふうと息を吐いた籐子が、白衣のポケットから革張りの手帳を取り出した。

「ねえ、おじさん。この後、少し時間ある?」

「ん? まあ、洗い物は後でまとめてやるつもりだから、暇といえば暇だが」

「なら、ちょっと付き合いなさい。このキャンプサイトから東に少し歩いたところの岩場に、『アビス・クォーツ』の鉱脈らしき反応があったの。新しい魔道具の核に使いたいから、採掘の手伝いをしてちょうだい」

「アビス・クォーツか。荷物持ちなら任せろ。エミリアたちはどうする?」

俺が声をかけると、エミリアは首を力なく横に振った。

「だめですぅ……お肉とご飯が胃の中で重くて、一歩も動けません……」

ユジンもキャンピングチェアで気持ちよさそうに目を閉じており、久美子に至ってはすでに自分のテントに引っ込んで毛布にくるまっていた。ハクもへそ天のまま完全に熟睡モードに入っている。

「仕方ない。俺たちだけで行くか」

「ええ。重労働は任せるわよ、元・専属荷物持ちさん」

籐子はイタズラっぽく笑い、ツナギの裾を直して立ち上がった。

俺と籐子は並んで、湖畔から続く森の奥へと足を踏み入れた。

岩の上に置きっぱなしだった配信用の端末は、籐子が手早く自作した小型の浮遊魔道具に取り付けられ、俺たちの斜め後ろをフワフワと静かに追従してきている。

「……なんか、静かね」

少し歩いたところで、籐子がぽつりとこぼした。

「いつもが賑やかすぎるだけだろ。お前ら全員、主張が強いからな」

「違いないわ。特にあの金髪と黒髪の二人が張り合い始めると、騒音レベルが跳ね上がるもの」

クスクスと笑う籐子の横顔は、普段のギラギラとした「狂気の魔道具職人」というよりも、年相応の落ち着いた女性のものに見えた。

二人きりで静かな森を歩く。靴底が柔らかい苔を踏む微かな音と、遠くで風が木々を揺らす音だけが響いている。天井の疑似太陽の光が木漏れ日となって、彼女の明るいブラウンのカーリーヘアを照らしていた。

「そういえば、アビス・クォーツって具体的に何の魔道具に使う気なんだ? あれは魔力伝導率は極めて高いが、物理的な衝撃にはかなり脆い素材だったはずだ。昔、別のパーティーの荷物持ちをしていた時に、魔法使いが扱いづらいってこぼしていた記憶がある」

俺が長年の経験で得た知識を口にすると、籐子は感心したように目を丸くした。

「よく知ってるわね。普通の探索者はただの綺麗な石英くらいにしか思ってないのに。……その通りよ。脆いから武器や防具のコアには向かないけれど、魔力の波長を増幅させて変換するレンズとしては最高級の素材なの。今考えてる『超広範囲・自動索敵&迎撃システム』のセンサー部にどうしても必要なのよ」

「また物騒なものを考えてるな……。ここには魔物なんて寄ってこないだろ」

「乙女の身を守るためには必須よ。それに、ダンジョン未踏エリアの生態調査にも使えるしね。この最深部の特異な環境をデータ化できれば、魔導工学の歴史が数百年は進むわ」

籐子は楽しそうに早口で語り始めた。魔導工学の話になると、彼女の瞳には途端に強い光が宿る。俺は適度に相槌を打ちながら、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと先へ進んだ。

二十分ほど歩いた先で、鬱蒼とした木々が途切れ、灰色の岩肌がむき出しになった切り立った崖が現れた。

籐子が白衣のポケットから取り出した小型の計測器を岩肌に向ける。ピピピ、と電子音が鳴った。

「ビンゴ。この岩盤の奥、深さ一メートルくらいのところに塊があるわ。淡く紫がかった反応だから、不純物の少ないかなり純度の高いものだと思う」

「よし、下がるか」

俺は岩肌に手をかざし、『極・生活魔法』を発動した。

キャンプ地を設営する際に行う「整地」の応用だ。岩盤の成分とクォーツの境界を魔力で把握し、クォーツに一切の負荷をかけずに、周囲の岩だけを砂のようにサラサラと崩していく。

硬い岩盤が、俺の手の動きに合わせて音もなく崩れ落ち、やがて紫色の美しい結晶が姿を現した。

「これよ。でも、アビス・クォーツは非常に脆いの。ツルハシで叩いて取り出そうとすると、その物理的な衝撃で内部の魔力構造が散逸して、ただの石英になっちゃう。本来なら、高ランクの土属性魔法使いに頼んで、周囲の岩盤ごと数メートル四方を精密に切り出してもらうんだけど……」

「なら、こうするか」

俺は生活魔法の出力をさらに細かく調整し、クォーツの根元に付着している岩だけをピンポイントで風化させた。戦闘用の魔法が『破壊』に特化しているのに対し、俺の魔法はあくまで生活空間を整えるための『分解と清掃』だ。対象物に衝撃を与えることなく、不要な部分だけを取り除くことができる。

数十秒後、無傷で純度百パーセントのアビス・クォーツの塊が、ボコッと音を立てて外れ、俺の手の中に収まった。

「はいよ」

受け取った籐子は、目を丸くしてクォーツと俺の顔を交互に見た。

「……信じられない。魔力の揺らぎが全くない。Sランクの土属性魔法使いでも、ここまですんなりと純度を保ったまま剥離させるなんて不可能よ。貴方のそのデタラメな魔法制御、やっぱり一度頭の中を解剖させてくれないかしら」

「冗談きついぜ」

目的の素材が確保できたので、俺たちは崖の近くにあった手頃な倒木に腰掛けて休憩することにした。

俺はアイテムボックスから、保温ボトルに入れた予備の熱いコーヒーと、タッパーに入れた自家製のバタークッキーを取り出した。

「ほら、クッキー。さっきリクエストしてただろ」

「……気が利くわね」

籐子はゴーグルを外し、少し土で汚れた手を手持ちの布で拭ってから、クッキーを一つ手に取った。

サクッとした小気味良い食感の後に、濃厚なバターの香りが広がる。

「美味しい。甘すぎなくて、コーヒーにぴったり」

「だろ。砂糖は控えめにして、アーモンドプードルを少し混ぜて香ばしさを出してるんだ。野営の合間の糖分補給にはちょうどいい」

籐子はコーヒーをすすり、ふうと息を吐いた。

『トーコ先生と二人きりじゃん!』

『完全に食後のデートで草』

『おっさんの手際が良すぎてエスコート完璧すぎる』

『クォーツの採掘を生活魔法でノーダメージでやるとか、相変わらず魔法の概念壊れてるな』

『クッキー食ってるトーコ先生かわいい』

『てか普通に素材の採取手伝ってんの有能すぎんか』

少し離れた場所で浮遊している配信端末の画面では、コメント欄がにわかに盛り上がりを見せていたが、俺たち二人は特に気にする様子もなく静かな時間を楽しんでいた。

「ねえ。貴方、どうしてそんなに平気なの?」

不意に、籐子が視線を足元に落としたまま尋ねてきた。

「平気って?」

「こんな場所に置き去りにされて、私たちみたいなのに毎日振り回されて。貴方のそのデタラメな能力なら、その気になればもっと自己主張して、地上で富も名声も独り占めできるのに。どうして、ただの『飯炊きのおじさん』でいられるの?」

その問いに、俺は少し考える。

「自己主張、ねえ……。元々は死ぬ前のヤケクソで始めた最期の晩餐だったんだがな。ついこの間まで、元のパーティーの連中にこき使われて、不味い携帯食ばかりかじってた日々に比べたら、こうして生きて美味い飯が食える今は天国みたいなもんだ。それに、お前らが美味そうに飯を食ってるのを見るのは、案外悪くない」

籐子は呆れたように溜息をつき、それから、小さく笑った。

「欲がないっていうか、図太いっていうか。……でも、そういうところ、嫌いじゃないわよ」

籐子は少しだけ耳を赤くしてそっぽを向き、もう一枚クッキーを口に放り込んだ。彼女の普段の生活は研究一筋で、食事は栄養ゼリー飲料で済ませるような荒んだものだと聞いている。こうして手作りの菓子を食べている時の彼女は、年相応の柔らかな表情を見せていた。

「さて、クォーツも採れたし、冷えないうちにそろそろ戻るか。夕飯の仕込みもあるしな」

「ええ。次はどんな料理を作ってくれるのかしら」

「希望はあるか?」

「そうね……貴方が作るなら、何でもいいわ」

「一番困る注文だな。よし、猪肉が残ってるし、ガツンとニンニクを効かせたスタミナ焼きにするか」

「……撤回するわ。せめて食後の匂いケアができるものにしてちょうだい」

「贅沢言うな」

俺は空になったタッパーをアイテムボックスに放り込み、文句を言う籐子と並んでキャンプサイトへと歩き出した。