作品タイトル不明
楽しい楽しい帳簿の時間www散々撒きまくったつもりが全然減らないwww794万文→874万文
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は畳の上で両手を上げた。
「マジか。もうええよ。今回はざっくりでええ。細かいの聞いたら俺が倒れる」
「ご安心ください。私の方も、もう諦めてざっくりにしております」
「帳簿役が諦めるな」
「謎の十万文、謎の五万文、寄進、調整費、買い付け便、鉄板、お好み焼き、ふくふく焼き、
信楽焼き、北伊勢、大和八木。もう全部を厳密に追うと、こちらの心が折れます」
「ぐちゃぐちゃになってきたな」
「はい。なので、軽めに見ております」
「軽めってなんや」
「実態は、たぶんもう少し多いです。掘り出せば埋蔵金みたいに出てきます」
「それはそれで怖いやんけ」
ヨイチは帳面を開いた。
「まず、松阪と伊勢は順調です。ここはもう説明するのも嫌になるくらい安定しております」
「嫌になるくらいって」
「売上が大きいです。伊勢は相変わらず強い。松阪も本店、定期便、棚売り、試作の中心として
強い。ここは問題ありません」
「問題ないのが怖いわ」
「津も徐々に形になっています。港は動き始め、郊外も次が見えています。ただし、長野様関係で
まだ顔立てが必要です」
「あそこはもう、ずっと顔立てやな」
「はい。鳥羽はまだマイナスです」
「鳥羽はしゃあない。港を開いたばっかりやし、漁師への飯会もやったしな」
「はい。立ち上げの費用です。次以降、すり身天、鮪鍋、港向けのお好み焼きが乗ってくれば
改善します」
「鳥羽は南の締めや。焦らんでええ」
「伊賀上野はマイナス十万文ほどです」
「上野も赤か」
「はい。ただし、これは当期の持ち出しです。信楽焼きの道としては意味があります。
横丁、飯場、護衛、子どもの学び場、信楽への中継。赤字でも役割があります」
「上野は皿の道やからな」
「名張はマイナス十二万文です」
「結構いったな」
「立ち上げが一つ終わっております。こちらは餡子の道です。大和八木、大和高田、藤井寺、堺、京都方面への情報収集が始まります」
「砂糖と小豆の道やな」
「はい。まだ収益化は先です」
ヨイチはさらに頁をめくった。
「信楽は、六角方への筋通しと拠点準備でマイナス十万文ほど」
「十万持ってけ言うたからな」
「はい。言いました」
「俺か」
「旦那様です」
「大和八木方面と北伊勢は?」
「そこが、先ほど帳面を見直していて、ああ、書いていなかったですね、となりました」
「おい」
「ですので、そこもざっくり入れています。北伊勢に十万、大和八木方面に十万。
まだ準備段階ですので、収益は見ません」
「どんどん減るはずやな」
「普通は減ります」
「普通は?」
「はい。普通は」
ヨイチは、少し嫌な顔で帳面を閉じかけた。
「で、定期便や買い付け便の利益が乗っています。信楽焼き、伊勢松阪の小物、棚売り、
従業員向け販売。そこから九鬼水軍様への運賃や取り分を引き、さらに謎の五万文も引いております」
「また謎か」
「必要な謎です。あと、拠点が増えたことで細かい荷代や場所代が二万文ほどあります」
「もうほんまざっくりやな」
「はい。ざっくりです」
「で、結局どうなったんや」
ヨイチは、少し間を置いた。
「今回、プラス八十万文ほどです」
博之は目を閉じた。
「聞きたくなかった」
「前回までの残が七百九十四万五千文」
「そんなあったっけ」
「ありました」
「怖い」
「そこに八十万文ほど増えまして、八百七十四万五千文でございます」
博之は、ゆっくり起き上がった。
「……八百七十四万五千文?」
「はい」
「もう、1万貫文見えてきたやん」
「見えてきました」
「一貫文が千文ですから、千貫文で百万文……という感覚ではありますが、旦那様の言いたいこととしては、“一つの大台”ですね」
「いや、もう感覚おかしなるわ。1万貫文って、普通一人で扱う額ちゃうやろ」
「普通ではありません」
「しかも、半年とか一年の蓄積ならまだしも、最近の増え方が怖いねん」
「はい」
博之は頭を抱えた。
「一人で1万貫文払えるかもしれんって、やばいな」
「払えますね」
「やばいって」
「やばいです」
「鉄砲買うわけでもないのに」
「はい。鉄砲ではなく、握り飯、布団、鉄板、信楽焼き、砂糖の道、寺社縁会、港の飯会に
撒いております」
「なんか、逆に平和やな」
「平和ですが、規模は大きいです」
お花が横から口を挟んだ。
「でも、旦那様。銭を抱えるより、飯や道に変えている方が、旦那様らしいと思います」
「まあな。銭だけ持ってても怖いしな」
「北伊勢、大和八木、信楽が立ち上がれば、今の持ち出しも意味が出てきます」
「そうやな。北伊勢は九鬼様と白子、関、亀山。大和八木は餡子の道。
信楽は皿の道。そこが立ち上がれば、まあええか」
「はい」
ヨイチが頷いた。
「ただし、立ち上がるまで帳簿は赤く見えます」
「見たくない」
「見てください」
「嫌や」
「必要です」
博之は畳に倒れ込んだ。
「しかし、金持ちすぎやな」
「はい」
「もっと撒かなあかんな」
「撒く前に計画してください」
「計画して撒いてるやん」
「半分くらいは思いつきです」
「否定できん」
少し静かになったところで、博之はぽつりと言った。
「あとは、新しい商品開発やな」
ヨイチの顔が固まった。
「これ以上開発したら、また店が増えますよ」
「いやいやいやいや。飽きが来るんやって」
「またそれですか」
「大事やぞ。どれだけすり身がうまくても、混ぜ飯がうまくても、鮪鍋がうまくても、人は飽きる。横丁に何度も来るには、“今日は何があるかな”っていう楽しみがいる」
「ふくふく焼き、お好み焼き、練り物玉、もう十分では」
「まだや」
「まだですか」
「甘いもの、焼くもの、串のもの、季節のもの、地域のもの。鳥羽ならタコ。伊賀なら山菜。
名張なら餡子。北伊勢なら港飯。信楽なら器映え。こうやって場所ごとに色を出さんと」
お花が少し笑った。
「旦那様、やっぱり飯の話になると元気ですね」
「帳簿の話は死にそうやけどな」
「商品開発は生き返りますね」
「それが俺の呪いや」
ヨイチは深くため息をついた。
「では、帳簿に書いておきます。現在残高八百七十四万五千文。北伊勢、大和八木、
信楽は先行投資。次期商品開発は要注意」
「要注意って書くな」
「書きます」
「せめて“飽き防止”って書け」
「では、“飽き防止という名の新規支出”と書きます」
「悪意あるやろ」
「正確です」
座敷に笑いが起きた。
八百七十四万五千文。
途方もない数字だった。
だが、その銭は、ただ蔵に眠っているわけではない。
北伊勢へ、信楽へ、大和八木へ、寺社へ、港へ、子どもたちへ、女衆へ、地侍へ。
少しずつ形を変えて流れている。
博之は天井を見ながら、小さく呟いた。
「1万貫文まで行ったら、どうしよかな」
ヨイチが即答した。
「まず帳簿を整えます」
「夢がない」
「夢を見るために帳簿が必要です」
「うまいこと言うな」
お花が笑った。
「その頃には、また新しい飯を思いついていると思いますよ」
「たぶんな」
「そしてまた、帳簿が増えます」
「それは嫌やな」
そう言いながらも、博之の顔は少し楽しそうだった。
怖い。
けれど、面白い。
銭が増えるたび、飯の道も増えていく。
伊勢松坂屋は、また次の飽きを防ぐために、妙な商品を考え始めていた。