軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話 侯爵家の終わり/リリーヌの選んだ言葉

六カ国会議の合意から二日後、ヴァルニエ侯爵家への監査が始まった。理由は、外交文書の不正管理、無記名労務の継続使用、宮内局書記長への過去文書提供、そして偽造書簡事件への関与の疑い。侯爵家の門前には、朝から役人の馬車が並んだ。

私は立ち会いを求められたが、屋敷の中へ入る時、足が止まった。ここは十年暮らした家だ。苦しい場所だった。それでも、南書庫の窓から見えた月桂樹、朝の廊下の冷え、マルタが淹れてくれた茶の匂いまで、体が覚えている。嫌な場所でも、過ごした時間は消えない。

「無理をしなくていい」

横にいたクロイツ公爵が言った。

「立ち会いは必要です」

「必要と、無理は同じではない」

「分かっています」

私は息を吸った。

「でも、今日は入ります。ここに残った紙を、私が恐れたままにしたくありません」

公爵は頷いた。玄関ホールは以前と変わらなかった。高い天井、磨かれた床、壁にかかった侯爵家の肖像画。けれど使用人たちの顔には疲れがある。アルマンは南書庫にいた。監査官が机の引き出しを開け、文書を分類している。リリーヌは別室で証言中だという。

「イザベル」

夫は私を見た。以前のような高慢さは薄れていた。代わりに、眠れない夜を重ねた人の焦りがある。

「君は満足か。私をここまで落として」

「私は文書を読んだだけです」

「皆、そう言う。外務卿も、公爵も、裁判所も。読んだだけ、記録しただけ。だが、その紙で私の家は終わる」

「紙で作った立場なら、紙で問われます」

彼は笑った。乾いた笑いだった。

「君は変わった」

「何度も言いました。名前を戻しただけです」

監査官が、暖炉の灰の中から焼け残りを取り出した。灰色リボンの切れ端、下書きの端、宮内局の受領印が押された紙片。アルマンは目をそらした。

「王家から求められたのだ」

「求められた時、断ることもできました」

「侯爵家が宮内局に逆らえると思うか」

「あなたは私には、妻なら逆らうなと言いました」

彼は黙った。私は机の上に置かれた南方連盟の古い草案を見た。私の筆跡がある。夫の朱印がある。二つが重なり合って、長い間一つの仕事のように見えていた。もう、分ける時だ。監査の結果、アルマンは外務関連職務から外され、侯爵家の一部財産は賠償と未払い労務評価のため凍結された。爵位はすぐに失われない。貴族社会はそう簡単には壊れない。

だが、彼が外交の場で以前のように振る舞うことは、もうできない。南書庫は封鎖され、文書は外務院へ移送された。屋敷を出る前、アルマンが私を呼び止めた。

「イザベル」

私は振り返った。

「一度くらい、私を愛していたのか」

その問いは、あまりにも遅かった。私は少し考えた。

「愛そうとしました」

彼の顔が歪む。

「過去形か」

「はい」

「今は」

「今は、あなたの妻ではありません」

まだ離縁の最終判決は出ていない。それでも、心の中ではもう終わっていた。アルマンは何も言わなかった。私は玄関へ向かう。外にはマルタとサラが待っていた。オリーヌも外務院の馬車のそばにいる。クロイツ公爵は少し離れて立っていた。

侯爵家の門を出ると、空は曇っていたが、雨は降っていなかった。私は振り返らなかった。十年を否定する必要はない。ただ、そこへ戻らないだけだ。

リリーヌ・オルフェが私に会いに来たのは、侯爵家監査の三日後だった。場所は翻訳組合の小部屋。彼女は以前より質素なドレスを着て、髪飾りもつけていなかった。顔色は悪いが、背筋はまっすぐだった。

「イザベル様」

「どうぞ」

私は椅子を勧めた。サラは隣室で写字練習をしている。マルタは茶を出したあと、何も言わずに部屋を出た。リリーヌは茶に手をつけず、膝の上で手を組んだ。

「侯爵家を出ることになりました」

「そうですか」

「旦那様からは、しばらく実家へ戻れと言われました。実家からは、騒ぎが落ち着くまで外へ出るなと」

彼女は少し笑った。弱々しい笑いだった。

「今まで、守られていると思っていました。でも、守られる場所は、出てはいけない場所でもあるのですね」

私は黙って聞いた。

「わたし、イザベル様に謝る言葉を考えました。ごめんなさい、申し訳ありません、知らなかったのです。どれも、本当です。でも、足りないと思いました」

「足りない?」

「知らなかったことを言い訳にしたくなるからです」

彼女は鞄から一枚の紙を出した。それは、リリーヌ自身の証言書だった。南書庫で見た宮内局の手紙、倉庫札を書いた経緯、アルマンが過去文書を渡したこと、自分が誤訳に関与したこと。すべてが簡潔に書かれている。文章は拙い。

けれど、逃げていない。

「これを裁判所と外務院へ提出します」

「あなたにも不利になります」

「はい」

「分かっていますか」

「少しは。全部は、まだ分からないと思います」

正直な答えだった。私は証言書を読み終え、紙を返した。

「提出するなら、日付と署名を。あと、あなたが直接見たことと、推測したことを分けてください」

リリーヌは瞬いた。

「直してくださるのですか」

「直すのではなく、証言書として読める形を教えるだけです」

「どうして」

私は少し考えた。どうしてだろう。彼女を許したからではない。彼女が傷ついたからでもない。ただ、拙い文であっても、自分の責任を自分の名で書こうとしている人を、わざと読めない文のまま放っておきたくなかった。

「証言は、正確である方がいいからです」

リリーヌは紙を胸に抱いた。

「ありがとうございます」

「感謝より、修正を」

「はい」

それから二人で、証言書を直した。私は彼女の言葉を代筆しなかった。文の順番を整え、事実と推測を分け、日付を確認し、曖昧な表現に印をつけただけだ。リリーヌは何度も辞書を引いた。以前なら、難しいと言って投げ出したかもしれない。今は投げ出さなかった。

夕方、証言書は完成した。リリーヌは自分の名を書いた。リリーヌ・オルフェ。筆跡は少し震えている。

「イザベル様」

「はい」

「わたし、旦那様を好きだったのだと思います。でも、好きな人の言葉だけ聞いて、ほかの人の言葉を聞かないのは、優しさではなかったのですね」

私は答えに迷った。恋愛の助言は、外交文書より難しい。

「私は、夫に役立てば愛されると思っていました」

そう言うと、リリーヌが顔を上げた。

「違いました」

「はい」

「あなたも、別の形で同じ場所にいたのかもしれません」

リリーヌの目に涙が浮かんだ。彼女は泣いても、以前のように誰かへ寄りかからなかった。ハンカチを自分で出し、涙を押さえた。部屋を出る前、彼女は深く礼をした。

「わたし、自分で読めるものを増やします」

「それがいいと思います」

扉が閉まる。サラが隣室から顔を出した。

「許したんですか」

「いいえ」

「じゃあ、どうして教えたんですか」

「許すことと、相手が正しい文を書く手助けをすることは別だから」

サラは難しい顔をした。

「大人って面倒です」

「本当にね」

二人で少し笑った。リリーヌの証言書は、その日のうちに裁判所へ届いた。彼女の選んだ言葉が、ようやく彼女自身のものになった日だった。