作品タイトル不明
戦いが終わりました3
外で10名を越える兵士を倒したアナスタシア女王もその後室内に合流し、伯爵翁様たちと語らいを始めた。
さすがに子どものいる前で豪快に飲むほど非常識な方ではない。私も恐れ多くも同席を許されたため、食用化に成功したトゥキルス国の名産であるコリ芋の話などを聞かせてもらった。
「本当にそなたには感謝してもしきれない。我が国として礼を尽くしたいところなのだ」
「とんでもないことでございます。すでに研究所の設立など、陛下には多大なご尽力をいただきました」
じゃがいもの食用化については、思いついたのは私であっても、トゥキルスへ紹介された時点で国の預かりになっている案件だ。あの敏腕マクスウェル宰相はトゥキルスから十分なものを既に引き出しているはずだ。その上私が何かをいただくわけにはいかない。
「それはそれとしてだな、やはり礎の娘には何かをせねば気が済まぬ」
「では、またこの国を訪れてもよいでしょうか」
外国へ赴くにはそれぞれの国の許可が必要だ。今回はリカルド様の計らいで簡単に入国させてもらえたが、次もスムーズに行くとは限らない。だからこそ女王陛下のお墨付きがあればずっと楽になる。
「そんなことでよいのか。それではこちらが足りぬが……」
「十分でございます。今リカルド様と新たな商談を進めているところです。その話が軌道にのれば、再度この国を訪れる必要も出てくると思うのです」
「ふむ。あの小僧がようやくやる気を見せたようだな。話には聞いている。一商売に妾が協力することはできぬが、あれの動向には注目しておこう」
女王陛下は彼に対して点が辛い。どうやらリカルド様は数多の才能を持ちながらも出し惜しみしたり飽きたりして放り出してしまう傾向があるらしい。軍属時代も女王陛下に次ぐ剣技の持ち主であったのにあっさりやめてしまったり、突然思いついたかのように出国を願い出て私たちを連れ戻ってきたり。その風来坊な行動が、一国を支配する女王の目に余ることもあるようだ。
とはいえ彼の言動を制限したりはしていない。「あれでいて優秀な甥っ子がかわいくて仕方ないんだよ」というのはマクシミリアン殿下の言だ。
来た時とは真逆の穏やかな空気の中、私たちは国軍の兵舎を後にした。
滞在している屋敷に戻ると、伯爵翁様がギルフォードを振り返った。
「ギルフォード、あまり食が進んでおらなんだな。何か食べるものを用意してもらおうか」
食欲大魔神の彼がおとなしくしていたことに伯爵翁様も気づいていたようだ。帰る道中も無言だった彼は、その提案に小さく首を振った。
その態度に、さすがの伯爵翁様も眉根を寄せた。
「ギルフォード、さっきからどうしたのだ。気分でも悪いのか」
「いえ、そうではありません」
「なら、なぜそのように無言でおるのだ」
「おじい様は……」
彼は空色の瞳を震わせながら、伯爵翁様を見上げた。
「おじい様はなぜ女王陛下に負けたのですか。……いえ、わざと負けたのですよね。だっておじい様が負けるはずないですよね」
「ギルフォード……何かと思えば、そんなことか」
「そんなことなんかじゃありません! おじい様はわざと負けたのですよね。相手が女王陛下だったから、勝つわけにはいかなかったから、だから……!」
「それは違う。私は本気で陛下に挑んだ。そして敗れたのだ」
「そんなはずありません! だっておじい様はアッシュバーン一の騎士で、誰よりも強くて、みんなの憧れで!」
「ギルフォード。控えよ、女王陛下に不敬であるぞ」
ここがリカルド様の縁の屋敷であることをギルフォードも忘れたわけではないだろう。だが、言っていいことと悪いことがある。子どもの戯言と聞き逃してくれる人ばかりではない。
伯爵翁様は急ぎ私たちを手近な部屋に招き入れた。そしてギルフォードに対峙した。
「女王陛下はとてもお強かった。私はそれに敵わなかった。それだけだ」
「そんな……っ」
「ギルフォード。世の中に“絶対”はない。“絶対勝つ”という盲信は、己の剣を鈍らせる。戦には勝つこともあれば負けることもある」
「……っ」
歯を食いしばるギルフォードの目がかすかに潤んでいた。見てはいけないと思いつつ、つい目を向けてしまう。
ギルフォードの前に立つ人は、彼の師であり、絶対的な存在であり、誰よりも頼りになる人だ。60を越える齢にして未だ衰えぬその実力は、アッシュバーン領の現役騎士たちにも引けを取らない。
そんな誰よりも強い祖父が、ギルフォードにとってどれほど誇らしかったか。信じて、追いかけてきた背中が倒れる様を目の前で見せつけられ、彼の中で何かが崩れ落ちたとしても不思議ではなかった。
あの戦いを見て以降、ギルフォードは押し黙ったままだ。私を励ますように強く握ってくれた手は、いつの間にか遠く離れている。
前世で途上国暮らしが長かった私でも、今日の異様な雰囲気は恐ろしかった。そんな中、手を握ってくれた小さな存在がどれほど心強かったか。
気づけば、私は彼に言葉をかけていた。
「ギルフォード、伯爵翁様は負けてなんかいらっしゃらないわ。彼が仰っていたことを忘れたの?」
「なっ……」
「伯爵翁様はこう仰ったわ。“未来を創りにこの国に来た”と。あなたも憶えているでしょう?」
「それは、そうだけど。でもそれがどうしたんだ?」
「伯爵翁様は有言実行されたのよ。女王陛下もマクシミリアン殿下も私たちを歓迎してくださったし、ノゼッティ隊長も最後にはもてなしてくださった。私はまたこの国に来てもかまわないという許可までいただけた。これが、伯爵翁様が創られた“未来”よ」
かつて敵国の将としてこの国に攻め入り、多くのトゥキルス人を相手にした伯爵翁様。彼は自分が攻めた国がどう復興してきたのかをこの目で見たいと言っていた。そして見るだけでなく、国軍にまで入り込み、アナスタシア女王と本気で対決することで、かつての敵だった者たちの心を掴んだ。
表向きは負けたかもしれない。彼の剣は女王陛下の攻撃に耐えきれず、宙を舞った。
だが、あの瞬間、二国間にあった溝は完全に埋められ、そこに新たな土壌ができた。
「伯爵翁様は偉大な騎士様だけれど、未来をひとりで創ることはできないわ。それを創るには、あなたや私の力が必要なのではないかしら」
「俺の力?」
「えぇ。伯爵翁様が勝ち取られた未来を、砂上の城にするわけにはいかない。私たちがこの国と協力して、より強固な未来にしていくべきでしょう?」
今ならなぜ伯爵翁様がギルフォードを連れてきたのかわかる。彼は孫に未来を託したかったのだ。国の命令とはいえ壊すことを求められた己が、新たに何かを創るには時間も関係性も足りない。
それを託す相手に、彼はこのまっすぐな目をした少年を選んだ。
「あなたが伯爵翁様のことを敬愛し、祖父のようになりたいと思うなら、伯爵翁様が創ってくださった未来の片鱗を、ちゃんと受け止めるべきだわ」
後世に続くであろう強い関係性を結ぶことに成功した伯爵翁様は、決して敗者ではない。勝ったアナスタシア女王が私たちをどう偶したのかにはっきりと現れている。
「伯爵翁様、お見事な勝利でございました」
「ふむ。何やらこそばゆいがの」
私が送った賛辞を、彼は目を細めて受け取ってくれた。隣で「おじい様は負けたけど、勝った……のか」と呟きつつも、思考がついていかないのか頭を捻っているあたりがやっぱりギルフォードだなと笑ってしまった。
しょうがない。ギルフォードを元気づけるにはこれしかない。
「ねぇギルフォード、私もおなかがすいてるの。厨房に何か頼みにいきましょうよ。私、香草のパイがいいな。うさぎ肉が入ってるとなおいいんだけど」
「あっ、俺も食べたい!」
食べ物の話題に切り替えたとたん、彼の小さなお腹が盛大な音を立てた。大笑いする伯爵翁様を後ろに、私はギルフォードの手をひいて部屋を飛び出した。
――明日、私たちは帰路につく。