作品タイトル不明
エピローグⅣ
(結界を破り侵入したことで、竜神様のお怒りを買ってしまったのね……)
少女の真上で、竜は火山帯の中を旋回し、睨みを利かせる。
『忌々しい……』
むき出しの牙が目の前に迫り、唸るような声が響く。
『浅ましき人間よ。私の眠りを妨げたな』
暗闇の中でマグマの海だけが光を放ち、竜神の赤い鱗を照らしている。
炎のごとき瞳が、少女を見つめて問う。
『お前もまた、力を望むか?』
一体どれほどの人間に同じ問いをしてきたのだろう。
怒りを発しながらも、竜はこの状況に慣れた風でもあった。
少女は、畏怖のあまり張り付いていた舌を必死に動かし、答えた。
「――いいえ」
掠れながらも、揺るぎのない声だった。
「わたくし一人がお力を頂いたところで、この世界を救うことは不可能でしょう」
力を通して感じる、大地の悲痛。
竜神からどれほどの力を得ようとも、世界は滅びる。
それは絶望的なまでにどうすることもできない、誰にも変えられない運命だ。
「なにより、生贄などなんの意味もなさないことは存じ上げております」
人間を嫌う竜神が、力を与えるなどあるはずがない。
助ける気が少しでもあるのならば、星がこの地に落ちるなど絶対になかったはずだ。
「私はただ、お会いしてみたかったのです。この山に住まう竜神様に、一度だけでも。どうせ尽きる命ならば、最後に自身の願いを叶えたいと。身勝手にも、そう願って参りました」
『…………』
「私はもう、すべてを諦めてしまったのです……」
ネズミを失った少女には、この世界の運命を覆せるほどの気力は残されていなかった。
虚ろな目が、地下に沸くマグマに向く。
「神聖なる竜神様の寝床を死に場所として選ぶなど、恐れ多いことだと自覚しております。ですが」
そこで、ふいに「にゃー」と小さな声がした。
「え?」
振り返れば、こちらに駆けてくる猫の姿。
「どうして!?」
少女は焦った。
竜神のむせ返るような陰力が充満し、地下ではマグマが煮え立つこの場所は、猫の体では到底耐えられない。最後に自分が与えた陽力だけではとても足りないはずだ。
「――ッ!」
少女は両手を祈るように重ね合わせると、自分の最後の力を猫に放った。
やせ細った身体が、マグマへと落ちていく。
面倒に思いながらも、竜はその身体を光で包むと、上へと押し上げた。
けれどそれも、人間の肉や骨を自身の寝床に落としたくなかったという程度のものだった。少女を助ける意思はなく、そもそも彼女は力を猫に与えた時点で息絶えていた。
「面倒な……」
竜は、足元まで伸びる深紅の髪と、紅蓮の瞳を持つ青年の姿へと形を変えると、少女の立っていた場所まで降り立つ。少女の亡骸を横に置くと、『うわぁああああん!』という鳴き声が竜の耳を打った。
「煩い」
鳴き声の正体はネズミだった。
白いうすぼんやりとしたものが、ずっと少女の肩や頭を移動していたことには気づいていた。それがネズミの魂であることにも。
『しんじゃいました! ひどいです! このこんじょうわる!』
言語が存在していない小動物の魂のわりに、ネズミは思いのほかハッキリとした口調で竜を罵った。
「私のせいではないだろう。手を下す前に、その娘の寿命が尽きただけだ」
『るる、しってます! いっぱい力があるくせに、まもれるくせに、それをほうきしたんです!』
「ほぉ。私が何者か知っていて、なおその態度か?」
『もちろん、しってますよ! ――――あかくておおきいとかげです!』
前後ろで立つと、ネズミは小さな前足をビシッと差しながら自信満々に答えた。
未だかつてとかげ扱いなどされたことがなかった竜が呆気に取られていると、少女に助けられた猫が、軽い身のこなしで竜の肩に乗ってきた。
『まぁ、まぁ、許してやってよ。脳みそこれくらいしかない頭の悪いネズミの言うことなんだからさ』
前足の肉球を竜の頬に押し付けながら、そんなことを言ってくる。
不敬すぎると竜は苛立ったが、猫が当然のように肩に乗り上げたことには驚いた。
膨大な陰力を纏う竜には、本来どの生物も近づくことすらできない。
猫がそれを可能としているのは、十中八九あの死に絶えた少女が最後の力を振り絞ったおかげだろう。
いままでずいぶんと長く生きたが、あの少女ほど強い陽力を持ち、使いこなしている人間を見るのは初めて。そのせいで、長年の眠りから目覚めてしまった。
(不愉快な……)
人間ごときに起こされたことが屈辱的にさえ感じられ、黙り込む竜の前で、ネズミと猫は喧嘩をはじめた。
『あたま、わるくないですよ! るるは、あたまいいです! ことばだって、あのこがいつもおしえてくれましたからね!』
どうやら白いネズミは少女の言葉を覚え、学習していたようだ。
とはいえ、それで少女と疎通ができたわけではなく、あくまで動物間での話。確かに他のネズミよりも発達した知能を持っているようだが、しょせんネズミはネズミだ。
魂だけの存在は、そう長くもたない。