作品タイトル不明
丸腰、死闘
「……この場で中身を確認させてもらうぞ」
まどかから受け取った封筒を、俺は事務所から出る前にその場で開封した。
中に入っていたのは、一枚のリスト。そこには三種類の魔物と、特定の部位が記されていた。
『鉄裂き熊の 剛胆胆(ごうたんたん) 』
『猛毒タランチュラの麻痺毒腺』
『 装甲百足(そうこうむかで) の魔力核』
「いずれもCランクに相当する強力な魔物のレアドロップね」
まどかが冷たい声で解説を補足する。
「通常のドロップ率はどれも一桁パーセント以下。ベテランのCランクパーティーが連日潜って、一ヶ月で一つ手に入るかどうかの希少素材よ。……もちろん、手に入れてくればギルドのような不当なピンハネはしない。正規の市場価格、しめて『三百万円』で買い取らせてもらうわ」
「三百万……!」
思わず声が漏れた。
三万で買い叩かれたあの屈辱を思えば、破格の、いや、これが本来の正当な対価だ。
この女は、俺の足元を見てタダ働きさせるような真似はしない。
実力には金で報いるという裏社会のドライな誠実さがあった。
「期限は一週間。もし命が惜しくなったなら、そのまま逃げても構わないわよ。ジャージのおじさん」
「……三日後、またここに来る」
それだけ言い残し、俺は黒犬の事務所を後にした。
♦
「マスター! Cランク魔物の三連戦なんて、今の丸腰装備じゃ自殺行為ですよ!」
再び不法侵入した中級ダンジョン『第12エリア』の地下階層。
松明の灯りもない薄暗い迷宮を歩く俺の肩で、エク子がホログラムの腕をバタバタと振って抗議していた。
「わかってる。だが、三日もかける気はない。今日、今から三体すべて狩る」
「えええっ!? ドロップ率が一桁のレア素材を三種類も集めるなんて、いくらなんでも確率的に……あ!」
「そうだ。俺にはお前がくれた【存在強奪】の『初回ボーナス』がある」
初めてその種族の概念を強奪した際、ドロップアイテムが100%確定で全種類手に入る例外システム。
つまり、俺は目当ての魔物を『一匹ずつ』倒すだけで、この理不尽な依頼を確実にクリアできるのだ。
「なるほど! 他の冒険者が何百匹も狩ってようやく手に入れる素材を、マスターなら最短の三殺で終わらせられるんですね!」
「そういうことだ。……来たぞ」
俺が足を止めた直後、前方の暗がりから巨体がヌッと現れた。
リストの一つ目。
全身を鋼のような硬い毛で覆い、両手には金属すら引き裂く爪を持つ『鉄裂き熊』だ。
『グルルォォォォッ!!』
熊が咆哮と共に、丸太のような腕を振り下ろしてきた。
ジャージ姿で盾を持たない俺にとって、防ぐという選択肢はない。回避一択だ。
「甘いっ!」
強奪したステータスでギリギリ躱し、懐へ飛び込んで顎へアッパーを放つ。
ゴツンッ! と岩を殴ったような衝撃が右腕に走った。
「硬っ……!」
『ガアッ!!』
熊が痛みに激昂し、反射的に裏拳を放ってきた。
躱しきれず、鋭い爪が俺の左腕を掠める。ジャージの袖が紙切れのように裂け、肉が浅く抉られて鮮血が舞った。
「くそっ!」
「マスター! 無理しないでください! 相手はCランクの凶悪な猛獣です!」
痛みに顔をしかめるが、すぐに【自己再生 Lv1】が発動し、傷口がジリジリと熱を帯びて止血されていく。だが、完治には時間がかかる。これ以上の被弾は命取りだ。
「なら……硬い毛皮の上からじゃなく、内部を破壊する!」
俺は熊の次撃をかいくぐり、相手の巨体に密着。
両手で熊の首の皮を掴み、全身の【筋力】を総動員して、強引に頭部を捻り上げた。
『ギャ、ガァァッ!?』
「そのまま……折れろぉぉっ!!」
バキィィィンッ!!
鈍い骨の砕ける音が響き、鉄裂き熊は白目を剥いて巨体を沈めた。
『――条件達成。【存在強奪】が発動します』
熊の存在がノイズとなって消え、傷ついた俺の左腕が瞬時に完治する。
インベントリには、目当ての【鉄裂き熊の剛胆胆】が確実にドロップしていた。
「ふぅ……一匹目、完了だ」
「ステータスも上がってますよ! さすがCランク、上昇値もエグいです!」
休む間もなく、俺はダンジョンのさらに奥へと進んだ。
二匹目は『猛毒タランチュラ』。
牛ほどもある巨大な蜘蛛が、天井から音もなく強酸の毒液を吐き出してきた。
「おっと!」
ジュワァァァッ!
間一髪で避けた石畳が、毒でドロドロに溶けていく。もしジャージに一滴でもつけば、そのまま皮膚まで貫通するだろう。
「マスター、あいつは遠距離から毒と糸で削ってくる嫌らしいタイプです! 素手だと攻撃を弾けませんよ!」
「なら、弾かずに避けて、捕まえるだけだ!」
俺は縦横無尽に壁を蹴り、飛び交う糸と毒液を掻いくぐって跳躍した。
タランチュラの頭上に張り付き、その八つの目玉のど真ん中に、全体重を乗せた踵落としを脳天へ叩き込む。
『ギシャァァァァッ!?』
緑色の体液をぶち撒けながら、巨大蜘蛛が床に叩きつけられ、その『存在』が強奪と共に消去された。
二つ目の依頼品、【猛毒タランチュラの麻痺毒腺】を確定ドロップでゲットする。
「……はぁ、はぁ……」
「マ、マスター、大丈夫ですか!? 息が上がってますよ!」
「連戦と、素手での力技は……さすがに堪えるな」
装備さえあれば、剣で斬り伏せたり盾で毒を防いだりできる。
丸腰での死闘は、常に死と隣り合わせの緊張感を強いられ、精神的な疲労が尋常ではなかった。
だが、残るはあと一匹。
最下層に近い広間。そこに、最後の標的である『装甲百足』がいた。
全長五メートル。全身が黒光りする鋼鉄の甲殻で覆われた、不気味な多足の魔物だ。
『カチカチカチカチッ!』
百足が巨大な顎を鳴らし、地を這うようなスピードで突進してくる。
「マスター、あいつの装甲はCランクの剣士でも刃が立たないほど硬いです! 今のマスターの拳でも、殴ればこっちの骨が砕けます!」
「知ってるさ……っ!」
俺は迫り来る顎を紙一重でスライディングして避け、百足の腹の下へと潜り込んだ。
しかし、腹側も分厚い装甲で覆われている。
「硬いなら……装甲の隙間を狙うまでだ!」
俺は百足の節と節の間、わずかに装甲が薄くなっている関節部分に、両手の指先を力任せに突き立てた。
『ギチィィィィッ!?』
百足が激痛に悶え、長い身体をくねらせて俺を押し潰そうとする。
何トンもの質量が俺の全身を圧迫し、ジャージの下の骨が悲鳴を上げた。
口の中に鉄の味が広がる。
「ぐっ……おおおおおっ!!」
俺は【筋力】と【耐久】のすべてを腕に集中させ、装甲の隙間にねじ込んだ指で、百足の内部にある『魔力核』を直接探り当てた。
そして、肉を引き裂きながら、強引にそれを引きずり出す。
ブチブチブチッ!!
『キィィィィィ――……』
魔力の源である核を素手で引っこ抜かれた装甲百足は、そのまま痙攣して活動を停止した。
『――条件達成。【存在強奪】が発動します』
三度目のシステム音が響き、巨大な百足の死骸が砂嵐になって消滅した。
極限の疲労と全身の打撲が、強奪したステータスと共に癒やされていく。
「や、やりましたマスター! 三匹とも討伐完了です!」
インベントリには、最後の依頼品である【装甲百足の魔力核】が、傷一つない完璧な状態で収まっていた。
血と泥と体液でドロドロになったジャージのまま、俺は大の字になって冷たい石畳に仰向けに倒れ込んだ。
「……終わった」
他の冒険者ならパーティーを組んで数週間かかる素材集めを、俺はたった数時間、たった三匹の討伐で終わらせた。
丸腰での死闘という代償は大きかったが、この【存在強奪】の初回ボーナスがもたらす効率は、常軌を逸している。
「帰ろう、エク子。あの氷の女の度肝を抜いてやる」
俺はゆっくりと立ち上がり、血のついた拳を強く握り直す。
三百万円の報酬、そして黒犬のボスへの道が、ついに開かれようとしていた。