作品タイトル不明
まさかのエンカウントです1
ルルの様子から咄嗟にまずいと思ったのは、彼女が相手をしている男の子の後ろ姿が見えたからだ。防寒着としてまとっている黒いマントに紋章が刺繍されてる。おそらくどこかの家紋だろう。そして家紋の縫い取りがあるということは、相手は貴族ということになる。
貴族の少年と、孤児でしかないルル。小さな言い争いでも大変なことになってしまう可能性がある。
「ルル、どうしたの!?」
「あ、アンジェリカ様……!」
屋台の側で押し問答をしていた2人は動きを止め、こちらを見た。
そうして目があった黒髪の少年の姿に、思わず声をあげそうになった。
(この子……まさか、嘘でしょ!?)
癖毛の残る黒髪にアイスブルーの瞳は、貴族名鑑で見た面影をそのまま残していた。切れ物と名高い我が国のマクスウェル宰相家――マクスウェル侯爵家の長男。よくよく見れば彼の背中に翻る紋章は、マクスウェル家を象徴する鷹のものだ。
(ま、まさかのエンカウント——!)
なぜこんな大物がここにという思いと、まさかの乙女ゲーム攻略対象の登場への驚きとで、咄嗟に言葉が出なかった。けれど少し腹立たしげに私の袖をひくルルの行為で、すぐさま現実に戻された。
「アンジェリカ様、この人が、ポテトクッキーを全部寄越せって言うんです」
「はい?」
思いがけない内容にまたしてもフリーズした。
「ポテトクッキー?」
「はい。買ってもらえるのはありがたいんですけど、さすがに全部買い占められるのは困るから、5袋くらいでどうですかって言っても全然聞いてくれなくて」
「ポテトクッキーを、全部、買うって?」
ぽかんとする私に、黒髪のマクスウェル少年は鋭い睨みをきかせた。
「なんだ、おまえは。関係ない奴は引っ込んでいろ」
その物言いがなんだか癪に触り、私はむっとしながらもそれを押し殺して彼に向き直った。
「私はこのクッキーの考案者です。その縁で本日も店に関わらせていただいております。失礼ながらお客様、なぜすべてのクッキーを買い占める必要がおありなのでしょう」
「決まっている。欲しいからだ」
「は?」
「だから! ここのクッキーがすべて欲しいと言っている! つべこべ言わずに全部包め。ほら、金はある」
言いながらマクスウェル少年が手にしていた革袋から取り出したのは——。
「き、金貨ですって!?」
仰天した私は、押しつけられたそれを反射的に押し返した。
「冗談やめてください! 金貨なんて、いったいいくらのクッキーが買えると思っているんですか!?」
「ん? 足りないのか? ならこれでどうだ」
「やめてやめて——!! それ以上出さないで!!」
さらに追加しようと袋に手をつっこむ彼を必死に止める。もう身分がどうのと言っている場合ではなかった。
金貨とはこの国に出回っている通貨のひとつだ。普段私たちが使うカーティは銅貨と銀貨が主だが、実は金貨もある。ただその金額は日本円にして20万円程度で、物価が前世より安いこの世界では庶民が目にすることはほとんどない。貴族の端くれの私ですらほぼほぼ見ない。間違ってもこんな露店でぽんと出てくる代物ではない。
それを、私とほぼ同い年の、見たところ供人すらつけていない少年が持ち歩くなんて、考えただけでも恐ろしすぎた。この子、もしかして家から勝手に持ち出したんだじゃなかろうか。
力づくでお金を仕舞わせた私は、彼の顔をよくよく観察した。
(ちょっと待ってよ、この子、あのマクスウェル宰相の息子よね? 乙女ゲームのアンジェリカの攻略対象。カイルハート殿下の側近のひとりで、次期宰相として名高い優秀な眼鏡キャラで……そうでなくとも今だって神童と言われてるって、伯爵翁様やバレーリ団長も言ってなかったっけ?)
妹からうっすら聞いた話だけでなく、今生でも優秀だと噂される少年が、道の往来で金貨を振りかざしてポテトクッキーを買い占めようとしている——あまりに珍妙な光景だった。
「あの、アンジェリカ様……」
固まる私の背後から声をかけてきたのは孤児院の年長の少女だった。
「このお客様、昨日もいらしてました。ポテトクッキーを2袋買っていかれたと思います」
「そうなの?」
「はい。昨日は大人の方も一緒でした。子どもなのにマントなんて翻して、貴族のお坊っちゃまって感じだなって、印象に残っていたんです」
小声でささっと告げる彼女に耳を傾けつつ、再び彼を見た。私が相手をしなくなったからか、彼はまたルルと押し問答している。ルルは少々口が立ちすぎるから、これ以上相手をさせるのはまずい。
意を決してそれを止めようとした矢先、割って入る声があった。