作品タイトル不明
第35話 新しい書庫/エリーズの記念碑
補償金の一部で、私は翻訳組合の隣に小さな家を借りた。一階は仕事部屋と小さな応接室。二階は寝室と、サラの部屋。マルタは通いでも住み込みでも選べると言ったが、彼女は当然のように一室を選んだ。
「奥様のお屋敷ですから」
「奥様ではないし、屋敷でもありません」
「では、イザベル様のお家です」
その言い方に、私は少し黙った。自分の家。侯爵家を出てから、翻訳組合の小部屋は安全な場所だった。けれど、あそこは借りた避難場所だった。今度の家は、私が報酬で整える場所だ。一番大きな部屋を書庫にした。
父の古い地図、発音手帳、各国語辞典、外務院から許可を得た公開文書の写し。カルヴァレンで買った記録様式の本。サラの練習帳。オリーヌが作った山岳語索引。棚には、すべて作成者の名札をつけた。サラが手伝いながら言った。
「本にも名前を付けるんですか」
「本を書いた人がいます。写した人もいます。大事です」
「じゃあ、この練習帳も?」
「もちろん。サラ・リヴァージュ作成」
サラは照れくさそうに笑った。引っ越しの午後、エルネスト様が月桂樹の鉢植えを持って来た。
「また月桂樹ですか」
「あなたの家に合うと思った」
「ありがとうございます」
鉢植えを窓辺に置く。南書庫にも月桂樹があった。あの時の鉢は、侯爵家に残したままだ。今、ここにある月桂樹は、私が受け取ることを選んだものだ。
「この書庫は、あなたの城だな」
エルネスト様が言った。
「城というほど大きくありません」
「守るべきものがある場所は城だ」
「では、かなり紙だらけの城です」
「あなたらしい」
私は笑った。夜、片づけが終わると、マルタが温かいスープを用意してくれた。サラは疲れて机に突っ伏し、オリーヌは自分で作った索引が棚に置かれるのを何度も見ていた。エルネスト様は帰る前、玄関で私に尋ねた。
「ここは、安心できるか」
私は家の中を見た。狭い廊下。まだ空いた棚。少しきしむ階段。窓辺の月桂樹。自分の名札がついた書類箱。
「はい」
私は答えた。
「ここは、私の場所です」
エルネスト様は静かに頷いた。
「では、いつか私も招かれたい」
「今、招かれています」
「仕事ではなく」
その言葉に、私は少し頬を熱くした。
「では、次は仕事ではないお茶を」
「楽しみにしている」
扉が閉まる。私は新しい書庫の灯りを一つ消した。ここからまた、多くの文を書くことになる。今度は、私の名で。
◇
春の初め、カルヴァレンとリュゼールの国境救護院に、小さな記念碑が建てられた。大きなものではない。庭の端に置かれた白い石で、十年前の救護協定誤訳によって正しい保護先を失った子どもたちの名が刻まれている。その一つに、エリーズ・クロイツの名があった。
式典は静かだった。家族を失った人、救護院の子どもたち、外務院とカルヴァレンの関係者。エルネスト様は公爵として献花し、その後、兄として少しの間だけ石の前に立った。私は隣にいた。彼は長く黙っていた。風が春の草を揺らし、遠くで子どもたちの声がする。
「妹は、花が好きだった」
彼が言った。
「どんな花ですか」
「黄色い小さな花だ。名前は知らなかった。庭師に聞けばよかった」
「今からでも、調べられます」
「そうだな」
彼は少しだけ笑った。記念碑の裏には、古帝国語の一節が刻まれている。人を保護するとは、その名を失わせないことである。会議で読んだ一節だ。今回は、その下に各国語の訳も添えた。王国語、北方語、港湾語、砂州語、山岳語、川町の混合語。サラが混合語訳を手伝った。
「わたしの言葉も石に」
サラは式典の前に何度も言っていた。今日は緊張して、ほとんど口を開けないでいる。式典の終わり、救護院の子どもたちが花を置いた。黄色い小さな花もあった。エルネスト様はそれを見て、しばらく目を伏せた。私は彼の手に触れた。
公の場なので、それだけだ。彼は軽く握り返した。悲しみは消えない。正しい記録も、記念碑も、失われた命を戻さない。けれど、名を正しい場所に置き直すことは、未来の誤りを少し減らす。式典後、院長のマルゴー修道女が私に言った。
「子どもたちが、自分の名前を書きたがるようになりました」
「よいことです」
「ええ。紙が足りません」
私は笑った。
「外務院に請求してください。監査官として通します」
「頼もしい」
庭の端で、サラが子どもたちに署名を教えている。オリーヌは山岳語の発音を笑われながら練習している。エルネスト様は記念碑の前から戻り、私の隣に立った。
「ありがとう」
「一緒に書いた記録です」
「ああ」
彼は石に刻まれた名を見た。
「一緒でよかった」
春の風が、黄色い花を小さく揺らした。