軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

消えた竜印

その後もあれよあれよという間に月日は経過し、とうとう婚儀前日を迎えてしまった。

だというのに――――。

「お二人ともお帰りになられていない……!」

いまだにオリヴェルとエリアスは戻って来ずじまい。

ティーガー国にいることは間違いなく、いざとなればすぐに迎えにいけるためか、ナイルも女官たちもあまり気にしていないようだ。

(まさか婚儀前日になっても再度のごあいさつができないなんて思ってもいなかったわ)

ミレーユは幼いころに母を失ったこともあり、できることなら義母となる人とは良好な関係を築きたいと願っていた。

「それが叶うかどうかは、自分の努力次第だと肝に銘じていたけれど……」

まずその機会すら与えられない場合はどうすればいいのか。

(婚儀をあげる前に、ご助言いただきたいことがたくさんあったのだけど、このままでは難しいかしら)

明日エリアスが戻って来ても、きっと婚儀のごたごたで深い話をすることはできないだろう。

落ち着かない気持ちが行動に出てしまい、ついぐるぐると歩き回ってしまう。

「何をしているんだ、お前……」

呆れた声がかかった。

それは正装に着替えたロベルトだった。

空の庭園の入り口前で、ミツバチのように円を描いて回っている妹の姿に怪訝な視線を送りながらも、しかしそこはさすが兄。

ミレーユの心中を察したかのように、小さくため息を吐くと、こちらに歩み寄りながら訊ねる。

「皇太后陛下たちのお帰りが遅いことを危惧しているのか?」

「は、……はい」

「その話は私も伺ったが、どんな難題が起ころうとも、毅然として背筋を伸ばせ。それでもグリレス国の王女か」

どこに嫁ごうが、どんな場面であろうが、無様に狼狽えることをよしとしない兄らしい言葉だった。自然と背筋が伸び、身が引き締まる。

「申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしました」

「明日からは齧歯族の姫ではなく、竜王の花嫁として見られるんだ。気をつけなさい。……まぁ、人目のないところを選んだだけエミリアよりはマシだが」

妹の名に、そういえば一緒に来ていないことに気づく。婚儀には参加してくれると、本人からも聞いていたのだが。

「あの、エミリアはどちらに?」

「あいつは最後の便で来る予定だ」

以前のエミリアならば、我先にと訪れ、異国を満喫しようとしたはずだ。

それが、最後まで国に留まっているとは驚きだった。

「先に出立しなければならないお兄様の代わりに、国を守ってくれているのですね」

ドレイク国の人材が派遣され、留守中も問題ないよう計らってくれているといっても、やはり国を空けるという行為には不安が伴う。

それを懸念し、ギリギリまで国に残って、兄の不在を守ってくれているのだろう。

兄と過ごす時間は、エミリアを王女として成長させているようだ。

嬉しげにほほ笑むミレーユに、しかしロベルトは鼻で笑って否定した。

「そんな殊勝な理由なわけがないだろう。ただ単に、アイツはこちらに来るのが怖いだけだ」

「怖い? エミリアは一度来訪していますし、そのときも魔力負けは起こしていませんでしたよ」

少々虚勢を張るあまり、つんけんとした態度をみせてしまったエミリアだが、だからといって怯えている様子はなかった。

「それは自分が花嫁だと信じて疑っていなかったからだろう。実際は違ったうえに、本来の花嫁であるお前に危害を加えていたんだ。女官長殿と顔を合わすのを恐れているんだよ」

「ナイルさんと?」

なぜ? と一瞬考えるも、すぐに答えは出た。

ナイルはミレーユの健康面に関しては誰よりも過保護。それは、ここ最近の傾向からも明らかだ。

エミリアの起こした毒事件は、たとえそれが過去のことであったとしても、ナイルの中では遺恨として残っている可能性が高い。

(エミリアがナイルさんと対面する場面では、できる限り同席させていただこう……)

そんなことを心に決めていると、ロベルトがチラチラと周りを見渡す仕草を見せた。

「一人なのか? ルルはどうした」

「ルルなら、いまはお昼寝中です」

何気なく聞かれ、つい答えてしまって、ミレーユはしまったと口元を指で覆った。

ロベルトは、齧歯族の中でも働き者の代表格だ。侍女が主人を置いて昼寝だと聞けば、怠け者の烙印を押されてしまうかもしれない。ミレーユは焦って言い訳を口にしようとした。

「……ああ、まぁそうか」

意外にも、ロベルトは納得して頷いた。それどころか。

「お前は休まないのか?」

「え?……はい、もう少ししましたら……」

休む ことを推奨され、戸惑いながらも答える。

いまは昼間。天頂にある太陽が燦燦と輝く時間帯に、なぜロベルトはミレーユにまで休みを取らないのかと問うのだろう。

確かにナイルからも仮眠を勧められていた。

ルルはともかく、ミレーユに昼寝の習慣はない。ナイルもそれは知っているはずで、不思議に思い、なぜかと問えば、婚儀のための体力温存だという。

逆に仮眠をすることで夜に眠れなくなって、結果寝不足に繋がるのでは? と伝えたが、押しに押され。ならば少し空の庭園を散策して身体を動かすことにしたのだ。

空の庭園は、その高さから普段は城下の声までは届かない。だが、ここ数日は民の気持ちもヒートアップしているのか、賑やかな声が風に乗って聞こえてくる。

人々の歓声は、明日はいよいよ婚儀を迎えるのだという押し迫る緊張感と高揚感。

そして、あの喧噪の中には母国の皆の声が紛れているかもしれないという安堵感に似たものを与えてくれる。気を引き締めるには素晴らしい場所だった。

「あの、ところで、結局民の者は来訪できたのですか?」

魔力負けの件をどうやって解決したのか。それとも解決できずに少数で訪れたのか。

「そういう心配はいいから、お前は儀式に集中しなさい」

ロベルトは少し遠い目をして、ニッコリと笑った。なんだかとても疲れた笑みだった。

「お、お兄様? どんな手段を取られたのですか?!」

兄が民にたいして無体な方法を取るとは考えられないが、答えてくれないことが心配に拍車をかける。

けれどロベルトはミレーユの詮索を拒むように、「じゃあ」と手を挙げて踵を返してしまう。

こうなれば、兄は絶対に答えてはくれない。

仕方なく質問を諦めたミレーユだったが、兄が去る前にもう一つの疑問を口にした。

「お兄様、確か正装は一着しかお持ちでなかったですよね。いま着替えられては、明日困るのでは?」

ロベルトの正装姿を見たときからずっと気になっていた。

ミレーユの結婚に伴って、グリレス国に与えられた婚資金は莫大なものだったが、彼はその資産を自身には一切使用していない。そのため、急遽今回の婚儀のために誂えた正装はたったの一着。

それを知っているミレーユの問いかけに、ロベルトは肩越しに妹を見つめ、

「……ああ、そうか。お前まだ……」

なにかを呟いた。

風に舞って聞こえてくる城下の喧噪に流され、兄の声は耳に届かず、ミレーユはきょとんと瞳を丸くした。

「ミレーユ」

「は、はい」

ロベルトは神妙な声でミレーユの名を呼ぶと、

「頑張れ」

静かに、一言だけを放った。