軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

迷いもあります1

「シリウスの特別な才能に気づいたのは、彼が4歳のときよ」

帰りの馬車の中で、シンシア様は昔語りを始めた。

「彼は1歳くらいの頃、あの孤児院にやってきたの。王都の入り口の正門の近くで泣いているのを衛兵が見つけて。身分を証明するものは何も持たず、身につけている衣服だけだったそうよ」

その服は使い古しではあるものの、きちんと洗濯されており、靴も履かされていたところをみると、実の親はそれなりに彼のことをかわいがっていたのだろうと推察されたという。なんらかの事情で育てられなくなり王都に捨てたのではないかとされ、そのまま空きのあった王都孤児院に収容された。その頃から孤児院の支援をしていたシンシア様は、そのときのことをよく憶えているそうだ。

「孤児院にやってくる子どもたちの身の上は様々だけど、どれも珍しい話ではないわ。シリウスもまた、そうした数多くいる子どものひとりだと、みんなが思っていたの。でも違った。彼には音楽の才能があったのよ」

4歳になってシリウスは、孤児院での自由時間中に突然、ホールにあったピアノを弾いたのだそうだ。孤児院には古いピアノが置いてあったが、職員たちをはじめ誰も弾ける者がおらず、埃を被ったままになっていた。

その埃を小さな手で拭いさり、シリウスは鍵盤に指を置いた。そして小さな手で一生懸命弾き始めた。はじめは一音一音を指で押して確かめながら。そして慣れてくると彼は演奏とよべるものを披露した。

「その日の午前中、教会にお祈りにいった際、耳にしたパイプオルガンの音楽を憶えていたのだそうよ。不自然なピアノの音に気づいた職員がホールに駆けつけたときは、大勢の子どもたちを集めてさながら独演会のようだったらしいわ」

駆けつけた職員は驚きのあまり言葉を失ったが、やがてはたと気がづき、彼の演奏を止めさせた。自由時間とはいえ子どもたちが許可されていることは限られている。ピアノの演奏はその中にはなく、彼はこっぴどく叱られ、その日のおやつを抜かれるはめになった。

「クレメント院長が駆けつけた際には、くだんの職員が彼を叱っているところだったそうよ。ピアノの演奏がどうであれ、シリウスの行いは規則違反ではあったから、院長もそれを咎めることはしなかった。けれど、流れてきた音楽を彼が見様見真似で弾いたことが信じられなくて、翌日、今度は自分が立ち会った状態でもう一度演奏させてみたの」

「そして、シリウスはまた素晴らしい演奏を披露したのですね」

「えぇ。彼を教会に連れて行ったのはそのときが初めて。それ以外で彼が音楽に触れた経験はほぼない。せいぜい、年上の子どもたちが習ったばかりの歌を歌っているのを耳にする程度。楽譜も読めない、ピアノの存在には気づいていたかもしれないけれど、それが何をするものかは知らなかった」

そんな彼が突然ピアノを弾けた理由。それは初めて見学にいった教会での出来事がきっかけだった。

「教会でパイプオルガンの演奏を聴かせてもらったあと、子どもたちへの特別サービスで、教会の中を神官様に案内してもらったそうなの。そのとき天井裏にも連れて行ってもらって、そこでパイプオルガンを見たそうよ。ちょうど若い神官が練習するタイミングだったそうで、音が出るところも間近に見たの。その指の動きを、彼は記憶していたのでしょうね」

そしてその記憶が、孤児院のホールの片隅にひっそりと佇むピアノと重なった。それを確かめたくて、彼は自由時間にホールに潜り込み、音楽を奏でたのだ。

「孤児院のピアノは長い間放置の状態で、調律もされていなかったからそれはひどい音だったそうだけど、でもそれを補ってあまるくらい、いい演奏だったそうよ」

シリウスの才能に気がついたクレメント院長は、シンシア様が来訪した際、その話をしてくれたそうだ。そしてシンシア様も彼の演奏を聴いた。ピアノは変わらず放置のままで狂った音もそのままだったが、彼の演奏は本物だと、音楽が素人のシンシア様でもわかった。

「聴き終えたとき、涙が出ていることに気がついたわ」

知らず知らずのうちに流れた涙は、音楽に感動したのもあるが、それ以外にも理由がある。

「神様はなんて残酷なことをなさったんだろうと、そう思ったわ。シリウスがこんな才能を持っていたとしても、それは彼のためにはならないと、そう思ってしまったの」

なぜ神は彼にこんな才能を与えてしまったのか。一介の孤児にすぎない少年に。

シンシア様が憂いた理由を、私もさすがに理解できた。

この国に限らず、孤児が生きていくのは難しい。王都孤児院では彼らが将来苦労しないよう、真っ当な仕事にありつけるよう、幼いうちから職業教育を斡旋している。彼やシンシア様のように特異的な才能があっても、孤児院のシステムの中では埋もれてしまうだけだ。

たまたまシンシア様は人のいい両親に引き取られたから、その未来が開花した。

でも彼は。

「ピアノが弾けるというのは悪いことではないわ。でもありすぎる才能は害になることもあるのよ」

ピアノで食べていけるような仕事に就ければいい。だが現実はそう簡単ではない。音楽は芸術として貴族に愛でられるものだ。個人の演奏家であれ、楽団員であれ、貴族の前で披露するのが仕事だ。

そしてその仕事に就くためには、王立芸術院で学ばなければならない。

芸術院は特殊で、王立学院とは別のカリキュラムを持つ学校だ。芸術の才能を認められた人に対して、平民、貴族分け隔てなく、15、6歳頃から門戸が開かれている。ただし難易度は王立学院よりもある意味高い。入学試験は何十倍の倍率だし、学費や生活費も自分で工面しなくてはいけない。13歳で社会に出ることを強要される孤児院の子どもには、とても通えるような場所ではない。

そして入学すればしたで熾烈な競争が待っている。大陸全土から芸事に秀でたものが集まってくるのだ。少しピアノが得意、といったレベルではたちまち通用しなくなる。芸術院を卒業しても仕事にありつける人間はほんのわずか。継母の父であるウォーレス教授のような例はほんの一握りに過ぎない。

いずれにせよ、孤児院の子どもが挑戦するには不可能に近い世界の話だった。