作品タイトル不明
藤井寺の職人たちが伊勢神宮にいくために松坂の港へ行く。海鮮焼きが大人気。一刻ほどで450組売り切れる。魅せる売り方に驚く親方
翌朝、藤井寺の鍛冶職人たちは、松阪の屋敷で朝飯を食べた。
温かい汁に、炊きたての飯。昨日の疲れを考えてか、少し柔らかめに炊かれている。
漬物、魚のすり身揚げ、少しの肉あんも添えられていた。
「朝から、ええ飯やな」
親方がぽつりと言うと、若い職人も頷いた。
「鍛冶場の朝飯とは違いますわ」
「そら飯屋やからな」
博之はそう言って笑ったが、その顔はどこか楽しそうだった。
「今日は松阪の港へ行きます。実際に、金型がどう使われてるか見てもらいます」
「昨日からそればっかり言うとるな」
「見たら分かります」
飯を終え、少し休んでから、一行は松阪の港へ向かった。
港に着くと、すぐに声が飛んできた。
「あ、松阪の旦那や」
「旦那、今日も海鮮焼きやるんか」
「もっと焼いてくれよ。前はすぐ売り切れたやないか」
博之は苦笑して手を振った。
「あんまり焼いたら、他の店の飯が売れへんやろ」
「そんなこと言わんと焼いてくれ」
「こっちは食べたいんや」
「見るだけでもおもろいんやから」
ぶうぶう文句を言う港の者たちを見て、藤井寺の親方は目を細めた。
「もう待たれてるんか」
「ありがたいことに」
そうこうしているうちに、横丁の焼き場から女衆が声をかけた。
「旦那様も来られましたし、そろそろ開けましょうか」
「お願いします」
黒い金型が三枚、台に並べられる。
それを見た瞬間、親方の顔が少し変わった。自分たちが叩き、削り、火に耐えるよう
仕上げた鉄板が、飯屋の店先に堂々と置かれている。
博之は親方の横に立ち、軽く説明した。
「これをうちは、今は一個十文、六個入りで六十文で売ってます」
「結構取るんやな」
「そう思うでしょ」
「思うわ。飯の玉やろ」
「でも、値段は焼ける音と匂いと、焼き手の動きまで見てから言ってください」
親方は鼻で笑った。
「大した自信やな」
まず、金型に菜種油が引かれる。じゅっと小さな音がして、油が半円のくぼみに薄くなじんでいく。
そこへ白い種が流し込まれた。
じゅわあ、と音が立つ。
客たちが一斉に近づく。
「始まったぞ」
「今日は見られるぞ」
「子ども、前に出すぎるなよ」
湯がいたタコ、細かく切ったイカ、ネギ、刻んだ野菜が、ぽんぽんと入っていく。
港の風に、魚介と焼ける粉の匂いが混じった。
親方は、少し黙った。
鉄の上で飯が育っている。
ただ焼いているだけではない。音があり、匂いがあり、人の目が集まっている。
頃合いを見て、焼き手が返し棒を差し込んだ。
くるり。
一つ目が返る。
「おおっ」
客から歓声が上がった。
続けて、くるり、くるり、くるり。
半円だった種が、丸くなっていく。鉄板の上で小さな玉が踊るように回るたび、
人だかりの中から笑いや声が漏れた。
「今のうまいな」
「見てて飽きへんわ」
「ほんまに丸くなるんやな」
親方は、思わず呟いた。
「……わしの金型で、こんな歓声が上がるとは思わなんだ」
博之は、少し得意げに言った。
「見せる、ということです」
「飯を見せる、か」
「もちろん飯はうまいです。けど、こうやって見ることで、食欲とか、驚きとか、
楽しさが出るんです。うまく言えないんですけど」
「いや、見たら分かる」
親方は、鉄板から目を離さずに言った。
「これは買いたくなるわ」
焼き上がった丸い海鮮焼きに、味噌醤油だれが塗られる。
じゅっと香ばしい匂いが跳ねる。
そこへ青のりが振られると、港の空気に磯の香りが重なった。笹船に六つ並べられ、
次々に客へ渡されていく。
「あつっ、うまい!」
「タコ入っとる!」
「イカもええな」
「味噌醤油がたまらん」
海鮮焼きは、ばかみたいな勢いで売れていった。
焼き手は手を止められない。後ろでは女衆たちが、粉を溶き、具を刻み、タコを切り、
イカを分け、青のりを補充している。
親方は、しばらくその光景に見入っていた。
「これは、鉄板だけの仕事やないな」
「そうです」
お花が横から言った。
「焼き手の技、具材の仕入れ、味噌醤油、青のり、笹船、客の流れ。全部あって、この売れ方です」
博之は、少し後ろへ下がった。
「たぶん一刻ほどで売り切れます。それまで、ゆっくり見てください。私は横丁の方で、
ちょっと新しい料理でも考えてます」
「おい、旦那。あんたが説明するんやないのか」
「多分、これ見てたら私の話なんか入ってこないです」
そう言って、博之はふらふらと横丁の奥へ歩いていった。
親方は呆れた。
「つかみどころのない旦那やな」
ヨイチが淡々と言った。
「つかみどころはありませんし、だらしないです。ただ、飯に関しては抜群です」
「ようそんな主人のこと言えるな」
「事実ですので」
お花も微笑む。
「うちは、旦那様がゆるい分、締めるところは周りが締めています。その釣り合いで、
ここまで来ました」
「旦那ありき、というわけか」
「かなりあります」
その間にも、海鮮焼きは売れ続けた。
当初の予定数は、あっという間に減っていく。焼き手の額には汗が浮かび、
後ろの女衆たちも必死で材料を回している。
そして、一刻足らずで、四百五十組分が売り切れた。
「本日はここまででございます!」
店先から声が上がると、また客が文句を言う。
「もう終わりか!」
「まだ食うてへんぞ!」
「もっと焼いてくれ!」
しかし、今回はすぐに女衆たちがお礼札を配り始めた。
「申し訳ございません。よろしければ、こちらのお札で、港の他のお店でも少しお安く
食べていただけます」
「魚汁のお店でも使えます」
「鯛味噌飯のところもおすすめです」
親方は不思議そうに見ていた。
「なんで札を配るんや」
ヨイチが答えた。
「うちだけに客が集まりすぎると、港の他の店に迷惑がかかります」
「たくさん売れたらええに決まっとるやろ」
「普通はそうです。ですが、うちは売れすぎることがあります」
「売れすぎることが問題になるんか」
「はい。うまくて、見て楽しくて、客が集中すると、他の店が恨みます。だから客を流します。
伊勢神宮でも同じことをしています」
親方は、困ったように笑った。
「飯屋って、そんなことまで考えなあかんのか」
「伊勢松坂屋は、考えないといけません」
「奥が深いんか、よう分からんな」
「旦那様のせいです」
そう言われて、親方は博之の姿を探した。
すると、少し離れた浜辺の方で、博之が子どもたちと話していた。
「そのアサリ、売ってくれるか」
「ええよ」
「ちゃんと砂抜きしてるか?」
「してる!」
「ほんまかあ?」
子どもたちからアサリを買い取り、博之はそれを桶の水でざぶざぶ洗わせていた。
その横には、茶を沸かすためのやかんが置かれている。
親方が目を凝らすと、博之はそのやかんに洗ったアサリを入れ、少しの酒と醤油を注いでいた。
「……何しとるんや、あの旦那」
お花が苦笑した。
「たぶん、新しい汁物です」
「やかんで?」
「旦那様は、思いついたらすぐ試します」
浜風の中、やかんの口から湯気が上がり始めた。
海鮮焼きの金型で人を集め、その横で今度はアサリを煮始める旦那。
藤井寺の親方は、思わず笑った。
「なるほどな。つかみどころがないわけや」
だが、その笑いには、もう馬鹿にした響きはなかった。
自分たちが作った金型が、人を集め、飯を生み、さらに新しい飯のきっかけにまでなっている。
親方は、鉄の仕事の新しい行き先を、少しだけ見た気がした。