作品タイトル不明
18.領地散策と触れ合う手-01-
「完全に嫌われたな、俺は」
「すみません……本当に……お見苦しいところを……」
「お前は俺が悪く言われているから、怒ってくれたんだろ?」
「……うう、はい……ですが、弟もあんな性格で……姉としての監督不行き届きで……本当にすみません……」
突然、結婚に反対しだしたヴィルヘルムを思い出す。
多感な時期とはいえ、さすがに情緒が不安定すぎないか、とセシリアは思う。
次期当主、という自分の権力に酔ってしまったのだろうか。
ウィンターズ家は家の格で言えば、伯爵家の中でも上位であるため、名前だけでいえば貴族の中でも一目置かれる存在ではある。没落しかけてからは、その限りではないが。
とすれば、やはり。
「やっぱり、私のことが嫌いなんじゃんないかなって思うんです。ヴィルヘルムは」
「そうか?」
「ちっちゃい頃から喧嘩ばかりでしたし。とにかく、私の行動に反抗したんじゃないかって……」
「……違うと思うけどな」
ぽつり、とアルフォンスが言った。そして、再び笑みを浮かべる。
彼には、分かっているのだろうか、ヴィルヘルムがあんなに怒った訳が。
「…………?」
「まあ、とりあえず領地を案内してくれ」
アルフォンスはそう言いながら、屋敷の扉を開いた。
建付けの悪いそれは、ギイギイと音が響く。よく見れば、蝶番が錆びて真っ黒になっている。
アルフォンスは、『蝶番くらい替えろ』という目でセシリアを見てきたけれども、彼女は目を逸らしておいた。
扉を開けると、青い空が広がっていた。 王都(エリオプス) と同じ空のはずなのに、ウィンターズ領で見る方が、ずっと青が深い気がする。
「じゃあ、出発しますか」
セシリアは、意気揚々と一歩踏み出した。──アルフォンスと逆方向に。
「どこに向かうんだ。馬車で行くんだろう」
「馬車なんかで行けるわけないじゃないですか!」
「じゃあ、馬か?」
「仰々しいですね。すぐそこまで行くだけなのに」
アルフォンスが、顔をしかめる。
「じゃあ、どうやって領地を見て回るっていうんだ」
「……徒歩ですけど」
彼の目が見開かれて、ぱっちりとした二重になった。
◇
雲一つない青空に、新緑が揺れる。吹き抜ける風が気持ちいい。空気が美味しい、なんてよく言うけれど、言いえて妙だとセシリアは思う。
「歩くのも、悪くないな」
「そうでしょう」
セシリアは歩きながら、アルフォンスに解説をする。
右に見える緑一面の畑では、ニンジンを作っているだとか。奥に見える黄金色の更地は刈り取った後の麦畑であるとか。そこに住んでいる領民のおじいさんは昔イケメンだったらしいだとか。そんな他愛ないことまで。
にこにこと話すセシリアに、アルフォンスは、歩幅を合わせて歩いてくれていた。ゆっくりと、二人は舗装もされていない田舎道を歩いていく。
(………あっ)
ふと、アルフォンスの手とセシリアの手が触れた。
ほんの一瞬だ。何となく振っていた手が、当たっただけである。それだけなのに。
(手、が……)
セシリアの心臓は、どきりと跳ね上がり、体温が上がっていく。触れたところが、熱帯びてそれが全身に回っていっているようだった。
思えば、アルフォンスとセシリアは、手を繋いだことすらなかった。二人は『白い結婚』だったのだから、当たり前である。
(触れたいな、アルフォンス様に)
けれど、どうやって手を繋げばいいのかセシリアには分からない。手を繋ごう、と宣言するものなのか、それとも無言で繋ぎ合うものなのか。
あいにく、彼女には恋愛経験というものが、無いに等しかった。
「なあ」
アルフォンスは、唐突に立ち止まって、そう言った。
横を見ると、彼は顔を赤くして、セシリアの方を向いていた。緊張で潤んでいるようにも見える瞳が、セシリアを捉えて離さない。
「……手、を」
彼がためらいながらも手を差し出してくる。その仕草を見るだけで、全身が熱くて、そのまま溶けてしまいそうだった。
セシリアは、自分の手の震えを抑えつつ、ゆっくりと彼の手を握り返そうと手を伸ばし──
「あらぁ、セシリア様じゃないか!」
バッと、お互いの手を薙ぎ払うかのように、すごい勢いで手を離した。
声の主は、土まみれの顔を畑の中から覗かせた領民のメアリだった。セシリアにとって、彼女は昔からよく知る人物だ。
ヴィルヘルムと喧嘩して家を飛び出した幼い頃、泣きながら駆け込んだのがこのメアリの家だった。メアリはすっかり年を取ったが、その暖かい眼差しは変わらない。
(いや、メアリおばさんのことは大好きだけど! さすがにタイミングが悪すぎるってば!)
セシリアは、ついさっきまで繋ごうとしていたアルフォンスとの手を誤魔化すように、自分の髪を触り始めた。しかし、メアリは二人の微妙な雰囲気など全く気にしていない様子である。
「ちょうど、畑を耕している最中なんだけどね。最近ちょっと疲れが出てきてねぇ……私も年だわぁ」
そう言いながら、メアリは腰に手を当てて大きく伸びをする。明らかに、その動作は少し辛そうで、彼女の背中に年齢が滲み出ているのがわかった。
「じゃあ、久々に手伝っちゃおうかなぁ!」
セシリアの言葉に、アルフォンスは驚いて目を見開いた。彼の視線がセシリアに注がれる。彼は次に何を言おうとしているのか、セシリアは分かった。
「ワンピースなんて、汚れても大丈夫ですし」
セシリアは平然と答えるが、アルフォンスはため息をつくようにしながら、軽く首を傾げた。
「……そういう問題なのか」
「いつもやっていることなので」
「いつもやっていること……?」
アルフォンスは疑問の表情を浮かべた。彼にとって、貴族の令嬢が畑仕事を手伝うことは、明らかに常識外れのようだった。
(まあ、その反応が普通ですよねぇ……)
セシリアは、ワンピースの袖を捲り上げて、畑に入った。
メアリから鍬を受け取ると、それをサクサクと土の中に振り下ろしていく。湿り気があるからか、土が重い。しっかりと土を掘り起こしては、塊を砕いていく。新鮮な空気に触れた土は、ふかふかとした土壌に変わっていく。
ざくっ、ざくっというリズムが響き渡る。ある程度耕して、一息ついたセシリアは、アルフォンスの方を見た。
「アルフォンス様、何やってるんですか。畑、耕しますよ」
「俺もか?」
苦笑いしながら、アルフォンスは畑に入ってくる。冗談半分だったのだが、本当にやってくれるらしい。
さすが騎士団長、というべきか彼は手慣れたセシリアよりもずっと手際よく、畑を耕していく。さくさくと土を裂いていく様子を見ていると、ふと思う。
「……アルフォンス様、騎士団長やめて農家になりませんか」
「断る」
メアリおばさんは、ふふ、と声をあげて笑った。
「あらあら、横の美しいお貴族様まで手伝ってくださって……」
「メアリおばさん、私も一応お貴族様ですからね!」
「そうだったわぁ。あ、そうそうヴィルヘルム様は元気?」
急に話題が変わって、セシリアはその場で転びそうになった。田舎あるあるなのか、おばさまあるあるなのか、脈略もない話題がぽっと飛び出すことが多々ある。
(……ヴィルヘルムね)
何とも、タイムリーな話題である。
今朝のヴィルヘルムの暴言を思い出し、セシリアは憂鬱な溜息を吐いた。やはり、ヴィルヘルムは自分のことが嫌いなのではないか……と思うと、セシリアは頭が痛くなった。
「セシリア様、元気がないねぇ」
「メアリおばさん、実は、ヴィルヘルムと喧嘩をしてしまって……」
「まあ、大人になっても変わらず仲良しねぇ」
(……仲良し? どこが?)
メアリの言葉に、セシリアは怪訝な顔をした。セシリアとヴィルヘルムの仲が悪いことなんて、メアリが一番よく知っているだろうに。
セシリアの気持ちもよそに、メアリは、ふふ、と笑う。
「近くに居すぎたら、気が付かないことってあるでしょう?」
その言葉にセシリアは思い出した。アルフォンスと離れて初めて、自分の気持ちを知ったこと。彼のくれたものの大きさに気が付いたこと。
(じゃあ、ヴィルヘルムは?)
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
「ふふふ、公爵様は分かっているようだけどね」
メアリの言葉に、セシリアは思わず、「えっ」と声を出す。今、彼女は「公爵様」と言っただろうか。
「メアリおばさん、なんで、知って……っ」
「田舎の情報網舐めるんじゃないわよ。改めて、結婚おめでとう、セシリア様。領民一同喜んでいるよ」
「……ありがとう、メアリおばさん!」
わっと、セシリアはメアリに抱き着いた。年老いた彼女をぎゅうっと強く抱きしめれば、背中がトントンと優しく叩かれる。
そんなセシリアの後ろから、鋭い声が飛んできた。
「はあ……おい、俺を差し置いて勝手に盛り上がるな」
そこには、すっかり土塗れになったアルフォンスの姿があった。土に塗れてもなお、彼の金髪はキラキラと輝いていた。