軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

花嫁の不安Ⅸ

「やっぱり、私の覚えている範囲では全然足りないわね……」

ルトガーとの会話から思い立ったミレーユは、本で読んだ記憶をたよりに年代記を紙に書き写してみた。

しかし北の大陸のことはするすると書けても、南の大陸は空白ばかり。

どれだけ己が無知蒙昧かを、まざまざと見せつけられている気分だ。

(ドレイク国の歴史も、それに関わる近隣諸国のこともまったく知識足らずなんて。このままでいいはずがないわ)

皇太后が共同統治者として優れた才を持ち合わせていると知ったいまはとくに。

「せめて第二の故郷となる南の大陸のことはもっと知るべきよね」

なんとか読書禁止令と図書館の出入りだけでも解禁にしてもらわなければ。

もちろんミレーユも、このまま悩んでいるだけではダメだと、ナイルのご機嫌を窺いつつ必死に懇願したのだが、あえなく却下。

ならばと、世界を自由気ままに流れ渡るローラなら、他国の歴史にも詳しいのではないかと考え、彼女の授業を増やしてほしいと嘆願してみたのだが。

『ローラの授業など一番心身に障ります!』

と、すごい勢いでこちらも却下されてしまった。

ローラは竜族の医者である医竜官だというのに、扱われ方が破綻者のそれだ。

ミレーユからすれば、たくさんの知識を持ち合わせた大人の女性なのだが、ナイルの見解はまた少し違うらしい。

「ローラ様の授業もダメ、手仕事も読書も勉強もダメ……あとは……なにか……」

ちなみにルルは、手探り状態のミレーユと違い、毎日楽しく労働に勤しんでいた。

今日は親しくなった庭師と一緒に、ガーベラの花を植える約束をしたらしく、小さなスコップを片手に「お花をいっぱい植えてきますね!」と宣言し、意気揚々と出かけて行った。

思わず「私も一緒に植えたいわ!」と縋りそうになったが、当然ナイルからのお許しが出るはずもなく。

(どうしよう……私、このままでは不安と、なにもしていない罪悪感から気が触れそうだわ)

この胸のわだかまりをカインに相談すれば、心も落ち着くのだろうが、それではただ自分の心配事を解消したいだけの自己満足になってしまう。

多忙なカインをそんなことで煩わせるわけにはいかない。

なにより、婚儀まで会えないという仕来りにも差し障る。

(自分の感情くらい自分でコントロールするべきだわ。いままでだってけっしてできなかったわけじゃないでしょう)

一呼吸して、己に言い聞かせる。

母国でも、どれほど打ちひしがれることがあっても、感情を律してきた。

カインという頼れる相手がいるからと、むやみに甘えてはいけない。

ミレーユは両手で頬を押さえ、悶々とする心をなんとか鎮めようとぎゅっと目をつぶった。

そこに、バァン! と勢いよく扉を開ける音が室内に響いた。

「ミレーユ様、祝いの品を献上に参りました!」

「へ?」

先日の絢爛の間で、颯爽とどこかに消えてしまったドリスの登場に、ミレーユは目をしばたたいた。

「ドリスさん……と、ナイルさん」

ドリスの後ろには、怒り心頭のナイルの姿があり、その額には青筋が浮かんでいた。

どうやらナイルの目をくぐりぬけ、強行突破をしたようだ。

竜族の中でも魔力が高く、隙の無いナイルを出し抜くドリスの技量に感心していると、彼女は恭しくミレーユに一枚の布を差し出した。

反物というにはあまりにも短く、ハンカチ程度の大きさのそれを両手で受け取ると、小さな布地にはびっしりと不思議な文様が浮かんでいた。

隣で窺っていたナイルが、その布に目をやった途端、「ひっ!」と悲鳴のような声を漏らす。

小さな布の中には、化け物と称するに相応しいドロドロとした生き物が絹糸で表現され、口を大きく開いて阿鼻叫喚のうめき声をあげているかのよう。

いったいどんな織りと染色がされたのか不明だが、これでもかというほど禍々しさが際立っていた。

「これは……よもや、ミレーユ様に呪いをかけようとしているのではないでしょうね?!」

ナイルの声は、動揺のあまりうわずっていた。

「失礼な! 誠心誠意、心を尽くして織った一品ですよ。この両手が目に見えないのですか!?」

そういって突き出したのは、傷だらけの指先。

ドリスのささくれ一つなかった指を知っているだけに、その努力と根性と真心、出来栄えにミレーユは心を震わせた。

「既存のものに囚われない、なんて新しい意匠でしょう。ドリスさんの独創性が込められた、とても素晴らしい品ですね。ありがとうございます、大切にします」

いつも色や形の整合性ばかりを気にして針を刺すミレーユには、ドリスのような斬新な意匠は到底考えつかない。

心からの感謝を伝え、大切に布地を胸にしまい込むと、なぜかナイルが驚愕の表情を浮かべていた。その顔には「正気ですか、ミレーユ様?!」という戸惑いが張り付いていた。

ドリスの方は、ミレーユの言葉が上辺だけの世辞でないことに気をよくし、照れくさそうに頬を染める。

「鶴の一族に生まれ、いままでどれだけ強制されても機を織ることを断固拒否してきましたが、ミレーユ様にそれほど喜んでいただけるなら、またチャレンジを「やめなさい!」

ドリスの言葉を遮るように、ナイルが青い顔で叫ぶ。

どうやら本気で恐れおののいているようだ。