軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

33.結婚前夜とキッシュ

セシリアは落ち着かない気持ちで、キッシュが焼き上がるのを待っていた。

窯の火加減を見ないといけないため、ぼーっとするわけにはいかないのだが、どうしても手元を動かさない作業というのは、考え事をしてしまう。

(……明日か。結婚式は)

セシリアは大きく息を吐いた。

今日のうちに、ウィンターズ一家も王都に来ていた。だが、昼間に一度顔を出したっきり、『邪魔をするつもりはないから』と言って、両親と兄弟たちは、さっさとどこかに行ってしまった。

(緊張するなぁ)

セシリアとアルフォンスは、書類上は1年以上前に結婚している。けれども、2人は、先日初デートを終えたばかりなのだ。

未だに、結婚しているのだと実感が湧かないと言ったら、アルフォンスに怒られるかもしれない。

(なんだか、私が流れでプロポーズみたいなこと言っちゃってるし、色々と順番間違ってるんだよなぁ)

徐々に段階を踏んでいくロマンチックな恋には憧れるけれども、そもそも『白い結婚』を結んだ相手に今更プロポーズも何もない。

(薔薇の花束を差し出されて、ダイヤの婚約指輪でプロポーズも憧れるけれど)

家族になろう、と勇ましく手を差し出す令嬢が居てもいいじゃないか。それも、自分たちらしいかとセシリアは笑って目を閉じた。

ふと、何だか焦げっぽい臭いがした。

「……あっ、キッシュは!?」

完全に忘れていたのは、考え事をしてしまったせいである。

これはギリギリ大丈夫だということにしたい。端の方が少し焦げたけれども。

「キッシュじゃないか」

「そう、キッシュです」

月明かりが差し込む 居間(パーラー) 。

アルフォンスは、大きな紙袋を持って入ってきた。

仕事の書類でも入っているのだろうか。明日は結婚式だというのに、大変ご苦労なことである。

「考えごとをしていたら、実は焼きすぎていて……」

「料理って考えごとをしてしまって、うっかり時間が過ぎるよな」

「いやそうなんですよ!」

(……えっ、なんでわかるの?)

アルフォンスは、しまった、というように目線を逸らした。

ゆっくりと白状するように唇を開く。

「セシリアが領地に帰った後、一人でポトフを作って失敗した」

「え、アルフォンス様が!?」

セシリアは驚いて口の中に入れたキッシュが零れそうになってしまう。

「……お前が帰ったのが、寂しくて、ポトフを作っていたら、どろどろになった」

「なんですか、それ」

ふふ、と笑いが漏れる。一人で台所に立つアルフォンスを想像すると、ちょっと面白かった。しかも、セシリアが帰って寂しかったなんて、素直に言うものだからなおさら嬉しさが漏れ出てしまう。

「今日も美味いな」

「私が大学に入学したら、作るのも難しくなるでしょうが……」

「その時は俺が作る」

「ポトフをどろどろにしたのに?」

「……うるさい」

相変わらず、アルフォンスは、リスのようにもぐもぐと口いっぱいに頬張っている。思わず、自分の手を止めてじっと見つめてしまう。食事中の、とりわけセシリアの料理を食べる時のアルフォンスは可愛いのだ。

「なんだ、じっと見て」

「いや、アルフォンス様ってご飯食べるんだなぁって驚いたことを思い出して」

「そりゃ、食べるだろ」

「栄養が摂れればそれでいい、なんて言ってませんでしたっけ?」

「そういやそんなことも言ったな」

からかいを無視して、アルフォンスはキッシュを口に入れた。もぐもぐと。もぐもぐ、もぐもぐ。その様子を見ていると、キッシュを差し出したあの日のことを思い出す。

「貴方と出会って、もう1年半かぁ」

行儀が悪いのは分かっていたが、セシリアは頬杖をついて窓の外を眺めた。白い結婚を成立させ、離縁するまでの1か月間、特別だったはずの、この夜食もいつの間にか日常になっていた。

(私にとって、そんな日常のひとつひとつが大切な宝物だもの)

アルフォンスは、キッシュを綺麗に食べ終わると、「ごちそうさまでした」と口にする。

だが、彼は席を立たない。

いつもなら、「美味かった」と言って、部屋に戻っていくのに。

何か言いたげにしながら、口を開いたり閉じたり、落ち着かない様子である。

「……どうしました?」

セシリアがアルフォンスの顔を覗き込むようにして問えば、彼はふわりと微笑んだ。

「セシリア」

優しい声がセシリアの耳を撫でる。今まで聞いた彼のどんな声よりも、甘く、まるで砂糖菓子のようだった。

彼はごそごそと何かを取り出した。セシリアが目線を落とすと、机の上には、紺色の小さな箱があった。

(……これって)

アルフォンスが箱を開くと、そこには月の光を浴びて輝くダイヤモンドの指輪があった。

「えっ、これ、えっ、だって、結婚指輪は買いましたよね」

「これは、婚約指輪だ。 ま(・) ず(・) は(・) これを」

そう言って、テーブルの小箱をすっとセシリアの方に差し出す。まさか、先日の宝石店で店主と話し込んでいたのって────

(それはそれとして。…… ま(・) ず(・) 、ってなに?)

セシリアが疑問に思っていると、アルフォンスは、バン、と机を叩いて彼は立った。

座っているセシリアの手を取って、彼女を椅子から立ち上がらせる。

「……?」

大きな窓から差し込む月明りを背景にして、アルフォンスは跪いた。そのまま、セシリアの手の甲に優しくキスを落とす。

そして、アルフォンスの横にあった紙袋のから、何かを取り出し、セシリアに差し出した。それは、大きな薔薇の花束だった。

「俺と……結婚してください」

(い、色々といつの間に……!)

やはり、アルフォンスは夜空が似合う。彼の金髪はそのまま星になって、背景の月夜に溶けてしまいそうだった。ふらりと夜に攫われてしまいそうなほど、美しい彼を見ていると自分がプロポーズされているのだと実感が湧かない。

アルフォンスのことを、遠い場所にいる星のようだと思ったこともあったけれど。

(でも、アルフォンス様はここにいて、私と一緒にいたいと、そう思ってくれているんだ)

返事はひとつしかないはずなのに、セシリアは、言葉に詰まる。嬉しくて、抱き着いてしまいたい気持ちを抑えながら、エメラルドの瞳を真っすぐと見つめた。

「…………はい!」

セシリアはそう言って花束を受け取った。ずっしりと重いそれを持っていると、夢ではないのだとあらためて実感する。

セシリアの返事を聞いたアルフォンスの顔は、ぱっと明るくなった。かと思うと、気が抜けたかのように表情が抜け落ちる。

「ああ……緊張、した」

そう言って、へなへなとアルフォンスはその場に両ひざをついてしゃがみこんだ。

薔薇の花束を抱えたまま、目線を合わせるように、セシリアもしゃがむ。

「もう結婚してるのに?」

「女の子は一生味わうことのない感覚だろうな。……今までの人生で一番緊張した」

「断ることなんて無いってわかってるでしょう?」

「そういう問題じゃない」

睨むようにセシリアを見たアルフォンスの瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。あまりからかうのも良くないかと、セシリアは話題を変える。

「ていうか、なんで私の理想のプロポーズを知ってるんですか」

セシリアには、『ダイヤモンドの指輪と大きな薔薇の花束でプロポーズされたい』という願望があった。両親や兄弟にも話したことがないのに、なぜ知っているのかとアルフォンスの方を見つめる。

「自分で言ってただろう」

「えっ、いつ……? 言いましたっ……け?」

「お前の言ったことは、一言一句覚えてる」

アルフォンスは、セシリアの左手を優しく握った。すっと冷たい感覚がセシリアの左指に走る。そこには、先ほどアルフォンスが贈ってくれたダイヤモンドの指輪が輝いていた。

セシリアは優しく瞳を閉じた。

明日の結婚式への緊張が完全になくなったわけではないけれど。セシリアの中の不安は、綺麗さっぱり無くなってしまっていた。

「明日の結婚式、楽しみです」

「俺も楽しみだ」

無言で手を繋いだまま、見つめ合った。

アルフォンスは、ぎこちなく、セシリアの背中に手を回した。セシリアの頭はアルフォンスの胸にすっぽりと埋まってしまう。

とくとく、とアルフォンスの鼓動がセシリアの耳に届く。

「おやすみなさい、また明日」

「ああ、また明日」

おやすみ、の挨拶をしたのにも関わらず、月明かりの中、しばらく2人は離れることは無かった。